ユスラウメ




  (早く早くはやくしてくれッ……)

 汗によってヌルついた両手でフェニックスキットを使用しつつ、脳内で念じるようにそう繰り返す。
 頬に出来た切り傷から伝わる血が髭の上を滑り、ポタポタと服にシミを作っていくのを感じていたが今は血を拭う暇さえ無かった。

 「あぁ、嫌になっちまうな、おい。 俺のお気に入りの1着なんだぞ」

 俺の愛用している衣装は黄色をメインカラーとしていて最高に目立つ素晴らしいデザインに加え、頑丈な上に機能性も抜群な代物だが、血が滲むと落としにくいのだ。
 もちろん、この服と同じものが俺の部屋のクローゼットにあと10枚は用意があるから問題は無いけれど、それでも汚れるのは面倒だ。
 その上、空爆によって与えられたダメージによって全身が酷く痛む。
 現在俺たちが戦闘中のオアシスなんていうイカした名前の場所は対になっている芸術的な造形のビルが日の光によって照らし出されており、煌びやかな雰囲気を醸し出していた。
 しかしそんなオアシスもバンガロールが焚いたスモークの煙と敵味方の空爆の残り香が充満して、酷く殺気だった場所になっている。

 「……くそ、全くなんてこった」

 ギリギリ走り込んだビル正面に植えられた美しい赤い花をつけた木の花壇の影に身を潜ませながら、やっとの事で回復し終わると頬についた傷から流れ落ちる血を手の甲で拭う。
 体力も僅かだったので敵に突っ込んでこられていたら確実に負けていただろうが、それは相手も同じだったらしく、いびつな静寂が辺りを支配していた。

 (とりあえず回復は出来たが、それは向こうも同じだろうな……)

 どちらもどう動くべきか悩んでいる……そういう状況だ。
 俺が隠れている花壇の向かい側に同じくもう1つ存在している白いコンクリート製の花壇の裏側に恐らく向こうの部隊の生き残りが隠れている筈だ。
 その花壇と花壇の間の少し離れた場所には俺の仲間であるバンガロールとクリプトのデスボックスが重なるように落ちていた。
 バナーを拾う事は出来るだろうが、オアシスのリスポーンビーコンは遮蔽物の無い開けた場所に存在している。
 無理に蘇生を行うよりも戦う事を選ぶ方が賢明だろう。

 「落ち着け、ウィット。 俺様は……かんぜ?かん……あー……、完璧なミラージュ様だぞ。 こんくらいのプレッシャーなんて屁でもねぇ」

 どうにか回る口をひとりで動かしながらも必死に状況を整理する。
 残り3部隊になった時点で母艦側に居た俺達は、オアシスで別部隊同士が戦闘している音を聞きつけすぐに向かった。
 オアシスに架けられた特徴的な橋の付近で争っていたのか、銀色の4本のラインが捻じれたような形をした巨大オブジェの辺りにデスボックスを漁る人影が見えており、向こうは俺達にまだ気が付いていなかった。

 到着がほんの少し遅かったようで辿り着いた時にはもう残り2部隊になっていたが、絶好の奇襲チャンスだった事は間違いなかった筈だ。
 先を走っていたバンガロールとクリプトが互いに顔を見合わせ、すぐさまドローンを展開したクリプトのEMPとバンガロールの爆撃が抜群のコンビネーションで敵部隊の頭上に降り注いだ所までは良かった。
 このまま見せ場も殆どないままゲームセットかぁ、なんて僅かに後ろを走っていた俺はお気楽に構えていたくらいなのだから。

 ――――だが、その考えは甘かった事を思い知らされたのだった。
 向こうの部隊のメンバーであるジブラルタルの空爆とすぐさま建て直されたギアヘッドの増幅バリケードを通して放たれたシーラの無数の弾丸が、俺よりも少し前を走っていた2人に注がれるのを目の前で見る事しか出来なかった。
 死ぬのならばせめて道連れにしてやるとでもいうようなその攻撃を食らいながらも、自身のバックパックに潜ませていたグレネードやアークスターを手当たり次第に放り投げ死ぬ間際のバンガロールが放ったスモークに紛れるように花壇の影に走り込んだ。
 そうして気がつけば俺以外の2人はデスボックスになっており、向こうも俺が投げ込んだグレネードや空爆によってラスト1人以外はデスボックスになっている筈だ。
 俺はジブラルタルとギアヘッドと組んでいた相手を思いだし、ジワジワとなんとも言えない気分に苛まれていた。

