15.「約束の日は近い」


※二人とも死ネタ



「よう」


掛けられた声に顔を上げると逆光の中、此方を見詰めている餓鬼を確認する。
この餓鬼は何時の間にか現れ、知らぬ間に消えてしまう。
だからこの餓鬼の意図は分からず、オレはただ見慣れた森の中何度も同じ書物の文字を辿る。
そんな事が一体何度あったかも思い出せない。
オレは手に持った書物を閉じると草叢の上に其れを無造作に置く。
そうして勝手に零れ落ちる言葉をそのままに吐き出していた。


「……お前が声を掛けてくるのは初めてだな」

「ああ、そうだな。……俺だってこの状況は酷く息苦しくて堪らなかったよ」


言葉とは裏腹に愉しげに笑った餓鬼は何処か霞んで見える。
其れでも何時もより確りとオレの前に立った餓鬼は嬉しそうに後ろに手を回し、その胸を反らせた。
日の光に照らし出された餓鬼の学生服についた金具がまるで星屑のように煌く。
そうして煙がかった髪を揺らめかせた餓鬼はしみじみと言葉を紡いだ。


「でも、息苦しいなんてものじゃすまないんだよな。きっと」

「……それはどういう事だ」

「直ぐに分かるさ。……もうその日は近い」


僅かにオレから顔を逸らした餓鬼を見詰め、その言葉を真意を探る。
この餓鬼は何かを知っている気がしてならない。
だがオレが問いかけようと唇を開く前に餓鬼はそっと笑みを浮かべて首を横に振った。
答える気も、問いを許す気も無いという事だろう。
今まで書籍を読んでいる俺をひたすらに見詰め続けてくるだけだった餓鬼がこうして オレに声を掛け、此方も言葉を返している。
心地よい沈黙に互いに身を預けていたというのに不意に声を掛けてきた餓鬼は笑いながらも何処かその瞳に暗い色を宿していた。


「……紅赤朱」


そうオレを呼んだ餓鬼はゆっくりとした歩幅で此方に近づいてきたかと思うと、胡坐を掻いて座っているオレに手を差し伸べてくる。
すらりと細長い餓鬼の手にオレは刹那、戸惑うがその手に自らの手を伸ばす。
しかしその手が触れ合う前に餓鬼はその手を引っ込め、衣服の中に仕舞いこんでしまう。


「……やっぱり止めとく。……これ以上俺だけが情を持つのはもう御免だ」

「先ほどから何を言っている……、……!」

「……時間切れだ、紅赤朱……もう二度とアンタの夢には現れないよ」


砂のように消え失せてしまいそうな餓鬼に立ち上がり手を伸ばそうと試みるが、まるで見えない幾本もの手に無理矢理掴まれているかのように体が動かない。
そうして行き成り掻き切られたかのように急に痛み始めた喉を手で必死に押さえていると意識が緩やかに遠のいていった。



□ □ □



目を開くと其処は見慣れた空間で、オレは汗ばんだ身体を布団の中で動かした。
ジリジリと焼け付くような暑さを感じ、顔に掛かる前髪を軽く掃う。
今まで夢の内容を明確に覚えていた訳ではなかった。
だが今日の夢は余りにも印象が強すぎて否が応にも忘れる事等出来そうに無い。
其れほどまでに餓鬼の瞳が深く、底が見えない上に寂しげに見えたのだ。


(……寂しげ……?)


漠然と浮かんだその言葉に首を傾げてしまう。
そのような思いを真に理解出来るようになったのかすら分からないと いうのに、それ以上にどうしてそう思ってしまったのかが疑問だった。
あの餓鬼と話をした事も無ければ、ただその存在を認識しているだけで餓鬼に大した感情も抱いていなかった筈だ。
そろりと再び手を伸ばし、前髪の後ろに隠れた傷跡に触れる。
ざらついた感覚を与えてくる其処にふと餓鬼の言葉を思い出していた。


(……『もう二度とアンタの夢には現れない』、か)


あれはただの夢で、まるで意味の無い事柄の筈だというのに苦い思いに心が満たされていく。
餓鬼の事を好いている訳では無いが、嫌っている訳でも無い。
だから餓鬼がオレを憎んで殺そうとするのは構わないと思っていた。
そうしてその時が来たならばきっと迷わず戦うのだろうとも。
―――頭が酷く痛む。
オレは傷口に触れていた手を離し、水でも飲もうと布団から緩慢な動きで立ち上がった。



