23.「動くな」




ぱらりと書籍の頁を捲くり其処に書かれた文字を読み込む。
少し前に街に下りた際、中々に興味深い表紙と表題だった為に買ってみたのだが勘は的中したようだ。
そんな事を考えていると不意に離れた場所にある寝室の襖が開かれ、大分寝ぼけた 様子の七夜がのそりと現れた。


「……はよ……」

「嗚呼、お早う」


もう昼近いこの時間でその挨拶も可笑しいとは思ったが、そんな事を気にするのも 野暮だと考え、返事を返す。
普段は其処まで気の抜けた姿を晒す事が少ない七夜ではあるがこうして時たま酷く寝ぼけた状態の時がある。
オレは今日もそのような状態なのだろうと判断し、再び書籍に視線を戻した。
そうして七夜が畳を踏みしめる微かな音を聞きながら文章の世界へと没入しようとした瞬間、ゴン、と低く堅い音が響く。


「……い、……って……」

「……!?」


何が起きたのかとすぐさま顔を上げると、近くにあった柱に頭をぶつけたらしく、頭を押さえ蹲るようにしている七夜が目に飛び込んでくる。
呆気に取られたが直ぐに本を閉じ、横に置くと立ち上がって蹲ったままの七夜に近寄った。


「どうした、大丈夫か?」

「……」

「……七夜……?」


そうして声を掛けてみるがまるで反応が無いまま七夜が蹲っているのでしゃがみ込み、 そっとその髪に手を掛けてみる。
くしゃりとした感覚を掌に受けながら、顔を上げさせると顔を赤らめた七夜と視線があった。
その額は随分と酷くぶつけたようで赤くなってしまっている。


「派手にぶつけたな……」

「……」

「見せてみろ」


黙り込んだままの七夜が恥ずかしそうに視線を逸らすのを見ながら、その額に触れてみると痛むのか僅かに眉を寄せた七夜が煩わしそうに囁いた。


「……少しぶつけただけだよ……直ぐに治る」

「そうもいかない。何かあってからでは遅いからな」

「!……普段そんなに気にしない癖になんで今日はそんなに気にするんだよ!」

「……そうか?何時もお前が拒否するからそう感じるだけだろう」


そう呟くと息を詰めた七夜が黙り込む。
オレはそんな七夜の反応に内心苦笑しつつも、医薬品が入った籠を取る為にしゃがみ 込んでいた状態から立ち上がり近くの箪笥に寄る。
そうしてその箪笥の上に置いてあった藤で出来た籠を取ると、再び七夜の前に座り込み、籠の蓋を開けた。


「……とりあえず此れを塗っておけば良いだろう」

「……」


オレはその籠の中から取り出した軟膏の蓋を空け、その中身をほんの僅か掬い取ると もう片方の手で前髪を退け、赤くなった額に薄く塗りつけてやる。
それだけでも痛むのか目を細めた七夜が小さく囁く。


「……もう良いよ……大丈夫だ」

「動くな、まだ塗れていない所がある」

「……良いって言ってんのに……」


僅かに拗ねた様子を見せる七夜に何時もとは異なった愛らしさを感じながら、なるべく痛みを与えぬように気をつけて薬を塗っていく。
こうして七夜と暮らし始めてまだ其処まで日が経っていない所為か、こういった 事が新鮮に感じられる。
―――そして何よりも七夜のこのような姿を見た者は殆ど居ないだろう。
そんな独占欲のような不思議な気持ちを感じていると、凝っと七夜が此方を見遣ってくる。


「……何ニヤついてんだ」


そうしてオレの余り変わらない筈の表情を此処まで読み取るのもまた、七夜しか居ない。
オレは不満げにそう言いながら此方の腕を掴んできた七夜にそのまま顔を寄せ口付けた。
薄い唇にそっと触れてから離すと、困ったように視線を逸らした七夜が黙りこんだ ままで居るので見詰めてみる。


「……もう良いだろ」

「そうだな」

「…………」

「……」

「全く……寝起きから調子狂う」


ふ、とため息を吐いた七夜がそのままオレの胸に凭れ掛かってくる。
オレはそんな七夜の身体を抱き寄せると、その髪に指を這わせ撫で梳かす。
すると胸元に顔を寄せた七夜が呟いた。


「……本の続き読まなくていいのかよ。読んでたんだろ?」

「ん?……まぁ、もう少し経ってからでも構わん」

「……なんだよそれ」


オレのその台詞に呆れたようにそう返してきた七夜は、その言葉とは裏腹に少しだけその口端に笑みを浮かべ、肩を竦めたのだった。



-FIN-






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