Love Me Tender



 沈み込んだ意識が柔らかな光に引き上げられるように浮上する。
 ピタリと閉じられていた瞼を薄く開けたクリプトは、自身の顔に当たる光がどこから射してくるのかを確認する為に寝惚け眼のまま周囲を見回した。
 どうやらベッドルームの大きく取られた窓を塞いでいる筈のカーテンが完全には閉まりきっておらず、その隙間から光が入ってきているらしい。
 昨日、カーテンを閉めたのは自分だったような気もすると思いながら、まだ早朝にすらなりきれていない空を覗かせている窓から視線を外した。
 柔らかな質感のシーツに沈めた肉体はそれだけで微かに軋むような感覚を知る。

 今日は【ゲーム】に使用する拘束変形リング装置及びアリーナ全体の点検日で、シーズン中ではあるものの久々のオフだった。
 だからまだ眠っていても何の問題もないと、立ち上がってカーテンを閉めるのが億劫になったクリプトは頭を乗せていた枕の上でその光を嫌うように体を動かし、反対側に寝返りをうつ。
 そんな小さな身動ぎ一つではあったが、マットレスのスプリングが荷重箇所の移動によってキシリと小さな音を立て、静かな部屋に響いた。

 まだ、視界がぼんやりとしていてうまく焦点が合わない。
 そんな視界の中、クリプトが顔を向けた先には同じように枕に頭を乗せた状態で、すぅすぅと微かな寝息を洩らして眠っているクリプトと共に暮らしているミラージュの姿があった。
 うっすらとした光の射す部屋の中で、クリプトはそんなミラージュの寝顔をぼんやりとした瞳で映す。

 傷跡の残る太い眉に、彫の深い目元はまるで絹糸を束ねて貼りつけたのではないのかと思うくらいの長い睫毛が伏せられて頬に影を落としている。
 スッと筋の通った鼻と、手入れを施されたヒゲに囲まれた先にある唇は肉厚ながらも下品さは無く、顔全体のバランスをうまい具合に保っていた。
 ――――相変わらず、嫌味な程に整った顔立ちだ、とクリプトはそんな事を考える。
 普段は喧しいくらいに言葉を話す唇が閉じられていると、その顔の良さは一層際立つ。
 そうして普段は自分よりも早く目を覚まして朝食を作ってくれるミラージュのそんな寝顔をクリプトは珍しく見るので、思わずマジマジと見てしまったのだった。

 昨日はオフにかこつけて二人で急ぎ帰宅した後、互いの体液でドロドロになる程に肉体を繋ぎ合わせた。
 ミラージュの興奮から荒くなる吐息と、自分のいつもはけして出ないような高い嬌声。
 汗で滑る絡んだ指先から伝わる熱に、舌を絡ませ分け合う唾液は甘く滴り混ざり合う。
 そうして広い背に刻んだ爪痕の数は、きっとこちらの身体にミラージュが刻んだ鬱血痕と等しくハッキリと残っている筈だった。
 熱に浮かされたように愛していると囁いては、心臓の皮膜を突き破りそうな程の脈動を押さえ付ける。

 そんなやり取りの結果、自分の肉体が立ち上がるのすら面倒になるくらいの疲労を覚えたとしても、それ以上に得られるモノは大きい。
 昨日というよりも、まだ数時間も経っていないそんな行為の残滓を思い出して勝手に熱された息をクリプトはゆるゆると吐き出した。
 30も過ぎてミラージュがあれだけ盛れるのも驚きではあったが、自分も人の事は言えないらしいと小さく苦笑する。
 ミラージュの寝顔を見てこんな風に思うなんて、相当自分もこの男に思考を奪われている。

 愛しくて仕方のない恋人であるミラージュに片手を伸ばしたクリプトは、その頬をそっと指の表面で撫で擦る。
 浅黒く小さな古傷がいくつか残った肌はクリプトの指先よりも高い体温を有しているのか、ほんのりと温かい。
 起こす気は無いが、触れずにいられないくらいには、目の前のミラージュが魅力的な存在としてクリプトの目に映ったからだった。

 スルリと指を滑らせ、顎から耳脇にまで生え揃っているヒゲに触れるとチクチクとした固い感触が指の腹に伝わる。
 けして無造作に伸ばされているわけでは無いその顎ヒゲは、キスの度に顎下に取り付けた金属デバイスと境目の皮膚に触れては独特な刺激をもたらす。
 その度に今、キスをしている相手がミラージュなのだと分かる感覚は嫌いでは無い。
 そのままヒゲより手を滑らせて厚みのある唇に指を這わせる。
 ふにふにとした柔らかな感触とミラージュの微かな寝息が指先にかかる感覚は心地良く、もっとと求める心のまま、さらにその唇の上に乗せた指を動かした。

 「……ん……」

 流石にその感覚に声を上げたミラージュの閉じられていた睫毛が震え、緩やかに開かれた瞼の奥からヘーゼルカラーの瞳が現れる。
 色素の薄い瞳が微かな光を吸収し、透明感のある虹彩がキラキラと淡く輝く様を眺めた。
 何度かの瞬きの後、虚ろな目をしたミラージュの焦点が徐々にクリプトの顔へと合っていく。
 そうしてクリプトが触れていた唇が弧を描いて、柔らかな笑みを浮かばせたかと思うと掠れた声でミラージュが囁いた。

 「おはよ……クリプちゃん」

 「おはよう」

 バリトンとテノールの中間に近い声が耳を擽る感覚に、同じように挨拶を返すとクリプトの指先にキスをしたミラージュは、窓から差し込む光の量がまだ明け方前である事を察したのか笑みを浮かべたままさらに声を上げた。