□ □ □



「……っは……」


腕の中に居る餓鬼が荒い息を洩らすのを感じながら、その体に押し入った腕を動かさないように呼吸を整える。
しかし裂かれた喉で幾ら呼吸をしようと足掻いても無駄だと悟った。


「もう…………上手く……見えないんだ……」

「……」

「…………軋間……」


掠れて聞き取りにくい声でオレの名を囁いた餓鬼と視線を合わせようと顔を見るが、餓鬼の瞳には大量の血が流れ込みもはや上手く見えてはいないようだった。
其れでも此方を探るように伸ばされた手はオレの頬に添えられ、そのまま顔を這ったかと思うと傷口を指先でなぞってくる。
オレはそんな餓鬼の瞳が見たくなって空いた手で餓鬼の血を出来るだけ拭ってやった。


「……此れが、親父の……」

「……」

「…………それで……此れは俺のだ……」


そのまま手を動かした餓鬼は嬉しそうに笑いながらオレの首についた傷をさも愛おしげに触れてからそう囁く。
その表情にオレはどうにも堪らなくなって、餓鬼の腹に突き入れた腕を微かに動かしてしまう。


「!……っくぁ……」


ぐちゅり、と濡れた音と共に体を震わせ声を上げた餓鬼は笑ったままオレの体にその体を凭れさせてくる。
しかし其れをすれば更にその体に腕が押し入ってしまうだろうともう片方の手で餓鬼を止め様とするが、其れを嫌がるように餓鬼は自らその体の中に腕を埋め込ませていく。
幾ら声で制止しようとしてもオレの喉は掠れた吐息を洩らすしか出来なかった。
餓鬼の青い学生服が更に濁った紅に染まるのを確認し、腕が生温く柔い其処により一層深く食い込むのを理解する。
そうしてオレの体に抱きつくようにした餓鬼を空いた腕で抱き寄せた。


「……ぁ、……ぐ……っは……」

「……」

「…………もっと、……奥まで……」

「……」

「……軋間…………きしま……」


その焦れたような声に胸元に居る餓鬼の顔を覗き込むと、今にも泣き出しそうな顔をした餓鬼と視線が合う。
何故、あの時と同じようにそんな顔をするのだろうか。
もう互いに一人、俗世を彷徨い続ける事は無くなったというのに。
其処まで考えてオレは自分の声が出なくなってしまった事を思い出す。
その事に内心舌打ちをしながらも、そっと餓鬼に顔を寄せた。
薄くも柔らかく、鮮血の匂いに満ちた其処に口付け、そのまま舌を這わせると微かに体を震わせた餓鬼が舌を絡め返してくる。
ぬるりとした其処を堪能しながら、小刻みに餓鬼の中に埋め込んだ腕を動かすと荒い吐息を洩らした餓鬼はくぐもった声で悲鳴のような嬌声を上げた。


「……っ、……は、……あ!……ふぁ……!」

「……ッ……」

「……ひ、っぐ……あ……ぁ……!!」


そうして唇を離すと薄い朱色をした糸が合間に掛かり、その先に居る餓鬼は此方の服にしがみ付くようにして指先で皺を残している。
また滴った血で濁る瞳にオレは慌てて手の甲で餓鬼の顔を拭ってやると苦しげながらも酷く嬉しそうに餓鬼が笑う。
オレは拭ってやった手を動かし餓鬼の頬に当てると今度は軽い接吻を施してやる。


「……きし、……ま……」

「……」

「……ありがと……な」


そう言って目を伏せた餓鬼の身体から不意に力が抜けるのを感じるのと同時に、その体を強く抱きしめる。
自身の霞んだ視界に見える餓鬼の顔はあの夢の時とは異なり、赤く染まってはいるが酷く安らかだった。
オレは次第に動かなくなる体を動かし、餓鬼の細い髪に口付ける。


(……嗚呼、……寂しいと感じていたのはオレもだったのか)


そのままふ、と顔を上げ神々しくすら思える月を仰ぎ見ながら、不意に浮かび上がった考えに笑ってしまう。
其の間にも自分の体から意識が遠のいていく感覚に戸惑いながらも餓鬼の髪に指を絡ませた。
此れが死という感覚なのだろうか。だとすれば、意外に悪くない。
そんな風に思い、オレは餓鬼の体を守るようにしてから静かに目を伏せた。



-FIN-






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