11.「ひとりで生きていくって決めたから」


※軋間さん死ネタ・軋七からの志+七



一人、囲炉裏の点った部屋で男の上着を抱きこめる。
俺に最期の頼みとして介錯を頼んだ男を何度も恨み、恋しいと思えども、男の最後の望みを掛けられた俺は死ぬ事も出来なかった。
だがこの庵から離れればきっと死ぬ事も可能だろう。
死して尚、この庵周辺に有り得ない効果を持った固有結界を張った男は何処までも俺を縛り付ける。
まるで温度の感じない上着をより一層抱きしめながら、窓の外に視線を向ける。
深深と降り積もる雪に、自分の心まで冷えていきそうな気がした。
男を此処に残して遠くにいく事も、一人死ぬ事も出来る訳がないのだ。


「……今日は一段と寒いな、軋間」


窓を見ながら庵の直ぐ外に埋葬した男の亡骸に向けて小さく声を掛けても、当然答えは返ってはこない。
そんな事は嫌でも分かっている。
分かっていて語りかけるのは胸の内に居る男を忘れたくないからだ。
今まで互いを理解しあうまでに何度も殺し合いを重ね、俺はあれほど男を 殺したいと願っていた筈なのに男と愛し合い、最後に成就した願いは余りにも 此方の心を深く抉った。
こんな事になるならば初めから関わり合いなど持たなければ良かったのだと 思っても、男と過ごした甘い記憶は水飴の様に此方の体に絡んで消えない。
するりと手の中にある上着に頬を摺り寄せる。
―――俺が生き続ける事を男が望んだなら、俺はこの身体が消えるまで此処で男の墓を守り続けよう。
幾ら其れが残酷な選択だとしても、俺は男を愛しているから。



□ □ □



「……よお」

「……なんだ、お前が此処に来るなんて珍しいな」

「……いや……」


少し裾の長い男の上着を上手くたくし上げながら、目の前にある薪を斧で割っていると見知った気配を感じた。
その気配の持ち主は此方に片手を上げながら近づいてくるので、其方に視線を向ける。
俺にそっくりな容姿をした男はその眼鏡を掛けた顔を微かに動かし、男の墓をチラリと横目で見遣った。
そんな男の視線に気がつかないフリをして俺は手に持っていた斧を一度 薪割り場に突き刺してから顎で男をしゃくった。


「まぁ良いや、……茶でも飲んでくか?」

「……ん?……ああ」


おずおずとそう言った男から視線を離し、俺は上着を翻しながら庵の扉の前に歩み寄り、其処を開けた。
そのまま中に入ると、男が小さくお邪魔します、と言ったのが聞こえて少し可笑しい。
前は俺の事など目の仇にしていた癖に、気を遣うようになったのは互いに変わったからだろうか。


「先上がってろよ」

「……うん」


そう言って箱段に腰掛け靴を脱ぐ男を見てから炊事場に立ち、手早く茶を入れ始める。
昔は火を起こすのでさえ、其処まで苦労しなかったが今では其れも難しくなった。
そんな瑣末な事でさえ男を思い出してしまうのは、この庵が男との思い出に溢れているからだろう。
ぼんやりとそんな事を思いながら茶を入れ、盆の上に自分と男の分を載せ男の傍へと向かう。
火の点っていない囲炉裏の前で座り込んでいる男は妙に暗い顔をしていたが、俺が入ってきたのを見るとぎこちなく笑った。
そんな男の前に茶の入った湯のみを置くと、男とは向かい側に座り込み、持ってきた茶と盆を畳に置いてから男の上着より腕を抜き、肩に掛け直す。
囲炉裏に火を点そうかと思ったが、目の前に居る男を置いて薪を取りに行くのも憚られた。
俺が自身の手に持った茶を啜ると、其れに習うように男も茶を啜る。
そうして顔を上げると、気まずそうな男と視線が合った。


「……それで?何の用だ、兄弟」

「……いや、……ちょっと噂聞いてさ」

「……そうか」


ふ、と笑って視線を逸らした俺に男がため息を吐くのが聞こえた。
再び視線を向けると茶を置いた男が真っ直ぐな瞳で此方を見詰めてくる。
眼鏡越しに見た男の瞳は何処か冷徹さと、寂しげな色を湛えていた。


「……なぁ」

「……」

「……俺が、……お前を殺してやろうか」

「…………」


凝っと此方を見ながらそう言った男は真剣な表情でそう言う。
どうせそんな下らない事を言ってくるだろうとは思っていたが、わざわざ こんな山奥にまで来てそんな提案をしてくる男は随分な苦労性だと思った。
俺が手に持っていた茶を再び啜ると、男は言い訳のように言葉を紡ぐ。


「……元々は、……俺を殺す為に生まれたお前を俺が殺すのは、おかしい事じゃないだろう」

「……そうだな」

「其れに此処に居る限りお前は自分じゃ死ねない」

「……ああ」

「……だったら、……」


茶を置いた俺は男を見詰め返す。
その視線に驚いた様子の男に俺は知らず知らず微笑みを返し、肩に掛けた 上着の前を両手で掴み、引き寄せた。
畳の上で擦れる其れは肩に掛けていても僅かに大きい。


「其れは随分と魅力的な提案だが……お断りするよ」

「……」

「俺を生かすのも、殺すのも、あの男だけの特権だ」

「七夜」

「だから、……悪いな」


上着に何の温度も無いことは分かっていても、こうして体に纏えば俺を 温めてくれる。
そうして微かな男の残り香が何時だって俺を抱きしめてくるのだ。
そんな俺の思いを目の前の男は理解したのか、黙り込んでしまう。


「……分かった」

「……」

「悪かったな、変な事言って」

「構わないさ」


暫く経って、俺の言葉に納得したらしい男はそう言ってから吹っ切るように茶を取り、飲み始める。
男が死んでからずっと此処から離れていない俺にとって、こうして誰かと 話をするのは久方ぶりの事だと思い出していた。
そうして茶を口元から離した男は敢えて明るい口調で言葉を紡ぐ。


「なぁ、また遊びに来ても良いか?」

「わざわざ此処まで来るのか?……ご苦労な事だ」

「……良いんだ、俺が来たいだけだから」

「……」

「次は土産でも持ってくるよ。……アイツの分も、な」


そう言って目を伏せた男の顔は何処か寂しげに見えた。
あの男が死んで悲しみを感じたのはきっと俺だけでは無いのだろう。
仇として俺達の前に立ち塞がった男は此方を恐怖させると同時に、その比類無き 強さで圧倒していた。
男の違う面を知っている俺は勿論、其処まで深く知らない兄弟にとっても 男の死は何か感じさせるものがあったのだろう。
其れほどまでに、大きい存在だったアイツを亡くした俺はその意思だけで生かされている。


「そうだな、……きっと酒でも手向けてやれば喜ぶだろうよ」

「……あんまり高いのは買えないけどな」

「相変わらずあの鬼妹に苦労しているのか?」

「……其処はノーコメント」

「……っく……」


肩を竦めつつも困ったように笑った男に思わず笑ってしまう。
庵に響く声に俺は懐かしさを感じつつ、肩に掛けた上着が落ちそうに なったのを男に気がつかれないようにそっと直した。



-FIN-






戻る