The Melody of Liars.4




――――真実のフィナーレ


 クリプトがスパイであると疑われてから約1週間。
 【レジェンド】達の信頼関係は一層希薄になっていたものの、アーティファクトの回収作業は無事に終了し、ワットソンの手によって組み立てが完了した。
 ハモンド社がローバと取引してまで望んでいたあのアーティファクトのこめかみには【ASH】の刻印が記されており、どこか不気味な雰囲気を宿したその頭部が完成した事をハモンド社に告げると、ただただ無機質な通信でそれを届けるべき座標だけがローバ宛に届けられたのだった。
 【レジェンド】一行は事の成り行きを見届けようと、レヴナントとローバ以外の全員でその指定された場所へと向かった。
 指定されたのはスラムレイクにある底深いハッチの一番先で、薄暗く湿ったその場所には頭部と同じく不気味な足と頭部のない肉体ユニットがポツンと置かれており、そこにアーティファクトを装着する。

 動力が供給されたそのアーティファクトは身悶えるようにその体を蠢かせ、『ごめんね、僕を怒らないで』と叫びをあげたかと思うと、『ダリオン』『デュアルド』という名と意味不明な数字の羅列を繰り返した後に、『ようこそ、オリンパスへ』と静かに呟いた。
 初めはレヴナントのスペアヘッドパーツかとも思われていたそれは、オリンパスへの入星解除コードを持つ別個体のシミュラクラムの頭部だったのだ。
 そうして、ハモンド社を通じてマーシナリー・シンジケートから次回の【ゲーム】開催予定地がオリンパスである事を伝えられた【レジェンド】一同は、相変わらず気まずさを残したままではあるものの、この面倒なミッションが一応完了した事に安堵していた。

 スラムレイクからパラダイスラウンジに戻ってきた【レジェンド】達は大仕事が終わったのにも関わらず、誰も喜びを分かち合ったりなどしなかった。
 そして、ハモンド社からソースコードを手に入れる事が出来て一番に喜んでいるであろうローバの顔色は何故か優れないままで、その横には仲の悪かった筈のバンガロールが彼女を守るように立っている。
 ミラージュはそんな二人の様子を見ながら、あの【ASH】という頭部が発していた音声に関して思いを馳せていた。

 オリンパス、それはミラージュも店に来る旅人達から何度かその名前を聞いた事があった。
 惑星プサマテの中でも特に富裕層が暮らすとされている都市で、限られた人間たちしかその場所には足を踏み入れる事が出来ない。
 【レジェンド】達でも訪れた事があるのは、ライフラインとオクタンだけだろう。それはオリンパスが彼ら二人の故郷であるからだった。
 だからなのか、ライフラインとオクタン両名の顔色もあまり優れず、二人は何故か通信デバイスを持っており手早く文字を打っている。
 そんな中で不意にジブラルタルが声を上げた。

 「博士。何か言うべき事があるんじゃないのか?」

 「……一体何の話をしているのかね、ジブラルタルよ。これ以上ここに居る必要が無いのなら私は失礼させて貰うよ」

 名指しされたコースティックは、冷たい視線でジブラルタルを睨み付けたかと思うと、そう言ってそそくさと店のドアから出ていってしまった。
 そんなコースティックの背中を見つめていたジブラルタルに、皆が注目するものの、曖昧な笑みを浮かべたジブラルタルは巨大な体躯がさらに大きく見えるくらいに両手を広げた。

 「まぁ、いいさ。俺はキチンと一度は機会を与えてやったからな。……んで、どうする? みんなでこれから祝賀会でもやるか?」

 しかし、ジブラルタルの明るい声に答えたのは、楽しそうな顔文字をモニターに浮かべて両手を上げたパスファインダーだけだった。
 グルリと周囲を見回したジブラルタルに、今回のミッションで最も重要な立場だったローバは暗いままの顔で答えを返す。

 「悪いけど、私は体調が良くないから帰るわね。……飲み代は私にツケておいて頂戴」

 その声を皮切りに、ローバの隣に立っているバンガロールも声を上げる。

 「私もパスするわ。帰るなら送るわよ、ローバ」

 「……ありがとう、軍曹さん」

 バンガロールのその言葉に微かに笑みを浮かべたローバは、常に履いている個性的なデザインの6インチヒールの踵を鳴らしながら寄り添うようにバンガロールと共に店のドアをくぐり抜けた。
 あの二人の間で何かがあったのは確かではあったが、あれだけ喧嘩腰だったというのに一体どうしたのだろうとミラージュが不思議に思いながらその背を見送る間、レイスの横に立っていたワットソンの瞳はクリプトへと向けられていた。
 だが、先ほど消えたバンガロールとローバとは正反対で、あれだけ仲睦まじい様子だったワットソンとクリプトの合間には硬質な空気が漂っている。
 そうして僅かに訛りのあるクセのある発音で、ワットソンはジブラルタルに声をかけた。

 「私ももう帰るわね。まだ、そういう気分になれないの。……レイスは残る?」

 そのまま隣に居るレイスに視線を移したワットソンに目を合わせたレイスは、ジブラルタルとミラージュ、そうしてクリプトに目を向けると、静かに首を横に振った。

 「私も今日は帰らせて貰うわ。……また明日から、よろしくね」

 ワットソンとこちらの両方に気を遣ったらしいレイスがそう囁くと、ジブラルタルは納得したように頷いた。
 未だに深い傷を負ったワットソンがいくらミッションが完了したからといって、飲みたい気分になる筈もないのだろう。
 それにワットソンはまだクリプトの事を裏切り者だと思い込んでしまっている。
 本人も人の気持ちを察するのが苦手なのだと常々言っているワットソンにしてみれば、本来は違っていたとしても、あれだけ信頼していたクリプトに裏切られたのは相当なショックだったに違いない。
 ワットソンとレイスの後ろ姿を目を細めて見つめているクリプトをミラージュが横目で確認していると、彼女達に続くようにブラッドハウンドもまたドアへと向かう。
 そんなブラッドハウンドに向かって、ジブラルタルは声をかけた。

 「お前も帰るのか? ブラッドハウンド」

 「あぁ。今日は疲れた……明日に備えて帰宅させて貰う。皆に主神のご加護があらんことを」

 チラリとジブラルタル以外のメンバーにも視線を向けたらしいブラッドハウンドは、独特の別れの挨拶の後に静かにドアを開いて出ていった。
 ミラージュは残ったメンバーであるオクタンとライフラインに視線を向けるが、彼らはずっと通信デバイスを見つめていたらしく、視線に気が付き目を上げた時には既に周囲に人が居ない事に驚いたような顔をしている。

 「んで? お前らはどうするんだ? 飲み会に参加してくか?」

 ジブラルタルの言葉に両名は顔を見合せた後に、指先で彼の代名詞とも呼べる文字タトゥーの入った腕をぽりぽりと掻いたオクタンは、隣のライフラインの様子を窺いつつも声をあげる。

