エインヘリャル




 衣服越しの前腕にもう数少なくなった注射器を刺しながら、水気を多く含んでいるぬかるんだ黄みがかった地面の上を駆ける。
 何もかも嫌だと叫びだしたくなるのを抑えるように普段より強く打ち付けたそれは、回復するのと同時に刺した周辺がジクリと痛んだ。
 けれどその痛みすら無視し、追い立てられるように戦闘終了直後にリングが背後から縮小を始めたのを理解して、長くこのゲームに参加し続けた私の肉体はもはや条件反射のようにリングから逃れるために動いていた。
 どれだけ心が沈んでいても尚、勝利への渇望なのか、それとも生への欲求なのか、敵を撃ち抜く手は止まる事無く【血に飢えた殺戮者】の二つ名に恥じぬ力を発揮する。

 【キルリーダー】 今やその称号でさえ私には荷が重く、肩に食い込むように圧し掛かって来る。
 何が、【英雄】だろうか。こんな血で血を拭う凄惨な試合を行いながら最後に立っているのは、本当に【英雄】と呼べるのだろうか。
 ツリーに降りた私たち以外にも二部隊同じ場所に降りていた所為で、その場ですぐさま戦闘が始まり、その音を聞きつけた他部隊がどこからか現れて結果的にそれなりの数の戦闘をこなしていただけに過ぎない。

 けれど殲滅行動をしている間だけは、化膿したように痛む傷を抱えた心が一時的にだが、湖面のように澄み渡る。
 どう動き、どう避けるべきかを予測し、そうして照準の中に敵の姿を見据えて引き金を引く。
 その行動を取る時に迷いはない。何百、何千とこなした行為は血生臭い経験としてしっかりとこの掌に刻まれているのだから。
 そんな風に考えながらも殺した相手の姿形さえ、もう良く覚えていない程にその銃弾で頭を撃ち抜いた使い込んだウィングマンを背に掲げている私に向かって背後に居た同じデュオ部隊メンバーであるウォルター・フィッツロイが声を掛けてくる。

 「ブラハ」

 私はその声に走っていた足を止めて後ろを振り向く。
 同じだけ戦闘をこなした彼の体は私と同じく返り血で汚れているものの、こちら程ではない。
 彼もまた惑星サルボにて戦闘を続けてきた歴戦の戦士で、互いにそこまで指示を出しあわなくとも言いたい事は分かるくらいに戦闘慣れしている。
 だから先ほどの戦闘も彼のサポートを受けながら戦う事で、いつも以上に楽に動けていたのだ。
 本来ならば彼に礼を言わねばならないのは分かっていた。分かっていても、今は彼の隻眼に映る己はあまり見たくなかった。

 「……大丈夫か」

 ウォルターがこの血に濡れた【APEX】に参加したのも、より苛烈な戦いを求めてやってきたのだと最初の時期に聞いていた。
 けれど彼はただのベルセルクでは無く、懐の広い心優しい男なのだと話をしてみてすぐに理解した。
 それは私だけでは無く他の同志も同じ感想を抱いたらしく、試合が終了した後には彼の周りに沢山の人々が集まりよく酒を酌み交わしているのを見る事が多い。
 時折私も声をかけられその酒の場に赴く事もあったが、最近は彼の申し出を全て断っていたので話をする事自体が久しぶりだった。

 「……何がだ」

 「お前、随分と無理しているように見えるからよ」

 「無理などしていない、何も問題はない」

 全てを見透かしているかのような瞳はこちらの表面に張った薄皮のような平常心のその奥を見定めているのか、何度も今シーズンに入ってからはそのようなやり取りを続けていた。
 その度に私の胸奥についた傷はジクジクと痛みだし、その傷口からは主神へと捧げるべき血が流れる。
 本当はこの優しい男に全てを吐露してしまいたかった。
 辛いのだと、苦しいのだと、叫ぶ心のままに感情を振り乱してはその肩に縋りたくなる。
 だからこそ私はこの男の瞳から目を逸らし、再び前を向く。
 こちらの気持ちを尊重してくれる男はこうして拒否をすればそれ以上は強く聞いてくることは無い。

