ウォッカ・ギブソン




 じっとりと湿った空気が周囲に漂っているのを肌で感じ取りながら、一度隣に居るクリプトに目を向ける。
 沼沢エリアの端の方にある比較的手狭な小屋の中でしゃがみこみドローンを操作している姿は相変わらず忙しなく、ドローン操作中はこちらの動きがまるでわからないらしいので暇な時はたまにイタズラしてやったりする時もある。
 例えば、頬をつついてみたり、頭を撫でたり……そんな些細なイタズラだ。
 初めはスカした顔をしているおっさんに嫌がらせのつもりでやり始めた事ではあったが、いつしか普段は気を張っているおっさんが無防備になる瞬間が堪らなく可愛らしく見え、触れたくて仕方がなくなってしまう事に気がついたのはいつからだったろうか。

 しかし、今は互いにそんな余裕もなく俺は手に持ったフラットラインをいつでも撃てるように一番近いドアにまた視線を向けて周囲の警戒を続ける。
 残り3部隊、次のリング縮小で今回のチャンピオンが決まる大事なタイミングだった。

 『気を付けろ、敵が居るぞ』

 クリプトの言うとおり、俺達が潜んでいる小屋以外の2つに他の2部隊がハイドしているのがニューロリンク伝いに見えた。
 初めは一時的に脳波をジャックし共有されるこの感覚にも慣れなかったが、慣れてくると敵位置が分かるなんて非常に便利で助かる技術だと思う。(直接ほめた事は無いが)
 チラチラと映る敵影は途切れ途切れではあるが、それぞれに3人ずつ居るのが見える。どうやら俺達以外はフルメンバー部隊らしい。
 ドローンを壊そうと両方の小屋の隙間から絶え間なく飛んでくる銃弾をスイスイと華麗に避けながらも索敵を続けていたクリプトがドローンの操作を終えて視界共有を切断したのか、手に持っていたコントローラーをしまうとゆっくりと立ち上がった。

 「……まずいな」

 「あぁ、そうだな。……で、どうする?」

 俺とクリプト、それからジブラルタルで組んだトリオ戦だったが先にジブラルタルがダウンしてしまい結局試合も終盤でリスポーンする事が出来なかったのだ。
 俺のアビリティーやアルティメットだと元々が奇襲や短期決戦向けの能力であり、最終リング間際ではあまり真価を発揮しない。
 ある程度、場を混乱させる事は可能だろうが、空爆やガスやスモーク、ありとあらゆるアビリティーやアルティメットの飛び交う中では全てかき消されてしまうだろう。
 逆にクリプトの能力は最終リングにも充分能力を発揮出来るアビリティーやアルティメットであるが、どうしても一瞬、隙が生まれる。
 何よりも最悪な事に最終リングは俺達側から少し離れた平地で、遮蔽物もほぼ無い場所だった。
 本当ならばギリギリに飛び出し、ジブラルタルの空爆とクリプトのEMPでかなり有利な状況を作れた筈だったのだ。

 「あー、クソ、あの時俺がもっと早くジブラルタルのフォローに入ってればアイツを助けてやれたのになぁ……」

 「あの状況では仕方がなかっただろう。それよりも、今は俺達だけで勝てる方法を考えないと」

 そう言って顎に手を当てたクリプトを見つめる。
 こういう時、俺が指揮を取るよりも常に冷静なクリプトの指示に従った方が勝率が高い事は何度も経験したデュオ戦で充分に理解していた。
 コイツはいつも状況を慎重に分析してから行動を起こす。俺はどこか出たとこ勝負な部分があるから、試合中に叱られたのは数えきれないくらいだ。
 しばしの沈黙の後、クリプトが顔をあげ小屋の隙間から外を覗き見る。
 そうして俺達の居る小屋から少し進んだ場所にある小さな岩を指差すと、言葉を紡いだ。

 「リング縮小と共に小屋を出てあの場所に一時的にハイドしよう」

 「でもおっさん、そこはリング外だし右側の部隊が屋根に上がったら丸見えだぜ?」

 「左側の部隊も居るんだ……そう安易には外に出ないだろう。そこまで無理をして射線が通る所に行くとは思えない」

 「まぁ、そうかもしれないが」

 それにしたって本当にギリギリ身を寄せあってようやく隠れられるかどうか、という場所だろう。
 その後に最終リング収束地の平地に近い場所に唯一あるか細い木の根元を指差したクリプトがさらに話を続ける。

 「さらにギリギリまでハイドして、俺は左側の部隊にEMPを入れる……もしくは降りてきた奴ら全員に当たるまで待ってもいい。お前は俺がEMPを撃つ瞬間にあの木に寄れるところまで走れ。あの場所を確保できればだいぶ有利になれる」