 「しっかりしろよ、今は余計な事は考えるな」

 しかしそんな葛藤を振り払うように頭を振り、背中に装備しているフラットラインを取り出すと素早くリロードを行う。
 3発ほど使ってしまっていたのをしっかりとフルにしたのを確認しながら、敵部隊ラストのメンバーを頭に思い浮かべる。
 俺の記憶が間違いで無ければ、残っているのはソマーズ博士な筈だ。
 まるで流れ星のように【APEXゲーム】に参戦した彼女はとても優秀な天文物理学者で、今までのメンバーとはまた違った性格の人物だった。
 同じサイエンティストのワットソンやコースティックと小難しい理論について話をしているかと思えば、レイスやパスと一緒に楽しげに冗談を言って笑い合ったりもする。
 とてもお茶目で優しい人であるかと思えば、研究のためならば何時間でも考えこむ事が出来る集中力を持っている。
 そんな知性とユーモアに溢れた人物を俺は彼女以外にも知っていた。

 「おい止めろ、止めろって。 今はそんな事思い出してる余裕なんか無いぞ」

 自分を叱り付けるようにそう言うとフラットラインを掴む手に力を込める。今は試合に集中しなければ。
 ソマーズ博士のグラビティリフトは同じようにデバイスを操るクリプちゃん(非常にシャクではあるがアイツの機械に関しての知識は並大抵のもんじゃない)が感心するくらい有能なデバイスらしく、空から索敵も出来る上に一方的に撃つ事が出来る。
 ならばこちらから一気に距離を詰め、倒しきるのが最適解な筈だ。
 散々レイス達からポンコツだなんだと言われている俺ではあるが、【APEXゲーム】に参加している年数はそれなりに長い。
 こういう状況は何度も切り抜けてきた。

 「……俺は強い、そうだろ?」

 そう言って深呼吸をする。
 ここで勝てばチームを勝利に導いたヒーローになれる。この上ない最高の舞台だ。
 同時にリングが縮小を始めるアナウンスが響いて、覚悟を決めた。

 「ッし、行くぞ」

 小さく口の中でそう呟くと、そのまましゃがんでいた状態から立ち上がり、花壇の影から一気に飛び出すともう片方の花壇に走って近づきつつデコイを出現させる。
 俺は左側からデコイは右側から回り込む形で挟み撃ちにして混乱させるのは俺の得意戦法の一つだ。
 けれどこれは俺本体の方が先に撃たれれば、不利になる……そんな一か八かの賭け。

 『騙されたな!』

 結果を言うと、俺は賭けに勝った。
 先にデコイを撃ったソマーズ博士は、慌てたように本体であるこちらに視線と体を向けなおす。
 しかしその僅かな隙を俺は見逃さなかった。
 2倍スコープ越しに狙いを定めてフラットラインの引き金を引く。リコイルに癖がある銃ではあるが、近距離も中距離も強力なこの武器は俺の好みだった。
 向こうも慌ててボルトを連射してくるものの、先に撃ち出し始めた俺の方が武器差を考えても有利だ。
 互いに身を守っているシールドが割れ、俺は素早く背中に手を伸ばすとフラットラインと入れ替えるようにハンマーポイント付きのP2020に手をかける。
 普段は弱いだのなんだのと言われているこの武器もホップアップの能力のお陰で激しい音を響かせながらも、近距離戦では非常に役に立つ。
 そう、俺はこういう武器も好きだ。
 どんな武器も使い方次第でド派手にカッコよく戦える……ロマンに溢れているじゃないか。

