The Melody of Liars.1




――――偽りのオーバーチュア


 次々に降下していく敵部隊の背を見ながら、今回のジャンプマスターであるレイスと、同じく味方であるパスファインダーと共に遥か足元に広がる今回の【ゲーム】の舞台であるワールズエッジの自然豊かな惑星に建てられた複数の建造物をミラージュは見下ろす。
 ミラージュにとってはこの【ゲーム】にももう随分と慣れたもので、初めは自分の命を賭けて戦うという事に恐怖を感じる時もあったが、そんな恐怖すらも凌駕する程にこの【ゲーム】で得られる物は多い。
 【レジェンド】というアウトランズ中に周知される地位や、【ゲーム】に勝利した際のチャンピオンという名誉。
 加えて戦闘の中で自分自身の研究成果であるホログラム技術を誇示する事は、ミラージュの持つ承認欲求を驚くほどに満たした。
 そうして一番に求めるのは、チャンピオンという称号に付随する多額の賞金。
 病院の小さな個室でエリオットという息子が日々【ゲーム】に参加している事すら曖昧であろう母の為に、ミラージュはその命を賭けて戦う。

 けれど、それはけしてミラージュだけが特別という話ではない。レイスは自分のルーツを探し、パスファインダーは自分のマスターを探す為にそれぞれの命を危険に晒してでも戦いに身を投じている。
 この一種イカれた【ゲーム】に参加する人間など、みな多かれ少なかれ言わずともそれぞれの事情を抱えているのだとミラージュだけではなく全員が理解している事柄だった。

 『あそこに降りましょう』

 そう言ったレイスが足元の金属製タラップを蹴ると、見慣れた黒い衣服をはためかせ軽やかに宙を舞う。
 レイスを追いかけるようにパスファインダーの青い機体が楽しげに飛び降りていくのを横目で見てからミラージュもまた、空高く飛翔するドロップシップから飛び出した。
 顔面を押さえ付けるような下から吹きすさぶ風圧を感じながら、どんどんと迫って来る地表をミラージュは見つめる。その目はこれから巻き起こる戦闘を考えて、キラキラと楽しげな光を宿していた。
 戦いに身を投じるというのは、なんだかんだで高揚感をもたらす。
 命のやり取りをするというのは、結局のところ、自分がどれだけ他者より優れているのかの証明になる。
 今は居ない他の兄弟達の中で、自らが一番劣っていると感じていたミラージュにしてみれば、自分の有能さを確かめる事が出来るこの【ゲーム】は恐ろしくも面白い娯楽の一種に過ぎなかった。

 レイスが指定した場所は、ドームと呼ばれる割れた種子のように地面からせり上がった巨大な壁面に覆われた場所であった。
 地面を覆う灼熱の溶岩が流れるそのエリアは、近づくだけで他の場所よりも体感温度が上がる。
 ジャンプマスターであるレイスから切り離れるように中央の広場に降り立とうとしたミラージュは、すぐ背後に居るもう一部隊の存在に地面に着地した瞬間に気が付き、慌てて同じ中央の広場に降り立った敵部隊の一人に視線を向けた。

 (な、んでこんな端のエリアで被るんだよ!!)

 ミラージュの視線の先には白と緑のカラーを基調としたコートのポケットに手を入れて既にミラージュの存在を認識していたらしいクリプトが、ミラージュと同じくジャンプキットの作用によって軽やかに地表へと着地を決めていた。
 そうしてミラージュを一瞥したクリプトは眉を顰めたかと思うと、さっさとクリプトにとって一番近いサプライボックスに向かって駆けだす。
 このままでは何もしないまま初動で負けてしまう、そう判断したミラージュはクリプトと同じように自身の一番近いサプライボックスに手を掛けると大急ぎでその蓋を開いた。
 カシュ、という開封音と共に開かれたボックスの中には、ライトアモとスナイパーストックレベル1、そうしてシールドセルだけ。

 (これでどうやって戦えって!? ストックでもブン投げろってか?)

 ミラージュは手の中に握り込んだスナイパーストックに目を向けてから、背後のクリプトに視線を向ける。
 きっとこのままクリプトの持った何がしかの銃から放たれる銃弾の雨に、この可哀想なミラージュ様は倒されてしまうのだろう……そんな風にミラージュが観念しかけたのも一瞬で、ミラージュに目を向けたクリプトの手には何の武器も持たれてはおらず、視線が絡んだ。
 ――――戸惑いがミラージュ、クリプト両名の間に満ちる。
 そうして互いにもう少し離れた場所にある二つのサプライボックスに目を向けると、まるでビーチフラッグのように走り出した。
 他の【レジェンド】に負けるのならばまだしも、まだこの【ゲーム】に参加して間もないクリプトにだけは負けたくない。
 何よりもコイツは気にくわないのだ、とミラージュは滑り込むように二個目のサプライボックスに手をかけると、祈るような気持ちでその中身を確認する。

 (おい!! ふざけんなよ運営、どんな配置してんだ!!)

 二個目のサプライボックスの中には、拡張ライトマガジンレベル2と注射器が寄り添うように並んでいた。
 運が無さすぎる、と背後を今度こそ恐る恐る振り返ると、またもや同じようにミラージュを見てくるクリプトの手には何も持たれていない。
 流れる刹那の静寂を破るように、他の建物内でレイスとパスファインダーがそれぞれに戦闘を開始した音が聞こえてくる。
 ここで一旦味方の方に走るか武器を拾いに行くべきなのは分かっていたが、この男に背を向けて逃げ出すのだけはミラージュにしてみればあり得ない話だった。
 命のやり取りの勝敗は、相手より優れているという証明になる。それは常にミラージュがうすぼんやりと考えている事だったからだ。
 ならば、このタイミングでやるべき行動は? それを問う前にミラージュの前にクリプトが走り寄ってくるのが視界に映る。

 「……っぐぅ……!」

 軽やかに跳躍しつつクリプトの脚から放たれる蹴りを横っ腹に受けたミラージュは、唸りながら後ろに吹き飛ばされそうになる。
 細身の見た目とは裏腹に体重の乗った蹴りは鋭く重い。
 だが、咄嗟に足元に力を込めたのと元々ミラージュの方が体重があるお陰で、そこまで飛ばずには済んでいた。
 続けざまに着地したクリプトが中腰の状態から立ち上がるようにしつつ、右手で掬い上げるような掌底をさらに腹部に向かって繰り出そうとしてくるのを確認したミラージュは、敢えてそれを避ける前に握り込んだ右の拳をクリプトの顔面に叩き込む。
 確かな手応えと共に、掌底が当たる前に飛んだクリプトの体は先ほどクリプトが開けていたサプライボックスの前まで後退していた。