 「でもそれだとお前が撃たれた時にフォロー出来ない」

 俺の疑問はしっかりと分かっているのか、こちらに視線を戻したクリプトが小さく囁いた。

 「はじめから不利な状況だ……勝つなら相手をやりあわせて最後を取りにいくしかない。流石に最初からあの場所で悠長にドローンを操作するのでは遅すぎる」

 「けどよぉ……」

 脳内に先ほど助けられなかったジブラルタルの姿が浮かぶ。
 助けられる筈だったのに間に合わない、それを繰り返す事になるのは嫌だった。

 「ウィット」

 名を呼ばれ自然とそらしていた視線をクリプトに向けると、凛とした黒い瞳が真っ直ぐにこちらを見ていた。
 見た目はナヨナヨしていそうで俺と1歳差にはとても思えないくらい若く見える男は実は誰よりも熱いハートを持っている。

 「何をビビってる。俺とお前で勝つんだ、ジブラルタルだってそれを望んでる筈だろう。それともお前は腰抜けなのか?」

 最後の言葉は皮肉げに笑いながらそう言われ、それが敢えてクリプトが俺を奮い立たせるために発したセリフだと分かった。
 その言葉に乗せられるようにしっかりと黒い瞳を見つめ返す。

 「おいおい、バカ言うなよ。俺を誰だと思ってる? あのミラージュ様だぞ? ビビるなんて、そんな事あるわけない」

 「フッ……それだけ言ったならミラージュ、お前の力を見せて貰おう」

 「当たり前だ! もし勝ったらしゅ……しゅ?……とにかく酒の相手をして貰うからな!!」

 「祝杯、な。……さぁ準備をしろ。もう時間が迫ってる」

 クリプトが言ったようにリング縮小までのカウントダウンが始まる。
 それと同時にじわりじわりと赤いリングが隠れている小屋を通り抜け、背後まで迫ってきた。そのまま追い立てられるようにドアを開けると素早く岩影に移動し、互いに身を寄せ合う。
 俺は右側の射線が通るであろう位置にしゃがみながら、隣にいるクリプトと同じように息を潜めた。
 クリプトが予想したとおり、右側の部隊は屋根上には上がってこず、木の向こう側の最終安置を取るためなのかスモークの焚かれる音やガス缶の設置される音、ポータルの音などが聞こえてくる。

 「撃つか?」

 「……まだだ」

 「でももうリングがきてるぞ!」

 ドンドンと背中に近づいてくるリングに俺が焦ってそう言った瞬間、俺達以外の部隊が戦闘を始めた音が聞こえた。

 「行け! ミラージュ!」

 途端に背中からドローンを展開したクリプトが俺にそう言ったのと同時に岩影から飛び出し、ガスやスモークの立ち込める中を走り木の根元に滑り込む。
 そんな俺を取り囲むようにEMPの電磁波が発生し、バチバチと巨大な音を立てた。

 「「「EMPがくる!!」」」

 その攻撃に反応した複数人の声が聞こえ、数多くのシールドが割れる音が響く。
 それを皮切りにさらに銃声は激しさを増し、銃撃によってドローンは破壊されてしまった。
 俺は自分の体が痺れるのを感じながらも後ろを振り返るとクリプトがこちらに駆けてくるのが見えたが、すぐに顔を戻して木の影からスモーク越しに見える敵影にヘイトを買わない程度にさりげなく銃を撃つ。
 互いにやりあっている敵部隊を確認しながら、このまま勝てるかもしれないと思っていると不意に流れ弾と共にフラグが飛んでくるのが見えた。

 「ッ!? クリプト!」

 そう言って隣に走り込んできたクリプトの肩を素早く押し、同じく俺も木の影から飛び出す。
 背後で爆発したフラグにホッとする間もなく飛び出した先には戦闘中のコースティックがおり、思わずフラットラインで撃ち込むとだいぶダメージが入っていたのかすぐにダウンさせる事が出来た。
 だが周囲に撒かれたガスが喉奥に入り込んだせいで咳き込んでしまい、慌ててガスの届かない範囲に逃れるようにアルティメットを起動してから回復しているとコースティックが部隊の最後の1人だったのか、ラスト2部隊になったという放送が流れる。

 (残り2部隊! おっさんはどこ行った?!)

