Good bye, My Little Heart.5
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『騙されたな』
その声と共に隣に居たクリプトの身体がふわりと揺らいで掻き消える。
代わりに隣で呆然としている女の手からナイフをはたき落とし、以前クリプトにやられたなと思いながらその腕をねじりあげて押さえ込んだ。
うめき声をあげている女が何かブツブツと言っているのを聞きながら、想像よりも数倍恐ろしい存在であった事を理解する。
話し合いで済めばいいかと思っていたのだが、そうはならなそうだった。
クリプトは自分も一緒にその場に行くと言ってくれたのだが、それをどうにか説得してクリプトのデコイを作成するという話にした昨日の自分を褒めてやりたい。
女の持っていたナイフはそこまで大きな物では無かったが、もしもこれがクリプトの背を突き刺していたらと思うとゾッとする。
俺は極力、相手に話を聞いて貰えるように呻く女に向かって柔らかく声をかけた。
「やぁ、初めまして。お嬢さん」
途端に動きを止めた女が、赤い髪の隙間からぎらついた目でこちらを見たかと思うと、ふとその目を和らげた。
まるで本当に愛しい相手を見る様な瞳に、朝の光がぼんやりと映って、俺の心臓が冷えていく。
やはりこれはもう俺たちには救えない相手なんだと、そんな事を思った。
「ミラージュ……ごめんなさい、私……貴方を助けるために……でも失敗しちゃったの」
がさついているのにどこか湿っぽいそんな声で俺の名を呼んだ女は、先ほどまで殺気をまとわせていたのが嘘のようにしなだれた表情を作る。
けれど俺にしてみればその嘘偽りの表情などまるで意味が無い。
騙そうとするのなら、もっと作り込まないと他人は騙す事なんて出来ないのだ。
「そうか。……お嬢さん、俺のファンなんだってな。でも、随分と色々悪さをしてくれたじゃないか」
「そんな! 私は悪さなんてしてない! それに、貴方のファン……っていうよりももっと親密な関係でしょう」
腕をねじりあげる力は緩めていないのに、うっとりとした表情でそう言った女に向かって笑みを浮かべる。
「ふーん、そうかい。……俺は基本的にファンは大切にするタイプなんだ。それは君も知ってると思うけどさ。皆が俺を思って書いてくれた手紙もイラストも取ってある」
【ゲーム】の時と同じく笑みを浮かべた表情を崩さない俺に向かって頷きながら話を聞いている女を見つめながら、さらに言葉を続けた。
「でも、今回の件は少しばかりやり過ぎたな。なぁ、『ゴースト』ちゃん?」
そのあだ名を聞いた瞬間、女の笑みが固まる。
クリプトの情報収集力は本当に素晴らしいが、やはり敵には回したくないと昨夜隣でラップトップを叩く横顔を見ながら、そう感じたのを思い出す。
この周辺に昔から一人で暮らしている30代の女、現在はチェブレックス社ソラス支店の作業員で、今まで何度か社内で問題を起こしては転職を繰り返していたらしい。
学生時代から周囲に馴染めずに、ついたあだ名は『ゴースト』というのが可哀想なくらいに似合っている。
あんな模造品とはいえ、クローク用のデバイスを一般人がどうやって手に入れたのかが疑問ではあったが、チェブレックス社に勤めているというのなら話は変わってくる。
俺たちの同僚であるアジェイの実家であるチェブレックス社は、元々、俺と母さんがその技術の一部を提供していた取引先企業の一つだったからだ。
それにクローク技術に関してはIMCなど組織では戦闘兵器の一部として既に使用されており、それを研究員の誰かに安価で作らせたのだろう。
兵士が使うようなモノではないながらも、女が持っていたデバイスは一般人が持っていていい代物ではない。
もしも世界中の人間が自分の意志で自分の姿を簡単に消せるようになったら? そんなのはいくら法規制が大らかなソラスであっても無法地帯過ぎる。