 「そのいっつもおすまし顔してるお前の面に一発入れてやったぞ、クリプト!」

 思わずミラージュがそう煽るように叫ぶと、クリプトは口の中が切れたのか血の混ざった唾を地面に吐き出す。
 そうしてミラージュを見据えた黒い瞳は確かな闘志を燃やし、ミラージュをその虹彩の中央に映していた。
 それを真正面から見たミラージュもまた、唇に笑みが浮かぶ。
 ごぼごぼというマグマが煮え立つ音も、他から聞こえる銃声も、そんな物が遥か遠くに感じられるくらいに目の前のクリプトの一挙手一投足にミラージュの意識が注がれる。
 何も情報を取り零さないように、そうして、どう動くのが正解なのかを導き出していく。

 デコイを出すのは遮蔽物もないこの場所では意味がない。殴られる直前に出せば欺く事が可能かもしれないが、どうしても一瞬隙が生じる。
 何よりも、互いのアビリティーは肉弾戦向きではないのだ。
 逆を言えばアビリティー無しのステゴロ勝負をするというのはミラージュにしたら好機だった。
 体重もパワーもこちらの方が重く、スピードでいえばクリプトの方に分がある可能性もあるが、元来凄腕ハッカーとして後方支援をメインに【ゲーム】に最近参加したクリプトよりはミラージュの方が近距離戦も当然の如く数をこなしてきている。
 銃のAIMに関しては相当訓練してきたようで、ミラージュよりもクリプトの方が当てるものの、今はそんな有利を取られる銃も手元には存在しない。
 この勝負、俺の勝ちだ。そう考えているミラージュに向かって、クリプトはその目を細めたかと思うとからかうような声で呟く。

 「最初に俺の跳び蹴りを食らって、無様な声をあげたのはお前の方だろう? なぁ、おっさん」

 そう言ってポケットから手を出しファイティングポーズを取ったクリプトに、ミラージュも胸の前で両手を握り込み構える。
 このクソガキは最初っから生意気な事を言う奴だったとミラージュはクリプトの軽く腫れた頬を見ながらそう思う。
 出会った当初に捻りあげられた腕の痛みを思い出して、あの時は油断していたが今日は油断しないと少し離れた場所に立つクリプトを見ながらミラージュもまた、囁いた。

 「降参するなら今のうちだぜ、ギークなお坊ちゃん。俺のが肉弾戦は得意なの知ってるだろ? 降参するってなら今だけ見逃してやるよ」

 「うるさい男だな。話している余裕があると思ってるのが苛立たしい……!」

 再びミラージュの方に駆けてきたクリプトは今度は跳んでこずに素直に近付いてきたかと思うと、左足を軸にしてミラージュの顔面目掛けてハイキックを打ち込んでくる。
 それを間一髪で避けたミラージュがハイキックの勢いのまま背を向けたクリプトに拳を当てようとするが、それを読んでいたのか地面につけた右足を今度は軸にして首だけを後ろに動かしたクリプトが左足で後ろ蹴りを繰り出した。
 ビュンッ、とクリプトの白いブーツの靴裏がミラージュの腹部ギリギリの位置で風を切る音を聞きながら、ミラージュは思わず声をあげる。

 「っ……お前、足癖悪すぎるだろ!」

 流れるようなその動作を全てギリギリで避けながら、滑らかな蹴り技を放つクリプトにミラージュは内心感嘆していた。
 ネコ科の猛獣のようなしなやかな筋肉を有しているらしいクリプトは、見た目ではそんな風にはあまり見えない。
 だからこそ勝てるとミラージュも踏んでいたのだ。
 しかし、ドローンを操作するにあたって、コントローラーを使用する事の多いクリプトにしてみれば、手を怪我すればその後の試合展開にも支障が出る。
 だからこそ、クリプトは足技をメインにして戦うのだろう。この男は銃だけでなく、近距離戦も相当な鍛練を積んできている。

 ミラージュはクリプトに対する評価が勝手に上がっていくのを感じながら、今度はこちらの番だと素早くスウェーの体勢から右足を踏み込むと、離れたがっている様子のクリプトに距離を詰める。
 そうしてまずは左手で顔面に向かってフックを放ってから、続けざまに後ろに引いた手で右ストレートを放つ。
 それをどうにか避けたクリプトの耳横を掠めたその拳を開いて金属デバイスに覆われたうなじを掴んで引き寄せた。
 先ほどクリプトの顔面を殴ったのは右手であったから、きっとクリプトはそれを予測して左から繰り出されるフックからの右ストレートまで読んで、確実に避けるだろうというのはこちらの読み通り。
 だがそのままその手で引き寄せられるとは考えないだろう、と思っていたのも当たっていたようだ。

 「……なっ、に……!?」

 「チッ……この、暴れんなよ……!!」

 慌てたようにミラージュの腹を膝で蹴りあげたクリプトの攻撃を歯を食いしばって堪えたミラージュは、左手で拳を握り込むとクリプトのみぞおちに二発パンチを突き入れた。

 「かはっ!! ……っぅあ……ぐ……」

 流石にその攻撃はダメージが大きかったのか、苦しげに唇を開閉し、眉をしかめたクリプトの顔を間近で見たミラージュは思わずその表情を観察してしまう。
 クリプトの目元は呼吸を一時的に止められたせいでほんのり赤く染まり、痛みからか滲んでいるらしい涙によって、いつもは乾いた冷たい黒い瞳は艶々と濡れて見える。
 こんな顔をコイツもするんだな、とミラージュが思っていると縋るようにミラージュの胸に手を当てたクリプトがその濡れた瞳でミラージュを睨み付けた。
 しかし、冷たい金属製デバイスから手を動かし、サリサリとした感触の刈り上がった後頭部に触れていた指先を離すと、そのままクリプトはゆるゆると地面に崩れ落ちる。
 優越感と、この勝負に勝ったのは自分なのだという満足感がミラージュの全身を満たし、倒れ伏せたクリプトに向かってミラージュはニヤついた笑みを隠す事無く唇を動かした。

 「今回は俺のか……」

 だが全てのセリフを言い終わる前に、タン、という軽い音がミラージュの身体を貫いたかと思うとその音の方向に目を向ける。
 そこにはG7スカウトを掲げて呆れたような顔をしたライフラインが立っており、クリプトとのステゴロ勝負の間に味方のパスファインダーとレイスはダウンさせられてしまっていてミラージュが残り一人になっていたのをようやく理解する。
 ぐらりと回る視界と暗くなっていく意識の中で、こちらに近寄ってきたライフラインに蘇生用のシリンジを打ち込まれたクリプトと視線が絡む。
 悔しそうな目をしているクリプトにミラージュはニヤリと笑ってみせると、静かに瞼を閉じたのだった。


 □ □ □


 「貴方、本当に何をしていたのよ」

 「まぁまぁ。ミラージュも一人は倒していたし、仕方ないよ」

 施設に帰還しシャワーを浴びて身支度を整えたミラージュは向かい合うように座った談話室のソファーで、黒いシャツとデニムに着替えたレイスと、こちらは変わらずに青いままのパスファインダー相手に先ほどの自分の行動を説明させられる羽目になっていた。
 フォローに来る事も無くあっさりと武器もないままダウンしたのを、二人にはバッチリと見られていたからだった。
 まさかクリプトが相手だったから武器を拾いに行くのも躊躇して殴り合っていたとは流石に言えずにミラージュは必死に言い訳を探す。