 自分の戦闘に必死でクリプトの位置がすぐに把握出来ず、周囲を確認するために顔を動かすとスモークが漂う中でクリプトが戦闘しているのが分かった。
 早く回復をして追いつかないと、と思っている間にクリプトが相手をダウンさせた通知と共に別の相手にダウンさせられる。

 『ッ……ここで敵が復活している……!』

 耳元に響いた苦しげな通信にカッと頭が熱くなる。
 俺はその指示された場所に走りながらスモークの中にデコイを飛び出させると、敵がデコイを撃ち、相手の位置を把握する。
 撃たれた側とは反対の方向から飛び出し、背中に積んでいたマスティフを持つと敵めがけて引き金を引いた。
 こちらの奇襲作戦は上手くいったようで傷つきながらもどうにかライフラインをダウンさせる事は出来たが、蘇生されていたバンガロールが続けざまにこちらに銃弾を放ってくる。
 絶対に負けられない、と強く願った俺の手元は的確に相手の腹ど真ん中に銃弾を当てていた。

 【APEXのチャンピオンが決定しました】

 一瞬の静寂からすぐに流れたその放送に肩に入っていた力が抜けていくのと同時に、マスティフを背中に戻すと走って倒れているクリプトの元に向かった。
 そうして近くの泥の中で倒れているクリプトを助け起こしにかかる。
 傷つきぐったりとしているクリプトに肩を貸しながら興奮さめないままに話しかけていた。

 「やったぞ!!! 見てたかおっさん? 俺が2人倒して勝ったところ!! 凄かっただろ?」

 「……あぁ……それよりもお前、こんな泥だらけの俺を支えたら汚れるぞ」

 「ん? そんな事別にどうだっていいだろう。それよりも今夜はパーティーだぜ、分かってるよなぁ」

 「ミラージュ」

 「なんだよ、やっぱり飲むのは無しなんて言うなよ?」

 試合が終わるとドロップシップが残ったメンバーや傷ついた者たちを回収しにやってくる。
 すでに遠くの方から聞こえてきたドロップシップのエンジン音を耳にしながら本当にさっきの俺のエイムは神ががってた、なんて自分で自分を褒めているとそっと立ち上がりつつ俺の肩に凭れかかったクリプトが小さく笑ったのが聞こえた。

 「……よくやった。最後のお前、珍しくカッコよかったぞ」

 「!? えッ、あ、当たり前だろ! 俺もやる時はやるって事だよ」

 「普段からそうだといいのにな」

 「言ったな」

 不意に優しくほめられて声が裏返る。
 顔もなんだか熱くなるが、今は互いに汗やら血やら泥やらで汚れている上に体温もあがっているだろうから気が付かれないだろう。
 けれどこのままずっと密着しているのはマズイ気がすると軽口を叩きながらも、早くドロップシップが来る事を願っていた。

 □ □ □

 肌に流れる湯を感じながら、髪の毛もしっかりと濡らしシャワーブースに備え付けられたシャンプーを手に出すと髪になじませ泡立てる。
 やっと体の汚れを洗い流せるとホッとしている自分に気が付きつつも、未だに勝利をもぎ取った興奮は冷めやらずこの胸に残っていた。

(さっきのインタビュー、なかなかいい感じで答えられたよなぁ)

 チャンピオン部隊になった時だけ受けられる勝利者インタビューも珍しく噛む事無くしっかりと答えられ、今日の気分は上々だ。
 思わず流れる鼻歌もそのままに俺は髪の泡を流すと、トリートメントをつけつつ隣のシャワーブースでシャワーを浴びている筈のクリプトに声をかけた。

 「おいおっさん」

 「……なんだ」

 水音が止まり、クリプトの声が返ってくる。
 コイツはいつも小奇麗にしている割にはシャワーをしている時間が短いものだから、そろそろ終わるだろうと踏んで声をかけたのだが当たりだったようだ。

 「どこで祝う? 家でいいか? 外は嫌なんだろ」

 「そうだな」

 「店でもいいが……今はギアヘッドが居るからな」

 「じゃあお前の家に行く」

 持ち込んだボディタオルで体を入念に洗いながら、既に身体を拭き終えたらしく扉の外に居るクリプトとそう会話を交わす。
 店で飲む方が酒の種類は多く取り揃えているが、ゆっくりするなら俺の自宅の方が近いし広い。
 …………断じて2人きりになりたいなんて、そんなやましい気持ちを持ってるわけではない。
 俺が内心そんな事を考えていると内部が見えないようにモザイク状になっているプラスチック製の扉の向こうで、影でも分かるほどに細い体つきをしたクリプトが呆れたように大きなため息を吐いたのが聞こえてくる。
 そのため息に思っている事が感づかれたかと焦るが、そうでは無かったらしくクリプトの声が続けて聞こえてくる。