 「あー、わりぃ。俺はちょっと急用が出来て行かなきゃいけない所があるんだ、また今度な! ほら、姉貴も行くぞ!!」

 「ちょっと……! 飲めないのは残念だけど、そういう事だから今日は帰るわ。パーティーしたかったんだけどね……また明日!」

 腕を引かれたライフラインはよろけかけるが、すぐに体勢を立て直して申し訳なさそうにそう言った。そのまま風のように二人は店を出ていく。

 「……ジブラルタル」

 そしてずっと店の隅で黙っていたクリプトがジブラルタルの名を呼ぶ。
 クリプトから声をかけられるのを分かっていたかのように、クリプトに目を向けたジブラルタルの体躯の割には丸っこく人懐っこい瞳がクリプトを見遣った。

 「メンバーはこれだけだな? じゃあ、とりあえず飲もうじゃないか。今日は色々あってくたびれてるのは確かだしな……」

 そのままミラージュに視線を移したジブラルタルの視線の意図を理解したミラージュは、近くに居たMRVNにオーダーをするために口を開いた。






 カチャン、と勢いのままにぶつけたジョッキを口許に運んだジブラルタルは美味そうにビールを飲み干す。
 そこそこ大きさのある筈のジョッキでさえ、ジブラルタルの手の中にあると小さく見える。それに倣うようにミラージュとクリプトは隣り合って、ジョッキに口をつけた。
 ジブラルタルの隣に居るパスファインダーは持ち上げたジョッキをテーブルに置くと、既に半分程中身を飲み干しているジブラルタルの前にそのジョッキをずらした。
 テーブルの上にはチーズやクラッカーなどのツマミが少々と、冷蔵庫にあった物で適当にミラージュがこさえたオクラとチキンのガンボ、余っていたハムと野菜を挟んだサンドイッチなどが無造作に置かれていた。

 「しかし、あの頭には驚いたなぁ。アイツの動力が戻った時の動き方、……めちゃくちゃ不気味だったぜ」

 「でも、彼女は美人だったよ?」

 ミラージュの怖がるような声に、キョトンと首を傾げたパスファインダーへと他のメンバーの視線が集まるが、クエスチョンマークを浮かべたパスファインダーは何故自分に視線が集まっているのかまでは理解出来ていないようだった。
 それよりも、と話題を逸らしたジブラルタルは持っていたジョッキをテーブルの上に置くと、向かいに座っているクリプトへと目を向け直した。

 「クリプト、お前さんもとんだ災難だったな」

 「……何か知っているのか?」

 ジブラルタルの言葉に待っていたとばかりにジョッキをテーブルに置いたクリプトは、鋭い目つきでジブラルタルを見つめ返す。
 そんな二人のやり取りにミラージュも自らの持っているジョッキに唇をつけつつ、パスファインダーからジブラルタルへと視線を移した。
 だが、クリプトの鋭い瞳に相変わらず朗らかに笑みを浮かべたままのジブラルタルは、片手を挙げるとまぁまぁ、と宥めるようにそれを翳す。

 「コースティックに問い詰めたんだよ。お前さんとワットソンの事に関して何か知っているんじゃないかってな」

 「何かわかったのか?!」

 クリプトが口を開く前に、口に含んだビールを急いで飲み込んだミラージュが声を上げる。
 急に大声を出したミラージュに、呆れた顔をしたクリプトに慌てて口を噤む。ここでクリプトよりもミラージュの方が焦るのも可笑しな話だろう。
 しかし、そんなミラージュの反応に変わらず笑みを浮かべたままのジブラルタルは事もなげに呟いた。

 「自白したよ。コースティックがレヴナントのスパイなんだとさ」

 あっさりとした告白に流石にクリプト、ミラージュ、そうしてパスファインダー三名の目とカメラアイが丸くなる。
 まさかあのコースティックが簡単に自白するワケが無いとクリプトもミラージュも思っていたからだった。
 上げていた手をジョッキに戻したジブラルタルはふぅ、とため息を吐く。

 「お前とワットソンの関係性が気にくわなかったらしい。……それだけってワケじゃないだろうけどな」

 「は……?」

 「その反応になるのも当然だな。……ただ、アイツはそういう奴だってのは何となく分かるだろ」

 「そうだとしても、……理解できねぇ」

 ポカンとした表情のクリプトが、吐息まじりにそう言ったのと同じく、ミラージュは眉を顰めながら呟く。
 クリプトとワットソンの仲が良くなっているというのにはミラージュも気が付いていた事実だ。
 だからといって、わざとレヴナントのスパイ容疑をクリプトに向けさせるなど常人では考えもつかないだろう。
 そもそもワットソンとコースティックもまた、親子のような親密さを持っていたのは【レジェンド】達の共通の認識であったし、実際にワットソンが怪我をした時にローバの胸倉を掴んで凄んだのは他ならぬコースティックだった筈だ。
 そんな男がわざわざ二人の仲を引き裂く為だけにワットソンに攻撃などするモノだろうか。
 もしも、それが事実なのだとしたら、コースティックのワットソンへ向ける愛情はどこか歪んでいる。

 「ねぇ、それはワットソンに伝えたの? そうじゃないなら、今すぐに言ってあげないと」

 「俺もそれは考えてるさ。ブラザー。でも、彼女は傷ついているし、本当なら俺はコースティックからワットソンに直接伝えて欲しいと思っていたんだ」

 これまでのやり取りを胸部モニターの顔文字をクルクルと変化させて聞いていたパスファインダーがそう発声する。
 ジブラルタルは苦い顔をしながら、パスファインダーがジブラルタルの前に置いたジョッキを手に取るとそれを口元へと運んだ。
 確かにワットソンはとても今回の件で傷ついており、レイスなどの女性陣にだけは多少なりとも変わらずに接しているモノの、クリプトに対しての敵意は凄まじい。
 そうしてジブラルタルでさえも話を聞いて貰えるかすら怪しいくらいに周囲を拒絶している彼女に、事実を伝えるタイミングというのも難しかった。
 コースティックが自白したとはいえ、恐らくジブラルタルは記録などを撮っていたワケでは無いのだろう。
 普段の言動からジブラルタルが嘘をつくような人間でないのは全員が理解している事ではあったが、証拠がない状態で気落ちしているワットソンを納得させるのはいくらジブラルタルでも難儀だ。
 だからこそ、みんなの前でコースティックが白状するように促したのだろう。それは失敗に終わってしまったようだったが。

 「クリプト。俺は必ずワットソンに話をしてみるつもりだ。もちろん、それがすぐに上手くいくかどうかは分からないが……」

 「……あぁ……」

 「今は辛いと思うが堪えてくれ。俺もお前の味方だ。……それに、お前にはミラージュも居るしな」

 そう言ってクリプト、ミラージュの目を順々に見たジブラルタルはニッコリと太陽のような笑みを見せる。
 余りにも眩しい笑みにミラージュは思わず目を逸らしながら、嫌に乾く喉を動かした。

 「おい、確かに俺は、……んん、……このおっさんを庇ったけどよぉ。それって一体どういう……」

 「? お前達はなんだかんだ良いコンビなんだと俺は思っていたんだが……違うのか?」

 「ち、……」

 違う、と言いかけてミラージュはふと隣のクリプトに目を配ると、同じくこちらを見ているクリプトと視線が絡む。
 無表情さを保っているクリプトが一体何を考えているのかまるで分からないとミラージュが思っていると、明るい音声でパスファインダーが声をあげながらクリプトの方へとその機械の掌を差し出した。