 「……ってまだ早いな……俺よりクリプちゃんのが早起きなんて珍しい事もあるもんだ」

 「……たまにはそういう事もある」

 「そんな"たまに"なんて滅多に無いだろ」

 「うるさいな」

 フフ、と笑ったミラージュの高い鼻を指でつまんだクリプトに対して、ミラージュは軽く頭を振って鼻を押さえ込んでくる指先から逃れると、逆にその腰に手を回したミラージュがクリプトを強く抱き寄せる。
 その勢いで半ば胸元に顔を押し付けるようになったクリプトの、うぐ、という呻き声が喉奥から洩れ出た。

 「やめろ、苦しい」

 その声に含み笑いをしたミラージュの胸元を軽く叩いてから顔を上げたクリプトがそう批難する。
 しかし、止めろという言葉の強さとは異なり、クリプトの唇にもまた、笑みが浮かんでいた。
 そのままミラージュの脚がクリプトの脚を絡め取り、白いシーツとずり落ちかけた掛け布団の波間の中でさらに強く身体を触れ合わせる。
 寒くなりすぎない程度に冷房が効いたベッドルームという事もあったが、ミラージュは上半身は何も身に着けておらず下は薄手のスウェット、クリプトはTシャツにハーフパンツというスタイルだった。
 だからこそ余計に互いの皮膚が触れ合う感覚がダイレクトに伝わってくる。

 こんな風にベッドの上で熱を分け与えるように抱きしめ合うのがクリプトは好きだった。
 セックスのように激しい炎を燃やすような触れ合いだけではない、ただただとろ火で煮込むような、もどかしくも甘ったるい交流。
 そんな触れ合いの間にも、ミラージュは絶えずクリプトの顔に軽いリップ音を立てながらキスを落としていく。
 先ほどまで指で触れていたヒゲがさりさりと鼻先や頬、瞼の上を通り過ぎていくのを感じ取りながら、そのキスに合わせてクリプトは昨日自分が縋りついた背中に手を伸ばしミラージュの筋肉の凹凸を辿る。
 昨夜は暗かった事もあって確認出来ていないが、爪を立ててしまった場所を労わるように撫でるとキスを落としているミラージュが嬉しそうに目を細めたのが分かった。

 「……ん……」

 「……かーわいいな」

 「……なに言ってるんだ。小僧」

 「ホント、ホント……マジな話だって……ここだけの話。……最高に可愛い奴が、ここに居るんだ……」

 金属デバイスの取り付けられた耳に吹き込むように顔を近づけたミラージュが、まるで秘め事を伝えるように甘く囁く。
 オーブンから取り出したばかりの粉砂糖をまぶしたサクサクとした舌触りの良い焼き菓子か、それともハチミツとバターをたっぷりと含ませたふんわりとしたパンケーキか。
 どちらにしてもミラージュが作ってくれる様々な極上の菓子に近いその声音が自分の肌や耳の奥に落とされる度、ただその囁きにだけ身を預けたくなる。
 この世界は、こんなにも優しくて甘いあまい、世界だっただろうか。
 復讐を遂行する為に作り出されたキム・ヒョンという存在でも、【APEX】という血に染まったゲームで戦いに明け暮れるクリプトでもない。
 パク・テジュンとして、ただ一人の人間として愛されている。そんな気持ちになれる。

 「…………ウィット」

 「……なに、クリプちゃん」

 ミラージュでは無く、ウィットと呼びかける。そこに深い意味は無い。
 けれどそう呼びかけたくなった。ただそれだけ。
 そうしてその声に満面の笑みを受かべたミラージュの唇に唇を落とす。
 ふわりと触れ合う乾いた粘膜が離れていくのと同時にそれを追うようにミラージュがまた、キスをしてくる。
 あぁ、これはマズイ、と思う前にミラージュの目がイタズラめいた色を宿したかと思うと絡ませていた脚を外したミラージュがクリプトの上に覆いかぶさった。

 「……誘ってる?」

 「昨日、さんざん食らい尽くしただろ。……もう渡せるモノなんてないぞ」

 「それでも欲しいって言ったら、……くれるんだろ、おっさんは」

 「……あぁ……もう、……好きにしてくれ。……報酬は美味い朝食で許してやるよ」

 昨夜ぐずぐずにされた体の奥がじわりとした熱を帯びる。
 求められるのは気持ちが良い。そんな単純な話を、事を、この肉体は嫌という程に刻まれてしまった。
 今日はオフだから、こんな早朝から、うだるような熱さに二人溺れてしまっても誰にも迷惑はかけない。

 「……っぁ、……」

 「美味い飯なんかいくらだって作ってやってるだろ。いまさらそんなので良いの?」

 「……は、……ぁ、……じゃあリクエストでもしてやろうか……」

 こちらの言葉にうっすらと笑みを浮かべたミラージュが、Tシャツの下に潜む未だ痕の残る肌に舌を這わせる。
 ぬめった舌先の辿る線は目には映らずとも、温い感覚を伝えてはクリプトの背中に微かな痺れを走らせた。
 早朝の爽やかな空気が段々と加熱されて、宵闇の中に残してきた筈の生温い空気が戻って来る。
 冷房から届く涼しい風に当てられている肌と、ミラージュが触れる肌の温度差に皮膚が鳥肌を立てるのを収めるようにミラージュの髪に指を絡ませた。
 キスがしたい、と目線だけで訴えかけると顔を上げたミラージュの唇がクリプトの唇を塞ぐ。
 歯列をなぞり、舌先だけで互いにつつき合う。ジュル、と啜られた唾液の糸が合間にかかるのを見ながらそれを舌で切り取ったミラージュが笑った。