 「さっさとしろ、お前、風呂が長いんだよ」

 「うるせーよ。俺は綺麗好きなんだ」

 「俺は先に行ってるからな」

 足音が遠のくのを聞きながら、俺は不自然にならずに奴を自宅に誘えた事を神に感謝していた。本当に今日は人生で最高の一日かもしれない。
 本当は3人でチャンピオンを祝おうと思って、【APEX】で傷ついたメンバーの医療などを行う施設で俺達を待っていてくれたジブラルタルにそう提案したのだ。
 しかしジブラルタルは自分のパートナーとの約束がすでにあるらしく、今回の飲み会には残念ながら不参加という事になった。
 別に3人だって良かったが、こうしてクリプトを堂々と飲みに誘うのは久しぶりだった。
 それは俺とクリプトがなかなか同じ部隊にならなかったり、どうにも最近は気乗りしないのかそれとなく誘っても断られてしまったりと余り上手くいかなかったのだ。
 けれど今日はチャンピオンにまでなったのだ。これは流石に断られる筈が無かった。
 しかしここまで来てダメになる可能性もあるかもしれない事に気が付き、慌てて頭から湯をかけて体の泡とトリートメントを流すと扉を開けて外に置いておいたバスタオルを手に取りさっさと体を拭く。
 髪の毛のセットもまたする事を考えると、クリプトを待たせすぎて帰ってしまう可能性もある。実際に過去に一度あった。

 「流石にこれで帰られたらショック過ぎるからな。判断をミスるなよ、ウィット」

 そう一人呟くと俺はシャワーブースを抜けて男子更衣室の方へと足早に向かっていた。

 □ □ □

 「全く、お前は本当にいつもいつも支度に時間がかかるな」

 「そう怒るなって。いつもよりは早かっただろぉ」

 ほんのり薄暗くなり始めた空の下、駐車場に向かう合間にそう言ってくるクリプトに情けなく反論する。
 結局俺にしてはいつもより急いで支度をしたのだが、クリプトにとっては一度をシャワーを浴びたのにまた髪をセットする意味が分からないらしくプリプリしていた。
 俺達は【レジェンド】で、いつどこでファンに会うか分からないのだから、常にしっかりとしたファッションと身だしなみをしておきたいのは当然だろう。
 けれどクリプトにはそういう意識は余り無いらしく、大体いつでも私服はシンプルなデニムにスニーカーと地味なポロシャツ&黒のカーディガン姿の事が多い。
 俺はといえば今日は磨いたばかりの黒のポストマンシューズ、レザーベルトを巻いた白チノパンに薄手のワイシャツ、その上に嫌味にならない程度に胸ポケットから顔を出させた深緑のチーフを忍ばせたこげ茶の薄手ジャケットを羽織ってきていた。

 「今日も美味い飯、作ってやるからさ。とりあえず車持ってくるからそこで待ってろ」

 そう言ってクリプトを駐車場の入口から少し入った場所で待たせつつ、俺は僅かに入口から離れた場所に止めておいた自分の車の傍に寄るとジャケットのポケットに手を入れ、車のキーを取り出し、止めてある車のロックを解除する。
 そうして赤い車体に銀のジャガーのエンブレムが刻まれた車内に乗り込むとエンジンをかけてクリプトの元へと向かった。
 さっと隣に乗り込んだクリプトは半分驚き、半分呆れたように呟くのが聞こえる。

 「お前、まだこのヴィンテージカー乗ってるのか。メンテナンスが大変だろう」

 「んー……まぁなぁ。でもなんだかんだで昔の技術はすごいから中々ダメにならないんだよ」

 「そういうモノか」

 「そうそう。それにいくら年月経ってるヴィンテージとはいえ元はスポーツカーだから速度もある程度は出るしな。トライデントよりは燃費悪いけど」

 言葉通りに比較的滑らかに発進した愛車に納得したのか、少し窮屈な内部を見回していたクリプトは感心したように吐息を洩らした。
 元々俺よりも機械が好きな男にしてみれば何十年も前のヴィンテージカーは興味をそそられる物なのだろう。

 その割にコイツが乗っている車を一度だけ見たことがあるが、随分と小さく最新モデルよりかは何ランクか下の物に乗っていた筈だ。
 正直【APEX】で得られる賞金は安くはない上に、それぞれが【レジェンド】として【APEX】以外で活動した場合の基本報酬はなかなか高価だ。
 それだけ【APEX】というものがアウトランズ中で有名な大会だからだろう。

