Good bye, My Little Heart.3




――――3


 リング収束エリア内となっている中継地点にて、ミラージュ達の部隊ともう片方残った部隊が建物のドア越しに睨み合っている。
 ラスト2部隊、この戦闘を制した方が今回の【ゲーム】のチャンピオン部隊となれる重要な局面だった。
 そして、中継地点のハーベスター側に建設されているスイッチでせり上がるタイプの陸橋の真上が今回の【ゲーム】におけるリングの最終収束点というのは、互いのミニマップにもう表示されている筈だとモニター越しにでも伝わる緊迫感の中で分析していく。

 リングの位置的には、現在、階段を上がった先の線路に居るレヴナント・オクタン・ジブラルタルというメンバーの部隊の方が不利ではあったが、この三人のアルティメットアビリティのコンボは非常に強力だ。
 それにリングが収束しきるまでは高台に居る敵部隊の方が撃ち合いでは有利である為、ギリギリまでそこからは動かないだろう。

 対して、中継地点の建物内部をキープしながらランパートの増幅バリケードで扉を塞ぎ、時折そのドアを開けてはシーラという名前の銃架付きマシンガンで牽制しているランパートと、同じくドアの隙間からミサイルを撃つヴァルキリー、そうしてその横で虎視眈々と掲げたクレーバーを覗いているミラージュの姿がモニターに映し出される。
 その横顔は軽く笑みを浮かべていながらも、真っすぐに壁の向こうにいる敵部隊を見据えていた。

 もうすぐ最終カウントダウンが始まるというタイミングで、建物側からは隠れるように存在する壁の後ろでレヴナントが禍々しい気配を宿したトーテムを生成し、オクタンがジャンプパッドを設置した。
 カウントダウン前に一人でもダウンさせてやろうという魂胆だろう。
 影になった三人がジャンプパッドを使って上から飛び掛かってくるのを、ランパートのシーラとヴァルキリーの持つプラウラーが処理していく。
 通常の戦闘時なら非常に厄介なコンボではあったが、どこから現れるのかが分かっているならば十分に対応は可能だ。
 その上、ランパートの増幅バリケード越しの銃弾はレヴナントの影などあっという間に溶かしてしまう。

 次々に生成されたトーテムの場所に戻った三人の姿がモニターに映り、思わず握っていた手の力を少しだけ緩めた。
 このタイミングで一人でも影にダウンさせられてしまえば、かなり厳しい状況になってしまうというのを今までの経験上、理解していたからだった。
 しかし、これで向こうはトーテムを再使用出来る程の時間は無いので、あとは互いに生身で戦うしかない。 
 そうして、この後のリング収束中の戦闘に備える為に壁の後ろでヘルスを回復している線路上の敵部隊を相変わらずクレーバーのスコープ越しに覗いていたミラージュの口許から不意に笑みが消える。
 それは一枚の写真のように、俺の目に焼き付いた。

 クレーバーの巨大な発砲音と共に、ほんの僅かだが背後に迫るリングの収縮を嫌がって壁から出ていたジブラルタルがその頭に銃弾を受けて倒れ伏す。
 続けてもう一発。容赦なく浴びせられた銃弾はジブラルタルをデスボックスと化した。
 次の一手として考えていたであろうジブラルタルの空爆とシールドを起点として攻める計画はこれでもう使えない。
 こうなってしまえば、残されたレヴナントとオクタンは陸橋まで続く遮蔽物の無い階段を無防備に降りてくるしかないのは誰の目にも明らかだった。

 そうして迫るリングの収縮に追いたてられるように降りてきたレヴナントとオクタンを建物から出て迎え撃った三人は見事チャンピオンを勝ち取り、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
 そのモニターの中で、ミラージュの手に掲げられているフラットラインに俺のラップトップをモチーフにしたチャームが取り付けられている事に気が付き、遂に画面を見ていられなくなり視線を反らす。

 「……貴方、顔が赤いわよ。ちゃんと治療受けたの?」

 「……あぁ、いや……なんでもないんだ。……俺は帰る事にする、また一緒の部隊になった時はよろしく頼む」

 「えぇ、お疲れ様」

 隣に立って同じようにモニターを見つめていた筈のバンガロールにそう心配され、慌てて否定するが頬に熱が集まっているのは確かだ。
 あんな風に敵を照準越しに見据える時、アイツのいつも浮かべている笑みが消える瞬間が堪らなく好きだった。
 …………まさか、また恋に落ちたとでも? 冗談じゃない。
 俺はそう自分に言い聞かせてモニターのある談話室から出ると廊下を歩んでいく。

 ミラージュが家を出て3日が経った。
 その間に俺は自分がどうするのが正解なのかをひたすら考え続け、毎夜、様々なバリエーションの悪夢に魘された。
 食事を摂る気にもなれずに適当に口に入れた物も、大して味わいもしないまま飲み込んでいくだけ。
 たった3日だというのに、ミラージュとの生活がどれほど自分の日常を彩っていたのかを身をもって知らされては一人苦しむ。
 けれど、これで良いのかもしれないと思う自分も居た。
 これでアイツがアパートメントに帰ってこなくなれば、その間、アイツは安全な筈だ。その間に解決してしまえば良い。
 しかし、あの動画を解析しようと毎夜試みているものの、元のカメラの画素数があまり高くない事と、映っている瞬間が一瞬しかないので余り情報は落ちなかった。
 正直、人体を透明にする技術に関してはミラージュの方が専門家だ。
 だからアイツに聞けば何か分かるかもしれないと思っても、酷い事を言ってしまった俺にミラージュを頼る資格など無い。

