16.「膝をついて。手を取って。そして永遠を誓う」




オレの肩に頭を凭れさせ瞼を閉じていた餓鬼が不意にその体を動かしたかと思うと、此方を見遣ってくる視線を感じた。
なのでオレは先ほどからずっと一人読み込んでいた書籍から顔をあげ見詰め返す。
暖かい日光の元、この時期特有の梅の花の香りに包まれた森の中、不思議と開けた場所にあるこの巨木に身を委ね書籍を読むのはオレの楽しみの一つだ。
しかし何時しかオレの居住地であるこの森にやってくるようになった餓鬼は当然のようにオレの隣に勝手に座りこみその身を休ませる。
初めは餓鬼の意図している事が理解出来ず、追い払っていたのだが何度追い払っても毎日やってきては笑う餓鬼に遂にオレが諦め、隣に座る事を許したのは大分前の事だ。
何時かオレを殺してやると笑って言いながらもまるでそんな気を見せない餓鬼は今日もオレの隣に座り、随分と長い間午睡を楽しんでいた。
其の間、黙って書籍を読み続ける己も可笑しいと思うが、今や慣れたもので餓鬼を起こさぬよう為るべく体を動かす事無く読む癖がついてしまったのだから時の流れは恐ろしい。
そんな事を考えながらも持っていた書籍に栞を挟み、服の衣嚢に其れを仕舞いこむと再び餓鬼に視線を向け直した。


「……髪」

「……?」


そのまま暫し黙って見詰め合っていると、微かに口元に笑みを浮かべた餓鬼が片手を此方の髪に伸ばしたかと思うと何かを摘まみ取りオレにも見えるように その手を開き中の物質を見せてくる。
其処には一枚の白い花弁が小さな身を横たえていた。
餓鬼が眠っている間に何度か風が吹き、何処からか彷徨い出でた花弁が澄んだ空に舞っていたのは確認していたがその内の一枚が知らぬ間に髪についてしまっていたらしい。
其の掌に乗ったままの花弁を見詰めていると餓鬼が笑いながら言葉を紡いだ。


「随分と眠ってたみたいだな」

「……嗚呼」

「途中で動いても良かったのに……体痛くなったろ?」


くすくすと笑いながらそう言った餓鬼の掌に乗った花弁はひらりと其の身を風に任せたかと思うとオレ達の前から飛び立ってしまう。
其れを見送った餓鬼は此方に問いかけながらも何処かその瞳は楽しげだった。
オレがどのように答え様とも、餓鬼にとっては面白い結果にしかならない。
其れが分かっているからこそオレは暫し黙り込み考えてから呟いていた。


「お前は眠っている間が一番大人しいからな。起こさないに限る」

「なんだよ其れ。……可愛くない奴め」

「……オレにそんな要素を求める方が間違っていると思うが」

「そうかな?結構可愛い所あると思うぜ、アンタ」


その言葉に思わず餓鬼を凝視すると、オレの手に花弁を乗せていた手を伸ばした餓鬼が其処を掴んだかと思うと、もう片方の手も伸ばし両手で摩るようにしてくる。
行き成りのその行動に手を引きかけたが、まるで検分するかのようにオレの手を見詰めている餓鬼に何も言えなくなりそのままにさせてみる事にした。
片手で此方の掌を支えた餓鬼はもう片方の指先で布に包まれた手の甲を撫でたかと思うと指先まで辿るようにその手を動かす。
そのまま此方の手を持ち上げた餓鬼はそっとその顔を寄せたかと思うと、その手に口付けを落としてくる。
流石にそのような事をしてくるとは思ってもみなかった為に、空いた手を動かし餓鬼の髪に手を絡ませた。


「何をしている」

「……アンタの手、結構好きなんだよ、俺」


そのような事を聞いている訳では無い、と言葉を続けようと口を開くが其の前に餓鬼が更にその顔を動かし此方の指を辿るように接吻を落とす。
そして爪先までたどり着いた餓鬼は漸く唇を離して此方を上目遣いで見てきたかと思うと妖しく笑った。


「ほら、……そういう反応が可愛いっていうんだ」

「……」

「……うわ……!?」


上手い具合に餓鬼に翻弄されている事に苛立ちを感じ、オレは餓鬼の髪に絡ませた指に力を込め餓鬼の顔を近づける。
鼻腔の奥、微かに香る梅の匂いを感じつつ、惹かれるようにその薄い唇に口付けてから顔を離すと顔を水菓子の如く赤く染めた餓鬼が丸い目をして此方を見詰めていた。


「……どうした、顔が林檎のようだぞ?七夜」

「き、さま……何……」


そうして未だ固まったままの餓鬼の耳元に顔を寄せ、そう囁くと漸く体を動かした餓鬼が此方の手を握る手に力を込めながらそう言葉を紡ぐ。
オレはそんな餓鬼の髪を梳かすように手を動かしながら口端を上げ笑ってみせると其れを見た餓鬼が態とらしく舌打ちをしてからその視線を逸らす。
自ら接吻をしたのは初めてで、今まで餓鬼からもされた事は無かった。
本来このような事をする間柄では無いと分かっていながらも、何度その行為をしたいと思っては自身を宥めていた事か。
人としての感情に乏しい己が抱いた最初の恋慕の念が餓鬼相手というのも可笑しな話だが、其れは此れまで何度もオレを煽るようにした餓鬼にも問題がある。
何より今の行為を拒否しなかったのが、餓鬼の答えだと受け取って良いだろう。
そしてこうして互いに日課となる程に傍に居るのが当然になっていた時点で、もうオレは餓鬼を受け入れ求めていたのだ。
そんな事をボンヤリと考えていると隣に居た餓鬼が其の体を動かし、再びオレの肩にその身を凭れさせた。


「やっぱり前言撤回だ」

「ん?」

「アンタ、可愛くない」

「……そうか」


拗ねた様子でそう言った餓鬼にオレは思わず喉奥から湧き出そうになる笑みを噛み殺しながらそう答えを返す。
その間にも穏やかな風が吹き、オレ達の周囲に広がる草叢や木々は小さな音を立ててさざめく。
平穏というものを形にしたならばきっと此れがそうなのだろう。
まるで澄んだ湖面のように落ち着いた自身の心と、触れ合う掌から伝わる温度に心地よさを感じる。
そんな此方の様子に気がついているのか、オレの指の間に指を絡ませた餓鬼は其処を握りこんでくるので痛ませぬように気をつけながらそっと握り返した。



-FIN-






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