 「本日のクリプちゃんのご要望は? ……何なりと、お申し付け下さい」

 そう言ってかしこまった様子でウィンクをしたミラージュは嫌味な程にキマっていた。
 悩む素振りを見せながら、頭の中にミラージュが今まで作ってくれたメニューの数々が回っていく。
 本当はなんだって良かった。それはコイツの作ってくれる料理に気に入らない物など一つも無かったから。
 けれどどうせなら今日は。

 「……オムレツ……ふわふわのやつが食べたい」

 「いいぜ。……折角だしバルコニーで食べようか。うん、それはいい」

 「それは、確かに、いいかもな。……ん、ッ……」

 クリプトのリクエストを聞いたミラージュは自分でした提案に自分で頷くと、答えを返したクリプトの唇を塞いだ。
 二人が暮らしているこのアパートメントには比較的広いルーフバルコニーがついており、暑さが厳しくない日には時折ミラージュとクリプトはその場所で食事を摂る時があった。
 高い場所から世界を見下ろしながら摂る食事は、余り外食を好まないクリプトにとってはいい気分転換になる。

 「ん、……ぁ……」

 「……は……ぁ、……昨日のまだいっぱい残ってるな」

 離れた唇が名残惜しい。けれどそれを分かっていてその唇が離れていく。
 ミラージュの両手がクリプトの肌の上を撫でてはその輪郭を確かめるようにしながら、捲り上げていたTシャツを脱がしていく。
 それを両手を挙げて受け入れたクリプトから脱がしたTシャツをベッドの横に落としたミラージュは、そう言ってうっそりと笑った。
 言われるがままに自分の肉体に目を向けたクリプトは、その言葉の通りに散らされた赤い痕跡に視線を向ける。
 己の肉体に刻まれた、所有の刻印。数えきれないほどのその証は全てミラージュによってつけられたものだ。
 忘れられる筈がない。だってそれは本当にたった数時間前の出来事で、それを刻み付けた男は目の前でクリプトを愛おしげに見つめている。
 ――――腹の奥深くが疼いて仕方がない。
 この男の暴れ猛る欲で渇いた内壁を満たされるのを望んでいる。空いた器を全て満たして欲しいというどろりとした欲求が溢れ落ちる。
 中と同じく渇いた喉が、深い吐息まじりに呼吸を震わせ目の前の男の名を形作った。

 「ミラー、ジュ……」

 「……物欲しげな顔されるの、嫌いじゃないぜ。むしろ最高だ……なぁ、クリプト」

 「……は……随分と……余裕ぶってるじゃないか……」

 「余裕? ……そんなモン、ねぇよ。知ってるクセに」

 サラリと返された言葉にミラージュの下腹部に視線を向ける。
 確かにスウェットのボトムスを持ち上げているその場所を笑ってやると、ミラージュはサイドチェストに手を伸ばしてローションのボトルを掴み取った。
 その中身を取り出す前に、ミラージュはクリプトの履いていたハーフパンツと下着を慣れた手つきで取り去ると、トロリとしたローションを掌に伸ばして体温で温めるように揉み込んでいく。
 ねばついたローションで身体が冷えてしまわないように、という心遣いで行われるその行為を見届けてから、ミラージュの指先が普段よりもほぐれたアヌスに入り込む感覚にクリプトが身を捩って堪える。
 セックス前の肉体を作り替えられて、開かれていくこの作業は初めは恥ずかしくてしょうがなかった。
 男としてのプライドがホロホロと崩れていくような、そんな気がしていたからだ。
 けれど今はそうは思わない。

 愛という目に見えない不確かなモノを伝え合う、同性間では実るモノも何もない、ただの確認行為。
 雄としての自尊心というちっぽけなプライドよりも、この体をミラージュが懸命に求めている。それがどれほど、この心を満たすかを知ってしまった。
 誰も信じたりなどしない。大切な存在などもう二度と、作る気も無い。
 そう思い続けた脳内をミラージュという人間に作り替えられ、その為に開かれた体が同じように与えられた快楽に喘ぐ。
 脳漿と肉体。それら二つを同時に極限まで満たされてしまえば、それ以外の事柄なんて考えられなくなってしまう。
 人間は弱い生き物だから、失うのが分かっていてもなお、幸せな時間を拒む事は出来ない。
 こんな所で回り道をしている場合ではないのは嫌という程に分かっているのに、それでも、それでも俺は、この幸福を手放せない。

 「……ヒョン、……もう挿れる……」

 「……ん……」

 内壁をかき混ぜられ、ぬかるみに入れられていた指が引き抜かれる。
 もう充分に受け入れる準備の整っている場所に、ボトムスと下着をずらして素早くスキンを装着したミラージュのペニスが押し入ってくるのを知覚して息を詰めた。

 「あ……っぁ、……は……」

 「……きもちい……」

 確かに腹の奥にミラージュの欲が埋められる感覚が伝わり、その形を読み取るように内部が蠢く。
 何度受け入れても大きさに驚くばかりではあるが、今日はまだ眠って少し体力が戻っているからか昨夜に最後した時よりは余裕が残されている。
 そろりと手を伸ばしてヒゲの生えた顔を先ほどと同じように撫で擦ると、緩やかに目を伏せたミラージュが獣のようにその掌に顔をすり寄せた。
 この男の全ては俺のモノだ。
 美しい顔も、逞しい肉体も、そうしてお人よしと言われるくらいの優しさと、その奥にある強さも、……子供じみた精神すら。
 全部、自分の腕の中に届く範囲に居て、惜しみなくそれを捧げられる。なんて贅沢な時間だろう。