 これまで何度も繰り返した動作だからか、そんな事を考えながらも無意識に談話室の外にある廊下を進んでロッカールームに向かうとロッカー中にいれてあった荷物を持ってから、さらに施設の外へと続く巨大な扉を潜り抜けて外の駐車場まで行き、そこに駐車してある小さな愛車に乗り込む。
 燃費の良さと目立たないデザイン性で選んだ車体ではあったが、もう何年か乗っている事もあってそこそこ気に入っていた。
 そのままギアを入れてアクセルを踏み、なめらかに発進するその車に身を預けながら帰り慣れた道を進んでいく。
 後ろに流れていく街灯は、もうあと30分もすれば明かりが点きはじめるだろう。

 いつまでもこうして逃げているワケにはいかないのに、俺は未だにアイツと向き合う事が恐ろしかった。
 それと同時に、アイツを失ってしまう事も。
 何もかも捨て去って復讐の為だけに生きてきたし、これからもそうやって生きていくんだと信じていた。
 自分にとっての唯一の"家族"はミラとミスティックだけで、全て解決した暁にはあの二人と一緒に暮らしていけるならそれ以外には何も望まない。

 そう思っていたのに、あの男に出会ってしまった。
 ぽっかりと空いてしまった胸の穴を塞ぐようにミラージュという存在がクリプトという存在を癒していく。
 復讐の為に作り込まれた傀儡に過ぎないキム・ヒョンを、エリオット・ウィットという人間が一人の人間として形作っていく。
 こんな自分でも"幸せ"を求めても良いんだと、そんな夢を見せてくれた。

 「……あぁ……」

 あっという間に駐車場にたどり着いた車の中で、勝手に唇からそう声が洩れる。
 頭の中に浮かぶのは先ほどの【ゲーム】で俺と撃ち合った時のミラージュの姿だった。
 こちらの放ったEMPやテルミットに怯むことなく、ただひたむきに俺に向けられた視線の鋭さ。
 恋人であるとか、揉めている最中であるとかそういうモノは関係なく、ただ敵として、倒すべき相手として俺を見る瞳。
 それに応えるように俺もまた、自分の体調の悪さなんて気にもならないくらいにアイツを強い眼差しで見つめていた。
 常に次の一手を考えながら、向こうがどう出てくるかを予測して撃つ俺の弾丸を潜り抜けて、こちらの前に立ち塞がったアイツが放った弾丸を同じように遮蔽物を利用して避けながら、狭い室内だというのにまるで互いに息の合ったステップでも踏むように戦う。
 相手の動きを熟知しているからこそ、アイツとの闘いは絶対に負けられないと思うし、だからこそ、愉しい。
 愛している上で、けして負けたくない。
 そんな、俺にとって唯一無二の存在がミラージュという男だった。

 (……触れたいな……)

 ただただ、そんな単純な思考が頭に湧き上がる。
 いつもみたいに二人で子供みたいなやり取りをして、ミラージュが作ってくれた夕飯を食べて、ソファーで各々に違う事をしたりしながらも穏やかな時間を過ごす。
 そうして夜は引き合うように触れ合っては心と体を満たしていく。
 している事は淫らなのに、どこか神聖さの伴ったその行為が夜になると不安になりがちな心を優しく溶かして、温かな夢へと誘ってくれる。
 ミラージュと住み始めてから頻繁に見ていた悪夢を見なくなったのも、きっとそのお陰だったのだと離れてみてよく分かってしまった。

 自然とハンドルに頭を押し付けるようになっていたのを動かして、のろのろと車のドアを開けると荷物を背負って車外へと出る。
 駐車場からアパートメントのエントランスに続く自動ドアまではそこまで距離が離れていないが、この一瞬が今の俺にとっては酷く気を遣う時間であった。
 周囲を探りながら、やっとエントランスの奥にあるオートロック付きの二枚目の自動ドアを解除してアパートメント内部に入り込むと、はぁ、と安堵の吐息が洩れる。
 昨日は微かに視線を感じたような気がしていたが、今日は何も感じなかったのできっといなかったのだろう。

 そうして壁に設置されたボタンを押して間も無く降りてきたエレベーターに乗り込むと、その稼働音を聞きながら、最上階まで上がっていく。
 エレベーターが目的階に到着したのを知らせる鐘の音と共に自動ドアが開き、廊下へと進んで自宅のドアのロックを解除するタイミングでデニムのポケットにしまっていた通信デバイスが震えた。
 ドアを開けながらポケットからデバイスを取り出しつつ、画面を確認するとミラージュからのメッセージで心臓が跳ねる。

 『今日は帰るよ』

 アイツにしては簡単なメッセージだったが、それでもその文面は優しかった。
 けれど、もしも帰ってきて、話し合うとしたら一体、どうなるのだろう。
 胸を掻き毟りたくなる思いのまま、鍵を閉めてから靴を脱いで室内に飛び込む。
 大人しくダイニングでアイツを待つべきなのだろうか、そうしてそこで今後の話をするのか。
 『いままでありがとう』なんてそんな会話になったなら、俺は堪えきる自信がなかった。
 何も考えたくない。

 自分でも逃げていると思いながらも、廊下を進みベッドルームのドアを開けると薄暗いそこに入り、ベッド脇に荷物を置いてから冷たい質感のシーツの上にダイブする。
 その上から掛け布団をかけて、ベッドの中で通信デバイスの光る画面をもう一度確認した。
 結局、何と返事をするべきなのかも思い浮かばずにGPSを起動させると、丁度ミラージュの位置情報が宣言していたとおりにこのアパートメント方面に向かってきている。
 どうするべきなのか、覚悟を決めなければいけないと俺はGPSの点が移動するのを闇の中で見つめながら刻一刻と訪れる瞬間の事を考えていた。