 「僕も君の味方だよ、クリプト! 仲間の証としてハイタッチしよう!」

 「……ありがとう、パスファインダー。ジブラルタル。……それから、少し癪だが、お前もな……ミラージュ」

 「癪ってなんだよ!」

 間髪入れずにそうツッコんだミラージュにジブラルタルが笑い出し、手を出したままのパスファインダーにクリプトがおずおずとハイタッチを決める。
 まだ全てが解決したワケでは無かったが、少なくともミラージュ以外にもクリプトの潔白を証明しようと動き、信じてくれる相手が居る。
 それはきっとクリプトにしてみればどれだけ心強い味方だろう。人は誰しも無実にも関わらず、大勢から疑われるのは辛い筈だ。
 ミラージュは張りつめていたクリプトの表情が漸く和らぐのを横目で見ながら、自身の前に置かれたサンドイッチに手を伸ばしていた。


 □ □ □


 マーシナリー・シンジケートが次回の【ゲーム】開催地がオリンパスであるという通達を出したものの、やはりそう簡単にはいかなかったようで、諸々の契約や場所の整備が終了するまではまだ暫くはワールズエッジが【ゲーム】の主な開催場所であった。
 そうしてミッションが終了して3日後、何故かクリプトは妙にミラージュの事を避けているような行動が多く見られた。
 初めは気のせいかと思っていたミラージュも、3日間、近づく度にさらりと会話すら躱され続ければ流石に気が付く。

 確かにアーティファクトを修理するという日々のルーティンになっていたのがいきなり無くなったというのもある。
 【ゲーム】の後にはパラダイスラウンジでミラージュの作ったディナーを口にしながら、クリプトが静かに作業を進めていく。
 ミラージュは店内の清掃やグラスを磨きながら、そんなクリプトの後ろ姿を見つめるのが好きだった。
 途中でワットソンとクリプトの仲が険悪になってしまった後は、クリプトはパラダイスラウンジに来てはいたが、アーティファクトに触れる事は無かった。
 それでも様子を見に来ていたのは、本人の使命感に拠るものだったのだろう。
 現に、ワットソンの専門外である内部システム関連の情報に関して、クリプトは時折メッセージ上で彼女に資料などを送付していたようだった。
 それをワットソンが素直に受け取ったのかどうかはミラージュには分からなかったが、実際にアーティファクトが無事完成した事を考えれば恐らくその情報が役に立った時も多かったのだろう。

 テーブルに置かれたアーティファクトに向かっているワットソンの後ろ姿を見るクリプトを眺めながら、ミラージュは、それでもこの男が店に来るのを選択している事に内心安堵していた。
 スパイとして疑われている以上、クリプトは敢えて店に来ているのだろうとミラージュはその心情を想像していたからだった。
 【ゲーム】だけではなく、プライベートで一人で活動する時間が増えれば増える程に、クリプトへの疑惑は増していく。
 ならば、【ゲーム】の後でもアーティファクトを修理するというルーティンを崩す事無く、そうしてミラージュの目の届く範囲内のカウンターにしか座らなかったクリプトの感情はいかほどの物だっただろう。
 でもそれをするという事は、ミラージュの事をある程度、信用しているという話にもなる。
 勿論、他の【レジェンド】達がクリプトを庇ったミラージュをどう思っているかなどは分からなかったが、少なくともクリプトを疑っているメンバーも、ミラージュを共犯者として疑う者はいなかった。
 日ごろのコミュニケーションの違いだ、とミラージュはクリプトに対してそう思うが、それを口にするのは流石にしなかった。
 ともかく、自分の潔白を証明する為にミラージュを監視役として使ったクリプトにとってミラージュはけして、信用のならない相手ではないのだろう。
 だからこそ、ミッションが無事に終了し、それぞれに仲間であると確かめ合ったジブラルタル達との飲み会の後でミラージュを避けるクリプトの気持ちがミラージュにはまるで理解出来なかった。


 ミラージュは今日の【ゲーム】開催予定地である惑星タロスに建てられた【ゲーム】用の待機施設の中の廊下を歩む。
 幅広く取られた白い壁面と硬質な床材をエンジニアブーツの底で踏みしめながら、自身の沸々とわき上がる怒りを胸に抱えながら目的地への道を迷う事無く進んでいく。
 どうせ普段通りあの男は【ゲーム】開始まで自分の控え室にでも閉じこもっているのだろうと、辿り着いた金属製のドアの前に立つと、そこを多少手荒さを有したノックをして中に居る相手に来訪を告げた。
 談話室にもいなかったのだから、絶対にこの部屋に居る。
 だが、うんともすんとも返事の戻ってこない室内の人物に痺れを切らしたミラージュは、遂に大声を張り上げた。

 「おい! なにシカト決め込んでるんだ、偏屈爺さん!! 俺はなぁ、お前にむかっ腹が立ってんだ、顔くらい見せたらどうだ?」

 ミラージュの怒号にも近い声に、ようやく金属製のドアが解錠される。
 実際にはそこまで怒り心頭であるというのでも無かったが、それでもクリプトには効果があったらしい。
 開いた先の室内には薄緑色のライトに照らされ、オフィスチェアーに座ったままのクリプトがどこか気まずそうに中に入ってきたミラージュを見つめていた。

 「そんなにデカい声を出さなくたっていいだろう……」

 「そうでもしなけりゃお前がこのドアを開けずに、また俺を避けるからだろ」

 「……別に避けてなどいない」

 「へぇー、そうかよ。俺にはそうは見えなかったがな」

 コツコツと踏み鳴らしながらクリプトに近づいたミラージュは、座ったままのクリプトを見下ろす。
 さらりとした質感の黒髪がクリプトが顔をあげた拍子に揺れ動き、そんな些細な事象ですらミラージュの心を掻き乱した。
 なんで俺を避ける? どうして俺を見ない? まるで子供のようだと自覚していても、ミラージュはどうしたってクリプトにそれを聞きたくて仕方が無かった。
 だが、実際にそれを口にするのは憚られて、ただジッとクリプトを見つめると同じようにミラージュを見ていたクリプトが先に視線を逸らした。

 「……ただ、少し考え事をしていただけだ。お前がどうとか、そういう話じゃない。……これは俺の問題だ」

 「考え事って……なんだよ」

 「……お前には関係ないだろう」

 「クリプト、お前がやっぱり相当な変わり者だってのはよーく知ってるが、俺はお前の"考え事"とやらのせいで避けられてるってのか? じゃあそれを俺が聞く権利はあるよなぁ」

 「はぁ? 聞いてなかったのか、お前には関係が無いって……」

 ミラージュの言葉に、顔を上げたクリプトから呆れたような声が洩れる。
 そんなクリプトを強い眼差しで見返したミラージュは、いつもの笑みをほんの少しだけ収めてクリプトの胸元に指を突きつけた。