 「……エリオット……」

 「……ん……、……もう動く……?」

 「まだ……もう少しこのままで……」

 「……あぁ……」

 自分の掌に顔を擦り付けた可愛らしい男の名を呼ぶと、目を開けたミラージュがそう問いかけてくる。
 昨日のような激しい行為も悪くはないけれど、今は互いの体が溶けてしまいそうな微睡みに近い感覚を堪能したかった。
 それはミラージュも同じだったようで、繋がれた箇所を意識しながらもキスを重ね、指先で相手の肉体の細部をあやすように触れる。
 体毛の生えた胸板と、普段は服で隠された鎖骨、太い首に浮き上がった喉仏を通り過ぎて、またヒゲの生えた顔を擦る。
 窓から射し込む光が段々と明るさを増やしてきているのを感じながら、同じようにクリプトの体の造形を確認するようにミラージュは乾いた広い掌でくまなく触れていく。
 繋がれたままの身体がそれだけでビクリと震え、淫猥な行為の中に潜む健全な触れ合いが逆に背徳感を促進する。
 まさに今自分の体を抱いているのがミラージュであり、受け入れているのがクリプトなのだと互いに確かめ合う。
 それを認識した途端、クリプトの中がキュウと締まってミラージュのペニスを柔く揉む。

 「……あ……っぅ、……ん……」

 「……なぁに、……ヒョン……動いて欲しくなった?」

 「も、……動いて……良い……」

 「りょーかい」

 クスリと笑ったミラージュはとろけ始めているクリプトの瞼に一度唇で触れると、腰を掴んでピストンを開始する。
 激しさは無くとも奥を穿つ動きに、ひくりとクリプトの喉が動いて声を上げる。
 綺麗な弧を描くようにしなった背と、足先がそのピストンによって描く波紋はすでに乱れたシーツをさらに掻き乱した。

 「っぁ、あ……あ!……うー……」

 「……は……っぁ……」

 「……みらー……じゅ……ぁ、あ、は……!」

 「ん、……クリプちゃん……、……ゆっくりなのも、好きだもんな」

 一定のリズムで中を擦られる動作に、クリプトのペニスがとろついた先走りを零してはそこを伝っていく。
 あんなに昨日出したのにこれでは際限を知らないティーンのようだと、今まで淡白だと思っていたクリプトは自分自身の変化に驚いてしまう。
 ミラージュとするセックスは、頭から爪先までバカになってしまうのではないかと思うくらいに最高に相性がいい。
 戦闘スタイルも性格も何もかも真逆だと思っているのに、肌の触れ合いをする時は全身が吸い付くように求めてしまう。
 結局のところ、その真逆さが良いのかもしれなかった。

 「っ……ん、う……っは、……あ!」

 「このまま……イけそ……?」

 先走りで濡れたペニスに触れたミラージュが確認するようにそこを扱く。
 緩やかなピストンと前への刺激に、頷きながらミラージュの腕を掴む指先に力を込める。
 追い立てるような動きに切り替わったのを理解しながら、クリプトはミラージュの目に映った自分自身の余裕のない顔を見つめた。

 「っ、……も……ダメ、っぁ……あッ……あー……!」

 「……っは、ぁ……あ……」

 薄くなった精液が押し出されるようにミラージュの掌に吐き出され、腹の中でスキン越しにミラージュがその熱を発散する。
 何度吐き出されても腹の中で出される感覚は脊髄を通りクリプトの足先を縮めさせた。
 緩やかに駆け上がるような絶頂に、はくはくと魚めいた動作で唇を開いて呼吸をするクリプトの中から萎えたペニスを引き抜いたミラージュは、手早くサイドチェストの横にあるティッシュを使ってスキンを処理してから自身の手、そうしてクリプトのローションでぬめったアヌスをクリプトが止める間も無くふき取ってからゴミ箱に拭ったティッシュを投げ入れ、ベッドに体を沈める。
 その間にTシャツと床に落ちたハーフパンツと下着を拾い上げたクリプトは、尻を撫でるミラージュの手を一度軽く叩いてからそれらを着なおし、同じようにベッドに身を横たえる。
 そのままクリプトの体を抱き寄せたミラージュは疲れたような声で囁いた。

 「はー……なんか、昨日からずっとヤッてる気がするなぁ」

 「……まぁ、実際シてるからな……」

 「確かに。……クリプちゃん、先にシャワー浴びる? 朝飯、ちょっと休憩してから作るつもりだからさ」

 「……まだいい……もう少し寝たい……」

 吐精後の倦怠感から目を瞬かせたクリプトは小さく欠伸を噛み殺し、そう呟く。
 元々オフの時は起きるのが遅いクリプトにしてみれば、この時間でも起床するにはまだまだ早すぎる時間だった。
 そうしてミラージュもその欠伸につられるように小さく欠伸をすると、既に眠そうな目をしたクリプトを見ながら囁く。

 「これじゃ朝食じゃなくて昼食になりそうだな……」

 「…………せっかくのオフなんだ、こういう日も良いだろう?」

 「お前、今日は他の仕事無いの」

 「無い。……どうせこうなると思っていたから」

 ふ、と笑ったクリプトの言葉に目を細めたミラージュは、ここまでクリプトが自分に慣れてくれるまでの日々の片鱗を思い出してしまった。
 とても自分を冷たい目つきで睨み付けてきていた男とは思えないくらいの変わり様だ、とひっそりと笑ってしまう。
 するとそんなミラージュの表情の変化に気が付いたらしいクリプトが全く恐ろしくない目で睨んでくるのを受け止めた。
 あんなに可愛い顔をさっきまで見せていたのに、いまさらそんな目で睨まれても怖くもなんともない。
 しかしすぐにその目を和らげたクリプトが腕の中でミラージュを見上げながら囁く。