 □ □ □

 約30分後、玄関の方からドアの開閉音が聞こえて帰ってきたミラージュが俺を探している気配がする。
 そうして開かれたベットルームのドア脇にある照明がつけられ、布団に潜り込んでいても透ける光が頭上に降りかかるのが分かった。
 寝たフリなんてしてみても、どうせコイツにはバレているだろう。
 足音と共にベット脇にミラージュが腰掛けたのか、キシリとスプリングが小さく鳴った。

 「……俺がチャンピオン獲ったところ、ちゃんと見ててくれたか?」

 不意にそう優しく言われて、掛け布団越しにポンポンと身体を軽く叩かれる。
 返す言葉が見つからないまま黙っていると、さらにミラージュが話し続ける声が布団越しにでもハッキリと聞こえてきた。

 「チャンピオン獲ったら、お前に言ってやろうと思ってた事があるんだ。……いや、獲らなくてもだけど、そうじゃないと格好も覚悟もつかないからよ」

 「チャンピオン獲るってのはさ、『俺は強い』っていう証明になるだろ? お前を守ってやれるくらい強いってさ。……だから、お前を苦しめてる全てを……お前が辛いと思ってる事を、全部教えて欲しい」

 途中から苦しげな口調になったミラージュの切実な言葉に、息がつまる。
 これ以上この男に寄りかかってはいけない。巻き込んでもいけないと思うのに、それでもミラージュは俺という人間に寄り添ってくれようとしている。
 本気で、お互いの全てをさらけ出して向き合おうとしてくれている。

 「もしお前が嫌だって言っても、俺は諦めない。愛してるからこそ、お前を離してやれない。……なぁ、ヒョン……俺を信じてくれよ」

 震える声と、布団越しの掌から伝わる決意に目が勝手にじわりじわりと滲んでいく。
 なんでコイツはこんなにも俺を大切にしてくれるのだろう。
 俺と共に生き続けるのを選ぶという事は、地獄への片道切符を受け取るのと同義だ。

 「……お前の肩にかかる重荷を俺にも半分分けてくれないか。お願いだよ、ヒョン。……俺はお前と……この先もずっと一緒に生きていきたいんだよ」

 どうして、この男はこちらが求め続けた言葉を迷いなく的確に言えるのだろう。
 俺と共にお前がこの世界の地獄に堕ちてくれるなら、きっとそこだけは唯一の安息の場所になる。
 他人を疑い続け、行方を掴まれないように逃げ続け、復讐という事だけを考えるいつ終わるかも分からぬ地獄。
 その先にあるかも分からない、か細い蜘蛛の糸のような希望だけを探す日々。
 ――――それでも、お前は俺と一緒に居てくれるというのかウィット。

 「……もしかして本当に寝てるとか、無いよな?」

 こちらが身動き一つしないのを寝ているのかと不安になったらしいミラージュが、体の上に掛かった布団に手をかけてそこを捲る。
 捲られた布団の中から顔を動かしミラージュの方に視線を向けると、ヘーゼルの虹彩が緩やかに滲みながらこちらを見つめていた。
 俺はそんな瞳に引っ張られるようにベッドから上半身を起こす。

 「…………テジュン」

 「……へ……?」

 「パク・テジュン……そう、呼んでくれないか。エリオット」

 俺の囁く声に、意味を理解したらしいミラージュの滲んだ虹彩からポタリと透明な雫が落ちる。
 それと同じように自分の滲んでいた目元から雫が落ちては頬を濡らす。
 遂に言ってしまった。俺はコイツを俺と同じ道に引き込んでしまった。
 それでも、ミラージュに秘密を分け与える意外の選択肢が見つからなかった。
 一度落ちた涙は止めどなく頬を滑っては、金属デバイスを伝わりベッドに滴る。
 何に対しての涙なのかは分からない。それでも今は、肉体の赴くままに泣いてしまいたかった。
 同じように涙を流しているミラージュの乾いた大きな手が俺の頬に触れて、目元を指先が拭っていく。

 「パク・テジュン……テジュン、……いい名前じゃないか」

 泣いているクセに嬉しそうな笑みを浮かべながら、ミラージュはその響きを繰り返す。
 本当の俺の名前をミラージュが、この愛しくて仕方がない恋人が呼ぶ。
 ただそれだけの事がこんなにも胸を震わせる。
 俺は泣いている表情を少しだけ崩して、唇に笑みを乗せた。

 「そうだろう。……俺の大切な母さんがつけてくれた名だからな」

 「キム・ヒョンも可愛くって好きだったけどな。……なぁ、テジュン」

 「なんだ?」

 「……抱きしめてもいいか?」

 頬を撫でている手がそろりと動いて確かめるように俺の首を辿る。
 その問いかけに頷くと、自分が座っていた掛け布団を全て足元の方に捲ったミラージュがその逞しい腕で俺の体を掻き抱く。
 それに応えるように自身の両手をミラージュの背中に回して、服に皺が出来る程に強く抱きしめた。
 ドクドクと響く鼓動は確かに重なっては、生きているのを伝えてくる。
 俺達は結局、どれだけ離れようとしてみても、離れる事の出来ない磁力で引き合ってしまうのだろう。
 例えるなら、故郷ガイアの大空を駆ける太陽と月のように。互いを追いかけては、欠けた半身を補い合いたいとその身を求める。
 これほどまでの恋情が自らの人生に降りかかるなんて思っても見なかった。
 幾度の時を越えてもなお、俺はこの太陽のような男を最期まで愛してしまうのだろう。