 「久々にキル数勝負といこうじゃないか、クリプちゃん。……いつものやつさ。ルールは分かってるだろ」

 「な、んで……そこまでお前が気にする意味が分からない……」

 「……これは俺のただの我儘かもな。でも、それだけ気になるって事だ」

 クリプトとまた距離が縮まってきていたというのに、その謎の考え事のせいで再び噛み合わなくなるのがミラージュには一種の恐怖すら覚えるくらいだった。
 離れていかないで欲しい、そんな事を考えてしまうくらいに、もうミラージュの中心にはクリプトという人間が深く根付いている。
 いつからこんなに強欲になってしまったのだろう。もう誰とも深い関係になどなるつもりは無かったのに、それでも、この男を知りたい。出来るならば、他の誰よりも一番最奥まで。
 ミラージュはそのまま突き付けていた指先を離すと、クリプトの返事を待たないままドアをくぐり抜ける。
 背後でクリプトが何か母国語で話しているようだったが、ミラージュにはその言葉の意味などまるで分からなかった。






 じりじりと背後に迫るリングからどうにか逃れ、最終収束地であるスカイフックへとたどり着いたミラージュは、味方であるレイス、パスファインダーのバナーを手にビル屋上にあるリスポーンビーコンの元へと急ぐ。
 クリプトとのキル数勝負の事もあって、早々にフラグメントに降り立った三人は激戦をある程度こなしながらも順調に順位を伸ばし続けていたのだが、途中で出会ってしまったクリプト、ジブラルタル、そうしてブラッドハウンドの部隊とフラグメントからスカイフックへと延びる線路上にて戦闘になってしまったのだ。
 互いに一歩も引かない試合展開ではあったが、タイミングを見計らって撃たれたジブラルタルの空爆とクリプトのEMPによってダウンした二人のバナーをどうにか回収し、ミラージュはその場をどうにか離脱して進もうしていた道からではなく、洞窟のような狭い通路側から回り込んでスカイフックへと向かった。
 その後、クリプト達の部隊も深手を負っていたのと、エピセンター側からの漁夫もあったのでミラージュをクリプト達の部隊が追いかけてくる事無く、逃げきる事が出来たものの、このままではどう考えても不利だった。
 既に最初の時点でいくつかの部隊が降下していたのか、殆ど物資の無さそうなビルの隙間を抜けて目的のビルのジップラインを上る。
 ジップラインを上がった先にあるリスポーンビーコンはまだ緑色の光を灯しており、誰にも使用されていない事が見て分かった。
 だが、それを使用しようとミラージュがビーコンに近づいた瞬間に、聞き慣れた機械の駆動音が頭上を掠めた。

 「ッくそ……!」

 ミラージュが慌てて顔を動かすと、スカイフックの中心に位置している巨大な丸い建物の屋上でコントローラーを操作してこちらを監視しているクリプトの姿が映る。
 背中に持ったフラットラインで必死にそれを撃ち落とそうとするが、破壊する前にドローンは回収され、ワールドエッジ全体にラスト2部隊であるというアナウンスが流れた。
 どうやらリングの収束に間に合わなかったらしい、とミラージュがぼんやりと考えていると、建物の上に居るクリプトが緩やかに片手をあげて挑発するように手招きしているのが見えた。
 もしもクリプトの部隊が三人揃っているのなら、ミラージュはあっという間に詰められて負けているだろう。
 それが起こらないという事は、あの後にクリプト以外のメンバーもダウンさせられてしまい、丁度リスポーンさせようとドローンを操作していたに違いなかった。
 つまり、この場所に居るのはクリプトとミラージュだけ。

 「あー、そうかよ……悪いな、二人とも。……後で小言は聞くからさ」

 ミラージュの小さな一言に、レイスとパスファインダーのバナーがピコン、と一度だけ音を立てた。
 仕方が無いわね、というレイスのボヤキにも、頑張って、と応援してくれているパスファインダーの声にも思えるその音に苦笑を零したミラージュは、ビルから飛び降りるとフェンスをよじ登り、端にあるジップラインを使用する。
 登った先には巨大な柱があり、向こうの様子は見えない。
 けれどこの柱の向こうにはクリプトが居て、ミラージュとクリプトのキル数は同数の5で止まっていた。

 「お前、さっきは良くもやってくれたな!! EMPと空爆はズルいぞ!!」

 高い場所で吹きすさぶ風に負けぬように声を張り上げる。
 そんなミラージュの文句に負けじと柱の向こう側からクリプトの声が聞こえてきた。

 「お前達が先に撃ってきたんだろ、こちとら物資も無くなってあの後大変だったんだよ!!」

 クリプトの声には苛立ちと共にどこか笑っているようなニュアンスが混ざっているように感じられた。
 背中に掲げたフラットラインを手に持ったミラージュは、青い空から降り注ぐ光に照らされるこの場所は、まるで巨大なステージのようだと思う。
 だが、アウトランズ中に中継されているという事実よりも、ミラージュにしてみればこのステージの上でクリプトと本気で殺り合える方が何よりも興奮を齎した。
 誰よりも目立つというのを今まで一番に重要視していたミラージュには珍しい事だと己でも思う。
 けれど、あの黒く鋭い瞳がただ自分一人を視界の中心に収めてくれるのなら、それはきっとミラージュという【レジェンド】の存在する証の一つになるのではないだろうか。
 結局の所、『認めてほしい』『忘れないでいて欲しい』という感情が胸の奥深くに巣食って、エリオット・ウィットという人間を苦しめている事。それはもうとっくの昔に理解していた。

 ミラージュは一度深く息を吸い込むと、柱の右側にデコイを走らせる。途端にその横顔をG7スカウトから発射された弾丸が撃ち抜き掻き消した。
 精確無慈悲なその射撃に苦笑しながら、走らせたデコイとは反対側に駆けていたミラージュは建物の横側に隠すように設置されていたドローンに一瞬だけ検知される。
 それを無視して持っていたフラットラインを撃ち出すと、振り向いたクリプトが素早くこちらに銃口を向けた。
 タンッタンッ、という等間隔の射撃音の雨の中、フラットラインの跳ねるリコイルを制御しながらクリプトに撃ちこみつつ距離を詰める。
 互いに数発当たったせいで赤い血が舞い散っては、荒い吐息を洩らした。
 そして広いスペースに唯一ある青いコンテナの裏に隠れたクリプトが回復をしているのだろうと読んだミラージュが、このまま一気に押し切ると足先に力を籠めた瞬間、ドローンの駆動音が真横から聞こえる。
 頭上高く飛翔するそのドローンをミラージュは慌てて撃ち落とそうと試みるが、その前にドローンが激しい電子音と閃光を輝かせる。
 この場でEMPを発動すれば、ミラージュだけではなくクリプトも巻き添えになる筈だ。
 それを理解した上でEMPを作動させるという事は、クリプトにとってここで決めると覚悟した表れなのだろう。

 「EMPプロトコル、起動!」

 コンテナの裏でクリプトの指先がコントロールパネルを弾いたのとほぼ同時にミラージュもまた、咄嗟に左腕のホログラム装置に手を伸ばしていたがそれを起動させようとした指先を押し留めた。
 巨大な球体状の閃光が屋上を包み込み、ビリビリと芯から痺れるような感覚に足が上手く動かない。
 とにかく自分の位置がバレ続けるのは不利だと頭上のドローンを素早く撃ち落とし、次の一手を考える。
 互いにシールドは無い。もう数発食らえばダウンしてしまうだろう。ならば一度柱の方向まで走ってセルだけでも使用するべきだ。
 今までの経験から、脳内でそう結論付く筈だった。

 (それじゃ逃げたみたいじゃねぇか……!)

