18.「それこそ愚かだ」




ふ、と吐息を洩らしながら隣に居る男の肩に頭を寄せる。
庵の外は雪が降っているのか、窓からチラチラと白い粒が光に反射して 眩しい位に見えていた。
木作りの窓に視線を向けていた俺の隣で書籍を読んでいる男は頁を捲くる手を止め、ただ黙って今度は傍にあった煙管に手を伸ばす。
其れを視線で追いかけてから、何も言わないまま俺はゆるりと目を伏せた。
パチパチと囲炉裏の中で炭が爆ぜている音以外に、男が煙管を燻らせている吐息を感じる。
周囲が静かな上、目を伏せているからこそ、その微かな音が妙に大きく耳に響いて聞こえた。
庵の外が雪に閉ざされている所為で今日は日課となっている散歩もせずに 男とこうして閉じこもっているのだが、其れも其れで悪くは無い。
………まるで世界に二人きりのような、そんな錯覚を覚えるから。
そんな風に思っていると男がその腕を動かし、此方の髪を撫でてくる感覚がしてそっと目を開け男を見遣る。
だが男は此方を見ないままに髪を撫でていた手を動かし、此方の肩を抱く。
そうして口元から緩やかに煙を吐き出した男はその口元に分からない位の笑みを浮かべていた。
そのままゆるゆると労わるように摩られる肩に男の温度を衣服越しに感じて、 俺は再び目を伏せ、男のその手の動きに身を委ねる。
そんな状態が続き、鼻から入った男の吐き出した紫煙の香りが脳にまで充満した頃、 不意に男が言葉を紡いだ。


「……七夜」

「……んー……?」

「少し試したい事があるのだが、良いか」

「……試したいこと?」


その言葉に俺は目を開け、男の方を見詰めた。
すると煙管の中の灰を落とした男が煙管を煙管盆に置いてから此方に向き直る。 そして此方を見遣ってきた男が俺の肩を抱いていた腕を離し、薄く笑った。
そのまま何も言わずに藍色の着物を擦らせながら横たわった男は俺の膝に頭を乗せ、しみじみといった様子で囁いた。


「…………悪くない光景だな」

「……は……」


膝から此方を見遣ってきた男に一瞬理解が及ばず、間抜けな声を出してしまう。
暫くしてこの状況を客観的に考えると酷く恥ずかしい思いがこみ上げてきて、 自然と火照る頬を理解しながらも何事も無いかのように言葉を紡ぐ。


「……なんだよ、急に……」

「言っただろう?試したくなったと」

「……そうだけど……初めてだよな、アンタが膝枕したがるなんて」


そっと笑いながら手を伸ばし、男の頭を撫でる。
黒く癖の強い髪をくしゃりと梳かしながらもそう囁くと男は俺の手の動きに隻眼を僅かに細めてから此方に手を伸ばし、頬を摩ってくる。
男の武骨で乾いた熱い掌が優しく此方の頬を撫でてくる感覚に心地よさを感じながらも、同時にまるで巨大な獣を飼い慣らしているような不思議な心持になってしまう。


「……お前が何時も勝手にしてくるだろう?」

「……んー……まぁ、アンタの膝は硬いけど温かいし、寝心地が良いんだよなぁ」


俺は男の髪を撫でる手を止めないままにそう肩を竦めながら呟くと、男が俺の頬を撫でていた手の親指で此方の目元に触れつつ笑った。


「……そう言われると気になるものだ」

「ふーん?……それで、初めての膝枕のご感想は?」


くすくすと笑いながら冗談めかしてそう囁くと、目元に触れていた男の手が 動き、此方の頭に回ったかと思うとそのまま男の方に引き寄せられる。
そうして顔を持ち上げた男と唇が触れ合い、そのまま緩やかに離れていく。


「悪くないな。……こうしてお前を下から眺めるのも新鮮だ」

「……あっそ」


俺の膝の上で楽しげに笑った男はそう囁いてから、その隻眼をゆるりと閉じ、息を吐いた。
安堵を表したかのようなその吐息に思わず俺は男の額に触れては髪を撫でていく。
膝に感じる男の重みを感じながら、笑みを零している自分の顔が如何にも幸せ そうな表情をしている事に気がついてしまって先ほどとはまた違った理由で頬が火照った。
そんな事実がくすぐったく感じ、俺は髪を撫でていた手を外し自身の頬に当てて其処を冷やそうと試みる。


「……」

「なんか……」

「……どうした?」

「こうして改めてこの状況を考えると恥ずかしいな」


俺はどうにか今の感情を誤魔化そうと、先ほどまで考えていた事を囁くと閉じていた瞳を開けた男が一瞬だけ怪訝そうな顔をしてから再び瞳を閉じ、その声音に楽しげな色を滲ませながら言葉を紡ぐ。


「何時もお前がしている事だろうに……今更何を言っている」

「……そりゃあ、そうだけど……」

「其れに此処にはオレとお前しか居ない」

「……」

「……だからそのような事を気にする必要も無いだろう」

「……それもそうか」


男の言葉は先ほどまで俺が考えていたのと全く同じで、俺は可笑しくなってしまう。
確かに、そんな事を気にする必要など無い。
例えどのようなじゃれ合いをしていようが、緩んだ表情をしていようが、其れを 隠す等、それこそ愚かなのだろう。
男によって齎される感情を男に隠しても、其れは無意味な事なのだから。
そんな風に考えていると、畳に寝転んだ男はその横たえていた身体を動かし、こちら側に顔を向ける。
完全に寝る体勢になった男に俺はそれ以上声を掛ける事をやめ、その髪をあやす様に撫で梳かしはじめた。



-FIN-






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