 「……エリオット」

 流れる涙が落ち着き始めた頃、重ねた鼓動の中で、男の名を呼びかける。

 「お前に酷い事を言った。……すまなかった」

 「良いんだよ。……お前が素直に俺を頼ってくれるなら、それだけでいい」

 肩から顔を上げると、目を細めて微笑むミラージュの目元は腫れている。
 そうしてきっと俺自身も酷い顔をしているのだろう。
 俺は背中に回していた腕の片方を動かすと、ミラージュの腫れた赤みのある目尻に指を這わせた。
 泣かせたかったワケじゃないのに、こうなってしまったのは俺のせいだろう。
 この男が常におどけているのとは裏腹に、人一倍独りが寂しいと思っているのを何よりも知っていたのに。
 指先を労わるように往復させていると、ミラージュの片手が背中から離れて俺の手を掴み取りその厚い唇が手の甲にキスを落とした。
 いつしか泣いていた筈のヘーゼルの瞳はその涙を止め、淡い炎を宿してこちらを見ている。
 そんな目で見つめられたら、どうしたって先を望んでしまう。

 「……なぁ」

 こちらの意思を窺うその言葉と、口付けられていた手の指の付け根の骨を確かめるように親指で撫でられ、自分の体にも淡い炎が灯る。
 触れたいと願っていたのは俺だけでは無かったのだという事実が、体温をあげていく。

 「良いか? ……テジュン」

 最後の一押しと真っすぐに見つめられ、本当の名を呼ばれれば断る理由なんて一つも見つからなかった。
 問いかけに応えるように顔を近づけ、厚みのある唇に顔を寄せれば背中に回っている手に力が籠り、唇が触れ合う。
 前回してからそんなに経っていないというのに、重なる唇の感触がずっと待ち侘びていたモノのように感じられてゾクリと背中に痺れが走った。
 心に空いた穴が塞がれていく感覚に手を伸ばすと掴まれた手が繋がれ、ミラージュの武骨な手から熱が伝わる。
 俺とはまた違ったエンジニアの手。この手は俺以上に俺の身体の気持ちよくなれる場所を知っている。
 ただ触れていただけの唇の上をミラージュの舌が舐めあげてくる。
 ヌルついた舌先が中に入り込もうとするのを受け入れる為に軽く開くと、目の前の男がうっすらと笑った気がした。

 「……は……ぁ……」

 「は……」

 スルリと背中に回っている手がデニムからワイシャツの裾を引き出し、隙間に入り込んだかと思うと背骨を辿って肩甲骨を擦る。
 銃を握り続けた事で厚くなった親指の付け根が慰めるように触れる感覚を追いかけるように、ミラージュの舌に自身の舌を絡ませ、顔に当たるヒゲに閉じていた目をそっと開く。
 開いた目の先には、頬から眉にかけて走る薄い傷跡の残る瞼を縁取るように生えた長い睫を伏せたミラージュが居て、当たり前だというのにそれに安堵する。
 するとこちらが目を開けているのに気がついたのか唇を離したミラージュが眼前で笑った。

 「なぁに見てんだよ。クリプちゃんのエッチ」

 「……ん」

 「……否定しないのか?」

 「顔、見たかったんだよ……悪いか」

 ミラージュのキスしている表情が見たいと思ったのも、触れたいと思ったのも否定出来ないので開き直るようにそう言うと、逆に照れたような顔をしたミラージュから顔を背ける。
 自分から煽ったクセに、と思っていると背中に這わされた手に力が込められてまた口付けられた。
 舌先が絡む、そうして開かれた瞼の隙間から互いの視線も交差して荒くなる呼吸を湿らせていく。
 そんな湿り気を帯びた呼吸の合間にもこちらを喰ってやろうと今か今かと狙ってくる男を強く見返した。
 喰ってやるのは俺の方なんだと、そう伝えるように。
 そのまま握っていた手を押されてベッドに今度は二人で倒れこむ。
 柔らかな枕に自分の頭が沈み込む前に、追いかけるようにまたミラージュの唇が深く重ねられて呼吸が苦しい。

 ようやく離れた唇からはいつものように軽口が投げられる事もなく、繋いだ手を離し、真剣な目をしたミラージュが切羽詰まったようにこちらのシャツのボタンを外してきて、そのままシャツを脱がされる。
 それを追い越してやるくらいにこちらも手を伸ばしてミラージュの着ていたシャツのボタンを外してやった。
 脱ぎ捨てられた光沢のあるモスグリーンのシャツの向こうから、古傷の残る屈強な雄の肉体が現れて自然と喉が渇く。
 欲しい、とただ脳裏にそんな欲求が沸き上がって脳内を揺さぶる。
 俺と同じ男の肉体だというのに、余りにも魅力的過ぎるそこに目を奪われているとミラージュがねだるように呟いた。

 「……なぁ、これ、外して……」

 カツ、と爪の先で首もとに取り付けられた金属デバイスをつつかれて、ゆるゆるとうなじにある自分にしか分からない場所に設置してある生体認証を起動させる。
 カシャンと軽い音を立てて途端に緩んだ金属デバイスを取り外して、ついでに首にかけているネックレスも取るとベッド脇のサイドチェストにそれらを置く。
 途端に首もとに顔を寄せたミラージュが、まるで子供のようにデバイスで隠れる場所に次々とマーキングしていくのを微かな痛みと共に認識すれば、本当にもうコイツから逃げられないのだと察する。
 でも、それなら俺だって同じようにしてやりたい。
 ミラージュの髪に手を触れさせて顔をあげさせると、筋の浮き上がった喉に吸い付いて痕を残そうと試みる。
 しかし元々浅黒い肌を持つ男には俺と同じくらいには上手く赤い痕がつかなかった。

