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「なぁ、この重いのはどこに置けばいい?」
「それは機材類だから仕事部屋に置いて貰えると助かる」
「了解」
そう言って大きな段ボールを持ったミラージュがダイニングのドアを開けて荷物を運ぶ後ろ姿を見る。
ミラージュに一緒に住もうという提案をされてから約2ヶ月。
俺の答えを聞いた男の行動はこちらが思っていたよりもずっと迅速で、その提案が出てから1週間も経たずにこのアパートメントを見つけだした男に半ば押しきられるようにして、ここに住むことになった。
こちらの要望をキチンと理解していたらしいミラージュが見つけてきた完全オートロックのダイニングキッチンやバスルーム、ベッドルーム以外に2部屋あるこのアパートメントは【ゲーム】を行う時に集まる施設からもそこまで離れてはいない。
周辺は閑静な住宅街で、買い物をするためのストアも近くにあり、住みやすさで言えば一人で住んでいた前のアパートメントより遥かに良い立地だった。
条件や広さも申し分ないこの部屋の3D見取り図をデバイスのモニターに映し出して見せてきた男のどうだという自慢げな顔は、今でもはっきり思い返せるくらいの満面の笑顔であった。
その笑顔を見て、俺は何とも複雑な気持ちになったものの、そこまで一生懸命に探してくれたミラージュの手前、そういう気持ちを出す事は出来ずにただ黙って頷いた。
【ゲーム】や仕事の合間を縫ってでさえも、俺と一緒に住むための家を探してくれていた事に嬉しさを感じていたのも勿論あったからだ。
そのままあれよあれよという間にミラージュが引っ越しの日取りを決め、俺も俺で自身のアパートメントを引き払う事にした。
自宅兼隠れ家の一つとして使っていた部屋にはそこまで荷物を置いていなかった事もあり、引っ越し作業はそこまで苦では無かった。
それよりもミラージュが住んでいたアパートメントのごちゃついた作業部屋の中の物を整理して箱に詰める方が余程時間がかかり、最後はそちらに手を貸す日々が続いていたくらいだ。
そうして俺は周囲に置かれているそんな風に詰めた荷物の入った段ボールを見ながら、本当にこのままミラージュと住んでも良いのかという疑問が頭をもたげてくる。
けしてミラージュが嫌いであるとか、そういう話ではない。
むしろその逆で、好きだからこそまだ秘密を話していない上に、共に住むことでミラージュに"奴ら"の危害が加えられないかの方が不安だった。
俺の秘密に関していつか話をしなければならないのは分かっている。分かっているが、その事でミラージュに離れていかれるのが怖かった。
冤罪だとは言え、殺人犯として指名手配されている事を知れば、もしかしたら男は俺を恐れて居なくなってしまうかもしれない。
もしも居なくならないとしても、重要機密を知っている所為で常に命の危険を抱えている相手と一緒に住むなど正気の沙汰ではない。
こんな事を今更になって考え込むくらいならば、最初から断るか途中でやはり止めようと言えば良かったのだ。
でもそれは、どうしても出来なかった。
あの4日間という短い期間ながら、男と暮らした日々は自分でも驚くくらいに安心した生活を送れていた。
家に帰ればミラージュが待っていて、うるさいくらいに俺の【ゲーム】での活躍を褒めるのを聞きながら夕食を取る時も、手の動かせない男の体を洗ってやる時も、そうしてガッシリとした胸に抱かれて狭いベッドの上で二人眠る時も、それら全てが心地よかった。
自宅で一人住んでいた時は、どれだけセキュリティーを重ねていても不意に訪れる不安に押し潰されそうになる日が多かった。
どれだけ万全を期していて、"奴ら"が来たとしても戦える自信があったとしても、それでも一人眠る夜は恐ろしくなる時がある。
独りは怖くて恐ろしい。それは今までの人生の中で嫌という程に身に染みていた。
そんな俺に投げ渡された男の言葉は何よりも温かく、例えずっと傍に居る事が出来なかったとしても、それでも構わないから今だけでもと思ってしまった。
一度手にしてしまえば、失う時に後悔するのは分かっているというのに。
