20.「願いを叶えてくれるなら悪魔でも構わない」


※軋←七←白・白レンが不憫気味



「七夜?聞いているの?」

「……んー……聞いているよ」

「昨日もまた出掛けたでしょ、出掛けるのは構わないけど……余り遠い所に行かないでって言ったじゃない」


私の主人であり、騎士でもある七夜が退屈そうに雪原の中心にある ベッドで靴も脱がないままだらしなく寝そべっている横に立ち、声を掛ける。
大分前から私の力が作用しない所に勝手に出て行っては疲れた顔で 帰ってくる七夜に小言を幾ら言った所でどうにもならないのは分かっていた。
ただ、分かってはいても今回の事は何も言わないままずっと好き勝手にさせておくには危険過ぎる。
自由な獣は首輪を嵌めていてもその首輪すら外して何処かへ行ってしまう。
だから幾ら叱り付けても無駄だと知っていても、其れでもやはり私は七夜 の主人であり、使い魔だから。
………そう内心言い聞かせ、自分の中に浮かび上がりそうになる醜い感情を抑えつける。


「……どうしたんだ、そんな顔をして」

「……誰の所為だと思っているのよ」

「ハハッ……そうだな……俺の所為か」


何故か寂しげに笑って白いベッドに散らばった黒髪を片手で掻き上げた 七夜がちらりとその前髪の隙間から此方を見遣ってくる。
その姿に心が動き、頬が熱を持つのを感じてしまって慌てて視線を逸らす。
時たま見せるこういう姿に色気を感じてしまうのが腹立たしくも、自分だけが 見られると思うと心地良い。


「……レン」

「……何よ……っ、……キャ!?」


不意に此方に伸ばされた掌に腕を掴まれ、ベッドの上に引き寄せられる。
そうして柔らかな其処に倒れこむと直ぐに青い学生服を纏った腕に抱きしめられ、 髪を撫でられた。
細く冷たい指が此方の髪に絡むのを感じながら火照る頬を見せたくなくて顔を俯かせる。


「……何の、つもりよ」

「こうされるのは嫌いじゃないだろ?機嫌直してくれよ」


そう言いながら前髪越しに額に口付けられる感覚に顔を上げる。
すると僅かに寂しげな瞳をした七夜が私ではない何かを私の後ろに見ている 気がした。
近頃何処か変わった七夜が誰に影響を受けているかなんて、七夜に力を 供給している私が知るのは容易い。
其れでも気がつかないフリをしていたのに、日増しに七夜が私の前では しなかった表情をするようになっていく。
ただ、私が七夜の傍に居たいだけで、それ以上を求めてはいけない。
其れは私達が本来此処に存在しないモノで、何時か消えてしまうのが分かっているから。
そして、七夜の『生きる』意味を私は与えてはあげられない。
どれだけ優しく甘く温かな世界を作っても、七夜の心には響かないのだ。
そんな胸の痛みをもう何度目か分からないくらいに押し殺しながら七夜の胸を 両手で押し除けると反対の方を向く。


「そんな事しなくても結構よ。全く……レディに行き成り抱きつくなんて、躾が足りないのかしら」

「おやおや、其れは失礼致しました。ご主人様」


そう言いながら背後で体を起こしたらしい七夜が僅かにそわそわとしているのに気がつく。
何時もこのくらいの時間に七夜はこの雪原を出て行く。
そうしてあの赤い『彼』に会いに行くのだと私は知っていた。
知らず知らずのうちに唇から言葉が零れ落ちる。


「私、このまま少し横になりたいの。……悪いんだけど静かにするか出て行って頂戴」

「…………そうかい?……じゃあ出掛けてくるよ」


暫し黙り込んでから言葉を紡いだ七夜がベッドから立ち上がったのか 微かに軋む音がする。
私はそんな七夜の方には顔を向けないまま、更に素っ気無く言葉を紡ぐ。


「余り遠くには行かないでね、七夜」

「……ああ」


そのまま雪原を踏みしめ、結界を開き、出て行ってしまった七夜の気配が 遠くに感じられるようになってから私はベッドの上で体を丸める。
そして体を本来の猫の姿に変化させ、軽く毛繕いをしてから目を伏せた。
真っ暗な視界の中、何度考えたか分からない思考を重ねる。
七夜が欲しがっているモノをもしも私が全て与えてあげられたなら、彼は私の元から居なくならないのだろうか。
七夜が生きる意味を私が与えてあげられるなら。
……例えば、『彼』より私が強くてジャバウォッキーや赤の王すら倒せるくらい 強ければ、七夜は私を選ぶのだろうか。
其処まで考えてふと、その思考がまるで意味の無いことだと気がつく。


(馬鹿ね……元々鏡の住人の私が『アリス』になんてなれる訳が無いのよ)


ふ、と内心自嘲の笑みを浮かべてから洩れ出る欠伸を噛み殺し、一層ベッドに体を摺り寄せる。
夢魔が何かに縋るなんて滑稽な話だと思いながらも、其れでもそんな風に 思ってしまうのは私が意思を持つモノとして長く年月を重ねているからだろう。
私は考える事で痛み始めた頭を静める為、微かにベッドに残る仄かな温かさを離さないようにしながら眠りへと滑り落ちていった。



-FIN-






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