だからクロークなどのデバイスは一部の優秀な技術者や、戦地に赴く兵士が許可を得てようやく使用出来る技術なのだ。
けれど、チェブレックス社に勤めている研究員の技術はレベルが高い事で有名だった。
そうして裏で『戦争屋』とも言われるチェブレックス社の奴らが金を握らせれば何でも作るという事もまた、有名な話だった。
「ソラスの警察は全然アテにならないが、俺は有名なんでツテだけはあるんだ。俺のファンだって言ってくれてるガイアに住んでいる先生に相談したら、いくらでも世話をしてくれるって言ってくれてな」
「だからお前の為にキチンとした病院を紹介してあげようと思って。あぁ、そんなに怖い所じゃない筈だ。治ればまたソラスにも帰ってこられるらしいし、向こうのが住み心地が良ければあっちで暮らすのだって良いよな」
「もちろん、家族にも連絡済みってワケ。俺様は気の利くミラージュ様だから、その点は心配しないでくれよ」
R-99の弾丸のように次々と話される内容についていけていないのか、初めて不安げな顔をした女がこちらを見遣ってくる。
俺はまだ貼りつけたままの笑みを崩す事はしない。けれど心は氷のように冷え切っていた。
「……ミラージュ……?」
「大丈夫、きっと向こうでの生活も気に入る筈だ。俺は俺で頑張るから、君は君で自分の人生を頑張ってくれ」
「なに……な……、私……貴方と……、アイツが貴方を洗脳しているのを助けようと思って……それで……」
「……それがアイツの隠している秘密って事?」
「そうよ! そう、それを貴方にバラしてやるって、それを伝える為に私……」
「……っふ……ハハ……」
思わず、吹き出してしまう。俺もそこそこ色々な話や噂を店で聞かされてきたが、ここまで突拍子もないのは珍しい。
随分と面白い秘密だなと思いながら、恐らく通信デバイス越しに安心しているクリプトにも聞こえるように含み笑いをしながら呟く。
「残念だが、俺はアイツを愛してるし、それは洗脳なんかじゃない」
「愛って……そんなの可笑しいわよ、私の方が貴方を愛しているのに!!」
赤い髪の向こうに透ける目が段々と怒りに満ちていくのを確認しながら、この哀れな女を見つめる。
この感情は昔体験したのと似ているなと、俺自身をまるで見てもいないで特に嬉しくも無い土産を『俺たちの為に』と言いながら寄越してきた親父の姿を思い返す。
結局は自己満足なのだ。俺を愛していると言うクセに俺という人間の本質を何一つ理解してはいない。
これ以上は話しても無駄だと貼りつけた笑みを消すと、途端に身を震わせた女と目があった。
「これは俺からの最初で最後の贈り物だ、お嬢さん」
グッと顔を近づけ、もはや殺気を隠す事無く低く囁いた。
「二度と俺達の前に姿を現すな。……次は容赦しない」
強い視線でハッキリとそう言い切った俺の耳に、予定通りこちらに向かってくる迎えの車の音がする。
うなだれた様子の女はただひたすらブツブツと何かを呟くだけで、もう会話をするのも難しいようだった。
もうコイツと会う事も話す事も無い。関わり合いになる事も無い。
やっとこのゴタゴタも片付くのだと、俺は肺の底からゆっくりと息を吐き出していた。
□ □ □
迎えに来た車に乗り込んだ女と、こちらに一度頭を下げた女の両親がそのまま来た道を走り去っていくのを見送ってから時計台に目を向ける。
たった1時間に満たない時間ではあったが、もっと長い時間のようにも思えた。
女の両親に直接電話をして今までの話をした際は、余りこちらの話を信じていないのか面倒なのかよく分からなかったが、最終的に『警察沙汰にするだけじゃ済まさないぞ』というクリプトの横から投げられた声で事態の深刻さを理解したらしい。
そうして、俺のファンだという事でよくメッセージをくれていたその手の病症に強いガイア在住の精神科医に連絡を取ると、快くベッドを一つ空けてくれるとの話がついたのだった。