 「お前は?……今日はパラダイスラウンジに顔を出すのか?」

 「……今回はオフが一日しか無いし、お前が居るから今日は端から行かないつもりだった、……って言ったら笑うか?」

 「ッハ……人の事言えないな、小僧」

 「うるせぇよ、おっさん。俺は、けい? け……けん……まぁ、いいじゃないか」

 クリプトが想像していたのと同じく、ミラージュも今日はクリプトと朝から晩まで一緒に過ごすつもりだった。
 お互いにシーズン中は【ゲーム】に支障を来たさないようにある程度はセーブしている。
 【レジェンド】としての仕事に誇りを持っているのもあったし、気を抜けばいくら【ゲーム】とは言え死んでしまう可能性だってゼロでは無い。
 だからこそ、出来る限り万全の状態で【ゲーム】に臨むというのが二人の中で暗黙のルールとなっていた。
 自分とのセックスの所為で相手が実力を発揮できないのは、よくキル数を競い合う事も多い二人にとっては面白くなくなってしまう、というのも理由の一つではあったが。
 あくまでも純粋な実力での競い合いが好きなのは、お互いに負けず嫌いだからだろう。
 ベッドの中やこの家の中では甘い関係であっても、【ゲーム】の中ではどこまでもライバルであり一番負けたくない相手。
 ライバルでもあり恋人でもある、そんな不思議な関係性を二人とも気に入っていた。

 「……とりあえず、俺はもうちょっと眠る……」

 「……ん……俺も寝ようかな……」

 そう言ってミラージュの胸元に顔を寄せたクリプトは瞼を伏せて寝る前の緩やかな呼吸に切り替えていく。
 そんなクリプトを苦しくならない程度に抱きしめたミラージュもまた、胸の中のぬくもりに安心感を覚えながら目を閉じていた。

 □ □ □

 「ほい、おまちどおさん」

 「ありがとう」

 結局、朝食というには遅すぎ、昼食というのには早すぎるブランチになった食事をミラージュは慣れた手つきでサーブしていく。
 クリプトのリクエスト通りのふわふわのオムレツに、アパートメントの近くにある質のいい小麦を使用しているブーランジェリーで購入したカンパーニュで挟んだ生ハムとレタス、ハチミツとナッツを混ぜ込んだクリームチーズとアクセントになるようにドライイチジクのスライス入りのサンドイッチ。
 卵とアボカドとトマトをさいの目にカットし、特製ソースで和えたカクテルサラダに、なめらかに裏ごしをしたポテトのポタージュ。

 どれもミラージュが丁寧に作った渾身の一品であり、それらが載っている白い皿も上空から射し込む穏やかな光によってその縁を輝かせる。
 いつもの朝食はそれぞれ忙しい事もあって、ここまで手をかけたりもなかなか出来ず、ミラージュとしては久々に満足度が高い物が出来た。
 そして、すでにルーフバルコニーに置かれたステンレス製のテーブルの前に置かれたチェアに大人しく座っていたクリプトにしてみれば、どれもこれもその見た目と香しい匂いによってすでに暴れ出しそうな腹の虫をさらに凶悪化させるには十分な威力を持っていた。
 もう早くかぶりつきたい、という目をしているクリプトにミラージュは苦笑しながらもミネラルウォーターのボトルと敢えて普段は余り使用しないカフェグラス、そうしてカトラリーをまとめたボックスを赤いクロスの敷かれたテーブルにセットする。

 いつもならクロスなんて物もこのテーブルには敷かないのだが、こうして食事をバルコニーで摂る時は軽いテーブルセッティングも行うのがミラージュの中でのルールだった。
 美味い食事はまず見た目から。それは飲食店を仕切っているミラージュにとっては当然の道理だったからだ。
 何よりも目の前に座るクリプトには出来るだけ食事の時間を楽しく感じてほしいとも思っていた。
 この男は食事などただ腹を満たす為だけの一日の中で最も無駄な時間だと考えていた節があり、いつもその不機嫌そうな顔をしかめたまま栄養補助食品であるゼリーやらをモニター前で吸っている姿が多かった。
 ミラージュが恋仲になる前からクリプトの食生活を心配してお節介を焼いてしまったのもそのためだ。

 「……美味い」

 けれど今はミラージュの作った、中がトロトロ半熟のオムレツを手に持ったフォークで切り分け口に運んだクリプトの唇には笑みが浮かんでいる。
 そうして、その笑顔を見るのが何よりも食事を作るミラージュにとっては幸せな時間だった。
 硬質な殻に閉じこもっていたクリプトの外殻をゆっくりと時間をかけて表層を削り取り、その奥に居たクリプトを手に入れ、自分の作った料理でクリプトの体を満たす。
 人間の細胞の生まれ変わるサイクルはおおよそ3ヶ月周期なのだという。そうして骨や骨髄という大きなモノを含めると全て入れ替わるのは大体6年。
 このまま共に暮らしていく内に、クリプトの肉体は次第にミラージュが作った料理によって構成された体に生まれ変わる。
 そんな一種の執着と言われてもいいくらいの感情を秘めている事を優しい笑みで隠したミラージュは、クリプトと同じように自身の作ったサンドイッチにかぶりつく。
 そうして生ハムの塩気と甘めのクリームチーズの中にドライイチジクのほのかな酸味がマッチしているそのサンドイッチを飲み込むと、ポタージュをスプーンで掬っているクリプトの少なくなっているグラスの中に水を注いでやった。