「あれ、クリプちゃん、サボってるな? しばらくオフが無いから、今日中に色々やらないとって言ったのはクリプちゃんだぜ」
丁度こちらに戻ってきたミラージュが段ボールの前で座り込んだまま動いていない俺を見つけたらしく、陽気な声が上から降って来る。
俺はそんなミラージュを見る事が出来なくて、小さく唇を動かした。
「……俺で良かったのか?」
「ん?」
「一緒に住むの」
ぽつりと落とした言葉に、自分でも本当にコイツと一緒に俺は住んでも良い存在なのかと思う。
あれだけ愛を囁き合っているのに、それでもまだ言えない事がある俺は情けない程に臆病者だった。
そんな俺の横に立っていた男の影がそっと動いてこちらの目の前に来たかと思うと、フローリングの床に男が座ったのが見える。
そうして節ばって乾いた指が頬を撫でた感覚に顔を上げる。
ヘーゼルの瞳は優しい光だけを灯して俺を見つめていた。
「どうして、そんな事言うんだ?」
「……俺は、……まだ……お前に話せていない事がある」
「……うん」
「それなのにお前の……、お前と一緒にいていいのかと思って。だから……」
もういっその事、ここで全て話してしまおうか。けれどまだ本当はその覚悟が決まりきっていない。
さらに口を開こうとした俺の唇に不意にミラージュの指が当てられて、男が小さく首を横に振った。
「俺はさ、クリプト。お前が何かを秘密にしているのなんかとっくに分かってるんだよ」
押さえられた唇は自然と閉じられて沈黙だけを返す。
「お前の事を全部知りたいから、教えて欲しいとずっとそう思ってる。どんな話だって、聞きたい」
「でも、今、俺に悪いから言わないとっていう……ざ、……罪悪感? で言われる話なら俺は聞きたくない」
「お前が俺に話しても良いと思ったその時に、俺に教えて欲しい。それまで待てるくらいの度量はあるつもりだからよ」
そう言った男はパチリとウィンクをしてから、唇に当てていた指を離した。
「それに俺だってお前に言えてない秘密があるさ。でも一緒に住むからってすぐにこの場でぜーんぶ言えるかって話だろ? 無理だって、そんなのはさ」
「……あぁ……そう、かもな」
「でもお前の事を最高に可愛くて死ぬほど大好きな恋人だって思っているのは絶対だ。それだけは、どんな物にだって誓える。……お前は? そうじゃないの?」
真っ直ぐな視線が俺を射抜く。普段はお喋りで軽薄そうな雰囲気を漂わせている男のこういう視線が好きだった。
まるで【ゲーム】の時のような、絶対に獲物を逃がさないと決めた時の捕食者のような瞳。
優しくて陽気な道化師の姿だけではない、その奥にある強さと、さらにその奥に隠されている寂しさを嫌う子供のような姿。
どれも俺にとっては酷く好ましくて愛おしい存在だった。
「……お前の事が好きなのは本当だ。俺だって……誓える。……お前に誓って、ウィット、お前が世界で一番愛しいよ」
そっと笑って言った俺の顔にキスをした男はどうやら照れているようでその頬は熱い。
離れた先には満開の花のような笑顔を浮かべたミラージュが居て、俺までなんだか照れてしまう。
二人でいまさら、また告白しあって照れているなんて、なんともおかしな話だ。
「熱烈な愛の告白だな、最高だ。……今すぐ踊りたくなっちまう」
「……踊りたいならこの場所を片付けてからにしてくれ。お前のダンスは場所を取る」
「いいぜ。じゃあさっさと片付けちまおう。どっちが早く片付けられるか競争だ。それに……踊るならお前も一緒だ、クリプちゃん!」
そう言って立ち上がった男は薄手の派手な柄のTシャツから出ている腕をわざとらしくグルグルと回しながら、少し離れた場所にある大きめな段ボールの前に行くと閉じられていたテープを剥がしていく。
"競争"という言葉に俺も自分の目の前にある段ボールを開けて、その中身を取り出し始めた。
互いに負けず嫌いなのは、それこそ神に誓わなくとも分かりきっていた。
「はぁ? 俺は嫌だぞ」
「先に片付け終えた方が何でもいう事聞くって話にした。今、俺の中で」
「おい、それは俺が認めてない」
「この話を聞いた時点でお前も了承したって事になる。ダンスパーティーが嫌なら俺よりも早く片付けるんだな」
「……良いだろう。競争という言葉を持ち出した事、後悔するなよ」