どうして俺たちがここまでしてやらなければいけないんだ、とボヤいたクリプトの言い分も正しい。
でも、そういう脳や精神関係の病気に関しては、もう一人ではどうしようも出来ないくらいになってしまうと、その分野の専門家に任せるしか方法が無いのは俺自身がよく知っている事であったからだ。
散々な目にあったのは確かだし、あの女にじ、……じ……ともかく、そこまでの優しさを見せてやる必要も無い。
それでも【ミラージュ】という幻影を愛し過ぎた結果、おかしくなってしまったというのなら、その愛の決着をつけてやるのは俺にしか出来ないのだと考えたからだった。
だからお前は甘いんだ、とクリプトにはジットリと睨み付けられたが、そういう部分も含めて俺なのだから仕方が無い。
「ミラージュ」
背後からかけられた声に振り向くと、そこには変装の為に眼鏡をかけた私服姿のクリプトが立っていた。
その目は心配そうに俺に向けられており、音を立てずに近づいてきたクリプトの姿を見て知らないうちに体に入っていた力が抜けていくのが分かった。
やはり真横でデコイとはいえ恋人にナイフを突き立てられたのは、胸が痛んだ。
その上でどうにか冷静さを保とうとしていたのもあって、ずっと表情の失われていた顔に今度は本当の笑みを浮かべる。
「もう帰ったよ。これで一件落着、問題は無しだな」
「悪かったな、お前に全て任せてしまって……」
「良いんだ。多分これで本物のお前が表に出てきてたら、こう上手くはいかなかったと思うし」
俺が提案した作戦は、クリプトの話によると朝と夕方に俺たちを監視している筈の女の行動パターンを予測して逆に相手を捕まえるという内容だった。
そうして女の住所だけでは無く、就職先や年齢、姿を割り出したクリプトがあの女の過去をさらに探り、相手が『ゴースト』と呼ばれて周囲からバカにされているという情報も得た。
こちらがそれほどまでに情報を得ているなど思ってもいないだろう相手にそれをぶつければ、必ず相手は激昂して出てくる筈だと言ったクリプトの瞳は冷酷さの塊のような目をしていた。
この男は全てにおいて入念に準備を済ませ、なおかつ相手が最も嫌がるだろう方法を取る。それが戦いとなればなおさらだった。
つくづく、敵にすると恐ろしいなと思う。けれど、クリプトのそういう事を無表情に言ってのける部分が俺は案外好きだった。
一緒に外に出る際に本物のクリプトでは無く俺の作成したデコイを使うという提案には眉を顰めていたが、常に上空からハックで監視して貰いつつ映像を録画、そして何かあればEMPを撃ってくれと言えば納得したらしくそれ以上は何も言ってはこなかった。
結果的に、あの女の精神状態を考えれば大正解だったと言えるだろう。
流石に俺たちも【レジェンド】の一員であるから、あんな素人丸出しのナイフ捌きにやられる事は無かっただろうが、見えない所からの一撃というのはやはり恐ろしいものがある。
目を凝らせばどこに居るのかは分かったかもしれないが、俺の持っている通信デバイスからクリプトに話をして貰う為に、即席でクリプトの姿をしたデコイを組んだので顔の動きまでは再現する事が出来なかった関係上、正面で向き合う事は難しかった。
「そう、かもな。……しかし、俺を狙うだけで本当に良かった」
「……クリプト……?」
そう言ったクリプトの声は震えており、握られた拳もまた、震えている。
ハック越しに俺と女のやり取りを見ていたクリプトにしてみれば、相手がナイフを持って襲い掛かる瞬間を全て見ていたのだから、それはそれは恐ろしい光景だっただろう。
思わず、そっとその震える肩を抱き寄せるとクリプトの顔を首元に寄せる。
いつもなら外でそんな事をするなと言う筈のクリプトも、俺の身体に両手を回して強く抱きしめ返してくる。