 「まぁ、俺様が作ってるからな! 美味くないワケがない。この、世界一料理が得意なイケメンで最強の【レジェンド】である【ミラージュ】様がな!」

 ふふん、と鼻高々にそう言ったミラージュを唇に寄せていたスプーンを離して一瞥したクリプトは、何事も無かったかのようにサンドイッチにかぶりつく。
 黙々と進んでいる食事の手に、それが答えだと分かっているものの、もっと言葉で言ってくれても良いのにとカクテルサラダのトマトにフォークを刺してそれを口に放り込んだミラージュは、瑞々しいトマトを嚥下してからクリプトに向かって情けない声を上げた。

 「なんで無視するんだよ、そこはもっと褒めたたえてくれてもいい所だろぉ」

 「褒めただろう」

 「"もっと"って言ってるんだよ。お前はいつも……まぁ、良いや。それより今日はどうする? どこか出掛けるか?」

 クリプトはあまり自分の言葉で何かを語りたがらない。
 言葉が少ないというワケではないが、自分の思った事をついつい言ってしまうミラージュからすれば言葉で伝えて欲しい時もある。
 けれどその分、その瞳や身体は案外素直にミラージュへの愛を溢れさせているのだから良いか、と自分を納得させたミラージュは口端についたクリームチーズを舌先で舐めとったクリプトにそう提案する。
 まだ昼前な事もあり、お互いにシャワーを浴びて、家事をしてからでも軽く出かけるには十分な時間があるだろう。

 「俺は特に……そういえば、お前、この間何か言ってなかったか」

 「あぁ、そうそう。最近見つけたアパートメントの近くにあるショップな、そこの豆が良さそうだなと思ってたんだ」

 そう言ったクリプトに、ミラージュはそういえばそんな話をした事を不意に思い出した。
 余り周囲を散策する事を好まないクリプトよりかは買い物に出かける回数が多いミラージュは、たまにいつもの道と違う道を通って帰宅する時がある。
 そんな時に住宅街の片隅にある古くから営業しているらしい、味のあるコーヒーショップを偶然発見したのは少し前の事だった。
 基本的にコーヒーの豆は全てミラージュの好みで選ばれており、決まった店舗で数種類の銘柄をローテーションしているのだが、その店の雰囲気が悪くなさそうだったという話をクリプトにしたのを覚えていたらしい。
 あの時はまだ冷凍庫内のコーヒーの在庫が多かったのもあって、外から眺めるだけで中に入ることは無かった。
 丁度、今日の食後のコーヒーを淹れる分で保存している内の1種類が無くなりそうな事もあり、それを買いに行ってもいいかもしれない。

 「一緒に行くか?」

 「そんなに遠くは無いんだろう?」

 「引きこもりなお前でも、徒歩15分圏内なら嫌じゃないだろ」

 「まぁな。……本当は10分圏内の方が望ましいが、譲歩出来る範囲だ」

 「出たがらないのは否定しないのかよ」

 真面目な顔でそう言ったクリプトに思わずカラカラと笑ったミラージュに、クス、と笑ったクリプトは気が付けば殆ど食べ尽くした皿の上にあるアボカドの最後の一かけらを口に放り込む。

 「俺は出なくても困る事が無いからな」

 「そのぶん、俺が出てるんだろ! 感謝しろよ、引きこもりのおっさん」

 「……いつもありがとう、ミラージュ」

 半ば棒読みでそう言われた言葉に、しょうがない奴だとミラージュは肩を竦める。
 まぁ、この男がこうして素直に感謝の言葉を口にするようになっただけ大きな進歩なのはよく理解していた。
 そうしてミラージュ自身も残っていたポタージュを飲み切ると、グラスの中に入っていた水を飲み干す。
 それを確認したクリプトがそっとチェアから立ち上がり、空になった皿を重ねていくのを見ながら声をかける。

 「洗濯回すからお前シャワー先浴びて良いよ。シーツも変えないとだし」

 「了解。でも、今日は確か午後から降水確率40%だった気がするが」

 「あー……まぁ、今から急いで洗って干せば夕方前には乾くだろ。それに40%って、降らない確率のが高いじゃねぇか」

 「それもそうか」

 ふむ、と納得したクリプトが重ねた皿を持って室内に戻っていく。
 料理を作るのはミラージュの役割で、後片付けはクリプトの役割というのは一緒に暮らす前から自然と決まっていた。
 ミラージュは座ったままルーフバルコニーの向こうに見える微かに雲のたなびく透き通るような青空に視線を向ける。
 これで本当に降水確率が40%なのだとしたら、にわか雨程度だろう。
 きっと大丈夫な筈だとミラージュは腹いっぱいになった体をチェアから立ち上がらせると、テーブルに敷いていたクロスやカトラリー類を片付ける為に手を動かし始めた。

 □ □ □

 それぞれにシャワーを浴びた後、二人で大体の家事を済ませたクリプトとミラージュは噂をしていたコーヒーショップを道の先に見つけるとゆったりとした足取りで住宅街を進む。
 そうして、ミラージュが見つけたコーヒーショップの前に立った二人は、その古風な佇まいの店舗のドアに手をかけた。
 カラン、とこれまた古風なベルの音を立てたドアの奥はそこまで広くは無かったものの、コーヒーが本当に好きな人間が作ったのだと分かるような品揃えをしており、思わず変装用のサングラスを外したミラージュは中を見回す。
 するとカウンターの中でパイプ椅子に腰かけていた老紳士然の男が、二人をその眼鏡の奥で見定めたような視線を送ってから小さく挨拶をした。
 どうやら冷やかしでは無いと理解して貰えたらしい。ミラージュは軽く会釈をすると、また店舗内に視線を向ける。