俺達はまるで【ゲーム】の時にキル数を競い合うようにその後は黙ったままひたすら部屋の片付けに奔走した。
□ □ □
ガサリと揺れるビニール製の買い物袋を片手に持った俺達は、まだ見慣れない道を歩む。
あれから片付けに熱中した俺達はあっという間に部屋の殆どの片付けを終えて、心地良い疲れと共に腹が減っている事に気が付き、買い物に出かけた。
あんなに明るかった空はもう夜になっており、街灯の明かりが等間隔に周囲を照らしている。
年中暑さの残る気候のソラスでは、夜が深まっていても温度は生温い。
そんな中を男と二人で歩くのは悪くない気分だった。
温かな気温の中、隣を歩くミラージュが小さな星々の瞬く空を見上げながら声を発する。
「明日また【ゲーム】かぁ。誰と一緒の部隊になるんだろうな」
「さぁな。完全にランダムだから俺も予測が付きにくい。……昨日、お前は誰とだった?」
「俺は久しぶりにパスとワッツだった。……ってか、クリプちゃん、俺の名前間違えて呼んだんだって? ワッツから聞いたぞ」
ニヤニヤと笑ってそう言った男に、すっかり忘れていた事を蒸し返されて恥ずかしくなる。
かなり前の事だったのにどうして今になってその話になったのだろう。ナタリーも良く覚えていたものだ。
そんな疑問を抱えつつ横に居る男を睨み付けると、男は何故か照れたような顔をしていた。
「……なんでお前が照れてるんだ」
「え、いやー……それがさ、俺もやっちまったんだよ」
「? どういう事だ」
ミラージュの言葉の意味が分からずにそう問いかけると、空いた片手で頭を掻いた男が話し出す。
「昨日の試合でパスが俺に医療キットを分けてくれたんだ。んで、思わず『クリプちゃんありがとな!』って大声で言っちまってよぉ」
「それを聞いたワッツがもう、大笑いしちまって。パスはまぁ、いつも通りに『僕はクリプトじゃないよ! 酷いよエリオット!』なんて怒って言ってたが」
そんな話を聞いて、俺は明日絶対にナタリーとパスファインダーにこの話をされるだろうなと思う。
他のメンバーにももしかしたら知られているかもしれない。
せめて明日はそういう事を弄ってこないメンバーと一緒の部隊になる事を心から願ってしまった。
その願った事をそのまま唇に乗せる。
「……俺は明日、初めて心の底から話さなくて良いメンバーと一緒になる事を願っている」
「そう言うなって! 多少からかわれても、それはそれで面白くっていいじゃないか」
カラカラと笑った男が不意にこちらの手に空いた手を絡ませてくる。
その絡んだ指先に思わずビクリと体を震わせると、横に居るミラージュは楽しそうに笑っているのが見えた。
周囲に人が居ないのを分かっていて手を繋いできたのだろう。
俺は、はぁ、とわざとらしくため息を吐いてから言葉を返した。
「お前は良いかもしれないが、俺はそういうキャラじゃないんだ」
「なんだよ、俺様だってそんなキャラじゃねぇよ。完全無敵なミラージュ様なんだから」
「自分でそういう事を言う奴は大した事が無いと相場が決まっている」
「はぁー? お前、明日俺と違う部隊になったら覚えてろよ」
「それはこっちのセリフだ」
そんな言葉の応酬の合間にも繋がれた手は離れる事無く、強く絡む。
トクトクと血液の流れが皮膚を伝ってこちらに届き、そうして同じように向こうにも伝わっているのだろう。
幸福、というには余りにもささやかな感覚はそれでも俺の胸を温かくするには十分だった。
そうして次第に歩いていくと、俺達が越したアパートメントの姿が見えてくる。
他のアパートメントと比べると少しばかり大きなその建物の周りには未だに人影は無い。
もうこの時間だと流石に人々は皆、部屋に戻ってしまっているようだった。
俺はまだこの手を繋いでいられる時間が伸びた事に嬉しさを感じているのを誤魔化すようにさらに言葉を続ける。
「そもそも俺が今日は勝ったんだから、明日の結果も見えているようなものだろう」
「それはお前の荷物が少ないからだろ! 良い男はその身を飾る洋服もたくさん必要なんだよ」
「洋服どうこうよりも、全体的にガラクタが多いんだ。あのアホみたいな数の銅像や写真類をもっと処分しろよ」