まだ朝もやのかかった小さな公園で男二人で抱き合っているなんて周囲から見れば、一体どうしたのだろうと思われるだろう。
それでも今はそんな些細な事を気にしていられないくらいに、目の前の大切な存在を抱きしめたくて堪らなかった。
「……ミラージュ」
しばらく抱き合っていると、流石にマズイと思ったのか回っていた背を軽く叩かれクリプトの身体が離れていく。
今日はこの後も【ゲーム】があるのでそろそろ一度帰って朝飯を食べてから、施設に行かなければならないだろう。
「もう戻らないと、間に合わない」
「そうだな。今日は本当に忙しくって参っちまうぜ。なぁ?」
肩を竦めてそう言った俺に同意するように薄く笑ったクリプトの瞳は優しい。
これだけの事件を解決したというのに【ゲーム】は待ってくれない。【レジェンド】というのは何とも大変な仕事だと、苦笑する。
さぁ、いつもどおりの日常に戻ろう。俺とクリプトはアパートメントまでの道を足早に帰ったのだった。
□ □ □
手に馴染んだフラットラインのリロードを特に銃を見ないまま行い、銃弾をフルにする。
そうして鼻に入り込む周辺に漂う火薬の匂いと、空の薬莢が地面に落ちるカツン、という音が耳に届くのを感じながら、俺は少し離れた打ち捨てられた列車の裏に居る味方のクリプトに目を向けた。
続いて自分が隠れているコンテナに向かって浴びせられる銃弾に対応する為に、僅かに身体を出して応戦する。
フラットラインのリコイルを抑えながら打ち込んだ弾丸は、俺と同じように列車の後ろから身を乗り出して銃弾を撒いていたラムヤにヒットする。
しかしダウンさせるまでには至らず、それをフォローするかのようにヴァルキリーのミサイルがコンテナめがけて飛んでくるのを必死にスライディングしながらクリプトの居る列車の方まで移動する事で逃れた。
間一髪で当たるのを回避したミサイルの雨に、ヒヤヒヤする。あのミサイルはダメージもそうだが、体が痺れるのもあって苦手だ。
ハァハァと荒い息を洩らせば、呆れたようにこちらを見た隣に居る男が持っているのも俺と同じフラットラインで思わず笑んでしまう。
今日の【ゲーム】はデュオ戦で、マップはワールズエッジ。
残り僅かな部隊数となっていたが、途中でカーゴボットを撃ち落として保管庫の鍵を手に入れたのでランドスライドを経由して保管庫に向かおうと思っていたら、カウントダウン側からその場所での戦いを制したらしいヴァルキリーとラムヤのチームがこちらめがけて言葉どおり、飛んできたのだ。
敵と見ればともかく戦いたいらしい、とすぐさま駆動するディボーションのクセのある射撃音に加えて投げ込まれたフラグを避けながら俺とクリプトもまた、それぞれに背中のホルスターに装備していたフラットラインを構えた。
なんだかんだと言いながらも、俺たちだって好戦的な性格をしている。売られた喧嘩は買うのが道理だろう。
上手い具合に建てられた増幅バリケードの奥からシーラの起動音が聞こえ、俺たちの隠れている列車に向かって煽る様に銃弾の雨が降り注ぐ。
アイツは恐らくテンションが上がり過ぎてトリガーハッピーになっているに違いない。
そうでなければ壁に向かって穴でも開けかねない程のマシンガンの弾を撃ち続けるなんて、正気の沙汰とは思えないからだ。
まぁ、この【ゲーム】に参加している奴らの中でどんなけ……け……、経緯があろうともマトモな奴なんてほぼ居ないのだが。
それを証明するように俺の隣で笑ったクリプトがこちらの服を軽く引いたかと思うと、見慣れた白いジャケットのポケットに手を突っ込む。
「アルティメット、準備完了だ」
「……オーケー。俺の準備もバッチリだぜ、クリプちゃん」
手に持ったフラットラインを一度しまい込み、アークスターを取り出す。
そんな俺の発言にポケットから手元に取り出したコントローラーを引っ張ってドローン操作を始めたクリプトを守るようにその横に立つと、向こうの意識をドローンから散らすように手に持ったアークスターをバリケードに向かって放り投げる。