 コーヒーのカップとソーサー、ミルやドリッパー、おまけにサイフォンまで揃っている店舗内の陳列棚は全体的にダークブラウンの色味で統一されており、白い壁紙が埃の一つも無いそれらを際立たせていた。
 これはなかなかいい店を発見したらしい、と自分の運の良さにミラージュは歓喜する。
 飲食店に限らず自分の趣味を存分に反映した店舗を見るのがミラージュは好きだった。
 それは自分が経営しているパラダイスラウンジを愛するように、店主が自分の店に愛着を持って接しているのが分かるからだ。

 そんな事を考えているミラージュの隣に居るクリプトは変装用のキャップと眼鏡を外す事は無かったが、それでも興味深そうに店内を見回していた。
 コーヒーを淹れるのはミラージュの仕事ではあるが、そんな風に淹れたコーヒーがインスタントよりも遥かに美味い事を知ってしまったクリプトにしてみれば、これだけの品揃えの店に来るのは初めてだったからだ。
 コーヒーロースターから漂う香ばしい匂いの中で、ミラージュはガラスで出来たカウンター型のショーケース内に並べられたボトルに入った豆を観察する。
 ソラスだけではないタロスやガイア、プサマテのそれぞれの有名な産地のラベルが貼られたボトルに入った豆はどれも質が良さそうだ。
 1種類だけ購入するつもりだったが、結局この店オリジナルのブレンドと、余りソラスには流通していないプサマテ産の豆にしようとカウンター越しにミラージュを見ていた店主に声をかけた。

 「ミスター」

 「……決まったかい」

 「オリジナルと、プサマテ産のをそれぞれ200gで頼む。そのままでいいよ」

 そう言ったミラージュに頷いた店主は、ゆっくりと立ち上がるとカウンターの中のボトルを取り出して、それぞれの豆を計量し、パック詰めしていく。
 その手慣れた仕事ぶりを見ていると、不意に眼鏡の奥の優しそうな目を上げた店主がその容姿に違わぬ渋い声で囁いた。

 「お宅ら、最近ここに来たのか」

 「あぁ。最近って言っても、もう半年以上は経ってるけどな。こんなに良い店があるなんてもっと早く知りたかったぜ」

 「そうかい。……お前さんは、料理に関して真面目そうな気配がするからね。きっとコイツらも気に入ると思うよ」

 「ハハ、見ただけで分かっちまうか。流石だな」

 小さなビニール袋に入れてくれた商品を受け取る前に、レジに打ち込まれた金額を持っていたデバイスで決済しながらそんな会話をする。
 これは随分と歓迎して貰えているらしいと、ミラージュはそっと微笑むとその袋を受け取った。

 「ありがとう。多分、常連になると思うからまた頼むよ」

 「はは。……あぁ、俺がくたばる前にまた来てくれ」

 笑っていいのかよく分からない冗談を放り投げた店主は、またカウンター裏のパイプ椅子に座り込むとラジオでも聞いているのかイヤホンをつけてしまう。
 ソラスではこのくらいの接客でも上等な方であるのを知っているミラージュは特に気にする事無く後ろを向くと、棚に視線を向けていたクリプトに声をかけた。

 「お待たせ」

 「良いのが買えたのか?」

 そう言ってドアを開けたクリプトと共に背後で響く、カラン、という音を聞きながらそれをくぐり抜ける。

 「珍しいのが売ってて思わず買っちまったよ」

 「それは良かったな」

 ニコニコとしているミラージュにそう言ったクリプトもまた、その顔を見てうっすらと微笑む。
 この男が良いというくらいだから、きっと本当に良いモノが購入できたのだろう。
 その恩恵に預かる事が出来るのが分かっているからこそ、クリプトとしてもありがたい限りだった。
 そんな二人の上に、一滴、雫が降り落ちてくる。

 「……あ」

 ほぼ同時に顔を上げ、ぼんやりとした声を出したのはミラージュが先だった。
 空にはたなびく程度の雲しかなかった筈なのに、気が付けばどこから流れてきたのか暗い雨雲が立ち込め始めていた。
 これは降るぞ、と互いが思った瞬間、ミラージュとクリプトは傘を持たずに出た事と洗濯物を干したまま出てきた事を後悔していた。
 そうして顔を見合わせた二人はその足を素早く動かし、その場から駆け出す。
 徒歩で15分なら走れば5分だ。それを言わずとも分かっていたからだった。
 走っている途中でクリプトは誰かに鋭い視線で見られたような気もしたが、大の大人が二人して必死になって走っているのを煩わしく思われるのも仕方が無いだろうと、すぐにその事を忘れて前を行くミラージュを追いかける。

 息を切らしてアパートメントにたどり着いた時には大粒の雨が降り注ぎ、玄関ドアを開けて荷物を置き、靴を脱ぎ捨てたミラージュが大急ぎで洗濯物を取り込むのを洗面所から持ってきたカゴでクリプトが受け止める。
 多少なりとも影になっている場所に干しておいたお陰か、外の降り具合よりもまだ濡れてはいなかったそれらをダイニングの床に置いたクリプトは、中に入ろうとして止めたミラージュの姿を見てその洗濯物の中から二枚タオルを取り出すとその内の一枚を手渡してやった。
 洗濯物などよりもバルコニーに出ていたミラージュの方が余程濡れているし、クリプトもクリプトでまた、雨によって肌に張り付くシャツが鬱陶しい。
 ある程度の水分をふき取ったミラージュが濡れてしまった靴下を脱ぎながら中に入り込みつつ、呆れたように声を上げた。

