10.「どうしてそんな事を」




冷えた畳を素足で踏みしめながら襖を開け、燭台の灯りだけが頼りの薄暗い寝室へと入りこむ。
部屋の中心には既に丁寧に敷かれた一組の布団があり、先に布団に潜り込んだ七夜の身体分、盛り上がっていた。
何故、枕元に置いてある燭台が着いたままなのだろうと疑問を覚えながらゆっくりと確認の為に布団を捲ってから覗き込むと、不意に着物を纏った七夜の指先が此方に伸び、首元に抱きつかれる。
そうして熱を帯びた七夜の薄い唇が唇に押し当てられる感覚に驚いていると微かに潤んだ瞳をしているように見える七夜が掠れた声音で呟いた。


「……遅いんだよ、馬鹿」


大分前に眠ると言って布団に潜り込んでしまった七夜がまさか起きているとは思ってもいなかったが、其れが七夜なりの誘いだった事に漸く気がついた。
随分と酷い事をしてしまったと、脳内で謝罪する事を考えたが、それよりも目の前に据えられた膳に手を付ける方が先だと布団に潜り込み七夜の上に覆い被さる。
その間にオレの首元から手を放した七夜はその微かに潤んだ瞳で此方を観察するように凝っと見詰めてきた。
何時もは卑猥にさえ聞こえる台詞をいとも簡単に吐く癖に、本当に欲しがる時は何も言わずにただただ此方を布団の中で息を殺して待つ七夜の純粋さにどうしようも無く煽られるのは仕方の無い事だろう。
そのまま七夜の横に着いた腕の片方を動かしてその前髪を掻きあげると不満げな表情をした七夜が此方を睨んでいるのに気がついて思わず苦笑する。


「すまない……まさか起きているとは思ってもいなかった」

「……言っただろ、……先に『布団入ってるから』って」

「……そうだな」


態とらしく拗ねた口調でそう言った七夜が視線を逸らすのを見ながら、出来るだけ柔らかな声音でそう呟き、その額に口付けを施す。
このような言動を見せるのはきっとオレの前だけなのだろうと自惚れてしまうのは、普段別の人間と話している時にはその片鱗すらみせない癖にオレと二人きりになった途端、猫のように甘えてくる七夜にも原因はあると思う。
そんな事を考えていると、逸らしていた視線を戻した七夜がオレに手を伸ばしたかと思うと片手を肩に添わせ、もう片方の手で前髪を除けその下にある傷口に指先で触れてくる。
その細く冷たい指先が癒すように傷口に触れてくるのに不思議な感情を覚えながら、顔を寄せると下に居る七夜が待ち侘びていたのかその瞳を閉じた。
其の薄い唇に何度か軽く音を立てながら口付けると、傷口に触れていた手も首に回した七夜が熱い舌を此方の唇に這わせてくる。
オレはぬるついた其の舌先に誘われるまま舌を絡ませ、その小さな口腔を舐った。
そうして歯列をなぞり、上顎を撫で、呼吸を奪うように深く接吻をしているとくぐもった声で七夜が喘ぐのが脳内に響く。


「……ん、……っぐ……」


其れと同様にクチュ、と濡れた音が響くのを聞きながら七夜の前髪に触れていた手を動かしその首元に指先を這わせる。
そして更に中に舌を入れ込ませると、息苦しいのか肩に添わせていた手を動かし此方の着物を縋るように掴んでくる七夜の手に気がついた。
しかし其れを無視して逃げようとする七夜の顎を首元に触れていた手で押さえながら 激しく嬲ると、不意に体全体を動かし抵抗を見せた七夜の目元から一筋雫が零れ落ちる。


「……っげほ!……ッけほ……」


其処で漸く唇を離すと、間に透明な糸が掛かり、咳き込んだ七夜が布団の上でぐったりとしているのが分かった。
そして縋るように掴んでいた此方の着物から手を離した七夜の胸元が上下するのを見ながら、其の髪を撫で梳かすと掠れた声音で七夜が囁く。


「……殺す気か……お前……!」


微かに涙ぐみながらそう言った七夜にゾクゾクとした痺れを背中に感じてしまって、慌てて其れを打ち消す。
―――愛し過ぎて殺してしまうかもしれない、そんな思いを一瞬でも感じ、尚且つ其れに興奮を覚えてしまうなど此れまで考えても見なかった。
しかし其の考えを顔に出す事はしないようにしながら七夜の額に顔を寄せ、軽く接吻をする。
そうして出来るだけ神妙な顔をしながら七夜の頬に指を這わせ其処を撫でた。


「すまない……少しやり過ぎてしまったな……嫌だったか?」

「!……別に、……嫌って訳じゃない……」

「……次は気をつける。……許してくれ、七夜」

「……ッ……」


そう七夜の耳元で低く囁くと顔を逸らした七夜が息を詰めたのが分かり、口端に自然と笑みが浮かんでしまう。
どうして先ほどのような事を考えてしまうのか不思議だったが、今まで誰かに『愛情』というモノを感じた事の無いオレにとって、七夜に向けるこの感情こそが愛情であり執着なのだろう。
けして七夜の事を『自分の獲物』などとは思っていないが、限りなく其れに近い思いが入り混じった恋情を抱くのは普通、間違っているのかもしれない。
だが、誰かを殺す事や死ぬ事に何の感慨も無かったのに、今ではもしも七夜がオレ以外の手で殺される位なら、其の前にオレがこの手で七夜を殺してしまった方が良いとさえ思っている。
………其れ程までに七夜の存在をオレは欲し、そして愛していた。
そんな歪んだ思いを吐き出すように七夜の頬を撫でながら、柔らかな耳朶に耳を這わせ其処を舐る。


「ぁ……!」


途端に体を震わせ声を上げた七夜にもう一度顔を近づけ羽毛で撫でるような軽さで口付けると、既に蕩けた瞳で此方を見てくる七夜と視線が絡んだ。
そのまま燭台に照らし出された形の良い鎖骨に指を這わせ、着物の前を開くと、其処に顔を寄せ赤い痕を残す。
健康的な色をした肌に付いた花の様な痕にくすりと笑うと、此方に手を伸ばした七夜の指がオレの髪に絡んでくる。


「……軋間……」

「ん……?」

「…………さっきの、もう一回しろ……」


その手付きに顔を上げると目元を赤く染めた七夜が、酷く恥ずかしそうにしながら此方を見ている事に気が付き、首を傾げる。
すると、聞こえない位の声音で七夜がそう呟き、その表情と言葉に込み上げるような愛しさを感じながら、望み通りもう一度その唇に唇を合わせていた。



-FIN-






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