 「いやー、俺も早くそっちに行こうとは思ってたんだぜ? でもよぉ、武器が見つからなくってさ。そしたらアイツが俺に襲いかかってきたんだよ」

 「……そう? その割には随分と最初から余裕ぶっていたみたいだったけれど」

 「え? なんでそんな……」

 そこまで言いかけて、レイス相手には嘘などつけない事をミラージュは思い出した。
 彼女は別次元の自分の声を聞くことが出来るという特殊な能力を有しており、離れた場所に居たとしてもある程度の情報は筒抜けになってしまうのだ。
 恐らく戦っている最中にでもそんな情報が虚空から聞こえたのだろう。

 「いやー……ハハ、そんなつもりは無かったんだがな。本当さ! ほら、でも、仕方ないだろ? 殴られたらやり返さないとこっちが不利になるし。アイツは想像以上にけっ……け? ……ともかく熱くなりやすい奴なんだってのが俺も分かってビビったぜ。マジで」

 「そうだね! そもそも圧倒的に不利なのに武器も拾わないで戦うのを選ぶのも凄い事だけど、それでもやられたらやり返さないといけないもんね」

 サラッとミラージュの心に棘を刺したパスファインダーは、その胸部モニターに笑顔のマークを浮かべている事から怒っているワケではなく本気でそう言っているらしい。
 逆に本音でそう言われる方が自分の非を認める気になってしまって、ミラージュは責める様な目でこちらを見てくるレイスと首を傾げたパスファインダーに向かって声をあげた。

 「あー……その、悪かったよ……ついつい俺も熱くなっちまったんだ」

 観念したようにそう言ったミラージュに、ため息を吐いたレイスは肩を竦めたかと思うとミラージュを呆れたような表情で見つめた。

 「最初からそう言えば良いのよ。……それにしたって、貴方たちって本当に負けず嫌いよね」

 そう言ったレイスは談話室に設置されたモニターに視線を移す。
 するとそこにはちょうど今回のチャンピオン部隊である、クリプト・ライフライン・コースティックの部隊が画面いっぱいに映し出されていた。
 クリプトとコースティックの間に居るライフラインはにこやかな笑みを浮かべ、そうしてコースティックは普段どおりガスマスクで覆われた顔は何を考えているのかは分からない。
 そうしてミラージュと初動で殴り合いのバトルをしたクリプトはどこか不機嫌そうな表情をしており、その頬はほんのりと腫れていた。
 しかし世間には好青年で通しているクリプトは運営側の用意した記者たちの質問に、その不機嫌そうな顔を変化させたかと思うと微かに笑みを浮かべる。

 『今回の勝利の功労者ですか? ……そうですね。まぁ、彼女のお陰じゃないでしょうか』

 博士もですけどね、と一応付け加えるようにそう言ったクリプトに隣に居るライフラインは小さくピースサインをし、コースティックは何も反応しなかった。
 三人のキルデスの記録や蘇生回数などのリザルトがモニターに表示され、確かに今回の勝利に一番貢献したのがライフラインなのは明らかであった。
 けれど画面で見ていた限りでは、クリプトのEMPやコースティックのガスなどが上手く作用した結果のチャンピオンである事もハッキリとしており、三人が三人ともバランス良くキルを取っている良い部隊に見える。
 そんなクリプトのノックダウン回数が1回と書かれており、それは自分がダウンさせたのだと気が付いた瞬間、ミラージュは思わずニヤニヤと笑ってしまっていた。

 「聞いてるの、ミラージュ」

 「聞いてる聞いてる! なんだっけ、俺がクリプトを負かしたって話だったか? それなら最高の気分だったぜ」

 ミラージュのニヤついた笑みを浮かべている顔を見たレイスが、返事が戻ってこないのでそう問いかけると斜め上の言葉が返ってくる。
 ――――全くもってこの男は反省などしていない。
 そう確信したレイスはもはやいつもの事だとゆったりと瞬きをし、パスファインダーはミラージュと同じくまだ続いているチャンピオンインタビューに映像を取り込むための赤く光るカメラアイを搭載した頭部を向けていた。
 今度はコースティックが今回の【ゲーム】の進行についての感想を述べているのを聞き流しながら、レイスは前に座っているミラージュにため息交じりに問う。

 「……はぁ……貴方、本当はクリプトの事、好きなんじゃないの?」

 「ミラージュとクリプトは仲良しって事? それなら僕にも分かるよ。だって二人は出会った時からずっと競い合ってるもんね」

 「はぁ!!? なんでそうなるんだよ!」

 レイスのその言葉には素早く顔を向けて否定したミラージュは、着ている柄シャツの袖口に忙しなく触れたかと思うと、過去を回想するように視線を左上に向ける。
 俺とクリプトが仲が良い? 何をどうしたらそういう風に見える?
 クリプトとの記憶を思い出しながら、そんな捉えられ方をする理由が分からないと頭を振ったミラージュが両手をわざとらしく胸元にあげてから首を傾げた。

 「おいおい、全くもってそう言われる理由がわからないぜ。そもそもアイツは……最初の時もあの後の歓迎会でも俺の事をバカにしてきたんだからな」

 「歓迎会で貴方達、話していたかしら? そんな記憶が無いのだけど」

 「そこまで話してはねぇよ。話そうかと思ってたけど、俺は忙しかったからな。それよりも俺のサービスで作ってやったカクテルを『毒でも入ってるのか』って言ったんだぞ!! あり得ねぇだろ!」

 そう言って苦い顔をしたミラージュは、約1週間前のあの夜の事を思い返していた。






 初めてクリプトとミラージュが同じ部隊になった日。
 その日の夜にミラージュの経営するパラダイスラウンジにてクリプトの歓迎会が開催された。
 他の店に行っても良かったのだが、流石に【レジェンド】全員が集まるとなると一般の人々が集まってしまうし、プライバシーの問題もある。
 何よりもミラージュにしてみたら自分の自慢の店であるパラダイスラウンジで出す酒や料理に勝る物は無いと考えていた。
 そうして祝われる本人は余り乗り気では無さそうだったものの、クリプトの歓迎会はなんだかんだと楽しげな雰囲気で進んでいた。
 店中に酔っ払ったジブラルタルやオクタンの楽しげな笑い声が響く中、逃げるようにミラージュの立つカウンターに座ったクリプトはどことなく疲れたようにも見え、落ち着かずにソワソワとしていた。
 こういう酒の場が苦手なのかもしれないとカウンター越しにクリプトを観察していたミラージュを見返したクリプトの目もまた、ミラージュを観察しているような色を宿している。
 その視線から先に目を反らしたのはミラージュからで、声をかけたのはミラージュの方が早かった。

 『お前さぁ……』

 しかしその後の言葉が上手く出てこない。
 何を問いかけてもこの男はミラージュには最初から興味無さげにしており、大した返事を寄越す事は無いだろうとミラージュも理解していたからだった。
 けれど今日の試合のラスト。
 ミラージュの胸元にチャージライフルの銃口を向けて軽くウィンクをしてみせたクリプトは、案外茶目っ気があるようにも思える。
 何よりも背後からこちらを撃とうとしていたコースティックからミラージュを守ってくれた。
 その上、クリプトはあの時の爆発に巻き込まれたせいで肋骨を折ってしまったのだ。イラつきはするものの、助けて貰ったのにはかわりがない。