 俺のように母さんに毎月大量に仕送りをしていてもなお、金を湯水のように使わなければ一生涯困らないだろう大金を恐らくそれぞれが手にしており、俺もそこまで贅沢病ではないが身の回り品は極力好みの物を揃えている。
 だがクリプトの余りの質素な暮らしぶりに前に聞いた事があるが、あまりそういう物に金を使う経験も必要性も感じていないようだった。
 とにかく品物は全て機能性重視で、それ以外はドローンやデバイスの開発費、そうして貯蓄や投資に当てているらしい。
 この男はまぁとてつもなく堅実で真面目な事が理解出来る。
 そういう生真面目な癖に、別に全く冗談を言わないという事も無く、冷酷な皮肉屋かと思えば情熱を胸に秘めている。そんな不思議な男だった。

 「それより何食いたい?マーケット寄ってかないと」

 「本当にこれから作るのか?お前も疲れてるんだからピザでも取ればいいだろう」

 今だって喧嘩もするけれど、本当にひどい奴ではないのが良く分かる。
 俺は唇に浮かぶ笑みもそのままに街灯の点りはじめた走り慣れた街を進んでいく。

 「だってお前、宅配ピザより俺が作ったモンのが好きだろ」

 「随分と自信たっぷりだな」

 「事実じゃないか。俺の飯は美味いし天才的、そうだろ?」

 「……それは一応否定しないでやるが、なんだか腹が立つな」

 「なんでだよ!」

 途中信号で止められ、顔を横に向けると同じように顔をこちらに向けていたクリプトと目が合う。
 こういう軽口の合間にもどこか楽しくなってきてしまうのはクリプトも同じらしく、こちらを見ているクリプトの口元には言葉とは裏腹に楽しげな笑みが浮かんでいた。
 また信号が変わったのを視界の端に確認して、名残惜しいが顔を前に戻すと会話を続ける。

 「どっちにしても酒があんまり無いから買いにいかないとなんだよ」

 「そんなに飲むつもりなのか」

 「どうせお前も明日はオフだろ。勝負しようぜおっさん」

 「ハ、そんな酒の強さ勝負なんて……」

 「お? ……もしかしてクリプちゃんはお酒に関しては赤ちゃんなのかなー??」

 「お前、後悔するなよ」

 瞬時に飛んでくる殺気に肩を竦めてやり過ごしつつもこちらの挑発にまんまと引っかかったクリプトに内心ニヤリと笑う。
 伊達に本業でバーテンダーをやっているわけではない。
 機械などの知識や情報に関しては勝てる気がしないが、酒や料理に関しては負ける気がしない。
 普段嗜む程度にしか飲んでいるところを見た事がないクリプトの酔った姿を拝めるかもしれない絶好の機会だ。めちゃくちゃに酔っ払ったコイツは一体どんな風になるのだろう。
 俺は機嫌よくハンドルを回してよく行く自宅近くのスーパーマーケットのパーキング入口へと車を進ませていた。

 □ □ □

 「おい、クリプちゃん、大丈夫かよ。そんな強くないなら途中で言えば良かったのに」

 男2人が座っても余裕なサイズの牛革張りソファーの前に置かれたテレビで適当に垂れ流しているアクション映画から流れる音量をリモコンで下げながら、周囲に落ちているビールやワインの空き瓶を避けつつ、クッタリとしているクリプトの隣にまた戻る。

 「ほら、水持ってきたから飲め」

 片手に持っている水の入ったグラスをクリプトの方に差し出すと、酒によって潤んだ瞳をしたクリプトがこちらをボンヤリと見返してくる。
 ソファーとテレビの間にはそこそこの広さのテーブルが置かれており、その上にはすでにほぼほぼ食べ尽くされた今日のディナーの皿が残っていた。
 クリプトの言う通り疲れていたのは確かだから、そこまで手のかからないパスタやツマミ用にチーズとクラッカーの盛り合わせなど適当に何品か出したのだが、むさぼるように食べていたので美味しかったのだろう。
 そんな中でこちらに手を伸ばしてきたクリプトの余りの酔いっぷりにグラスを渡すのが心配になる。

 「飲ませてやろうか?」

 「……いい……」

 クラクラしているのか頭を押さえながらグラスを取ったクリプトに、結局完全にはグラスを渡さず少し支えながら水を飲ませてやる。
 そうしてクリプトが中の水を半分程度飲んだのを確認して皿の置いてあるテーブルにグラスを置く。
 ほぅ、と一息ついたクリプトは飲んでいる途中で暑くなったのかカーディガンを脱いでおり、ポロシャツの首元をいつもよりも開けていた。
 俺も帰ってきた時点で料理をするからとジャケットは脱いでワイシャツは袖まくりをしている。
 それでもまぁまぁ飲んだせいなのか、暑さを感じる。断じてクリプトのいつもよりも赤らんだ肌を見たからなどではない、筈だ。
 いつもならここで写真の一枚でも撮って後からおっさんをからかうのだが、今日のふわふわしているクリプトは写真といえども残すのは可哀想に思えたし、何よりも写真なんか撮ったら何かある度に見てしまいそうだった。

