28.「二人なら」




麗らかな春の日差しを浴びながら、後ろに居る男が俺の身体を抱き込めてくる腕に指を這わせた。
俺と男しか居ないこの森に男と二人こうして散歩に来るのが何時しか日課になっていて、この大木の下で思い思いの時間を過ごすのが常だった。
何時もは男は書物を読み、俺はうたた寝をして過ごすのだが今日は珍しく男から俺の身体を抱きしめてきたのだ。


「……温かい」

「ん?」


俺の髪を撫でながら男が囁くので、振り向く。
すると男はその顔に僅かな笑みを浮かべたかと思うと、此方の首元に頬を摺り寄せて きた。
本当に男が此処まで甘えてくるのは珍しい。


「……どうしたんだよ、随分甘えん坊だな」


男が俺の言葉に答える事は無く、ひたすらに此方を抱き締めては犬のように鼻を摺り寄せてくる。
俺はそんな男の反応に含み笑いをしながらも、凭れさせていた身体から更に力を抜き、男の手の甲を指先で愛でた。
そのまま視線を澄んだ空に向けるとふわふわとした白い雲が漂っている。
そんな雲を見詰めていると、妙に甘そうに見えて思わず俺は呟いていた。


「あれ、甘そうに見えるよな」

「……」

「……なんか綿菓子みたいだろ?」


背後で顔を上げたらしい男は黙ったまま俺の言葉を待っているようだったのでそのまま続けて言葉を紡ぐ。
其れを唇に乗せてから、少し子供じみた発言だったかと思ったが、どうせ此処には俺と男しか居ないのだから問題も無いだろう。
共に街に下りた際や誰かが傍に居る時には互いに触れ合いもしないのに、二人きりになると途端に心が緩んでしまうのだ。


「……綿菓子、か」

「そう。……あれは兎に見える」

「……ではアレは魚か」

「んー?……確かに見えるなぁ」


男が指差した先には確かに魚のような形をした雲が浮かんでいた。
俺はそんなやり取りが可笑しくて、クスクスと笑ってしまう。
すると男が背後で同じように笑ったのが分かり、俺はそんな男に身体を寄せた。
そのまま男が首筋に軽く口付けてくる。


「……七夜」

「……ッ、……くすぐったいって」

「……」


ちゅ、ちゅ、と軽い音が空に響く。
戯れるように男が口付けてくる度に、慣らされた体がビクリと震えてしまう。
俺はそんな反応に堪えるように男の腕に爪を立てる。
完全に後ろに居る男は俺を崩しに掛かってきているのが分かった。
分かってはいる、分かってはいても其れでも男の手管に翻弄されてしまうのは仕方の無い事だろう。


「……、……ん、……軋間……」

「七夜」

「……なに……本当にどうしたんだよ……」

「……」

「……春だから我慢出来ないのか?」


顔を男の方に向けながら冗談っぽくそう呟くと、男はその長い髪の隙間から見える隻眼に不思議な色を宿してから笑みを見せた。
その笑みに思わずぞくぞくとした痺れを背中に感じ、俺は此方に顔を寄せてくる男の口付けを受け入れる。


「……っは……」

「……」


男の熱い舌が此方の歯列をなぞり、上顎を擽る様に撫でた。
そうして唇が離れると男が此方の身体を抱きしめていた手を離し、此方の髪を梳かしてくる。
武骨な男の指先は驚くくらいに優しく俺を慈しんでくるのが分かって、其れがたまらなく心地良い。
―――この男は本当に賢くもずるい男だ。


「……軋間」

「……ふ……」

「……も、帰ろうぜ……?」

「……帰るのか?」

「……アンタが煽ったんだろ……!」


意地悪げに笑った男は俺の髪を更に撫でながら、此方に顔を寄せて、額や頬に何度も口付けてくる。
勢い勇んで言った言葉も男の宥めるような口付けに最後には掠れてしまった。
そのまま幾度も口付け合っていると段々と思考がとろとろと蕩けていく気さえする。


「……ではそろそろ帰るか……甘いモノが食べたくなる頃合だしな」

「……甘いモノ?そんなものあったか?」


男が耳元にそっと顔を寄せ、俺だけに聞こえる程度の本当に小さな声で囁く。
俺はその呟きに思わず身体がビクリと跳ね、噎せてしまう。


「……ばッ……!」


ふ、と笑った男は俺以外にはけして見せないであろう獣の色を瞳に宿し、低く掠れた声音で呟く。


「本当は……今、此処ででもオレは構わないが?」

「……そんな事言ってもどうせしない癖によく言うよ」

「……まぁ、帰ったらどうなるか分からないがな」

「……」


さらりと背後でそういった男の言葉に何も言えないまま黙り込む。
俺は帰ってからどのようになるのかを何となく夢想して、赤くなる頬を思わず手で押さえていた。
そんな俺の思考は後ろに居る男に筒抜けなのか、背後で笑った男は俺を抱いたまま立ち上がる。


「……うお……」

「……帰るぞ」

「……」


そうして俺の隣に立ち、此方の手を絡め取った男は何処か焦れた様子でそう囁く。
俺はそんな男の熱い指先を握り返してみる。
トクトクという小さな脈動が指先から伝染し、此方の心をかき乱した。
そのまま導かれるように足元にある草を踏みしめながら、男と共に庵へと戻る道へと歩み始めたのだった。



-FIN-






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