 ミラージュはいつもはよく回る口を閉じて、背後にある酒瓶を見遣るとカウンター越しに黙ったままのクリプトの前で手早くカクテルを作り始めた。
 取り出した酒瓶はブランデーとディサローノアマレットで、それらを氷の入ったロックグラスに入れ込むとマドラーで軽くステアする。
 カラカラと涼やかな音を響かせ作られたカクテルの名はフレンチ・コネクション。
 先ほどのクリプトの酒のチョイスを見ている限りでは、辛口も甘口もいける口なのは理解できた。
 もう時間も時間で、そろそろ解散の流れになるだろうと踏んだミラージュはクリプトの為に敢えてこのカクテルを選んでやったのだった。
 そうしてミラージュの様子を見ていたクリプトの前に置かれたコースターの上にグラスをサーブしてやる。

 『……これは?』

 『フレンチ・コネクション。甘口だけど度数は高いからちょっとずつ飲めよ、小僧』

 『何故……』

 これを俺に? という言葉の最後までは言わなかったクリプトは怪訝そうにミラージュを見つめた。
 別に何かを頼んだワケでもなく、ただ色々と疲れたから比較的静かなこのカウンターに来たら小煩い男が立っていて面倒だな、と思っていたくらいだったのに。
 そんな事を考えながらもクリプトは目の前に置かれたグラスに再度視線を向ける。
 カウンターの上のペンダントライトに照らされたそのグラスの中身は琥珀色をしており、ロックアイスが光を反射し輝いていた。
 クリプトがそんな事を考えているとは露知らず、ミラージュはミラージュで、今日の助けられた事を素直に感謝する気にはなれずに、本当にただのサービスのつもりで酒を提供したのだった。
 それなのに目の前のクリプトは困ったように眉を顰めている。
 まさか、ブランデーは得意ではなかったかと思っていると、クリプトはミラージュを見ながら半ば本気にも見える表情をしながら囁く。

 『……毒でも入ってるのか』

 その言葉に大仰に額に手を当てて首を振ったミラージュは、一体どういう生き方をしたらそんな発想に至るのかが不思議で仕方がなかった。
 けれど考えてみれば、クリプトはこの店に来てから皆が口をつけてからではないと料理を食べなかったし、酒も他のメンバーが頼んで開けたボトルの中身を分けて貰うような形で基本的には誰かと同じものを頼んでいた。
 ビールも飲んでいたが、サーバーから直接注がれる物であれば安心だという気持ちだったのかもしれない。
 そんな自意識過剰なクリプトの行動にようやく気がついたミラージュは、カウンターの上の酒を一度手に取ると可哀想な扱いを受けたそのカクテルを自分の口元へと運ぶ。
 ミラージュが自分で作ったカクテルを飲むのを見つめていたクリプトに向かってミラージュが目だけで苛立ちを訴えると、今度はクリプトの方が先に目を反らした。

 『なんで俺がお前に毒なんか盛らなきゃならないんだよ。俺はこの店で出すものには全部こだわってるんだ、他の事ならまだしも、そんな事を言われるのはし……し、……心外だぞ』

 そのカクテルをまたコースターの上に置くと、何かを言おうとしているクリプトが唇を開くがその前に酔っ払ったオクタンが嵐のように現れてまたもやみんなの居るテーブルにまでクリプトを引っ張っていってしまった。
 そうして残されたクリプトの為に作ったカクテルを結局はミラージュが飲み干す事になったのだった。






 そこまで思い出して、ミラージュは苦い顔のまま大声をあげる。

 「アイツは常に自分が命を狙われてると思ってる、被害妄想狂の変人さ! あんな奴と仲良くなんてどう考えても出来っこないね、そもそもアイツだって俺の事なんかカケラも関心ないだろ」

 そう言ったミラージュの背後にチラリと目を向けたレイスと、さらに手を振ったパスファインダーが陽気な音声でミラージュの背後に居る人物に声をかける。

 「お疲れ様! チャンピオンおめでとう、クリプト、ライフライン。コースティックはどうしたの?」

 パスファインダーのその声に思わずミラージュが後ろを振り返ると、苦笑いをしたライフラインと無表情のままミラージュを見ているクリプトと目が合う。
 コイツ、さっきの話を聞いていたんだろうな、とミラージュはその顔を見るだけで察してしまう程にクリプトの周りには冷たい雰囲気が滲み出ている。

 「あー、ありがとうパス。コースティックはさっさと居なくなっちゃったんだよね」

 黙ったままのクリプトのかわりにライフラインが明るい口調でパスファインダーの問いかけに答えるが、ミラージュの目はクリプトにしか向けられていなかった。
 しかしクリプトはわざとミラージュを見る事は無く、その奥に座っているレイスとパスファインダーに視線を向けていた。
 その頬はやはり少しだけ腫れていたが、この後の施設にいる衛生兵の治療で綺麗に治ってしまうのだろう。
 しばらくジッと見ていると、クリプトも無視するのが難しくなったのかミラージュにその瞳を向けたが、冷たい雰囲気同様に黒い虹彩はミラージュをそこら辺の石ころでも見るような視線で貫いた。
 そうしてゆっくりとミラージュの座るソファーの背凭れに手を触れさせたクリプトは、周囲が話している間にミラージュに近付くとその耳元で囁く。

 「……心配しなくとも……」

 「え?」

 「……俺だってお前と仲良くするつもりはないさ。お喋りな上に空気も読めない、裏でグチグチと鬱陶しく愚痴る男になんて、興味もない」

 「なっ……」

 「だから安心しろよ。おっさん」

 ポン、と肩を叩いてミラージュから離れたクリプトにミラージュは何を返すべきなのか分からずただ黙り込むしか出来なかった。
 嫌な奴だと思う。それは本当だった。けれど、さっきの戦いは久しぶりに楽しかったのだ。
 無表情で何を考えているのか分からないこの男が本気でこちらを倒そうとしてくる姿は、今だって脳裏に残っている。

 「ねぇ、クリプト、アンタも飲み会来る? ミラージュの奢りだって」

 「はぁ!?」

 ミラージュが参加していなかった方の会話の中で勝手にそんな話になっていたらしく、ライフラインが明るくクリプトに向かってそう言うので、それはそれでミラージュは慌てる。
 この人数分を奢るというのは、かなりの金額になるのが確実だったからだ。それならまた自分の店で飲み食いして貰った方がいい。
 元は本業だったとはいえ、今のミラージュにしてみればパラダイスラウンジの売り上げ金が一日減った所でどうといった問題では無かったからだ。
 そうして、一緒に飲む機会があれば先ほどの発言を少しは弁解する事が出来るかもしれないと思ったのだが、クリプトは緩やかに首を横に振った。

