「不思議だよなぁ」
珍しくオレの隣で眠りこけていない餓鬼がそうしみじみと呟いたので、読み込んでいた
本から顔を上げて其方を見遣る。
すると餓鬼は楽しげに笑いながら風に揺れる前髪を押さえ、呟いた。
「……なぁ?」
「……何がだ」
オレはそんな餓鬼の問答に意味が無いと分かりながらも、開いていた本を閉じ、懐に忍ばせる。
何時からかこうしてオレの隣に居るようになったこの餓鬼は何処までもオレを揶揄しては楽しんでいるのだ。
それが分かっているならば追い返せば良いと思えども、たまに戯れのように触れてくる
餓鬼の瞳は何処か不安げな色を浮かべてくるものだから其れも儘為らない。
―――つくづくオレもこの餓鬼に振り回されてばかりだ。
そんなオレの思いを知ってか知らずか首を傾げた餓鬼は相変わらず勿体つけたように言葉を溜める。
その餓鬼の態度に痺れを切らしたオレは、再び先を急かすような台詞を吐いていた。
「……一体何だ」
「アンタとの接吻だよ」
「……は……?」
オレは己が考えていた答えとはまるで異なるその台詞に思わず黙りこくってしまう。
接吻を不思議、と捉えるのはどのような意味でなのだろうか。
大体先に接吻を仕掛けてくるのは餓鬼の方からなのだから、今更理由を不思議がるとも
思えない。
そうして、けしてオレが完全に許している訳では無いがそれでも拒否を見せていない事は互いに了解済みだ。
そんな事を頭の中で巡らせていると、隣に居る餓鬼がそっと笑った気配がしたので自然と逸らしていた瞳を餓鬼に向け直す。
「そんなにアンタが悩む事か?」
「……お前がいきなり『不思議』等と抜かすからだろう」
「まぁ、そうだよな」
済まない、とまるでその様に思ってはいない表情を浮かべた餓鬼はオレから視線を逸らし、目の前に広がる恐ろしい程に澄んだ空を見上げた。
そんな空に視線を投げている餓鬼の横顔を見詰めていると、そのまま餓鬼は少し照れたように笑いながらそっと言葉を紡ぐ。
「はっきり言ってアンタの接吻は下手だろう?」
「…………」
「……でも、……なんでだろうなぁ」
オレはその台詞に反駁し掛けたが、まだ餓鬼の言葉に続きがある事が分かり、黙ってその先を待つ。
その間にも餓鬼の髪に反射している日の光が妙に煌いて此方の目に映った。
「……アンタとの接吻は今までの何よりも、心地良い」
「……」
「ただ触れ合わせているだけだってのに、……だから、可笑しいなと思ってさ」
そう言って此方に振り向いた餓鬼のその顔には一片のからかいの色も無く、困ったような表情でいるものだから何も言えなくなってしまう。
何故急に、という思いと共に、こういう餓鬼の言動にオレは振り回されながらもやはり好ましさを感じてしまうのだと云う事を思い出していた。
オレはそっと餓鬼の頬に手を伸ばして、滑らかな其処を撫で摩る。
こんな風にオレから触れたのは初めての事で、驚いたらしい餓鬼はその顔を微かに引きかけるが直ぐに安心したかのようにその手に頬を摺り寄せてきた。
そんな餓鬼の反応に新たな満足感を感じながら、自分でも驚く位の柔らかな声音で呟く。
「……其れは、強請っているのか?」
「……そういう訳じゃ、……いや、……そうかも」
「……何だ、其れは」
「だって本当に不思議なんだよ、……今までこんな事無かったんだから」
「……オレから言わせて貰えば、此方こそ、今までこのような行為はした事すら無い」
「……」
「だからこそ多少無作法でも、技術が無くとも仕方の無い事ではある」
「……なんだ、アンタ、さっきの気にしてたのか?」
途端にくすくすと笑い出した餓鬼の頬に当てていた手を動かし、髪を梳かすようにすると相変わらずその顔に笑みを乗せたままの餓鬼が上目遣いで此方を見上げてくる。
「別に俺はアンタにそういう技巧なんて端から求めちゃいないさ。そんなのは俺が教えていけばいい話だ」
「……お前に其処までの技術があるとは知らなかったが」
「遠慮してたに決まっているだろう?……いきなり深く口付けたら其れこそ舌持っていかれちまうかと思ったんだよ」