 「俺にはつけてもあんまり目立たないだろ」

 それを分かっているのかそう言った男に、口を開いて盛り上がった僧帽筋に噛み付く。
 ビク、と身を震わせた男の首横にはハッキリと歯形がつき、それを癒すように舌先でなめあげてからこちらを見てくるミラージュにうっそりと笑った。

 「……これなら、目立つ」

 俺の一言に未だに余裕めいた顔をしていたミラージュの顔からいつものおどけたような気配が掻き消えていく。それでいい。
 【ゲーム】の時のような、油断をすれば殺られるという緊迫感の中で互いを喰らい合う。
 今日はそんなセックスがしたい気分だった。

 ミラージュの手が性急さをもってこちらの腹部に触れたかと思うと、さらにその下にあるボトムスのベルトに手をかけそれを脱がそうとしてくる。
 いつもならもう少し愛撫をしようとしてくる男の焦りが見えるその行動を受け入れながら、腰を浮かして脱がせやすいようにしてやった。
 電気は本当は消して欲しいと思えども、まさに俺を喰い潰そうとしてくるミラージュの表情の細部まで見たくて我慢する事にした。
 それにベッドから立ち上がって電気を消すなんていう数秒もかからない動きでさえ、時間が勿体無いような気がしている。
 相当重症だ、と思うけれどそれは俺だけでは無いのだろう。
 サイドチェストに手を伸ばしたミラージュは引き出しからローションの入ったボトルとスキンを取り出すと、スキンを乱雑にベッドに放り投げ、続けて掌に押し出したローションを揉みこみながらボトルさえもベッドに投げる。
 腰を痛めないようにとベッドに置かれたクッションを腰にかまされると閉じた脚を広げられて、既に期待にひくつくそこを指の腹でなぞられれば自然と身体が反応を始める。
 勃ちあがったペニスがゆらゆらと所在無さげに揺れるのを見ながら、ミラージュの指先が入り込むのを息を詰めて受け入れれば、自分でもコントロール出来ないくらいにその指を喰らおうと腹が蠢いた。

 「……あっ、……ん、ぅ……」

 「……テジュン、お前は本当に可愛いな……」

 熱い吐息交じりに呼ばれる本名に勝手に内部がその指を締め付けるのが分かって、こんな所で素直さを発揮してしまう自分の肉体が恨めしい。
 それでもアヌスを拡げるミラージュの節ばった指からもたらされる快楽を知ってしまっている。
 もうこの身体は中を拓かれ最奥にねじ込まれる悦びを骨の髄まで叩き込まれている。
 ならば肉壁を探る指が増えていく度に、前立腺の膨らみを押し込まれる度に、腰が揺らめいてしまうのなんて仕方が無い事だった。
 そうして俺をこんな風に仕立てた男は俺の上でその甘い顔に確かな欲情の炎を灯して俺を暴いていく。

 「っふ、ぅ……んんッ……ミラージュ……」

 「……エリオット、だろ? テジュン」

 「ひあッ! ……エリオットっ……もう、良いから……」

 「ん……」

 ミラージュ、といつもの呼び方で呼ぶと不服だったのか内壁を指の腹で押し上げられ、思わず声が裏返る。
 組み敷いた俺に満足げな笑みを浮かべていたミラージュの瞳がベッドに投げ置かれたスキンに向けられ、アヌスを探っていた4本の指が名残惜しげにゴポリと濡れた音を立てて引き抜かれた。
 太い4本の指よりもさらに巨大なモノが、本来なら性行で使用される場所ではない筈のここに今から押し挿れられるのだと考えるだけで身が震える。
 包装を破ってクルクルと丸まったスキンを丁寧な手付きで反り勃ったペニスに装着したミラージュがこちらの視線に気が付いたのか、獣じみた気配をほんの少しだけ緩ませたかと思うとこちらに顔を近づけてキスを落としてきた。
 ちゅ、と軽い音を立てて落とされたそのキスにまるで子供をあやすような要素を感じて眉を顰めると、こちらの表情の変化に気が付いたらしいミラージュが頭を撫でてくる。

 「悪い悪い、そんな怒るなって」

 「別に怒ってなどいない……っぁ、お前、……な……ん、ぁあ……!」

 頭を撫でてくる手を動かしたミラージュが腰を掴み直したかと思うと、片手でその重量感のあるペニスを持って先ほどまで指で探っていた窄まりに擦りつけてくる。
 ぷちゅぷちゅとローションで濡れたアヌスとスキン越しのペニスが音を立て、そのままゆっくりと中に押し込まれ言葉の途中なのに喘ぎが洩れた。
 人が話している最中なのに、と思っても待ち侘びた感覚が与えられれば文句を言う気も無くなってしまう。
 その上、覆いかぶさってきた男の唇が今度はあやすようなキスでは無く、深く塞いでくる感覚に呼吸が薄くなる。

 「んんぅ、……っは……ぁ……」

 「っはぁ……っふ、ふ……」

 「……あ……なに、……わらってるんだ……」

 互いの唾液で濡れた唇が離れ、ミラージュが堪えきれないという笑みを洩らしたのを聞き逃さず、腹を圧迫する熱を意識しながら声をかける。
 そんな俺の髪を撫でたミラージュのとろけた瞳の中心に自分の姿が映るのを確認しながら、中に埋められた欲の化身が身体に馴染むまで呼吸を繰り返す。
 巨大であるからこそ、すぐに動かれたりすると辛いのが伝わっているのか、いつもミラージュは挿入した後、こちらの呼吸が整うまで待ってくれるのだ。

