09.「綺麗だけど棘がある」




月の光も射し込まない、まるで墨を溶かした様な路地裏に居る男は薄っすらと笑っていた。
そうして男の巨大な体躯に隠れるようにして立っている青年は不機嫌そうな顔をして男を睨み付ける。


「……どうした、そのように不機嫌そうな顔をして」

「……どうした?……ハ、俺を不機嫌にさせているのはアンタの癖に良く言うよ」

「……く」


男が笑うと青年の足元に巻きついている影がさらにその青年の足を締め上げた。
しかしそれに対しては青年は反応を見せずに、淡々とした調子で囁く。


「……おい、……アンタの戯れに付き合ってやる程俺は暇じゃないんだが」

「まぁそう言うな……。……最近は中々会えていなかっただろう?」

「……」


男は黙り込んだ青年に対し、冗談染みた口調でさらに呟いた。
薄暗く人通りのまるで無い路地裏に男の低く、愉しげな声が響く。


「それなのに貴様が余りにも釣れない態度を取るものだからこうして捕まえてやったというのに……」


男が白く筋張った手を伸ばし、青年の頬を撫で摩ると青年が黙り込む。
そうして苛ついたように鼻を鳴らした青年は男に向かって唸るように呟いた。


「……ああ、そうだな、アンタはすぐそうやって誤魔化すんだよな」

「……そう怒る事も無いだろう、七夜」

「別に怒ってなどいない」


ふ、とため息を吐いた青年は視線を逸らし、路地裏の薄汚れた壁を見遣る。
先ほどまで光も射し込まない暗さであったが、月が動いた所為か微かな光 が入り込みボンヤリと周囲を照らし出した。
その光に照らし出された男の銀色の短髪がまるで星のように煌く。
そのまま男はその口端を上げ、笑いながら青年の前髪を掻き上げた。


「……なんだ、名を呼ばれるのがそんなに気に食わないのか」

「……だから別に何も言っていないだろう」

「……それとも……私に放って置かれたのがそんなに寂しかったか」


刹那、青年がズボンのポケットに手を入れ、その中にあるナイフを取り出して 男の首元に突きつけた。
そしてそのまま男を睨み付けた青年は男の首元により強くナイフを押し当てる。
だが男は気にした様子も無く、掻き上げていた青年の髪を掴み、顔を寄せた。


「……貴様のそのような勝気な所は、嫌いではないがな」

「……」

「……私にも多少の痛覚はあるのだぞ?」


そう言ってもう片方の手で青年の手首を掴んだ男は刀傷の入った首筋からナイフを引き剥がす。
青年は其れを忌々しそうに眺めていたが、手首を強く握り込められた際に僅かに眉を顰め、吐き捨てるように呟いた。


「―――どうせすぐに治るんだから関係無いだろうが」


そう青年が言葉を紡ぐ間にも男の傷はすぐに治癒し、全く見えなくなる。
男はその青年の言葉に首を傾げると、手首を掴んだまま青年により一層顔を寄せ、 囁いた。


「……まぁ、良い。此れも貴様なりの愛らしい照れ隠しだと思っておいてやろう」

「!……ッ、……何を言って……!」


青年は男の言葉を聴くと、途端にもう片方の手で男の胸元を押す。
しかし其れも男にはまるで効かないらしく、頬に口付けてから男が青年の首元に顔を摺り寄せた。
まるで獣が甘えるようなその行為に、青年が男の胸を押して抵抗していた手を動かして肩に手を添える。
青年のその戸惑いを表したような動きに男はそっと口端だけで笑った。
そうして男は青年の手首を掴んでいない方の手を頭に添え、そのまま労わるように 青年の細い髪を指先で梳く。


「……」

「……止めろってば…………」

「行動と言動がまるで一致していないぞ、七夜」

「……五月蝿い」


何時しか青年の足を捕らえていた影は無くなり、影を操っていた男は青年の手を掴んでいた手を離して、その片手で青年を抱きしめる。
そうして青年はそんな男の黒いコートを縋るように握りこみ、その顔を男の胸元に摺り寄せた。
そんな青年の髪を優しげな手付きで撫で梳かしながら、男は佚楽さを含ませた声で言葉を紡ぐ。


「こうして大人しく抱かれている時の私の『死』は何処までも愛らしいな」

「……なんだよ、大人しい方が好みってか」

「んん?……いや、ただ大人しいだけの『死』など面白みの欠片も無い」

「……」

「時に予測も付かぬままに此方を翻弄する。そうして常に共に寄り添う……其れが『死』というものだろう?」


そうしてそれが何よりも私の心を満たして止まない、そんな台詞をまるで秘め事を伝える時の如く囁いた男は青年の髪を緩やかに撫でながら顔を寄せる。
青年はそんな男の言葉に何も答えを返さないまま、その接吻を受け入れてからそっと囁きを返す。


「……アンタってやっぱり趣味が悪いな」

「あぁ……そうかもしれんな」


男と青年はそう言って互いにしか分からない笑みを浮かべたのだった。



-FIN-






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