 しかし目を伏せ、黙っているクリプトを見ているといつものようにちょっとしたイタズラ心がわき上がってくる。向こうも酔っているし、こちらもシラフじゃない。
 どうせ起きたら覚えてないだろうと少しだけ距離をつめ、その後ろが刈り上げられた黒髪に手を伸ばしてみる。
 俺の髪とは違って1本1本が細い髪質は指先に絡むこと無くサラサラと滑り落ちていく。
 そのまま指を動かし、大したケアもしてないだろうに肌荒れの一つもしていないスベスベした頬を撫でる。
 金属製のデバイスとの継ぎ目はほぼ無いように作られてはいるが、熱くなっている体温との差はハッキリとしていた。

 「……お前……」

 「!! いや、これはお前が寝てるから起こしてやろうと思ってなぁ!!」

 「……そうやって触るの好きなのか……いつもそれやるだろ……」

 「えっ」

 寝耳にミミズ……いや、そんな恐ろしい表現では無かった気がするが、とにかくその予想外の返答に間抜けな顔をしてしまう。
 そんな俺の顔を見て、ふは、と一度無邪気に笑ったクリプトは少し眠たそうにしながら言葉を紡ぐ。

 「お前が勘違いしてるみたいだから言わなかったが、ドローン操作時でも完全に感覚を向こうに預けてるわけじゃない」

 「視覚神経はおよそ9割程度のリソースを割いてるが、触覚は7割、嗅覚なんか必要じゃないから別になんの変化もない」

 「ドローンに完全に神経系統の情報を渡していると本体に何かあった際に素早い復帰が難しくなるからな」

 どこか楽しげに早口でドローンに関する講義が始まったのを黙って聞いていたが、俺はついに言いたかったセリフを呟いていた。

 「………つまり?」

 「つまり、お前が俺のドローン操作時にしてきた事はお見通しってわけだ。特に……お前がつけてる甘ったるい香水の匂いはすぐに分かる」

 グッと顔を近付けてきたクリプトが俺の鼻を指先で押したかと思うと、ニヤリと笑って俺の真似をする。

 「【騙されたな】……って事さ」

 そのまま、またソファーに倒れ込んで目を伏せたクリプトに、自分の肉体が嫌になるほど熱を帯びるのを感じて瞬間的に片手でもう片手をつまんだ。
 確かに痛みを感じるからどうやらこれは夢ではないらしい。
 それと同時に襲いかかりそうになる本能を止めるだけの理性も取り戻していた。

 酔ったクリプトの話をまとめると、俺が今までクリプトにしていたイタズラは完璧にバレていた。
 その上で、この男は拒否もしないまま放置していたという事だろう。
 ーーーーそれはすなわち、嫌ではなかったという事じゃないのか?

 この男はなんだかんだ嫌なことはキチンと嫌だと意見はする男だ。特に俺相手には厳しすぎるほどに色々言ってくる。
 じゃあこの状況はめったに無いチャンスなのかもしれない。
 酔ってる所をいきなり襲うなんて事はしないが、許可が得られるなら話は別だ。

 俺はソファーの上でくたりとしているクリプトにさらに距離をつめてほぼピッタリと隣に座ると、ソファーの背もたれ側から手を回しそのままクリプトの肩を引き寄せる。
 その動きに少し瞼を開いたクリプトは気にしていないのかこちらに顔を寄せてまた目を伏せた。
 肩を引き寄せた手を動かし、今度は耳部分に装着された金属デバイスとその境目に指をかけ、そこを撫で擦る。
 流石に耳周辺に触れられるのは気になるらしく、うっすらと目を開けたクリプトが囁く。

 「……耳裏を触るな、くすぐったい」

 「くすぐったいのか?」

 「そうだよ……」

 「ふーーん。じゃあこっちはどうだ」

 そのまま指を滑らせ、私服になってもそれだけは変わらずつけられたままの何重かになっているネックレスを通り、首付近に取り付けられたデバイスと鎖骨をなぞる。
 やわやわとある程度の力加減で撫で、そのままネックレスを指先で弄くる。多少はこれで意識してくれるかもしれないなんて悪い考えも浮かんでいた。