 「いや、俺は遠慮しておく。このあとに用事もあるんでな。今日は助かった、またよろしく頼む」

 そうライフラインに告げたクリプトは素早く談話室から出て行ってしまった。
 残されたメンバーの視線は、そんなクリプトの背を見つめていたミラージュへと注がれる。

 「……これは盛大に嫌われたわね」

 ポツリと部屋に響いたレイスの呟きに、ミラージュはまるでゼンマイ仕掛けの人形のように顔を前に戻す。
 これは俺が悪いのか? と思いながらも確かにあんな風に言われれば誰だって嫌になるだろう。
 ミラージュは無意識に片手を頭に沿わせるとガリガリと爪先でそこを掻いた。

 「まぁ、とにかく飲みながら話を聞いてあげるよ。シャワー浴びてくるから待ってて!」

 「それはお前が飲みたいだけだろ……」

 そんなミラージュの後ろで、ライフラインがカラカラと笑いながらそう言って談話室を出ていくのを振り返る事なくミラージュが囁いた。
 チャンピオンとキルリーダーを同時に取った日は確かに飲んで騒ぎたい気持ちになるのはミラージュにもよく分かる。
 これは随分と飲むだろうなと店の在庫を脳内で確認するミラージュを尻目に、レイスとパスファインダーは会話を続けていた。

 「今日はパーティーって事?」

 「そうね。パーティー兼ミラージュを慰める会ってところかしら」

 「僕はクリプトはミラージュの事を本当に嫌っているようには見えないんだけどなぁ……まだ彼の事は良くわからないけど」

 胸部モニターにクエスチョンマークを浮かべたパスファインダーは、目の前でうなだれているミラージュにカメラアイを向ける。
 パスファインダーの視線に気が付く事の無いミラージュは、とりあえず店に連絡しないと、とポケットの中に入れておいた通信デバイスを取り出して貸し切りにしておいて欲しいと店に居るスタッフに電話をかけたのだった。


 □ □ □


 結局、パラダイスラウンジの奥まった場所にあるテーブルに集まったメンバーはレイス、ライフライン、そうして何故かただ酒が呑めると押し掛けてきたオクタンに、呑めなくとも賑やかしのためにと笑顔の顔文字を浮かべたパスファインダーがテーブルを囲んでいた。
 木製の巨大なテーブルの上にはフィッシュ&チップスやフライドチキン、チーズの盛り合わせ、カプレーゼなど軽いツマミになる物が置かれており、どれもこれも美味しそうな匂いを発している。
 そんな料理の前で待ち構えるメンバー全員の前にビールジョッキを運んだミラージュもまた、大きなテーブルをコの字型に囲むように設置された赤いビロード張りのソファーの端に座っているパスファインダーの隣に押し込むように腰を下ろした。
 今日は色々な意味で疲れているので、この後の酒と料理の提供はスタッフと雇っているMRVN達にお願いする事にしたミラージュは、ライフラインがジョッキを掲げたのを見て同じように目の前の泡の立ったビールの入っているジョッキを持ち上げる。

 「んじゃ、かんぱーい!」

 それを見ていた他のメンバーもそれぞれにジョッキを掲げると、ライフラインの音頭でジョッキをぶつけ合った。
 ソファーの中央に陣取り、誰よりも早くジョッキに口をつけビールを飲むオクタンを横目に、ライフラインは豪快にビールを飲んだかと思うと、ぷはー! と女子らしからぬ声をあげる。
 ライフラインの隣に座っているレイスはチビチビとビールを傾けながら、ちょうど向かい側に座るミラージュに視線を向けて囁いた。

 「それで……、なんだったかしら」

 「……なんも何も無いだろ……俺はもうアイツと仲良くするってのは無理なんだよ。別に仕事ではちゃんとするし、問題も無い筈だ」

 「アイツって? 誰の話だよ」

 この飲み会の趣旨を知らないオクタンがテーブルの上に置かれたフォークを手に取ると、衣をまとった白身魚のフライに容赦なく突き刺し、それを今はゴーグルのみでマスクを着けていない口元に放り込む。
 ザクザクという咀嚼音に応えるように、パスファインダーが持っていたジョッキをテーブルに置いた。
 もちろんその中身は減っていないが、乾杯をする時はパスファインダーの分も用意するのが定例となっているからだった。

 「クリプトだよ。ミラージュはクリプトと仲良くしたいんだってさ」

 「ほーん。アイツそんなに取っ付きにくいかね? ただのゲーム好きな奴にしか思えないが」

 口の中の物をもう咀嚼し終えたのか、さらにフライドチキンに手を伸ばしながらオクタンが言う言葉に思わずミラージュは目を見張った。
 クリプトがゲームが好きだなんて知らなかった。そもそもまだ出会って1週間程度しか経っていないのに、オクタンは何故そんな事を知っているのだろう。

 「なに、シルバ、クリプトともうそんな話したの? 彼って最初にゲーム好きなんて話してなかったわよね」

 ミラージュが疑問に思った事を隣に居たライフラインも思ったのか、カプレーゼに使っているトマトにフォークを刺しながら声を上げた。
 その隣で黙々と食事を続けているレイスもオクタンの方を見つめていた。
 注目される事には慣れているオクタンは、そんな一同の視線を身に浴びながらも気にする事なくジョッキに口をつけると、愉しげな雰囲気で言葉を紡ぐ。

 「俺がシップで最近出たばっかりのゲームやってたら、アイツがいきなり後ろから現れてさ。『その新作面白いか?』って聞いてきたんだよ」

 一度、ジョッキの中身を飲んでからまた唇を離したオクタンはさらに続ける。

 「だから、『前作よりも色々変わってて面白いぜ』って言ったんだよ。そしたら『前作は所々面倒な操作を要求されたからな』って言われてさ。前のもやってたって事だろ? だから『ゲーム好きなのか?』って聞いたら、『昔は良くやってた』って言ってたぜ」

 「でもさぁ、新作って分かるってのは最新作の情報集めてるって事だろ? その後はなんかゲームの話とか色々して、今度一緒にやろうって話もしたぜ! アイツ絶対ゲーム上手い気がするんだよなー」

 事も無げに言われるオクタンの話に、ミラージュはショックを受けていた。
 何に対してなのかは良く分からないが、オクタンとクリプトがいつしかそんな約束をする程の間柄になっているというのに、ミラージュとクリプトの溝は深まるばかりだったからだ。
 ただのビジネスパートナーとして同じチームに居る時にだけ愛想良くすればいい。
 それは向こうもそのつもりなのだろうと思っていたのに、案外あの男は周囲と世間話などをしているようだった。

 「私もそういえばこの間、D.O.Cドローンを見せてくれないかって言われたなぁ。自分のドローンとは違うから構造を確認してみたいとかなんとか……」

 「僕もそんな話を彼としたよ! 僕が他のMRVNとは違うタイプらしくて、それを調べてみたいって」

 次々と出てくるクリプトのミラージュには見せた事の無い姿を聞きながら、縋るようにミラージュは黙ったままのレイスに視線を送る。
 そんなミラージュの視線の意図を理解したのか、レイスは飲んでいたジョッキをテーブルに置くと盛り合わせたチーズの中のカマンベールにフォークを刺しつつ低く囁いた。