 「……ッ……!」

 特殊な音と軌道を残しながら発射された銃弾が2発ともソマーズ博士の身体に当たる。
 このまま、もう1発当てれば俺の勝ちだ。
 けれどその決定的瞬間に聞こえたソマーズ博士の苦しげな声を聞いて、俺の指先はまるで凍ったようにその動きを止めてしまった。

 (ああ、だから言ったのに、戦う前に余計な事を考えるモンじゃなかったんだ)

 俺が固まったのを一瞬、困惑したような顔をして見てきたソマーズ博士はすぐさまその足元にグラビティリフトを設置して空高く昇っていく。
 目で追うのも難しいくらいの素早い動きと共に発生したグラビティリフトの風圧に吹き飛ばされそうな身体を押さえながら、思わず片腕で目に飛び込む砂を避ける。
 そうして次に顔を上げた時には、印象的な銀色のオブジェよりもさらに高い場所に居るソマーズ博士と、グルグルと回転しながら目の前に落ちてくる三角形のデバイスが見えた。

 「?!……クソッ!!」

 その三角形のデバイスは起動してからすぐさま中心部分が開き、周囲を吸い込むブラックホール化するトンデモない代物だ。
 慌てて吸い込まれまいと走りながら、左手のコントロールパネルで5体のデコイを発生させつつ逃げようとするが自分も含めて全てのデコイがそのブラックホールに吸い込まれてしまう。
 そうしてそんな俺の頭上に星くらい(本当に数えてなんていられないくらいにたくさんだ)のフラグやらテルミットやらアークスターやらが降り注いだ。
 ――――この勝負は確実に勝てる筈だった、と後悔してももう遅い。

 「………エリオット」

 呆気なくグレネードの嵐によってダウンしてしまった俺のパッシブ効果が切れたのと同時に、そっと目だけを動かすとふわりと地面に着地をしたソマーズ博士の靴先が見えた。
 顔を上げる事がこんなにも恐ろしかったのはいつぶりだろうか。
 レヴナントと味方になって、複数回、遠距離に居た敵スナイパーによってダウンさせられた時よりも恐ろしい気がする。
 恐る恐る顔を上げると、全身が血にまみれたソマーズ博士がアイスブルーの瞳でこちらを見つめていた。
 そのまま首元にトリプルテイクの銃口が突きつけられ、冷たい声が降ってくる。

 「私はお前さんの事を高く評価していたんだよ。 ホログラム技術に関しても、その優しい性格もね」

 口の中がカラカラに乾く。
 倒されたせいで感じる痛みや目の前に武器を突き付けられているからというよりも、ソマーズ博士に失望されているようなこの状況がより苦しい。
 思わず黙り込んでいるとさらに博士が言葉を続けた。

 「でも、勝てる場面で油断をするのは"優しさ"とは言わないんじゃないかい?」

 「ちが、違うんです!! ソマーズ博士、俺、俺は、えっと……とにかく違うんですよ!! 俺はそんなつもりじゃないんです!! 本当ですよ、信じて下さい」

 頭上から降ってきた言葉に、自分でもダウンしたままでよく出るなと思うくらいに必死に声をあげる。
 命乞いをしているわけでも無いのに情けない気分になるが、誤解されたままのほうがもっと嫌だった。
 俺は乾いた唇から微かに漏れる血液を押し込むように舌先で軽く舐めると、全身が痛むのも忘れて言葉を紡ぐ。

 「けして油断なんて、……そんなつもりじゃなかった! 俺は貴女の事を本当に尊敬しているんですよ、だから、」

 「だから、なんなんだい?」

 俺の言葉を遮るようにそう言ったソマーズ博士の瞳はまだ厳しい色を宿していた。
 それもそうだろう。あと一発で敵が倒れるのが分かっていながら、寸でのところで引き金を引くのを止める奴などほぼ居ない。
 ましてや互いに1対1の状況下でそれをするのはソマーズ博士の言う通り"油断"と捉えられても仕方がなかった。
 本当の理由なんて言うつもりは無かったというのに、俺のダメな口は思わず本心を零していた。