 ミラージュは一体、陽動のデコイを出しながら、コンテナ裏に居る筈のクリプトに向かって走り出した。あの男の反応速度ならば、きっと先ほどと同じようにデコイを撃ち抜くだろう。
 しかし、ミラージュが思っていたのとは異なり、逆にデコイ側に走ったらしいクリプトの姿を一瞬だけ見失う。
 今度こそ、と左腕のホログラム装置に腕を伸ばしたミラージュは一気に複数のデコイを出現させる。
 コンテナ付近で次々と現れるデコイに流石のクリプトも惑いを見せるだろう。
 ミラージュはこれで決着だとまるで踊るように誰が本物かを知らせない為にわざとらしく跳ねながらクリプトへの包囲網を縮めていく。

 「甘いんだよ、小僧」

 「んなッ……!!」

 周囲に視線を走らせたクリプトが迷う事無くいつしかG7スカウトから持ち替えていたセレクトファイア付きのプラウラーを使用してミラージュへと弾丸を撃ちこむ。
 何故、他のデコイに気を取られずに本体を見破ったのかミラージュには理解出来なかったが、思わず唇が弧を描いた。
 『自分を迷わず見つけてほしい』それが本当の意味で叶う事は恐らくもう無いけれど、それでもクリプトという男が本当の自分をいつだって見つけ出してくれるのなら。

 「ッ……お前、こそ甘いんだよ……!」

 「な、に……!?」

 全身の力を振り絞り、眼前に迫る弾丸を横のコンテナを蹴って正面側にジャンプするという凄まじい身体能力を見せて避けきったミラージュに、今度はクリプトの方が目を見開く。
 絶対に勝てるという自信があったのだろう、とミラージュはそんなクリプトの顔を見ながら、余りにも至近距離になり過ぎていると腰撃ちで撃とうとした瞬間にリロードしそこねたフラットラインが掠れた音を立てた。こんな時に弾切れなんてついていない。
 もう片方のR-99に持ち替えなければとミラージュが背中に手を伸ばす前に、一度見たことのある軌跡でクリプトの回し蹴りがミラージュの腹を穿った。

 「っかは、ぐ…、ぅ……ちくしょ……!」

 前に受けた時よりも重さの増している蹴りがダメージを受けた肉体に響く。
 この戦いだけは、絶対に勝つ。その強い意志だけがミラージュの身体を支えていた。
 左腕を伸ばして蹴りのせいでまだ空に漂っているクリプトの足首を掴むとそのまま地面にクリプトを引き倒し、ミラージュもまたその上に跨るように地面に伏せる。
 ガシャンとクリプトの背中のホルスターに収納されていたG7スカウトが音を立て、持っていたプラウラーを掲げようとした腕をミラージュが払った衝撃でクリプトの掌から零れ落ちたプラウラーが音を立てて地面の上を滑っていく。
 そうしてミラージュは全身で暴れるクリプトを押さえ付けながら、持っていたR-99の銃口をその胸元へと突き付けていた。
 ぜいぜいと二人して喘鳴のような息を吐きながら、血に塗れた互いの姿だけを視界に入れる。
 白いコートを赤く染めたクリプトの姿はどこか危うさと美しさを宿していて、この男をここまで追い詰めたのが自分なのだという事実をミラージュは噛み締めていた。
 この男が傷つくのなら、どうか俺のせいであって欲しい。
 以前に考えていた事を思い返しながら、悔しそうに眉を顰めてミラージュを睨み付けてくるクリプトに向かってミラージュは薄く笑った。

 「……わりぃな、クリプちゃん。今日だけは絶対に負けられなかったんだ」

 「随分と良いニンジンがぶら下がってたらしいな? ……そこまでの価値なんて、無いというのに」

 「お前にとっちゃそうなんだろうが、それを決めるのは俺だよ」

 どこか苦しそうな顔をしたクリプトに、ミラージュは静かに囁くと躊躇う事無く引き金を引いた。


 □ □ □


 「……お前が気にしていた事だが……」

 もはや通い慣れた医務室の中で治療を終えて貰ったクリプトとミラージュは、衛生兵に礼を告げてから金属製のドアを開けて廊下へと出る。
 別々に衛生兵と医療用MRVNに治療して貰っている合間にも黙ったままだった状態を破ったのは珍しくクリプトの方だった。
 その顔には白いガーゼが貼られており、ミラージュもまたクリプトに蹴られた腹に出来た青痣を覆うように防水加工の施された湿布が貼られている。
 だが、そこはやはり天下のマーシナリー・シンジケートが開催している【ゲーム】である事もあって、衛生兵の技術も高い。
 その為にクリプトミラージュ両名ともそうして怪我を覆うようにされてはいるものの、先ほどまで本気で撃ちあっていたとは思えないくらいに体力は回復していた。

 「おっと、待てよ。ここで話すつもりか?」

 「お前の望みはそれなんだろう」

 「そうだけど、そうじゃねぇ。ともかくさ、今日、飲まねぇか。……俺の家で」

 家、という単語に何故か固まったクリプトに首を傾げる。
 ミラージュにしてみれば、いつもは店で飲んでいるものの、真面目にゆっくりと話をするのならば自宅での方がいいだろうと思っただけだった。
 そのまま何度か唇を開閉したクリプトは、囁くような声を上げた。

 「そうしたいなら。……今日の勝者はお前だからな」

 クリプトの頬に貼られている防水性テープが微かに動くのを見ながら、ミラージュはそう言えばクリプトを自宅に招いたのは初めての事だと思い返す。
 店に来るのが当たり前になっていたからか、自宅にわざわざ招くまでもなく、【ゲーム】開催期間中もまた、毎日職場で会っている。
 だから自宅に招待しようという気持ちすら起こらなかったのだ。でも今日は、折角ならばクリプトとじっくりと話をしてみたかった。
 そこまで考えて、不意に自分の誘いがクリプトにしてみればどういう意味で捉えられているのか一瞬不安になる。
 けれど、別にそんな、邪な思いがあるワケじゃないと頭の片隅で問いかける自分自身を無視してミラージュはいつも通りを心がけながら明るく笑った。

 「じゃあ俺は勝利者インタビュー受けないとなんで、談話室か控え室で待っててくれ。迎えにいく。……先に帰るとかは無しだからな?」

 「分かっている」

 ミラージュがそう言うと、すぐにいつもの調子を取り戻したクリプトが白いブーツを鳴らしてシャワーブースの方面へと歩いていく。
 そうしてミラージュもまた記者の待つ場所へ行かないとと考えていると、クリプトが向かった方向から青い機体を揺らしてパスファインダーが駆けてきたのが見える。
 そこまで離れてもいないのに、片手をぶんぶんと楽しげに振っているパスファインダーはミラージュの前に到着すると、胸部モニターにハートの目をした顔文字を浮かべていた。