 「だから……くすぐったい……」

 「……クリプト」

 その手つきのお陰か、困ったようにこちらに顔を向けてきたクリプトの名を呼び、そのまま顎に手を当て顔を寄せる。
 だが、いくら酔っているとは言えまだある程度の理性があるのか、近付けた俺の唇を塞ぐようにクリプトの手が挟まってくる。
 なかなか良い雰囲気だったと思ったのだが、酔っていてもこういう場面ではキチンとしている男だ。

 「おい、なにしてる」

 眠そうな声ながらも僅かに意識がハッキリしてきている目をしたクリプトの手から唇を離すと、敢えて眉を下げ黙ってクリプトを見つめた。
 『お前は顔は悪くないのに話すとうるさい』と言われた事を思い出したからだった。
 そうして出来るだけ寂しげな声で呟いてみせる。

 「今日の俺は頑張ったよなぁ? チャンピオンも取ったし、インタビューだってミスらなかった」

 「……まぁ、それはそうかもな」

 「お前の好きなディナーも用意したし、酒の勝負だって勝ってる」

 「酒の強さ勝負はまだ決着ついてないぞ」

 「分かった、それはもういい。明日どうせお前が二日酔いで後悔するのは目に見えてるんだ、そんなお前を優しく介抱してやる俺ももう見えてる」

 ムッとした表情になったクリプトにあわててそう言う。
 ここでまた飲むなんて言われて体調不良にでもなられたらそれこそ大変な事になる。
 俺の言いたい事がよく分からなかったらしく、首を傾げたクリプトは俺の口を止めた片手を浮かせたまま疑問を投げ掛けてくる。

 「つまり……何が言いたい?」

 その核心をついたセリフに思わず喉が乾く。
 単純に酔ってるからだ、なんて言い訳が頭によぎるが、本当はそうじゃない事なんて自分が一番よく分かっていた。
 これはもっと先まで受け入れて貰えるかどうかを確認する事に対しての緊張からくる喉の渇きだ。
 俺は先ほどクリプトに飲ませたグラスにサッと手を伸ばすと、中に残っていた水を一気に飲み干しテーブルに置いてクリプトに向き直る。

 「つまり、その……ちょっとくらいご褒美が欲しいなと思うわけだよ。それくらい今日の俺は頑張ってた。いつも頑張ってないわけじゃないけど今日は特に頑張ったんだ」

 「ご褒美って言っても、渡せるもんなんかないぞ? 賞金ならもう主催から振り込まれてるだろ」

 「金なんかどうだっていい! いや、どうでも良くはないが……とにかく、10分だけで良いから俺のやる事を許して欲しい。勿論お前が本当に嫌ならその先はしない、絶対やめる」

 俺の必死さに驚いた風のクリプトは少し考えた後に浮かせていた手を下ろす。
 こちらの言いたい事が理解出来ているのか心配になったが、しばらく悩んでいる素振りを見せたクリプトが一度瞬きをした。
 そうして酔いのせいだけではないだろう目元の赤みを宿した瞳がこちらを見つめてくる。

 「…………10分だけだ。俺ももう眠い」

 「……ああ、分かってるよ」

 その言葉に鎖骨に触れていた手を動かして顎を上げさせると顔を近付ける。
 今度は拒否される事無く目を伏せたクリプトの薄い唇に唇を触れあわせると、嫌というほどに心臓が高鳴った。
 ティーンでもあるまいに、と自分でも思うが今まで気になっていた相手に触れられる権利を得ているというのは気分が良くならないわけがなかった。
 そのまま薄い唇を開かせるように舌で一度舐めてみると、横に居るクリプトの身体がビクリと震える。
 流石にそれは嫌だったかと離れようとする前にクリプトの舌先が俺の唇に触れ、目を開けると同じくうっすらと目を開けているクリプトと視線が絡んだ。
 それを合図にクリプトの唇に舌を入れ込み、熱く狭いその中を探る。

 「ふ、……ッ……ぅ……」

 アルコールの匂いがするそこをねぶり、奥に居る唇と同じく薄い舌を絡め深く口付ける。
 苦しいのか俺のワイシャツを掴んできた手を逆に掴み返すと、その手に指を絡ませ握った。
 人とキスするのが久しぶりな事もあったが、こんなにキスひとつで夢中になるなんて今まで無かった。
 そんなに経験豊富なわけではないが、全くゼロというわけでもないのにこんなにも心地よくなるのは初めてだ。
 どこまでも追いかけてその吐息ひとつでさえも奪ってやりたくなる。
 しかし段々と胸の中で苦しげにしているクリプトに気がつき一度離れなければと顔を離すと、くたりとしたクリプトが俺の身体にもたれ掛かってくる。