 「……貴女の姿が、……俺の母に重なってしまったんです……」

 「……あぁ、……」

 「そう……そ、……聡明? とにかく、貴女が現れた時にその、性格が……母に似ていて、……俺、俺ってばなんていうか……」

 「分かった! わかったから一度静かにしな。エリオット」

 その言葉に口を閉じた俺を見ながら、はぁー、と深い溜息を吐いた博士は銃を持っていない方の手で頭をガリガリと掻く。
 そうして一度目を伏せたソマーズ博士はどうにも複雑そうな顔をしてこちらを見てきた。
 自分が甘えた事を言ったのは分かっているので、いつもよりも口が重い。
 ほんの少しの沈黙の後、博士はトリプルテイクを下げないままゆっくりと話し出した。

 「エリオット、さっきも言ったけれどお前さんの事は高く評価しているんだよ。 技術者としても、そのお母さん想いの優しい性格も全部ね」

 「ソマーズ博士……」

 「けれどね、ここは殺し合いのゲームの盤上で今の私たちは敵同士だ」

 そこまでソマーズ博士が言い終わったタイミングでさらにもう1段階リングの縮小の通知が空間全体に響いた。
 あと2回の縮小でオリンパス全域が赤々とした触れるだけで体を焼かれるリングに飲み込まれる。
 博士の言うとおり、この場所は【APEX】という互いに名誉や富を求めて争い殺し合うゲームの中だ。
そんな事は嫌という程に分かっていると思っていたけれど、俺にとって"当たり前"だったその前提を狂わされるくらいに彼女に対して"母さん"を俺は思い出してしまっていた。
 ゲームに参加した理由が理由だったとしても、それだけは戦いの場に持ち出してはいけなかったというのに。

 首元に突き付けられていた銃口がそっと動かされ、顎先にかかったかと思うと自然と俯いていた顔を上向かされる。
 血に濡れたふんわりとした赤毛が風に揺らめき、それと同時に周りの赤い花がひらりひらりとその花びらを空に舞わせている。
 こんなにもこの空間は綺麗で素晴らしいのに、行われているやり取りは恐ろしいものだ。
 アイスブルーの瞳も優しいけれどどこか寂しげで、俺はその瞳から目を逸らす事が出来なかった。

 「だからね【ミラージュ】……私は【ホライゾン】としてお前さんを殺すよ。 それは共に戦って私を最期に庇ってくれたあの二人に報いる方法だから」

 「……分かりますよ、ソ……いや、……【ホライゾン】さん、俺も何度も何度も経験したんですから」

 こんな事を言わせるつもりは無かったのに、と俺はあの時に躊躇した自分自身に苛立ちを感じながらも軽いノリでそう言葉を発する。罪悪感など感じてほしく無かった。
 俺の中の大切であたたかな忘れる事などけして出来ない思い出がほんの少しだけ顔を出してしまった、ただそれだけの話なのだから。

 「それなら良いんだ。 さっきの話を聞いた後だとまるで私が悪者みたいになっちゃいそうだったからねぇ」

 「……そんなつもりは……なかったんですけどね……」

 「まぁいいさ、お前さんも次は迷わないでいる事だよ。 ゲームの中ではお互いに【レジェンド】なんだから」

 段々と薄れかける意識をどうにか押し留めながら会話をしていたが、流石にそろそろ限界が近い。
 冗談めかしたセリフと共に初めて笑顔を見せた【ホライゾン】さんは、そのまま迷わずにトリプルテイクの引き金にかけていた指先に力を込めた。
 キリキリとチョークが絞られていた銃口から発射された弾が自身の首元を正確に押し潰したのを感じながら、四つん這いで倒れていた身体から力が抜けていく。
 それと同時に今回のチャンピョン決定を知らせる放送が流れる間に、こちらに近づいてきた【ホライゾン】さんが俺の耳元で囁く声が聞こえた。

 「……次のゲームではちゃんと迷わず私を殺しにおいで」

 ふ、と笑って言われた言葉に先に倒れていったバンガロールとクリプトの姿を思い出し、これは後で死ぬほど二人に叱り付けられるな、と思うのと同じくらい次は負けないぞという強い意志を覚えたままゆっくりと深い場所まで意識が落ちていった。


-FIN-






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