 「やぁミラージュ、君の活躍凄かったよ! 僕、見ていてドキドキしちゃった! ……あ、心臓があったらって話だけどね?」

 「分かってるよパス。俺様の勇姿を見ててくれたならありがたいぜ……お前達には後で、特にレイスにな、叱られるだろうって思ったんだ」

 「あの状況で無理にリスポーンしても、きっとクリプトのドローンとG7スカウトが君を撃ち抜く方が早かったと思うよ」

 それに、いつも以上に中継も大盛り上がりだったんだ! とパスファインダーがどこか嬉しそうに言うのをミラージュは頭を掻きながらニヤついてしまう。
 蘇生を通そうとすれば出来なくもない状況下で、自分の欲を優先してしまった点に対して申し訳ない気持ちにもなっていたミラージュにしてみれば、パスファインダーのその素直な称賛は胸に響く。

 「それよりもミラージュ、怪我はもう大丈夫? 早く今回のキルリーダーを連れてこいって記者の人達が騒いでるんだ」

 「あ、あぁ、そうか、じゃあ早くいかないとな」

 「ねぇ、本当に大丈夫なの? ミラージュの体温、凄く上がっているみたいだけど……あ、そっか、さっきまでクリプトと話してたんだね?」

 丸く赤いカメラアイでミラージュを上から下まで見たパスファインダーは、急に一人納得したように声をあげたので、ミラージュは思わず動揺しすぎて咳き込みかけた。
 このロボットは一体何を言い出すのだとミラージュがパスファインダーを凝視すると、さらに笑顔の顔文字を浮かべたパスファインダーはどこか楽しげな声を発する。

 「さっきクリプトとすれ違った時も君と同じだったから、そうだと思ってたんだ!」

 「クリプトも一緒って、どういう事だよ」

 掠れてしまっていると自分でも思う声音でミラージュが問うと、パスファインダーはその頭部を傾げた。
 何をいまさら言っているのだろうとでもいう雰囲気のまま、青い機体のロボットは歌うように話を続ける。

 「心拍数増加に伴う体温上昇と、微かな呼吸の変化……これって、"ドキドキ"しているって状態なんでしょう? 僕は最近、理解出来てきたばっかりだけど」

 「ミラージュ、君とクリプトが話をしている時には二人とも同じなんだよ。最初の方はそこまでじゃなかったから、僕の演算ミスかなって思っていたけれど、そうじゃないんでしょ」

 「お話をするだけで"ドキドキ"出来るなんて、君たちは本当に仲のいい親友なんだね!」

 パスファインダーのその言葉に、見る見るうちに頬が熱くなり、パスファインダーの言う"ドキドキ"という状態になってしまう。
 ミラージュにしてみれば、こうして想いを馳せているのはミラージュだけなのだと思っていた。
 それはクリプトが余りにも表情を隠す事に長けているからだ。だが、機械であるパスファインダーの前ではそんなポーカーフェイスも通用しない。
 そうしてパスファインダーがそう断定するという事は、事実なのだろう。
 それならばミラージュがクリプトを自宅に呼んだ際も躊躇うようにしていた理由が見えてくる。

 「わぁ! また"ドキドキ"してるんだね。でもミラージュ、ここにはクリプトは居ないよ?」

 ぽっぽと湯気でも出そうなくらいの頬の熱さを誤魔化す為に片手を顔に当てたミラージュに、パスファインダーは笑顔の顔文字を映したまま、不思議そうに呟いたのだった。


 □ □ □


 黒い革張りのソファーの前に置かれたローテーブルには色とりどりの料理が並び、テーブルの中央に置かれたミラージュ特製のポークチョップはてらてらとその表面を飴色に輝かせていた。
 そうして成人男性二人が横に並んで座っても十分に余裕のあるソファーの上で、妙に緊張しているように見えるクリプトの隣に座ったミラージュは持ってきたワインをテーブルに置くと栓を抜き始める。
 コルクを引き抜く際のキュ、キュ、という音の合間に隣に居るクリプトをミラージュは気が付かれない程度に観察していた。
 何故なら、クリプトは久々の私服姿で、黒い薄手のタートルネックとシンプルなスキニーデニムが逆に線の細さを強調させているように見えたからだった。
 ミラージュはミラージュで、施設から出る時に白い開襟シャツと黒のパンツというラフな格好に着替えていた。
 いつもなら【ゲーム】終了後にすぐに店に立つことが多いミラージュは、パラダイスラウンジを訪れる客の為にサービスのつもりで【ゲーム】で使用している戦闘服の予備を着て接客する事が多い。
 クリプトも、アーティファクトを回収するというミッションが始まってからは、いつ自分が別次元に行かねばならないかが分からない事もあり、戦闘服姿の事が多かったのだ。

 コルクの抜け切る軽快な音が静かな部屋に響き、そのままミラージュは隣に居るクリプトの前に置かれたグラスにとっておきのワインを注いでやる。
 代々続く、シャトーヌフ・デュ・パプ。その名の通り『法王の城』と称される畑にて採れたブドウを使用し生産されているワイン達は、なかなか入手する事が出来ない。
 それは幾く度の戦争によって、その畑自体も一時は存続の危機に陥っていたからだ。
 遥か昔からその地を守ってきた人々の手によって、今は惑星プサマテに土壌の一部を移しており、細々とではあるが今でも最上級ワインのアペラシオンとして存在していた。
 そんな畑で栽培されている13品種をブレンドし作られたこのワインは、薫り高く芳醇で繊細さを有している。

 自宅のワインセラーで熟成させていたその逸品を開けるのは、きっと今日くらい特別な日に。ミラージュはそう考えて惜しむ心など微塵も無いままにそれを手に取ったのだった。
 そして、透明なグラスを赤く染め上げるミラージュお気に入りメーカーのフラッグシップワインは、口当たりも比較的優しく、濃いめの味付けを施したポークチョップにはピッタリの筈だった。
 同じく自らのワイングラスにもワインを注いだミラージュはボトルを置いてから、グラスの中に満ちた赤い宝石に向けていた視線をクリプトへと向ける。
 どこか不安げな、それでいて嬉しそうな複雑な色をした黒い宝石のような瞳がミラージュを中心に映したのを確認して、ミラージュは注ぐために持っていたグラスをそっと掲げた。
 クリプトもそれを見てつられるようにグラスを掲げると、カツンとガラス同士がぶつかって音を立てる。

 「乾杯」

 「……あぁ」

 ミラージュの明るい音頭とは違い、どこか上の空のクリプトはただ気の抜けた返事だけを寄越した。
 しかし、クリプトがその唇にグラスを当てて中身を飲んだ途端、ミラージュの方を見遣った。
 そこまで酒の違いなど分からないだろうと思っていたが、クリプトにしてみてもこのワインの良さが理解できたのだろう。
 その後、ミラージュが握っていたせいで見えていなかったらしいラベルに視線を映したクリプトはそこを見て目を丸くする。

 「お、前……なんでこんな上等なの開けたんだよ。そんなに勝てたのが嬉しかったのか?」

 戸惑うような声のクリプトを見ながらグラスを置いたミラージュは、テーブルの上に置かれたカトラリーに手を伸ばして数ある料理の中で何を食べようか迷う。
 勝てて嬉しかったのか、という問いは間違いではないが正解でもない。