 「……っ……」

 ツリーから列車の線路を抜けてさらに先に行くと、何度見ても私の脳内に影を落とす巨大な建築物の姿が見えてくる。
 この惑星を苦しめるように地中深くまでいびつに取り付けられたハーベスタ―は現在はその採掘作業を止め、吹き上がっていた溶岩はその炎を鎮めていた。
 だが、その代わりに狩人たちの怒りが刻み込まれ、空には多くの御使いが鳴き叫び飛び回っている。
 私にとって自らの罪を突き付けられているようなその光景は何度ドロップシップから降下しても見慣れる事は無かった。
 自然と走っていた足が速度を緩め、歩みが遅くなる。
 その一瞬の感傷がいつもなら地面の痕跡から働く筈の直感でさえも鈍らせた。

 「ブラハッ……!!!」

 ハーベスターを抜けたフラグメント・ウエストへと続く道の方向側から一発の空をつんざくような銃声が響く。
 それと同時にこちらの背後に居たウォルターが私の身体を押し、代わりに目の前でその銃弾に貫かれる。
 スローモーションに見えるくらいにゆっくりと膝をついて倒れ込んだウォルターの腹部からは血がこぼれ落ち、苦しそうな吐息が聞こえてくる。
 急いで守るように彼の体の前に立ち、背中のウィングマンを取り出して周辺にスキャンを入れるが、リングが迫ってきている事もあり離れた場所に居る敵部隊は詰めてくる気が無さそうだった。
 私はそのまま急いで地面に倒れながら唇から鮮血を流しているウォルターの蘇生を試みる。

 「ウォルター!! どうして私を庇った! お前がそのように苦しむ必要などないのに……!」

 「……っは、……は……無粋な事言うなよ、ブラハ……」

 クレーバーの弾丸をその身に受けたウォルターはそれでもその唇に笑みを浮かべてそう囁く。
 バックパックから取り出して手に持った蘇生用の薬を思い切りウォルターの胸に突き刺すと、ビクリと彼の全身が跳ね、眉が痛みに堪えるように歪む。
 そのまま手を差し出すと、ウォルターの巨大な体を引き上げた。

 「……ありがとな」

 「礼を言うべきなのは私の方だ。本当にすまない、私のせいだ……キチンと痕跡を追っていればこんな事にはならなかった」

 「気にするな。親友を守りたいと思うのは当たり前の事だろ。……お前が苦しむ顔は見たくねぇ」

 主神から私に向けられた怒りによってすっかりと様相を変えてしまった惑星タロスで戦う度に常に業火の炎で焼かれているかのように心臓が痛んだ。
 近代テクノロジーという凄まじいパワーを持った獣はその力を容赦なく振るい、自然との調和を求める人々の生活を壊し、全てを轢き殺していった。
 その末端にこの両手も加担してしまっている。
 ――――ならば、この惑星を、美しい世界を、壊したのは?
 論ずるまでも無く私は自らの行いを憎み、そうして過去を恨んだ。
 それなのに、彼は私の事を親友だと言う。
 いつだって私を気遣ってくれる彼から受け渡される深い情を、この穢れた身が受け取れる筈がないのだ。
 そう思っているのに、彼の柔らかな笑みを見てしまうと上手く言葉が出てこなくなる。

 「……さぁ、早く行こう」

 だが、ようやく絞り出した私のその言葉にはウォルターは曖昧な笑みを浮かべるだけで、回復を行おうとしない。
 代わりにバックパックから一回分だけ残ったヒートシールドと僅かな注射器とシールドセルを手渡してくる。
 その行動の意味を一瞬で理解してしまった自分が嫌になる。
 先ほどの部隊がこちらに詰めてこなかったのは、次のリングまでかなり距離があるからだ。
 そうして私たちは戦闘を繰り返したお陰で回復アイテムをほぼ使用しきってしまい、枯渇している。
 その上で、このまま走って行っても背後から襲い掛かるリングにある程度の距離の間、呑まれてしまうのは分かっていた。

 「…………お前の苦しむ顔を見たくないって言ったばかりなのにな」

 「ダメだ! ……私がお前を何度でも起こす。そうすれば……」

 「それは無理だって、お前も分かってるんだろ。お前だけならそこのジャンプタワーを使って走れば間に合う筈だ」

 彼が私たちが居る場所からそこまで離れていないハーベスタ―脇に設置されたジャンプタワーを指さす。
 確かにジャンプタワーを使用した後にアルティメットで速度を上げた私の脚力ならば、アイテムを使用しながらギリギリではあるがリング収縮に間に合うだろう。