そうして俺の投げ込んだアークスターの軌道とは異なる曲線を描いて飛んだドローンから、ヴァルキリーとラムヤの二人を取り囲むように青白く眩い球体状の光が発せられた。
『EMPプロトコル、起動!』
バチバチという巨大な電子音と一緒に、シールドの割れる音が聞こえてくる。
向こうはレベル3のアーマーを着ていて、俺たちはまだレベル2ではあったが、このタイミングで詰めれば格差はない。
慌てて一度後ろに引こうとしている二人を追いかけるように俺は右側から、そうしてクリプトは左側からそれぞれ射線を通す為に走り出した。
目の前に飛び出した俺に応戦するように、回復しきれなかったらしいラムヤがその手に持ったディボーションで撃ちこんでくるが、ターボチャージャーのポップアップがついていないらしいディボーション相手であれば、まだどうにか対応出来る。
回転数の徐々に上がっていくディボーションに怯む事無くフラットラインの弾を華麗にヘッドショットすれば、先に膝をついたのはラムヤが先であった。
早くクリプトのフォローにいかねば、と思う前に向こうで撃ち合っていたらしいフラットラインとR301の射撃音が止まる。
流れたキルログにはヴァルキリーの名前があり、よろついた体でクリプトの方に急ぐと向こうもそこそこ傷ついた姿でどうにか立っていた。
危ない所だったと落ちているヴァルキリーのデスボックスを見遣ると、そのデスボックスからアーマーを取り出してから医療キットを使用しているクリプトに声をかける。
「ナイスコンビネーションだったな、クリプト」
そんな俺にクリプトがフェニックスキットを投げ渡してきたのを受け取ると、それを起動させて回復を行う。
既に回復を終えたクリプトが再びドローンを起動して周囲の敵部隊数を確認したらしく、ドローンとの視界共有を解除してからドローンを回収した。
「安心するのはまだ早いぞ、ウィット。まだ4部隊残っているんだからな」
周囲に敵は居なかったようで、ようやくこちらの声かけに返事をしたクリプトはそう言いながらもニヤリと笑っていた。
敵として戦い合うコイツの顔も、強気にこちらを見据えてくる瞳も好きではあったが、こうして互いの背を預けるように戦うのは何よりも心地良い。
「確かに。でも、今日はこのままチャンピオン獲って俺様特製のポークチョップでお祝いだな」
「っふ……まだ気が早いぞ。……まぁ、しかし、お前の作るポークチョップは確かに美味いからな。楽しみだ」
「よっしゃ! 決まりだな。じゃあさっさとチャンピオン獲りに行こうぜ」
俺の相談に乗ってくれたある意味恩人である二人分のデスボックスに申し訳なさも感じなくはないが、手を抜くなんていう選択肢は無かった。
そもそも手なんて抜いていられる程の力の差なんてないくらいにアイツらは強い。
夏の空のようにカラリとしているアイツらは負けた事を悔しがっていても、それ以上に自分たちを倒した相手がチャンピオンを勝ち取るのを見守ってくれる。そんな奴らだ。
施設に戻ったら何か言われるかもしれないが、それはそれでご愛嬌だろう。
クリプトの持っているラップトップを模した形のチャームがついたフラットラインを背中のホルスターに戻すと、同じく相変わらず俺のマスコットがついたフラットラインを背中に戻したクリプトと共にハーベスター方面へと移動を開始した。
□ □ □
駐車場についた車のドアを開けて買い込んだ荷物を助手席から取り出していると、少し離れた駐車場に停めた小型の車からクリプトが降りてくる。
そのまま俺の近くに来たクリプトに荷物の片方を手渡すと、それを受け取ったクリプトが呆れたように囁いた。
「お前、さっきも思ったがこんなに酒と肉を買い込んでどうするんだ。食いきれないだろう」