 「んー、まぁな。それだけじゃねぇけど」

 「……どういう意味だ」

 結局、作り置いておいたマスタードの程よく効いたポテトサラダを掬い取ったフォークを口許に運んだミラージュに、怪訝そうなクリプトの瞳が向く。
 幾分かゆっくりと咀嚼したミラージュは、フォークを置くと、そのままグラスを手に取ってクルクルと空中で揺らした。
 ミラージュだけが知っている、クリプトの秘めた心の高鳴り。そしてきっとミラージュしか知らないであろう、ミラージュの心の高鳴り。
 それらが同等に混ざり合ったのなら、どんな音色になるのだろうか。
 脳内に立ち上る空想をそのままにして、ミラージュはポークチョップの置かれた皿を指さした。

 「それよりも、早くミラージュ様特製ポークチョップを食えよ。冷めちまう」

 「……分かったよ」

 さらにズイ、と顔をクリプトの方に寄せながらそう言うと、ミラージュを避けるように動いたクリプトは自身の前に置かれた取り皿にポークチョップを一本乗せた。
 そのままフォークとナイフで切り分けようとするクリプトに、持っていたグラスを口に当てながらミラージュは笑う。
 別にここは外ではないのだからわざわざそんな食べ方をせずとももっと豪快に食べればいいのに。
 ミラージュの含み笑いに気が付いたのか、眉を顰めたクリプトが苛立ちの籠った目でミラージュを睨み付けた。

 「そんな風にちまちま食わなくったっていいだろ。それとも口がちっさいってアピールか? それは男だとモテないぜ、おっさん」

 そこまで言い切ってから、クリプトが自分の作った料理をその唇で頬ばる姿を想像してしまってミラージュは思わず、喉を通り過ぎた筈のアルコールを強く感じる。
 モテないとは言ったが、そそらないというワケでは無い。現にフォークを置いたクリプトがミラージュを見ながら両手でポークチョップを取ったのを見て、ミラージュは高鳴る鼓動を感じていた。
 厚みのあるふっくらとしている一度だけキスを交わした唇がポークチョップの照りを移して、蜂蜜色を纏う。
 小さな歯型のついたポークチョップから離れた唇をペロリと赤い舌が這っていくのをグラスを手にしたまま凝視しているミラージュの視線に気が付いたらしいクリプトは、何故か気恥ずかしそうに微かに顔を伏せた。

 「いつもなら別に普通に食うさ。ただ、人前での食事マナーが院では厳しかったんだ」

 「……院……って、お前、孤児院出身なのか」

 クリプトの呟きにミラージュが驚きの声を上げると、クリプトは仕舞った、という顔をしてからまたポークチョップに齧り付く。
 そんな話は他のメンバーからも聞いた事が無い。そもそもクリプトは自分の出身地の話や家族の話などになっても自然とその場から離れている事が多く、兄弟や親がまだ存命なのかすらもミラージュは知らなかった。
 ミラージュが内戦で兄弟を失ったように、今の時代は親兄弟が元々居ても、それらを失っているという人々は多い。
 ましてやこんな【ゲーム】に参加するのはそういう事情を抱えている人間ばかりだった。
 だからクリプトが孤児院出身だからと言ってミラージュにはそこまで衝撃的では無かったが、逆にそんな話を無意識に出してしまうくらいにミラージュに気を許しているのだという事実が嬉しかった。
 だが、クリプトがどこか苦しげな顔をしているのに気が付いてグラスを置いたミラージュは自身の取り皿にフォークで取ったポークチョップを置く。

 「それよりも、お前、良く俺のデコイの中で本物をすぐに見つけられたよな。……もしかして、不正でもしたんじゃないのか?」

 露骨なまでの話題転換にミラージュなりの気遣いだと察したのか、口の中の肉を飲み下してからクリプトが微かに笑いながらミラージュを見つめた。

 「見れば分かる。……それに、お前の香水の匂いだって……」

 そこにはいつもの冷たい目ではない、どこか柔らかな光が宿っており、ミラージュは皿に置いたポークチョップを掴み損ねていた。
 互いに絡み合う視線が、血を熱くさせては心臓へと強くそれを送り込む感覚に溺れかける。
 ジクジクと痛むのは今すぐに触れ合いたいのに離れているからだろうか。
 熱いのに寒い。出来るならば今すぐに空いた手を掴んで押し倒し、そうしてこのソファーにクリプトの黒い髪が広がり同化する様を見られるのならどれほど。

 「……食べないと冷めるって言ったのはお前だろう」

 物欲しげな目を隠せていないだろうミラージュを宥めるように掠れた声でクリプトが囁く。
 けれど逸らされた瞳には、ミラージュの目に点ったのと同じ情欲の炎が揺れているように見えた。
 どうにか冷静さを失わんとするその姿がいじらしく、可愛らしい。
 相手は1歳年上の同性で、そして生意気で秘密主義で基本的には冷血漢な上に偏屈な奴だ。性格だって正反対。
 ――――でも、それがなんだというのか。
 ぐちゃりと脳内の囁きを押し潰す。

 「……料理は温めれば、また食えるさ……そう、そういうもんだろ」

 「……さっきと言ってる事が違うぞ」

 食べていたポークチョップを取り皿に置いたクリプトがテーブルの端にあるティッシュをとって指先を拭う。
 その間もクリプトはミラージュの事を見ない。それが無性に焦れったくて、クリプトの肩を掴む。
 ビクリと震えたクリプトの目がミラージュを見つめ返した。
 あれだけ【ゲーム】では強い目をした男が、まるでどうすればいいのか分からない子供のように視線を彷徨わせては掠れた声で囁きを溢す。

 「……ウィット……」

 名を呼ぶ唇が甘く際立つ。
 触れたいと願えば願う程にその姿全てが美味そうで仕方がない。
 目の前に並んだ料理よりも、今はこっちの方が余程空腹を誘う。

 「……お前なんて嫌いだ……」

 そう言ったクリプトの目元は白い肌から滲み出るような赤さを宿している。
 逃げられないと悟ったら、今度はそういう事を言うこの男の誤魔化し方が面白い。
 でももうそんなのは無駄なのだとミラージュは肩に触れていた腕を動かしてクリプトの顎先に手を這わせた。
 黒い金属製デバイスは冷たく、そのまま素肌に触れると温度差で火傷しそうになる錯覚すらしてしまいそうな程だ。

 「……それはダウトだな」

 「……なに……」

 フフ、と笑って言ったミラージュにクリプトが睨みを利かせてくるがいつもより格段にその威力は低い。
 そのままガーゼの貼られていない方にある目元のホクロに指を伸ばすとクリプトの目が細まる。
 まるで撫でられて喜ぶ黒猫のようだとミラージュはさらにその頬を何度か親指の腹で撫で擦りながらクリプトの一瞬の動きすら見逃さぬように見つめていた。
 今日の【ゲーム】の時と同じだ、相手がどう出るかを考えて次のパターンを予測し、自分がどう先手を打つか。
 今までの恋愛ではやはりここまで心昂る競い合いはなかった。それもこれも相手がクリプトだからだろう。