 「……私のディメンションリフトについて、今度是非とも分かっている範囲で構わないから講義して欲しいと言われたわね」

 「お、俺だって、俺のホログラム技術に関してならそれこそいくらだって講義してやるのによ! 全く、アイツは分かっちゃいねぇよ! な! な!」

 ミラージュのそんな必死な声は誰にも返事をされる事なく空中に漂い消えていった。
 この状況ならば、この場には居ないワットソンやジブラルタル、ブラッドハウンドにもそんな話をクリプトはしているかもしれない。
 勝つための情報収集なのか、はたまた本当に自分の知らない分野への知的好奇心なのか。
 どちらにせよ、ここまで邪険に扱われているのはミラージュのみだという事がこの場でハッキリとしてしまったのは事実だった。

 「そんなに仲良くなりてぇなら、それこそゲームとか誘ってみたらどうだ?」

 「別に俺はアイツと仲良くなりたいなんて思ってねぇよ、ただ、今後とも長い付き合いになるかもしれねぇと思ったら……その……普通に話すくらいは出来るようになっとかないとだろ? まぁでも、うん……ゲームね……ゲームか……」

 「でもお前、ゲーム下手だもんなぁ……どうせボコボコにされてブチギレる未来が見えるぜ」

 ハハハ! とそう言って愉快そうに笑ったオクタンにミラージュはジトリとした視線を向ける。
 たまにオクタンに付き合わされてテレビゲームをする事もあるが、ミラージュにしてみたらあんな小さなコントローラーと画面で細々した動きをするのが難しい。
 だからどれだけハンデを貰ってもオクタンに勝てた試しがない。そんな腕前でクリプトに『ゲームでもしよう』なんて言って誘うのもおかしな話だろう。
 そもそも、ゲームが下手だといっても他の分野では天才なのだから神はそっちに才能を割り振っただけなのだとミラージュが言い返す前に、思い付いたようにライフラインが声を上げた。

 「じゃあさ、ボードゲームとかトランプとかは? それならミラージュも出来るしいいんじゃない?」

 「でも、クリプトがそういうゲームに参加してくれるかなぁ?」

 「うーん……確かに」

 パスファインダーのその一言に、ライフラインは勢いを弱める。
 パスファインダーの言うとおり、軽い世間話はするものの、飲み会や談話室での会話などには極力参加したがらないクリプトがミラージュからそんな娯楽に誘われて参加するとはあまり思えなかった。

 「じゃあもう試合のキル数でも競えば? 最初からそんな感じだったじゃない」

 もはや面倒になったのか、明らかに最初よりも適当にそう言ったライフラインに隣に座っているオクタンがまたもや笑う。

 「そりゃいいな! 俺もいつでも参戦してやるぜ! あ、ミラージュ、おかわり頼む」

 「私もビールおかわり!」

 「お前らなぁ……」

 空になったジョッキを掲げたオクタンとライフラインにミラージュはそっとため息を吐きながら、壁際に控えていたMRVNに四本指を立てて合図をすると、親指を立てる動作をしてからキッチンの方にMRVNが向かったのを見送る。
 どうせ自分のジョッキもレイスのジョッキも空に近いのだから頼むなら四つ一気に頼んでしまった方が楽だ。
 コイツらに話したのが間違いだったのかもしれないとミラージュが思っていると、向かい側のレイスが珍しくからかうように囁いた。

 「でも確かに最初から二人で楽しそうに列車から逃げ出してたじゃない。なんだかんだで良いコンビになれるかもしれないわよ?」

 「だーかーら、そんなワケあるか!」

 ミラージュの声が店内に響くのと同時に、ジョッキビールを四つ持ってきたMRVNがキッチンからカシャカシャという歩行音を響かせて戻ってきた。
 さっと機械の手から渡されるジョッキを受け取った面々はもはや誰もミラージュの話を真剣に議論するつもりはなく、別の話題に花を咲かせているの聞きながら、ミラージュは肩を竦めて受け取ったジョッキに口をつけたのだった。


 □ □ □


 パラダイスラウンジで飲み会をした3日後。
 ミラージュは少し離れたソファーに座って膝に置いたラップトップを叩いているクリプトに気が付かれないように視線を向けた。
 相変わらずツンとした表情のクリプトは、もう15分もすれば開始される今回のデュオ大会の仲間だった。
 何か作戦を話そうかとも思ったが、無表情なクリプトを見るとミラージュも何も言えない。しかもそんな時に限って談話室には他に誰も居らず、気まずい沈黙だけが辺りをくるんでいた。
 別にこの場に居なければいけないという決まりはない。
 だから開始されるまで違う場所をうろつけばいいと思いながらも、ミラージュは意を決して座っているクリプトの傍へと近寄った。

 「……あのさ」

 その声に応えるようにミラージュを一瞥したクリプトはすぐにラップトップに目を戻してしまう。
 そんな反抗的な態度が逆にミラージュの神経を逆撫でしてくるが、ここで引くわけにはいかないとミラージュは声を発した。

 「今日の試合で俺とキル数勝負しろよ」

 ミラージュの言葉は思っていたのと違っていたのか、顔を上げて眉を顰めたクリプトにミラージュはさらに続ける。

 「勝った方が相手の言うことを一つ聞くってルール付きだ」

 その言葉には少しだけ楽しそうな顔を見せたクリプトに、ミラージュはやはりコイツは負けず嫌いなのだろうなと思う。
 あの試合でチャンピオンを取ってはいるものの、ミラージュにダウンさせられたのが余程悔しかったのかその後、接敵した時は大概ミラージュからクリプトは狙ってきていたからだった。
 叩いていたラップトップの蓋を伏せたクリプトは、ミラージュに視線を向けると薄く笑う。

 「ほう? いいだろう。……なんでもいいんだよな、"命令"っていうのは」

 「もちろん、常識的な範囲ならな。武器の固定もなし。純粋にキル数の勝負だ」

 そんなクリプトの不敵な笑みに、ミラージュもまた薄く笑う。
 二人の合間に漂う仲間だというのに不穏な空気の中、今回のアリーナであるワールズエッジ行きのドロップシップが搭乗口に到着した事を告げるアナウンスが流れる。
 そのアナウンスを聞いたクリプトは、もうミラージュと話す気は無いのかラップトップを抱えて談話室のドアから出ていってしまった。
 クリプトの白いコートがはためく後ろ姿を見送ってから、ミラージュもまたゆるゆると動き出しドロップシップの搭乗口まで向かう為に歩き出す。

 ミラージュとしては別に勝ったからといって何かクリプトにさせたい事があるワケではなかった。
 けれど、こうして戦いを重ねれば重ねる程にあの無感情にも思えるクリプトの事が分かるような気がしていた。
 上っ面だけの話をして理解し合うフリをするよりも、危機に瀕した時にどういう風に動くのかの方が結局のところ人間の本質が現れる。
 それはミラージュがこの【ゲーム】に参加する前から知らず知らずのうちに得ていた教訓の一つだった。