 「っは、……はぁ、……ふ……」

 「悪い、やり過ぎた……。つい夢中になっちまった……」

 「……ウィット……」

 「ん? 水飲むか? 持ってくるぞ?」

 「……いい……、まだ10分経っていない……」

 「うお……!」

 荒い息を洩らすクリプトにそう言うと繋いでいた手を引かれ、逆に今度はこちらが口付けられる。
 慣れていないのかそれでも全力でこちらに舌を絡ませてくるクリプトの眉は下がり、その目元にはうっすらと雫が滲んでいる。
 そんな光景を見ながら、クチュリという濡れた音がもうエンドロールになっていた映画の音よりも大きく耳に響いて、ゾクゾクとした痺れを背中に感じてしまう。
 このままじゃ10分なんてモンじゃ到底すまない、と俺は下腹部にはらむ熱を押し留めながらクリプトと重ねていた唇を離した。
 そうしてクリプトの口端に垂れた唾液を拭ってやると、頬に近づきキスを落としていく。
 黙ってされるがままになっているクリプトが不意に俺の首元に顔を寄せてきたかと思うと、クンクンと匂いを嗅いできた。
 シャワーを浴びた後にまた香水をふったから臭くはない筈だが、体温は確実にあがっており汗もかいているだろうから少し恥ずかしい。
 もはやネタにしてしまおうと苦笑しながらその髪を撫でてやる。

 「俺、汗くさいかもしれないからあんまり嗅ぐなよ」

 「……もうお前の匂いなんて嗅ぎ慣れてる。いまさらだろう」

 「あー……その、クリプちゃん。あんまり煽るような事言うのは無しにしようぜ、本当に。マジで結構我慢してるから」

 急にまた黙りこくって俺の首元から顔をあげたクリプトに、なんで俺はここまで美味そうに調理したのを食わないのか、と自分の中の本能と理性の狭間で葛藤する。
 けれど結局は深呼吸をしてその雑念を振り払った。
 チャンスは一度しか来ない……そんなことわざもある。だが、とにかく勿体ない事をしていると分かっていても好きな相手を酔った勢いのまま抱くのは嫌だった。
 今までずっと秘めてきた想いなのだ。だからこそ俺はクリプトの事を大切にしたい。
 それに抱き合って目が覚めた時にそんなつもりじゃなかったと思われるほど悲しい事は無いだろう。

 「さぁもう10分経った。ありがとな。……眠いんだろう? 今日は特別に俺の部屋のベッド使って良いぜ。ふかふかのマットレスだから寝心地抜群だぞ!」

 「お前はどこで寝るんだ」

 「俺はここの片付けもあるし、ソファーででも寝るさ」

 「…………良いのか、本当に」

 じっとりとした視線と問いかけに、会話の流れだけではない意味があるのは分かっていた。
 そんな風に言われたら俺の理性だってめちゃくちゃな悲鳴をあげたくなる。
 でも約束は約束だから、ともう一度だけクリプトの唇に触れるだけのキスをする。
 そうして間近でその瞳を見つめると自分にも言い聞かせるように静かに囁いた。

 「良いんだ。……お前が朝起きて忘れてなかったらその時はまた考えるから。だから今はこれだけで良い。最初の一回目は大事にしたいタイプなんだよ」

 「!……ッ……お前、バカだろ……」

 「へーへー、そうですね。……さぁ、分かったらさっさと寝ろよ、おっさん。それともベッドまで抱っこで連れてってやろうか?」

 「うるせぇよ、小僧」

 もう何度か俺の部屋に来ているクリプトはだいぶ酔いも醒めてきたのか、半分ふらつきながらも立ち上がり、真っすぐに寝室の方へと向かっていった。
 その後ろ姿が扉の向こうに消えるのを確認して、下りてきていた前髪を掻き上げ深い溜息を吐く。
 夢でも見ていたのかと思うくらいではあったが、相変わらず散らかったテーブルの上と、パンツの中でしっかりと勃ちあがった自分の下半身が現実だと物語っていた。
 あのままもっと煽られていたらこのソファーで本気でおっぱじめてしまいそうだったのをどうにか抑えきった自分に拍手喝采が起こっても可笑しくない。自分の紳士さに我ながら感心してしまうくらいだ。
 明日になってアイツがどういう反応をするかで状況は変わるだろうが、とりあえずキスまでいけただけ良かったとしよう。

 「……もう一回シャワー浴びるか」

 さっきまで大人しく俺の胸元に居たクリプトの姿を思い出し、もう一度深くため息を吐く。
 このままじゃいつまでも動けない上にここで処理する事になってしまう。
 面倒ではあるが、自分に喝を入れるように両手で頬を叩くと俺は勢いよくソファーから立ち上がり風呂場へと向かった。


-FIN-






戻る