「……」
「でももうアンタも大分許してくれているみたいだし……良いんだよな?」
「……」
オレはそんな餓鬼の顔に自身の顔を寄せ、唇を触れ合わせる。
すると嬉しそうに此方の髪に手を伸ばしてきた餓鬼の熱い舌が唇の上を這っていく感覚を受け入れるように唇を開くと中を探るように弄られるのが分かった。
その今までに無い感覚に確かな悦さを感じながら、オレは餓鬼の身体を抱き寄せその髪に指を差し入れながら細腰に腕を回す。
それでもまだ物足りなさを感じ、オレは胡坐を掻いた足の上に餓鬼を乗せ、その接吻を受け入れる。
「……っは、……っ……」
「……、……」
「……っ……ふ……」
そうしてぬるついた舌が引き抜かれ、透明な糸が掛かったのを見ているとくたりとした様子の餓鬼がオレの肩に顔を埋めた。
確かに餓鬼の接吻は巧みなのだろうと何となくではあるが理解出来る。
しかし其れをどうやって身に着けたのか、そんな僅かな嫉妬心を感じながらもその髪を宥めるように梳かしていると聞こえるか聞こえないかという声音で餓鬼が囁く。
「……なんで、……本当……こんなに余裕が無い……」
「……どうした?」
「……あんまり気持ちよくなかったか?……アンタ、随分余裕そうだけど」
「……もう一度しても良い位には心地良かったぞ」
「……なんだ、それ……」
そう言って顔をあげた餓鬼が額を合わせてくるので、そのまま至近距離で見詰め合う。
そうして今度はオレから何時ものように触れるだけの接吻を繰り返してやると、餓鬼が
堪え切れないと云った様子でオレの肩に手を掛け、其れを押し留めた。
「ちょっと待て……!」
「……なんだ」
「……このまま押されたら俺の男としての矜持が許さない」
「なんの事だ?」
「良いから落ち着くまでちょっと待て!」
「?……お前は相変わらずオレを翻弄するな」
「……其の台詞、アンタにそっくり其の侭返すよ」
餓鬼のその慌てた様にそう囁くと、餓鬼は一瞬、戸惑った顔をしてから直ぐにそう言ってその赤みを帯びた顔を隠すように身体を動かし、オレの首元に寄せてくる。
その言葉の意味がまるで理解出来ないオレは、そんな餓鬼の髪を宥めるように触れながら遥か彼方に飛んでいる番いらしい白い鳥の姿を目で追っていた。
すると、顔を上げた餓鬼が意を決したかのような表情をしながら、此方を見遣ってくる。
「……もう、ちょっとだけなら。……大丈夫だ」
「別にその様に無理をする必要も無いのではないか?」
「良いんだよ!……それにアンタがこんなに付き合ってくれるのだってたまにしか無いんだから」
「……そう言われると、止めた方が良い気分になってくるな」
「!……もう少しだけ、……な?」
餓鬼の言葉に態と少し冷淡に返してみると、寂しげな瞳をした餓鬼が縋るように此方に顔を寄せてくるので安堵させるようにその頬に口付けてやる。
そのような表情をされてしまっては、拒否など出来る訳も無かった。
今度はそのまま滑るようにオレから唇に口付け、先ほどの接吻を真似て餓鬼の口腔をたどたどしく舐ってみる。
「……っふ……」
「…………」
「……ぁ、……っ……っふ……」
「……は……」
「……はー……、……」
「……平気か?」
「……」
トロリとした瞳のまま頷いた餓鬼は荒い息を洩らしながら、此方の服を握りこんでくるのでその微かに汗ばんだ額に口付けてやると此方の肩に頭を摺り寄せた餓鬼が信じられないと云ったように首を振った。
オレはそんな餓鬼を面白く感じ、その耳元で低く囁いてやる。
「……平気、では無いようだな?七夜」
「!?……もう、……本当……なんで……」
「……っく……」
耳まで赤く染めた餓鬼にオレはとうとう洩れ出る笑みを堪え切れずに噴き出すと、餓鬼がそんなオレに苛立ちをぶつけるように胸元を軽く叩いてくる。
しかしまるで痛みを感じない其れにオレは益々笑みを深めたのだった。
-FIN-
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