「最高に可愛くてイカしてるウィット像をガラクタって言うのは止めろよ! それに引っ越す前に泣く泣くいくつか処分したのをお前だって見てただろ……」
アパートメントの玄関ロビーに設置された顔認証で解除されるオートロックが開き、ロックを解除された金属製のドアをくぐり抜け、その先にあるエレベーターのボタンを押しながら男がそう言う。
結局、どちらが早く片付けられるかどうかという競争は俺の勝利で終わった。
まだまだパソコンの配線のブラッシュアップなどは済んでいないが、それでも元から持ち込んだ荷物が少なかった事もあり、仕事部屋は殆ど前と変わらないくらいに片付き終わったのだ。
ダイニングの方は派手さを求める男とシンプルさを求める俺とでインテリアの趣味が違ったのだが、それらの中間を取った物を新しく購入したり、互いに住んでいた前の部屋から持ち込んだりしたので、そちらの方も大体生活出来るくらいには整えられた。
そうしてこちらが仕事部屋とダイニングを片付けている間、この男は自分の作業部屋として使用する予定の部屋の片付けすら終わっていなかったのだから、完全に俺の方が今回の勝利者と言ってもいいだろう。
まだ何を命令するかは決めていないが、どうせなら明日、とびきり美味い物でも作って貰おうと考えていた。
そんな中、エレベーターが微かな音を立てて到着し、二人でその箱に乗り込む。
セキュリティーの関係でなるべくなら高層階に住みたいと言った俺の言葉通り、このアパートメントの最上階の部屋を借りたので中に乗り込んだ途端、グングンと上に進むエレベーターの中でミラージュは不意に慌てたような声を上げた。
「あ、やべぇ!! トリートメント切らしてたの今思い出した……やっちまった……どうしようかな」
「また買いに戻るつもりか? どうせ一日だけなんだから、水でも入れて薄めて使えよ」
「お前、……それは分かってないなぁ」
「何故だ? どうせつけた後にすぐ流すんだから一緒だろ」
「んん、まぁ、……そう言われればそうか? ……明日買えばいいか。俺が忘れてたら言ってくれよ、クリプちゃん」
「知るか。どこかにメモでもしておけ」
そう言いながらも、どうせこの男は忘れるんだろうな、と明日の【ゲーム】後にそれを伝えてやるのを忘れないように頭の片隅に覚えておく。
それに、今までだったら覚えておく必要のない事もこうして覚えておいて欲しいと頼られるのは、悪くない。
明日も明後日も、この先もミラージュと一緒に生活を共にしていくというのを感じられるからだ。
エレベーターが最上階に止まり、到着を知らせる鐘の音がする。
それと同時に開かれたエレベーターのドアをくぐり抜け、この階の一番奥に位置している部屋に向かう。そこが俺達の新居だ。
二人分の足音が響くコンクリート製の廊下を進んで先ほどまで片付けをしていた部屋の前に立つと、繋がれていた手を離して履いていたデニムのポケットの中に手を入れたミラージュがカードタイプのキーを差し入れてドアを開けた。
顎を動かして先に入る様に促されたので、そこそこの広さのある玄関に入ると背後で同じように中に入ったミラージュがドアを閉めて鍵をかける音がする。
「クリプト」
そうして靴を脱ごうと屈んだ俺に向かって、ミラージュの声が飛んできたので屈むのを止めて後ろを振り返る。
「おかえり」
そこにはそう言って本当に嬉しそうな顔をしている男が居て、俺は何故か、目が潤みそうになるのを抑え込んだ。
その代わりに、唇に笑みを浮かべながら挨拶を返す。
「あぁ……ただいま。ミラージュ」
今日からはこの部屋が、俺達の帰る場所だ。愛しい男と二人で住む、俺達だけの幸せを集めた家。
きっと楽しい事ばかりでは無いだろうし、たくさん喧嘩だってするのだろう。
まだ話せていない秘密だってあるし、俺たちはずっと一緒に居られる保証の方が少ない。
けれど、いつか離れてしまうとしても、こうしてミラージュと馬鹿みたいなやり取りの後に『おかえり』と『ただいま』を言い合えるのなら、俺はそれだけで良かった。
この家での優しくて甘い幸福な生活は今日、始まったばかりなのだから。
-FIN-
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