 「……幸せだなぁと思ってさ。人間って本気で嬉しくても勝手に笑っちまうんだな」

 幸せだというなら、それは俺だってそうだ。
 けれどそれを声には乗せずに笑んでいるミラージュの首もとについた痕に手を這わせる。
 明日も【ゲーム】があって、この男はいつものようにあの派手な黄色い戦闘服を着て、戦うのだろう。
 そんな服の下にはこうして俺が刻み付けた痕が確かに残っていて、それを知るのはこの世でただひとり。
 世界中のコイツのファンがコイツのゲームメイクやAIMにどれだけの称賛を送っても、【ミラージュ】という皮を剥いだ下にいるウィットという男は俺だけのものだ。
 あぁ、確かにこれは笑ってしまうかもしれない。
 ふ、と口元にのぼる笑みを洩らすとミラージュが腰を回すように一度動かしたかと思うと中の馴染み具合を確認してから上半身を起こしてピストンを始める。

 「は、ぁっ、あ……あ……!」

 初めは浅く。それから深く。
 穿たれ慣れた肉体に杭を押し込むようにそれを交互に繰り返されれば、閉じきれない唇からとろとろと喘ぎが絶え間なく発せられる。
 ヌチュリとしたローションの感触が溢れたアヌスから尻を伝って腿まで濡らしていく。
 腰を掴む指の力の強さも、ピストンの度に揺れ動く長い前髪も全部、全部俺のものだ。
 誰にも渡したりしない。誰にも奪わせたりしない。
 どうしようもなく好きなんだと、体を重ねれば重ねる度に思う。
 思考がそれだけに集中して、こちらを窺うように見てくる熱を帯びた瞳や額に浮かぶ汗の雫なんていう些細な違いにも興奮する。

 「……んっ、ぁ、あ……エリオット……」

 「テジュン、……クリプト……なぁ、……好きだよ。好きなんだ……ちゃんと伝わってるよな……? 俺がお前しかもう、ほしくないって……伝わってるよな……?」

 「あ゛っ、あー……!!」

 必死に腰を振ってそう言うミラージュの声が耳に押し入ってくる。
 伝わっている、と言う前にぬかるみの中に潜む前立腺をペニスの先端で抉られて、上手く声が出ない。
 しかし、俺の顔を見ていたミラージュが何故かピストンを一度止めたかと思うと中に埋めたそれを引き抜く。

 「な……んで……、あっ、待て、ま……その体位はダメだって……!チャムカンマン キダリョッスミョン チョッケッソ(ちょっと待て)!」

 そのままこちらの体を横にしたミラージュが脚の隙間に入り込み片足だけを持ち上げる。
 この体位でミラージュの巨大なペニスが埋め込まれると、奥が伸びやすくなっているせいでハマりこんではマズイ場所にまでその熱が届いてしまう。
 普段は負担のかかるその行為をオフの前日以外にしない筈のミラージュの目は据わっており、もう止められないのは明白だった。

 「ごめんな、クリプちゃん……今日は止めてやれない」

 宣言するようにそう言ったミラージュの熱が再び埋め込まれ、奥にねじ込まれる。
 そうして締まった内壁の襞の先にある弁を数回先端でノックされると拓かれ慣れた内部にクポリ、とハマりこむ感覚がする。

 「――――ッ!!」

 刹那、頭が白くなって、吐き気すら込み上げかねない快楽が脳内に沸き上がる。
 脳天から与えられる刺激に身体が勝手に痙攣を起こし、閉じることを忘れた唇から飲み下せない唾液が枕を汚した。
 だから、ダメだっていったのに。
 こんなにあたえられたら、なにもわからなくなってしまう。

 「んぁあ゛ぁあ!! ……あ、はぁ……あ゛ー……」

 「やっぱりここにハメられるとすぐにイッちゃうくらいキモチイイんだな」

 ふふ、と笑ったミラージュの声が耳に微かにとどく。

 「テジュンの奥が、俺のをもっと欲しいっていっぱいキスしてくるのすげぇ悦い。たまらねぇよ、ホントに」

 とろけた頭にふりそそがれる声に、たしかにペニスから押し出されるようにドロリと精が漏れているのがわかった。
 底がぬけてしまったのかもしれないと思うくらいの絶頂が侵食してくる。
 きもちいい、真っ白になりそうなくらいにきもちよくて本当になにもわからないままおかしくなってしまう。
 ただひとつわかるのは、ミラージュが俺を、一番おくまで犯しているという真実だけ。

 「ごめんな、今日はこれだけにするから……もうちょっとだけ我慢してくれ。意識飛んだら後始末もするからさ。ごめん、本当に……でも、俺でたくさん気持ちよくなって……?」

 答える前に、バチュンとぬめった肉と肉がぶつかる音を立てて拓かれた場所に向かって何度も腰をうちつけられ視界がクラクラしてくる。
 だめだって言ってるのに全然きいてくれない。ばかやろう。
 でももう明日のことなんかどうでもよくて、ただきもちいい。

