24.「遠い日の夢を見た」




仄かない草の香りを感じ、ゆるりと瞼を開けると柔らかな光が縁側より入り込んでくる。
俺はその光に導かれるように横たえていた身体を起こした。


『……ん……』


そのまま立ち上がり、畳を素足で踏みながらその縁側へと歩む。
赤い着物が歩む度にゆらりゆらりと揺れ動き、まるで金魚の鰭のように思えた。
温かな光に包まれている内に眠ってしまっていたらしい。
そうして縁側にそっと腰掛けると屋敷の中庭に生えている鬼百合の花がキラキラと日の光を浴びてまるで砂糖菓子のように輝いている。
鬼百合を見ていた顔を上げ、空を見遣ると薄い雲が緩やかに流れていくのが遠目でも分かった。


『……』


そんな空を一羽の鳥が羽ばたき飛んでいくのが見えた。
俺は縁側に座ったまま両手を確認するように前に翳すと、その小ささにため息を吐く。
―――懐かしくも温かな記憶、完璧では無くても、その全てを愛おしく感じられた。


(参ったね、……どうも)


くすくすと一人笑う。これは偽者が見る愚かな夢だ。
しかしそれは余りにも美しい悪夢であるが故に、俺は笑うしか出来なかった。
そうして俺はこの光景を覚えている。
俺の記憶ではなくても、それでも、覚えている。
この後は確か珍しくあの男が俺を呼びに来る筈だ。


『……志貴』


気配の無いまま、部屋の障子が音も無く開かれる。
低くも落ち着いたその声は俺であって、俺ではない名前を呼ぶ。
俺はその顔に子供らしい無邪気な笑みを浮かべながらそっと振り向いた。


『     』


薄靄が掛かったような視界の中、確かにその声の主に答えを返す。
その声の主は微笑み返す事はしなくとも、何処か柔らかな雰囲気を宿していた。



□ □ □



「……ん……」


瞼を開けると見慣れた囲炉裏が視界に映る。
そうして頭の下にある硬い物質から顔を上げると、俺の上で書籍を読み込んでいたらしい男が此方を見遣ってくるのが分かった。
俺は肩に掛かっている男の上着を見遣りながら、薄く笑う。


「……漸く起きたか」

「……嗚呼……」


眠る前に男の上着を引っつかみ、書籍を読み込んでいる男の膝に頭を乗せた所までは覚えている。
そんな事を考えていると、不意に髪を撫でてくる男の手に顔を上げた。
すると男が不思議そうな顔をしてからその低く掠れた声音で囁いてくる。


「……どうした……嫌な夢でも見たのか?」

「……」

「七夜……?」


俺はそう問いかけてくる男に腕を伸ばし、その身体を抱きしめる。
温かなその温度は此方の心に緩やかに染み込むようだ。
そうして肩から上着が落ちそうになるのを畳に書籍を置いた男の腕が押し留め、俺の身体を抱き返してくる。


「……」

「……」


この幸福が何の上に築かれているのか、そんな事は嫌という程分かっている。
矛盾と、愛憎の狭間でこの身は何処までも何時までも揺れ動き続ける運命。
……分かっていながらも其れでもあの悪夢は少しばかり痛すぎた。


「……軋間」


身体を摺り寄せ男の首元に顔を寄せる。
そのまま男の名を呼ぶと、何も言わないまま男がくしゃりと此方の髪を梳かした。
武骨な指先が躊躇うように俺の背を撫でていく感覚に俺は顔を上げて男に唇を近づける。
しかし口付ける直前に近づけていた唇を止め、男の長い前髪の下に手を差し入れた。
そうして指先でその髪を掃い、其処に潜む傷口に触れる。


「……」

「……」


何も言わないまま男の傷ついた目の傷を親指で撫でてから爪を立てると黙り込んだままの男は俺のその手を取り、頭に触れていた手を動かして口付けてくる。
ぬるりと唇の中に忍び込んできた男の舌を受け入れると、軽く口腔を嬲られてからゆっくりと顔を離された。


「……は……」

「……」

「……っふ……ふふ……くくく……」


その口付けの間に俺が寝る前に手入れをして畳に置いてあったナイフを持った手は男に寄って畳に容赦なく縫い付けられてしまっていた。
そして俺はその手に視線を向けてから唇から湧き上がる笑みを堪えきれずに吐き出す。
そのまま男の傷口に顔を近づけ、其れを愛でるように何度も口付けた。
慈しむようにするその口付けに男は唇に笑みの形を浮かべてから呟く。


「嗚呼……お前は何時まで経っても変わらないな」

「……お前が言える言葉なのか、其れは」

「さてな?……それはお前にしか分からんさ」

「……」

「……お前にしか、な」


ふ、と喉奥で笑った男の笑みに俺は微かに眉を顰めた。
甘い部分もありながら、それでも鬼の部分を持っている男の性質は何処までも変わらないように、俺の殺人嗜好もまた、変わらない。


「……あーあ、……もう……興ざめだ興ざめ」

「……そうか?」

「そうだよ、……俺はもう一回寝る。膝貸せ」

「……どうせならば布団で寝れば良いだろうに」


ぶつぶつとそう言った男の言葉を無視して俺は縫い付けられた手を外してから横たわり、そのまま男の膝に頭を乗せ、男の上着をもう一度掛け直す。
するとそんな俺の頭に手を乗せた男がくしゃりと撫でてくる。
その温かな掌を受け入れながら、視線の先には窓から射し込む光が畳に花のような影を落としているのが見えていた。



-FIN-






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