 「……だが……」

 このやり取りの合間にもドンドンと背後には赤い光を放っている焼けたリングが迫って来る。
 押し付けるように手渡されたそれを受け取ると、身体が震えた。
 試合に勝つことを優先するのならば、私はここで彼を見捨てるのが最善の選択なのはよく分かっていた。
 しかし彼は私を庇って傷ついたのだ、それをこの場で見捨てて先に行くなど、出来ない。
 そんな私の葛藤を払うようにウォルターがこちらの背中を二度強く叩く。

 「行け、……行け!!」

 「……っぅ……」

 「お前がチャンピオン取るの、期待してるぜ」

 ハハ、と笑って言われた言葉に私はゆっくりとだが歩み出し、僅かに駆け足になる。
 これでいいのだ、ここで彼の言う通りにこの道を行けば部隊は生き残りチャンピョンを取る可能性が残るのだから。
 知らず知らずのうちにマスクの中で噛み締めた唇に血が滲むのを感じながら、先ほどまでは異なり草と土の混ざった地面を踏みしめる。
 そのままジャンプタワーの前に立ち、そこでようやく背後を振り返ると真っ赤なリングの背景の中、こちらに手を振っていた彼がそのリングに焼かれて膝から崩れ落ちていく姿が目に映った。

 まるであの日のように、圧倒的な存在に押し潰される愛する者を見て、私は自分の思考がすべてぐちゃぐちゃになっていくのを理解する。
   そうしてそのぐちゃぐちゃになった思考が導き出した解答を体が勝手に実行する。
 私はジャンプタワーでは無く倒れているウォルターの方へと踵を返し、先ほどとは比べ物にならないくらいに必死に走って自らリングの中に入り込む。
 肉体を焼き削ってくるそのリングの中で、手に持ったヒートシールドを展開させると倒れたウォルターの傍へ座り込んだ。

 「……ブラハ、……お前……なんで……」

 「い、……いやだ……ッ……いやだ、いやだ……お前を置いていくなど出来ない……」

 苦し気な顔をしたウォルターに向かってその頬を撫でながら、まるで幼子のようにそう囁く。
 そんな私を見ていたウォルターは一瞬驚いたような表情をしたかと思うと、その義手を伸ばしてこちらのヘルメットを撫で、それからマスク越しに頬を撫でてくる。
 その慰めるような手付きに泣き出しそうになるのを我慢していると、ぐい、と手を引かれて地面に伏せさせられた。
 そうしてそのままその腕の中に強く抱き込まれる。抵抗をする気は無かった。
 寧ろ戦いの中でだけ落ち着いていたささくれだった心が次第に静寂を取り戻していく。
 あやすようにこちらの肩を撫でたウォルターの低く心地のよい声が鼓膜を震わせた。

 「……泣くなよ。もう大丈夫だ……俺が悪かったな」

 「……ウォルター・フィッツロイ」

 謝罪の言葉を口にしようとしたのを察したのか、こちらのマスクに指を当ててそれを制止したウォルターがさらに強くこちらを抱きしめる。
 硝煙と爆薬の匂いのする腕はいつもよりも力が無く、もう限界近い事を示していた。
 それと同時に設置していたヒートシールドがガタガタと音を立てて震えだし、カウントダウンが0%に近づいていく。

 「まったく、こんな所で俺と心中するのを選ぶなんて、可愛い奴だよ。……ほら、こっちに寄りな。俺が最後まで守ってやるから」

 「……お疲れ様、ブラハ。……次はお前と勝ちてぇなぁ……」

 その言葉と共にヒートシールドがその役目を終え、一気に赤いリングに視界が埋め尽くされる。
 全身を舐るその炎が体を苛むのを感じ取りながらも、セリフどおりに私の事を強く抱きしめたままのウォルターの背に片手を回し彼の赤と黒の衣服を握る。
 彼の言う通り、これでは心中のようだと微かに笑む唇は誰にも気が付かれる事無く静かに朽ちていった。


-FIN-






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