 「んあぁ゛あ、はっ、……ぁあ゛ー……っぉあ゛……!!」

 「テジュンっ……テジュン……大好きだ……、っは……ぁ……愛してるよ……」

 ぐちゃぐちゃにされて、呼吸がくるしい。
 うまく呼吸ができないからか、それとも腰がぬけそうなくらいにおかされてるからなのか。もううまく周りがみえない。

 「ひっ、ぐ、……もう、イく……イ……んぅ、ぁあぁ、あ゛ぁ――!!」

 「んッ……ぁ……は……!」

 脊髄を駆け上がる絶頂。それと一緒にミラージュのペニスからスキン越しに精を流し込まれる感覚に身が震え、俺はそのまま意識を飛ばしていた。

 □ □ □

 「つまり、お前の熱狂的信者の仕業だと?」

 「確定ではないけどな。でも、赤い髪で俺を探していて、この付近に住んでるってならその可能性はかなり高いだろ」

 ダイニングテーブルに向かい合って座りながら、白い皿に盛られ粉チーズとパセリの振りかけられたペンネ・アラビアータをフォークで突き刺しながらそう呟く。

 あの激しいセックスの後、意識を飛ばしていた俺が次に目を覚ましたのは、ちょうどミラージュが俺を風呂にいれようとしていたタイミングだったらしくベッドから抱きかかえられた時であった。
 自分で入ると言った俺をバスルームに連行したミラージュに結局、またいつも通り体を洗われながら俺は今までの自分の秘密をひとつひとつ開示していった。
 現在、殺人の容疑で指名手配犯として扱われているパク・テジュンであること。
 しかしそれは冤罪であり、家族や俺の人生を壊した組織に復讐するためにこの【ゲーム】に参加したこと。
 その組織の"奴ら"にとって不利益な情報を握っているせいで常に命を狙われており、復讐を遂行するために正体を隠す用のキム・ヒョン、そうしてクリプトという仮面を被って今は生きているということ。
 こちらの少しずつ行われる告白を、饒舌な口を閉じたまま聞いていたミラージュは全てを話し終えた俺を羽織っていたシャツが濡れるのも厭わずに背後から強く抱き締めた後、『大変だったな。お前はよく頑張ってるよ、テジュン』とだけ囁いた。
 その言葉に目から流れ落ちた雫はシャワーの湯と共に排水溝に消えていったが、きっとミラージュには気がつかれてしまっているのだろう。

 そうして濡れた俺の身体を拭きながら、ミラージュは三人の兄を全員内戦で亡くしている事や、パラダイスラウンジはそんな亡くしてしまった兄がずっとやりたがっていた店であること、そうして近頃入院している母親の容態があまり良くないという話をしてくれた。
 そんなミラージュの手を取り、『今度のお見舞いには俺も行こうか』と言えば、ミラージュの長い睫毛がふるりと震えて、頷いたミラージュから手を強く握り返されたのだった。


 「そこまで分かっているなら、後はどうとでもなるな。ファンレターは残ってるのか?」

 その後、俺に続いてシャワーを浴びたミラージュが作ってくれた夕食を食べながら、俺達は現在最も話し合わなければならない事柄について話をしていた。
 俺の問いかけに、ペンネ・アラビアータの横に置かれたオリーブオイルとブラックペッパーで味付けされたルッコラとベーコンのサラダにフォークを伸ばしたミラージュの表情は暗い。
 ミラージュへのいきすぎたファンレターの差出人があの脅迫状を持ち込んだ人間と同一人物であるなら、恐らく一時間もかからずに素性を割り出す事が可能だろう。
 顔がハッキリと映ってはいないので証拠として出せるかは微妙ではあるが、あの動画をつけてそれらしい連絡を入れれば捕まえる事が出来ずとも、ある程度の牽制にはなる筈だ。
 それに、いきすぎた愛情故におかしくなってしまっているのなら、それを全てどうにかするのは難しいだろう。

 「クリプちゃんが引っ張ってきた動画って、見せて貰えるか?」

 俺の問いには答えずに不意にそう言ったミラージュに首を傾げる。
 確かにクロークの技術やデバイスに詳しいミラージュに動画を見て貰えばさらに何か分かるかもしれない。
 疑わしいとはいえ、あの女がミラージュの言う熱狂的ファンだという確証はまだ無いからだ。

 「それならそこのラップトップに入っている。取ってくれ」

 「ああ」

 ダイニングテーブルのそばにあるソファーの前に置かれたローテーブル上のラップトップを指差すと、立ち上がったミラージュがそれを持ち上げて俺の前に持ってくる。
 こちらが動いて取りに行っても良かったが、誰かさんのお陰でまだ微かに腰が痛い。
 受け取ったラップトップを開くと、その場面だけを切り抜いてダウンロードした動画を再生出来るように動画ソフトを開いて、チェアに座り直したミラージュの方にラップトップを差し出す。
 そうして時折口元にペンネを運びいれながら真剣な表情で画面を見ているミラージュは、次第に苦虫を噛み潰したような顔になったかと思うと、はぁ、とため息を吐いた。
 やはりこの薄暗くぼやけた動画では分かりにくかっただろうかと思っていると、皿の横にある水の入ったグラスを唇に当てる。

 「これは確かに戦闘兵器用のクローク技術を一部利用してるが、適当なエンジニアが作った模造品か粗悪品だろうな」

 「そこまで分かるものなのか」

 こちらの疑問に答えるように、ラップトップに目を戻したミラージュはいつもの能天気さをおくびも出さずにその画面を見つめてから囁く。

 「まず第一に、カメラに映ってる時点でクロークとしてはダメだ。映りたくないから使ってるのに映ってるってのは、そうなる理由があるからだろ?」

 「……確かにな」

 「多分、コイツの使ってるデバイスはちょっとの衝撃……例えば物に触れる為に手を動かしたりとか、素早く移動したりとかそういうのが無理なんだろう。だからドアやポストを開けた時だけは映ってる」