「別に酒は今日全部飲むワケじゃねぇんだから大丈夫だろ。肉だって、お前なんだかんだ言いながら俺が作ったモンなら結構食うじゃねぇか」
あの後、俺とクリプトの部隊は他の部隊をばったばったとなぎ倒し、見事にチャンピオンとなった。
これまで以上に息の合ったコンビネーションに、中継カメラ越しの観客たちもさぞ賑わっただろうと二人揃ってのチャンピオンインタビューは最高の気分のまま受けたのだった。
そして案の定、施設に戻った時に俺とクリプトをニヤついた笑みで見てきたラムヤとヴァルキリーに、『良かったなぁ、おっさん達?』なんて言われて試合とは違う所で冷や汗を掻いたのはクリプトには秘密だ。
アイツらには近々美味い酒とミラージュ様特製の気合いの入った料理を振舞ってやらないといけないだろう。
どうせ隠そうとしてもいつかはバレてしまう事ではあるのだが、今日はクリプトのご機嫌を損ねたくなかった。
「そう言われると、否定は出来ないが……」
「いっぱい食うってのは良い事だぜ? 少なくとも俺はお前が俺の料理を美味そうに食ってくれる顔見るの、好きだしな」
「……ん、……そうだな。……お前の料理は美味いから、ついつい食べ過ぎてしまう」
そんなやり取りをしながら、駐車場からエントランスまでの短い距離をゆったりと歩くクリプトの顔は明るい。
もうあの視線に怯える必要が無いのが分かっているからだろう。
改めて今日は本当に色々な出来事があったなと思いながら、オートロックを解除して二枚目の自動ドアを開けると、エレベーターホールの中に設置されたエレベーターの呼び出しボタンを押した。
すると、すぐに降りてきたそれに乗り込むと隣に居るクリプトに視線を向け、なだらかな曲線で構築された横顔を見つめる。
その視線に気が付いたらしいクリプトがこちらを見返してきたかと思うと、黒い瞳が俺を映して柔らかく細まった。
「じゃあ今日はいつも以上に気合い入れて作ってやるよ。なんてったって今日はお祝いだからさ」
エレベーターの到着音がかご内に響いてから扉が開いて、ガサリとビニール袋を揺らしながら二人で廊下を歩んでいく。
歩き慣れたコンクリート製の通路を隣に居るのが当たり前になった男と行く。
ただそれだけの事がこんなにも嬉しい。
この先には俺とクリプトが何よりも守りたいと願った幸せが詰まったあの部屋があるのだ。
一番奥にある部屋の前にたどり着くと、俺はボトムスのポケットからカードキーを取り出していつも通りにそのドアの鍵を開け、先にクリプトを中に入れる。
しかしいつもならすぐに靴を脱ぐ筈のクリプトが、鍵を閉めた俺を見つめているのに気が付いて首を傾げると、不意に顔を近づけられて触れるだけのキスを落とされた。
「おかえり、エリオット」
そうして離れた先でほんの少しだけ目元を赤くしたクリプトがそう囁く。
その言葉に何故か泣きたくなるのをどうにか抑えながら、笑顔を浮かべた。
どうしようも無いくらいに不器用な時もある秘密主義な俺の可愛い恋人。
コイツの抱える秘密はいつか俺たちを脅かす日が来るかもしれない。勿論、それが来ない事を祈ってはいるが。
それでもこうしてクリプトと他愛も無い挨拶をして、このまま本当の"家族"になれるのならそれ以外を求めたりなんてしない。
だからどうかこの先のクリプトの未来に、俺という人間がずっと存在し続けられますように。
「ただいま、テジュン」
誰へともなく願った想いをその一言に閉じ込めて唇に乗せる。
互いに持った荷物のせいで抱きしめられないのが辛い。けれどそれは今夜、ベッドの上でたくさん愛してやればいい。
俺はそんな事を思いながら、先に靴を脱いで室内に入ったクリプトを追いかけるように、ぬくもりの溢れた二人だけの幸福で満たされた空間へとその身を進ませたのだった。
-FIN-
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