 空高く飛ぶドロップシップの中で、今回のジャンプマスターであるクリプトの指示を待つ。
 相変わらず様々なエリアがあるワールズエッジを上空から見下ろしていると、クリプトがキャピトルシティの何層にも重なる建物の一つを指定してから降下していく。
 キャピトルシティはワールズエッジの中でも特に激戦区であり、屋上を一本のジップラインで繋がれた二つの建物はその中でも特に降下する部隊が多い。
 普段はそんな所に降りるのをしなさそうなクリプトが敢えてそこを選んだという事に、ミラージュは風を受けながら降下しつつ無自覚に笑ってしまう。

 そうしてやはり何本ものダイブ軌道がミラージュとクリプトが目指すキャピトルシティの中でもひときわに目立つ二つの建物が縦に並んだ形になっている場所に向かって伸びるのを確認しながら、ミラージュはクリプトから切り離れて壁が多い方の建物の空いている隙間から滑り込むように二階に降り立つと、同じ階に降り立った敵部隊のコースティックよりも素早く走り出して近くにあるオルタネーターをひっ掴んだ。

 ガス缶の置かれる音と共に、コースティックが撃ち込んでくるRE-45の銃弾が飛んでくるのを遮蔽物を駆使しつつ避ける。
 頬を掠める銃弾と、徐々に室内に置かれていくガス缶の数に焦りを覚えながら、走りつつ今度はウィングマンを拾い上げたミラージュはデコイを出しながら敢えて前進するのを選択した。
 それは背後で戦っているクリプトが、その戦闘相手であるレイスをすでにダウンさせたのが分かったからだった。
 不利だとしても、今はクリプトとのキル数勝負をしている以上、初動でのキル稼ぎは重要だと黄色く煙るガス内にスライディングで滑り込んだミラージュは、コースティックに向かってオルタネーターを撃ち込んでいく。
 喉に絡むような毒ガスのダメージに加え、的確にミラージュを毒ガス越しに撃ってくるコースティックのRE-45の弾にダメージを受けながらもオルタネーターからウィングマンに持ち変えたミラージュはガスマスクをしているコースティックの頭部目掛けて引き金を引いた。
 見事に威力の高いその弾丸はコースティックの頭部を貫き、レイスとコースティックの部隊をとりあえず撃破したのを理解したミラージュは、一息つく間も無く上の階に居るらしい他の部隊の足音や、すぐ隣の建物での勝利部隊がジップラインを伝ってくる音が聞こえてきて慌ててコースティックのデスボックスを漁る。

 しかし、初動も初動、ミラージュと同じ階でしかアイテムを漁っていなかったコースティックのデスボックスには当然まともなアイテムなど入っておらず、痛む体を抑えながらミラージュはとにかくこの場から一度離れるべきだと二階から飛び降りた。
 ジャンプキットのお陰で着地時のダメージは無かったものの、駅方面からも敵が走ってくる音が聞こえてきて、ミラージュは仕方なく隠れるようにエピセンター側の方へと走り出すが、その方面からも敵が向かってきているのは分かっていた。

 『ここに向かう』

 不意にミラージュの耳元で、クリプトからの通信が聞こえる。
 クリプトが指したのは降り立った建物からエピセンター側にある一階部分が吹き抜けになっている三階建てのビルであり、そこもすぐに敵が来そうではあるものの道の真ん中に留まるよりかはよっぽどマシだろう。

 『了解』

 そう返事をしたミラージュは、駅側から来た部隊とミラージュ達が居た建物の隣の建物から来た部隊、そうして上に居た部隊が戦闘を始めた音を聞きながら階段をかけ登り、すでに部屋の仕切られた一角で回復をしているクリプトの隣に息をきらしてしゃがみこんだ。

 「ここに一体何パーティいるんだよ」

 「……確認する」

 ミラージュの言葉に上着のポケットに手を入れたクリプトがコントローラーを出すと、背中からドローンを展開する。
 微かな起動音を響かせて外に続くベランダから出ていったドローンと、手元を忙しなく動かしているクリプトを立ち上がりながらもミラージュは自然と観察していた。

 ミラージュにはいまいちクリプトの使用している技術がどういったモノかは分からない。だが、少なくとも他人の脳波に干渉し、自分の視界を一時的にとはいえドローンに接続するというのは並大抵の技術ではない。
 ミラージュの使用するホログラム技術に関しても、その道の権威であったミラージュの母親であるイヴリン・ウィットと共同開発した凄まじい技術ではあったが、クリプトは一人でこの技術を20代という若さで開発したのだと思うと、ミラージュはクリプトのエンジニアとしての才能を尊敬してしまいそうになる。
 そんな事を考えていると、クリプトの目元を覆うようにしていた薄緑色のスクリーンが消え、黒い眼差しがミラージュを見返す。

 「周囲に4部隊は居る」

 「そりゃ、ヤバイな。……周辺のアイテムなんか残りカスみたいなのしか残ってないだろ」

 ふぅ、とため息を吐いたミラージュは自身のバックパックに入っているアイテムを思い返すが、漁夫をしに行くにしても回復すら無い上に残弾もほぼ無い現状では返り討ちに合うのがオチだろう。
 クリプトとのキル数勝負はもちろん、勝利したいが、何よりも他部隊に負けるのも癪だと考えているとコントローラーをしまっていない方のポケットに手を突っ込んだクリプトがミラージュに向かって一つ、注射器を差し出した。
 その行動の意味が分からずにミラージュがクリプトを見返すと、やはり何も感情を浮かべていない瞳がミラージュを見返していた。

 「回復、無いんだろ」

 しかしそれを受け取る事無く黙ったままのミラージュに、遂に片眉をあげて面倒くさそうにクリプトがそう言うと、ようやくミラージュはゆるゆると話し始めた。

 「無いが……お前だってヘルス削れてるじゃないか。そもそも、俺達はキル数で競ってるんだぞ? 敵にそんな……な……なんだっけ? とにかく良いのかよ。お前にしたらなんの得にもならないだろ」

 「お前に少しくらい回復を渡したところで、大して不利にはならない。それに俺達は今は"一応"味方部隊だ。お前にキル数でも勿論勝つ。でも、それ以上に他の部隊に負けるのは不愉快なんだよ」

 一応、という部分を殊更に強調して言ったクリプトにミラージュはその掌の上に置かれた注射器に視線を送る。
 クリプトの言うのは納得できる話ではあったが、もしも自分が逆にこの状況になった時に迷わず回復を差し出せるかどうかは分からない。
 それこそ何か意図があるのではないのかと思いながらも、ミラージュはその掌の注射器を受け取ると左腕にそれを刺し込む。
 これでもまだまだ身体は痛むが、弾が掠めただけでダウンしてしまう状況からは脱出出来た。
 空になった注射器の容器をその場に投げ捨てると、礼を言おうか迷うミラージュの前でクリプトが薄く笑った。