 ミラージュの解説を聞きながら、ペンネを口に入れ、ちょうどいいゆで加減のそれを歯でかみ砕く。
 【ゲーム】内でのミラージュのクロークを思い出すと、確かに蘇生する際にクロークが発動可能な事から他者に触れたり動いたりしても問題がなかった筈だ。
 それに一応【ゲーム】では全員の能力に使用制限がかかっており、ミラージュのクロークに関してはいつでも発動可能であるのを制限した上で【ゲーム】では使用している。
 だからこそ、コイツがこの女のデバイスを粗悪品だという理由もよく分かった。

 「それからこのぶ……ぶ、……とにかくカッコ悪いサイズのリュック。小型化もされてないからこんなにアホみたいにデカいデバイスを抱える羽目になってる」

 「やはりこれはデバイスを運んでいるんだな」

 それは自分も考えた事ではあった。何故この幽霊のような姿の女がこれほどまでに目立つ荷物を抱えているのか。
 自らもスパイドローンであるハックを常に背に持ち運んでいる事から、何となくの予想はついていた。
 だが、まるで登山用のザック並の巨大さに歪さを感じてもいたのだ。

 「オマケに全部消えきれてねぇ……近くに寄ればわかるくらいの程度の低い透過率だ。全く、俺と同じ技術を使うならもう少しマトモに仕上げてこいって感じだよ」

 苛立った様子を隠す事なく吐き捨てたミラージュの言葉に困惑する。
 自分でも何度か確認したが、傍目では消えているように見えていた。
 そんな俺の疑問に気が付いたらしいミラージュがラップトップを操作したかと思うと、女が消える瞬間で画面をストップさせてこちらに向けてくる。

 「この消えるタイミング、髪の毛が消えるまでのラグは揺れ動く物体に透過能力がついてこれないんだ。この動画の画質で分かるって事は、リアルでは近付けば分かるくらいの違和感になる。……恐らくだけど、黒に反応するような設定になってるから赤い髪には透過の影響が出るのに時間がかかる」

 「黒と赤なんてそこまで離れた色調じゃないってのに、それがカバー出来ないなら本当に単色な服を着ないといけない。だからコイツは全身が黒ずくめなんだろ。まぁ、こういう行動をする奴が目立つ格好をする筈も無いが」

 ミラージュの言葉に画面を見つめるが、俺からすればミラージュの言うラグや違和感はそこまで感じない。
 確かに言われればそうかもしれない、という具合だ。
 しかし俺が自分の技術を流用して作られた模造品の出来を鑑定せよと言われれば、些細な違いでさえありありと分かる筈で、その点はホログラムやクロークという敵を欺く技術に絶対的な知識や自信を持つ男からすればその違いは目にハッキリと映るのだろう。
 どちらにせよ、近付いて違和感があるというのなら、すぐ背後に居るかもしれないという恐怖からは解放される。
 俺は苦味のあるルッコラを口に入れてから、さらに水を飲んでラップトップから視線を動かし、テーブルの向こうで考え込んでいるミラージュに声をかける。

 「敵の素性と技術が分かったのならもう恐れる事もないな。後は適当に俺が処理しておく」

 「……いや……」

 「なんだ?」

 こちらの提案に顔をあげたミラージュの目は、ほの暗い色を宿しておりドキリとする。
 普段はめったに怒ることの無い男の怒りを買った時の目は俺自身、殆ど見たことが無かったが、これはそういった感情に満ちた目だというのは流石に分かった。

 「これは俺に任せてくれないか? 情報が欲しいのと、お前にも手伝って貰う必要があるから協力はして貰いたいんだけど」

 「それは構わないが……お前が表に出る方が面倒な事にならないか?」

 情報を取得して裏から手を回す俺のやり方ならば、穏便に済ませる事が出来るだろう。
 しかし、ミラージュにそういう考えがあるとは思えない。
 それに相手がミラージュへの歪んだ愛着を持っているのなら、その愛情を向けた相手から何かを言われた所で響くかは微妙な所だろう。

 「ハッキリ言って、俺はこの女にムカついてる。怒りし、……しん……ともかく、俺の紛い物みたいな技術でお前にめちゃめちゃ怖い思いをさせた。それだけで、腸が煮えくり返りそうだ」

 ザク、とミラージュのフォークの先端がルッコラとカリカリに焼かれたベーコンを突き刺す。

 「それに、俺自身にもイラついてる。もっとこんな事になる前にどうにかすべきだったってな」

 「それは……仕方の無い事だろう。お前に予測出来るような問題じゃなかったんだから」

 「そうだとしても、だ」

 そう言いながら突き刺したルッコラとベーコンを口に含んだミラージュに、自分が逆の立場なら同じように思っただろうなと想像する。
 もしも自分の自慢の制作物であるハックの技術を流用した模造品がミラージュに危害を加えたとしたら、それを使った事を相手に必ず後悔させるのを誓う筈だ。

 「分かった。俺に協力出来る事はなんでもしよう。お前にこの件は任せる事にする」

 「ありがとう」

 ようやく笑みを唇に乗せたミラージュの顔を見て、こちらもホッと胸を撫で下ろす。
 ずっと苛立った顔をされているのは見慣れていないのもあって、何故か緊張してしまう。

 「それで、俺の作戦なんだけどよ……」

 そんな前置きから語られたミラージュの話に耳を傾けながら、俺は残り僅かとなった皿の中身を平らげる為にフォークを動かし始めたのだった。






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