06.「その先に何があるかなんて知らない」




この灰色の男と何故か共に住むようになったのは何時からだったか。
始めは互いに対し、けして良い感情を持っていた訳では無いのに結局今はこうして男の傍に寄り添っているのだから可笑しなものだ。
何時か寝首を掻いてやろうだとか、殺してやるだとかそんな応酬を重ねてはいるものの、俺も男もそれを実行に移そうとしないのはきっと今のこの生活に少なからず満足感を覚えているからだろう。
何時もは皮肉げに笑っては冷酷な言葉を吐く男は、俺と二人の時はその皮肉にも甘さを宿し、そうして様々な表情を見せる。
そうしてそれは俺も同じようなものだろうと分かっているのだ。
あの暗闇の中で暮らす事も嫌いでは無い。
今だって時には町に下り、男の殺戮を眺めたりもする。
けれどその数は本当に少なくなり、俺はその分男に吸われる血の量も増えた。
それでもきっと男は随分な我慢をしているのだろうとは感じている。
何故なら余りこの界隈で暴れまわると、それこそ俺達を駆除しにくる奴らがうじゃうじゃいるのだ。
……俺は自身の身体に纏わり着くようになっているシーツから片手を 出し、目を擦る。
遮光カーテンの掛かったこの部屋は真っ暗で辺りがよく見えない。
だからあの暗闇を嫌でも思い出してしまう。
俺は手探りで身体を起こしながら傍らにあるサイドテーブルの上にある 灯りの紐を引き、光を点す。
ぼんやりとした灯りが周囲を微かに照らし出した事に、僅かに安堵している 自分を感じながら、ため息を吐いた。


(……今、……何時だ)


俺はそんな事を考えながらも身体をヘッドボードに凭れさせつつ、髪に 指を差し入れ、其処をくしゃりと掻きあげた。
そんなことをしていると不意に扉が開かれ、影のような男がそっと入り込んでくる。


「……起きたのか」

「……あぁ、さっきな」

「そうか」


そういいながらベッドに近づいてきた男は、音を立てながらベッドの端に腰掛ける。
そのまま此方に手を伸ばしてきた男は俺の頭をゆるりと撫でた。
冷たいその指先が此方を髪を撫でていくのにも随分と慣れ、今では それが無ければきっと落ち着かないくらいだろう。


「……七夜」

「……ん?」

「……」

「……なんだよ、……腹減ったのか?」


男は不意に俺の髪を撫でていた手を止め、身体を乗り出しながらその顔を此方の首元に 寄せて鼻先で首筋を撫でた。
まるで犬のようなその行動に俺が微かに笑みを洩らしながらそう囁くと 男は俺をその両腕で抱きしめながら呟いた。


「お前が目を覚ますまで待っていたのだぞ……そこは評価して貰わねばなるまい?」

「……珍しいな、アンタが我慢できるなんて」

「……貴様が言ったのだろう」

「そうだったっけか……まぁ、なんでも良いけど」

「……」


男はその言葉に僅かに眉を顰めてから、俺を抱いていた手で身体に纏わりついていたシーツを外しそのままベッドに乗り上げてくる。
そしてベッドの上で座りなおした男はその膝の上に俺を導くようにして乗せた。
俺は男の肩に手を回し、男が血を吸いやすいようにしてやる。
その間にも男が俺の着ていたシャツのボタンに手を伸ばし、そのボタンを 外していく。
そのまま男は俺の首筋に唇を寄せ、一度舐めた後、其処に牙を立てた。


「…………あ……」


その鋭い牙が此方の肩口にめり込んで来る感覚に思わず声が洩れる。
じゅるじゅるという血が飲まれる時の水音にいい加減慣れてもいい筈なのだが、どうしても身体が反応してしまう。
段々と頭が白んでくる感覚に男の肩に爪を立て、男に限界を知らせる。
すると男がその牙をずるりと引き抜き、労わるように其処を舐め取った。
そうして俺を抱いたまま、回っている手で背中を摩っていく。
俺はそんな男の肩口に顔を埋め、そっと吐息を洩らした。
此処に居る間はすぐに傷が回復するとは言え、それでも大量に血を飲まれるのは辛い部分がある。
それでも俺は男が望むならば何度でもこの血を差し出すのだろう。
そうしなければ、俺も男も共に暮らすというこの生活を失う事になってしまうのだ。
……もしかしたら、もうその片鱗は見えているのかもしれないが。


「……」

「……っは……」

「……平気か」

「……なぁ……」

「……なんだ?」

「……アンタは、……根源に至る為にその身体になったんだろ」

「……嗚呼」

「それで……何時か、……アンタの自我は消えるって」

「……」


俺は男の身体に縋るようにして、今までずっと気になっていた事を 聞く。
男は黙ったまま俺の言葉を待っているようだった。
俺は男の肩口に顔を埋めながらそのシャツを強く握り締める。
そうして上手く聞こえないだろうくらいの小さな声で囁いた。


「例えば、……アンタがそれを見たとして、それともその前にアンタが 『ネロ・カオス』という自我を無くしたとして……」

「……」

「……その時、……俺は何処にいるんだよ」

「……七夜」

「アンタの傍にいるのか?……アンタが壊れいく様をも見ているのか」

「……」


男の命題を否定するつもりはない。
それは俺に出会うよりも前に男が選んだ道だからだ。
けれど男が俺の血を飲む回数や量が増えていく度に増していく不安を 口にしないままではいられなかった。
ただでさえ、俺が声を掛けても反応しない時がある男を見ていると ただの勘違いかもしれなくても、やはりぞっとするのだ。
しかし男は俺のその悲壮めいた告白に対して柔らかな声音で囁き返して くる。


「……ならば、私のナカに入るか、……七夜」

「……」

「この閉じた楽園に入れば、……お前は『私』と成ろう。……そのような心配も無用になる」

「……」

「……どうだ?」

「…………嫌だね、……そんなの」

「ほう?……何故だ」


男は尚も微かな笑みをその言葉に混ぜ入れながら俺の髪を撫で梳かしていく。 この男は何時だってずるい。
俺がその問いに絶対に肯定をしないのを分かっていながらそんな問いを仕掛けてくるのだから。
俺は顔を上げ、男の薄い唇にそっと口付けを施す。
そうして強い視線で男を見遣ると男は思っていた通りの笑みを浮かべて此方を見遣ってきた。


「……俺は、アンタに成りたいんじゃない。……こうして『俺』という存在で、アンタに触れられなくなるなんてごめんだ」

「……そうか」

「……でも、……もしもその日がきたら」

「……」

「さっきの案も、考えておくよ」


俺はそう言って微かに笑うと男はその笑みを崩し、驚いたような表情を 見せた後、複雑そうな顔をした。
そんな空気を掻き消すように俺は男の頬に手をあて、首を傾げながら 呟く。


「なーんて、冗談だ。……さて、今何時だ?……もう起きないと不味いだろう」

「……そうだな、……今日は共に出かける予定であったしな」

「きちんと仕事終わらせたのか、……よしよし」

「……こら、……私を狗扱いするのは止せ、……」

「でも……案外嫌じゃないんだろう?」


俺は男の頬に当てていた手で何度かその冷たい頬を撫で摩ると、男が その手を取り威嚇するようにそう囁く。
しかしそれに対して笑いながらそう言葉を紡ぐと男は一度わざとらしく 舌打ちをしてから俺の唇に触れるだけの口付けを施してきたのだった。



-FIN-




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