 「40%って、案外当たるんだな。俺は今まで天気予報なんざただの気象予報士による占いだと思ってたが、明日からはもっと信用する事にするよ」

 「それにしたって、降り過ぎだがな。運が悪かった」

 「確かに」

 ふぅ、とため息を吐いたクリプトにうんうんと頷いたミラージュは、濡れた柄シャツのボタンを開けながら思いついたと言わんばかりにクリプトを見つめる。

 「一緒に風呂、入るか。さっきシャワー浴びたばっかりだけど、このままだと風邪ひくし」

 その提案に、肩を竦めたクリプトは身体を拭いていたタオルで濡れてしまったキャップと眼鏡を外してそれらを拭きながら薄く笑った。

 「それはお前が入りたいだけじゃないのか」

 「……それもある。でも、風邪ひくってのは本当だろ」

 「否定しないのかよ、ピョンテ」

 「うるせーよ。……もう、今風呂溜めるから待ってろ」

 クリプトの目には確かにからかうような色が宿っているのに気が付いているミラージュは、タオルを肩にかけて脱いだ靴下を同じように濡れてしまっている黒いボトムスのポケットに突っ込む。
 恋人と一緒に風呂に入りたいと思って何が悪いんだ、と逆に開き直るような気分になっているのを隠す事無く、クリプトの濡れた頭を一度撫でる。
 どうせ良い意味じゃないだろうとクリプトの母国語にそう返事をしたミラージュは、宣言通りにバスタブに湯を張る為にバスルームに向かったのだった。

 □ □ □

 ぽちゃん、と温い水音が蛇口から落ちるのを見ながら、クリプトは背後に居るミラージュの背に自身の体を預ける。
 それを支えるように背後から回ったミラージュの両手はクリプトの腹を通り、緩く抱きしめていた。
 やはり男二人で入るにはこのバスタブはいささか狭いとバスタブから飛び出た四本の爪先を見ていたクリプトは触れ合う肌の熱さに吐息を洩らす。
 瞬間的に濡れただけではあったが、想像以上に冷えてしまっていたらしい体が芯から温まっていく。
 そんなクリプトの背後で、バスタブに浸かるからと珍しく取り外された金属デバイスの下に隠されていた生身の耳に口付けたミラージュもまた、小さく息を吐き出す。

 「……あったかいな」

 「ん……」

 本当に今日はひたすらクリプトに触れている気がすると、ミラージュは筋の浮きあがり淡く色づいた首元に唇を寄せる。
 こんな幸せを手に入れて良いのかと思うくらいに満ち足りた一日。
 この日々がずっと続いて欲しいとミラージュは誰に向かってというワケでも無く願う。
 そのまま何度か無意識にキスを落としていると、腹に回った腕をつまんだクリプトが水音と共にミラージュの方に顔を向けた。

 「おい、もう流石に出来ないぞ」

 「分かってるよ……俺だって打ち止めだ、打ち止め。誰かさんに搾り取られて、もうすっからかんの空っぽなの」

 「……お前のそういう発言は大体信用出来ないからな」

 「クリプちゃんだって、もうしないって言いながら乗って来ると……っぶは……!」

 バシャ、と顔に容赦なく湯をかけられたミラージュは顔面の雫を片手で拭い去り、湿った髪を掻き上げる。
 お返しにと言わんばかりに腹に回していた手でクリプトの脇腹を擽ると、堪えるように身を捩ったクリプトの体を抑え込む。

 「っは、……止めろ、バカ……!」

 「お前が先に仕掛けたんだろ! 背後取られてるのに攻撃仕掛けた奴が悪い!」

 「……こ、の……っふ、……はは……!」

 堪えきれずクリプトの口から零れた笑い声がバスルームに反響し、揺れ動くバスタブの水が天井にゆらゆらと光を映し出す。
 しばしクリプトの体を擽っていたミラージュがやっと手を離すと、恨みがましい目をしたクリプトがミラージュの方に視線を向けたかと思うと、小さく舌打ちをする。
 その頬は赤く染まっており、目元は笑ったからか、じゅわりとその黒い瞳を滲ませている。
 水気を含んだ唇に抗う事の出来ないくらいに惹かれたミラージュはそっとその唇に顔を寄せていた。

 「ん……」

 「……っは……」

 「……何が打ち止めだって? コジンマルジェンイ」

 自身の下にあるミラージュのペニスのほのかな熱さに気が付いたらしいクリプトが目を細めて笑う。
 蠱惑的な表情と、その体に散った赤い跡がミラージュの目に映る度、目に毒でしかないのはクリプトだって分かっているのだろう。
 ミラージュの腕の中で体を反転させたクリプトが今度は正面からキスをする。
 こんな風に獣のように盛ってしまうなんて、今までの経験には無いとミラージュは過去を思い出す。
 経験が無いわけでないし、愛を確かめる行為だって好きだった。
 けれどこんなにも何度繋げても焦がれてやまないくらいに求めてしまうのは初めてだった。

 「だから、お前だって人の事言えねぇクセに。よく言う……ん……」

 ミラージュの口を黙らせるように唇を塞いだクリプトの目には、とろついた欲情の色が灯っている。
 まるで前世で欠けてしまった半身を求めるように一つになりたがる俺たちは、きっとお互いを隔てる薄皮一枚の僅かな隙間すら許せないのだろう。
 そう結論付けたミラージュは今までの経験からクリプトがのぼせてしまうだろう時間を割り出すと、その時間を越えないように、と自分に言い聞かせながらクリプトのしっとりとした背中に手を滑らせた。


-FIN-








戻る