 「これで貸し2だな。お前、既に俺にこんなに借りを作って返せるのか?」

 「はっ!? はー、なんだよ、それっ! 別に俺はそんな借りなんてなぁ……」

 「しっ、静かにしろ!」

 まさかのその言葉にすっとんきょうな声をあげたミラージュの口を塞ぐようにクリプトが片手をあげる。
 それと同時にブラッドハウンドのソナーが二人のすぐ横を検知する。いくら少しは回復をしたといっても、この場で見つかればあっという間に二人揃って倒されてしまう。
 ソナーには引っ掛からずとも、気配を感じたのか階段をあがってくる足音が聞こえてきて、ミラージュは思わず庇うようにクリプトの前に立ち塞がった。
 こちらの方が身体も大きい上に、クリプトはミラージュにしてみれば生意気ではあるもののかなりの年下で後輩だ。
 そして回復も無い状況下では、体力的にも削れているミラージュがクリプトの前に入った方が良いと判断したからだった。
 ミラージュは弾数の少ないウィングマンを構えると、後ろのクリプトに向かって囁く。

 「これで借りは1個返す。それで構わないだろ。俺が引き付けるからお前はそこのベランダから逃げろ」

 「な……」

 「早く行け……!」

 もう目の前まで上がってきている敵の気配に、ミラージュはクリプトの腕を掴むとベランダの方へクリプトを押し出す。
 そうして開かれかけたドア前に走り込んで無理矢理そこを身体で塞いだ。しかしこの建物にはドアが二つある。
 今は一人しか上に来ていないから片方塞ぐだけで何とかなっているが、それも数秒と持たないだろう。
 迷うような顔をしたクリプトに、ミラージュはパチリとウィンクをしてみせる。
 まるであの日、ミラージュをコースティックから救ってくれたクリプトのように。

 「……ッチ……!」

 何に対してなのか分からないが、クリプトが舌打ちをしたかと思うとミラージュに背を向けてベランダから飛び降りる。
 それと同時に押さえ込んでいたドアが蹴破られ、目の前にブラッドハウンドのガスマスクをした顔が迫る。
 ミラージュは構えたウィングマンをその身体に撃ち込むが、向こうはしっかりとアーマーを着込んでおりミラージュは数発の弾丸で呆気なく崩れ落ちた。
 けれどその銃声は未だに周囲に居る他部隊を呼び寄せる呼び水になる。この混乱に乗じて、クリプトならばきっと上手くこの場所から逃れる事が出来るだろう。
 ミラージュは薄れゆく意識の中で、最後に見たクリプトの表情を思い返す。
 悔しいのだが、条件を飲むしかないのだというその顔は冷たい印象とは異なり、人間味に溢れていた。

 (……ああいう顔してる時は可愛げあるのになぁ)

 ミラージュはぼんやりとそんな事を考えながら、ブラッドハウンドに止めの一撃を加えられその意識を閉じさせられたのだった。


 □ □ □


 先に治療を受けたミラージュは、身支度を整えてからまだ帰還したばかりで治療を受けているであろうクリプトの元へと向かうために、廊下を進む。
 他に廊下を進む人影はなく、あっという間にたどり着いたドロップシップの搭乗口に程近い施設の医務室のドアを開けると、リノリウム張りの床に置かれたいくつかのベッドとテーブルとチェア、そして消毒液の匂いが漂ってくる。
 そして、そこには恐らくつい今しがた衛生兵のD.O.Cドローンと、医療用MRVNによって丁寧に治療を施されたらしいクリプトが白い上着を脱いだ状態で座っていた。
 衛生兵とMRVNは他のメンバーの搬送に着く為に出ていったのか、もう居ない。
 衛生兵も随分と大変な仕事だとミラージュが思っていると、座っているクリプトの視線を感じてそちらを見遣った。

 あの後、上手く逃げ出したクリプトは別の場所で装備を整え、アルティメットを使用しながら見事に1部隊をソロで壊滅させて6位にまで順位をあげた。
 そうして当然のごとくミラージュは1キル、クリプトは3キルと今回のキル数勝負ではクリプトの勝ちで終わったのだった。
 約束を吹っ掛けたのは自分からなのだから、甘んじてクリプトの要望を聞こうと重い足を動かしてわざわざ医務室までミラージュが来たのはその為だった。

 「あー……その、なんだ……お前の勝ちだから、"命令"を聞きにきてやったぞ。このミラージュ様直々にな! 全く、最悪だぜ。まさかこの俺様が負けるなんてなぁ……でも、次は負けねぇからな!」

 一体何を要求されるのやらとミラージュがクリプトにそう早口で捲し立てるように言うのを相変わらず黙ってみているクリプトは、何かを考え込んでいるようだった。
 相当にヤバい"命令"をされるかもしれないとミラージュが身構える中、クリプトは聞こえないくらいの小さな声で囁く。

 「今回の借りをチャラにしろ」

 「?……今回の件って、何がだ? なんかしたっけ」

 ミラージュは先ほどの戦闘を思い返すが、クリプトに対して貸しを作った記憶はなかった。
 逆にクリプトから注射器を渡されたぶん、それを返しただけに過ぎない。
 首を傾げるミラージュを見ていたクリプトは何故か苦しげに眉を一度歪めたかと思うと、座っていたチェアから立ち上がる。

 「……分からないなら、良い。俺の"お願い"はこれで終わったからな」

 キシ、と軽い音を立てて立ち上がったミラージュよりも少しだけ小さいクリプトはチェアにかけていた上着を手に持つとジッとミラージュを見つめる。

 「なんだよ、どうかしたのか?」

 「……いや……」

 こうして何かを言いかけて黙り込むクリプトを見るのは二回目だとミラージュが考えていると、クリプトはそのままミラージュの横をすり抜けて医務室を出ていこうとする。
 何故かミラージュはそんなクリプトを引き留めたくなって、後ろを振り向くと小さく見える背中に声をかけた。

 「クリプト」

 「……なんだよ」

 クリプトがその声に首だけを後ろに振り向かせる。
 刈り上げた後頭部はなだらかな丸みを帯び、普段は上着で見えない首元の金属デバイスの形状がよく見える。
 そうしてそのうなじを覆う金属デバイスの上にはいくつものネックレスがかけられており、それらの金具が擦れて、シャラシャラと音を立てた。
 振り向いた先にある黒い瞳孔がミラージュをその中央に映し、ミラージュはそんなクリプトの顔を真っ直ぐに見返す。

 「……またリベンジさせろよ。次は負けねぇから」

 そのセリフにクリプトの目が丸くなった後、ほんの少しだけ楽しげに細められる。

 「……いつでも相手になってやるよ。ミラージュ」

 そういって上着を抱えていない方の片手をヒラリと挨拶をするように振ったクリプトは、今度こそ医務室のドアを開けて出ていってしまう。
 クリプトがミラージュを親しげに呼ぶのは初めての経験であり、クリプトのそんな顔をミラージュは初めて見ると鼻腔を濁らせる消毒薬の匂いの中、何故かあがる体温を感じて自分自身のそんな思考を散らすようにミラージュは一人頭を振ったのだった。






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