 「お前は俺の嘘を見抜けるって言ってたが、俺だってお前の嘘が分かるのさ。……これも経験の差ってやつだな。……年下を甘く見るなよ、おっさん」

 「なっ!? おい、何して……!!」

 立ち上がりながら、ミラージュはクリプトの身体を抱き上げる。
 想像していたよりも軽いその身体を担ぐようにするとミラージュはそそくさとベッドルームへと足を進めた。
 その間にジタバタと抵抗を見せていたクリプトをそのままベッドに放り投げると、薄暗い室内を照らすようにサイドテーブルに置かれたスタンドライトのスイッチを入れる。
 途端にうすぼんやりとした明かりが室内を照らし出し、そんな光に戸惑うようにクリプトが身じろぎをした。
 その拍子にギシリとスプリングが軋んだ音を立て、まな板の上の食材のようにクリプトがミラージュを焦った様子で見返してくる。
 もっとロマンチックに、なんて思っていた過去の自分など忘れ去ってしまうくらいに理性の糸がギリギリと引き絞られて、ミラージュは自然と鳴る喉をおさめる事の無いまま白いシーツに埋もれるクリプトの上に覆い被さる。
 けれど触れる事はせず、両手の檻の中に収めただけでただ黙ってクリプトを視界に映せば、枕に頭を沈めたクリプトがジッとミラージュを見返してきた。
 まるで睨み合いに近い視線のやり取りに、クリプトの掠れたような声が重なる。

 「分かってるのか? ……俺は前に忠告した筈だぞ。それにお前も納得しただろう」

 「……"先に恋した方が負け"ってやつか? あぁ、確かにそういう話はしたよな」

 「だったら……」

 「……じゃあ、俺が負けを認めるよ」

 あっさりと落とされた言葉にクリプトの虹彩が見開かれ、信じられないモノを見るかのように瞬く。
 確かに負けを認めるだなんて、互いの性格を考えれば在り得ないと思われても仕方が無いだろう。
 それにクリプトのあの日の言葉が、それだけの意味では無いのは分かっていた。これ以上踏み込むな、という意味を含んだその言葉を理解できない程、ミラージュも鈍感ではない。
 同性で、同僚で、そうして【ゲーム】主催への恨みを持った男。面倒な事になるなんて分かりきっている。
 それでも心が渇いては求めるのだ。
 この男の全てを手に入れんと全身の細胞が発熱して、打ち震える。
 いつからなんてそんな事すら思い出せない。気が付けば目で追っていて、触れてしまえばもう戻れない。
 そして、それが互いにそうであって、自分が膝をつく事で手に入るのならミラージュは喜んで膝をつこうと思った。ただ、それだけだった。

 「俺の負けだ。でも、これでお前が手に入るならそれで良い、俺が負けを認めてやるよ、ムカつくけどな」

 黙ったままミラージュの告白を聞いているクリプトに、ミラージュは囲っている腕の片方を動かすと自分がつけた傷の上に貼られたガーゼを撫でる。

 「……好きだよ、クリプト。お前の事、すっかり好きになっちまった。でも、お前は? お前も好きで居てくれるなら、俺達は引き分けって事でこれからも勝負が続くって事だよな?」

 そのままさらに手を動かし、服の上から心臓の鼓動を探る。
 薄手のニットの下に潜むあの白い肢体の中、バクバクと脈打つクリプトの心が欲しい。
 騙し合って化かし合って、身体だけを繋げる。そういう関係性もきっと取れる筈だった。
 でも、子供のように欲しくて欲しくて泣いてしまいそうになる。”俺”を見てくれと部屋の片隅で泣いていたあの頃の自分のように。

 「……俺の恋人になってくれよ」

 半分泣き出しそうに自分の声が震えているのに気が付きながらもミラージュがそう囁くと、クリプトのベッドに投げ出されていた手が動く。
 そうして片手でミラージュの目元に触れたクリプトはそこを慰めるように乾いた指先で撫でた。

 「…………お前はバカだ」

 熱を帯びた指先が、そんな言葉とは裏腹に優しく動きつつ、さらに唇が言葉を紡いでいく。

 「でも、俺の方がもっとバカだ。……お前とならなんて、……そんな事を一瞬でも思った時点で俺の負けだ」

 真っ直ぐな芯の強い瞳がミラージュを見据え、慈愛の光を湛えている。
 求める先が同じなのだと、その眼差しだけで伝わる瞳にミラージュは思わず息を呑んだ。
 自然と顔を寄せて、唇を押し当てたミラージュに抵抗する事の無いままクリプトの両腕がその背に回る。
 重ねた唇が求めあう為に開かれれば、厚みのある舌先を忍ばせ柔く温い口腔内を舐っていく。
 蜂蜜と、シナモン、それからワインの微かな匂いが鼻を抜けるのと同時に、くちゅりと濡れた音と荒い呼吸が耳を塞ぐ。
 あの夕暮れの光の中で恋い焦がれた生き物がこの手の中に居るのだと思えば、ミラージュの腰がクリプトを求めて揺れ動いた。
 欲しい、欲しいと駄々をこねているようなその腰つきに、ミラージュの服を掴んだクリプトの指先の力が籠る。
 離れるのを惜しみながら離れた唇を伝う唾液が淫らさを誘発して、そのまま濡れた唇を舐めあげたミラージュのシャツを掴むクリプトの手がほんの僅か緩んだ。

 「……っ、は……ぁ……」

 「……キス、やっとちゃんと出来たな」

 「あの時だって、しただろ……」

 「あの日はお前がめちゃくちゃに酔ってただろ」

 そんな事は無い、と言いかけたクリプトの唇をまたミラージュの唇が塞いでは呼吸を奪い去る。
 歯列をなぞり、頬肉を舌先でつつく。その合間にタートルネックの下から指先を忍び込ませてソロソロとそこを捲り上げた。
 下唇を緩く舐めてから離れると、胸元までたくし上げたクリプトの衣服の下にはその白い肌よりもさらに白い包帯が巻かれており、それが【ゲーム】でミラージュが最後につけた傷跡なのだと分かってミラージュの背中に緩やかな痺れが走る。

 【ゲーム】では肉体にダメージが入るものの、一応は実際の死を体験するワケではない。
 それは【ゲーム】にて使用する銃火器はどれもこれも戦争などで使用される物よりも殺傷力は抑えられており、銃撃によって死亡するという件はあるにはあったが、基本的にはそういった事件は隠蔽されている。
 そうして【ゲーム】中は一定以上のダメージを受けたり、規定の出血量を越えると半強制的に仮死状態へと移行する。
 仮死状態になったと判断された【レジェンド】は【ゲーム】開始時にそれぞれが主催地の惑星にそれぞれ建てられた【ゲーム】用施設への転送装置を持たされており、それが発動する事によって【ゲーム】から離脱させられるのだ。
 この転送装置は不正に使用される事の無いように、ゲームシステムが仮死状態になったと判断した場合にのみ作動する。
 転送された【レジェンド】達は【ゲーム】用施設にて手早く救命措置を行われる事で、死に至る事は無く、バナーさえあればすぐに戦場に復帰できるくらいに回復が行われる。
 だが、このシステムが上手く作動しなかったりする可能性も0ではなく、その場合は本当の死を迎える。
 自分の意識外でそれらがキチンと動作するかが分からないというのは、実際に命をかけて戦っているのと同義であり、いくら威力が弱まっているとはいえ、撃たれた瞬間の痛みや血は本物だった。
 何よりも、何度も仮死状態に陥るような傷を受け続ければ、いくら優れた医療をもってしても傷跡は残る。

 「なぁ、ここ、見ても良いか」

 包帯に手を当てたミラージュに、一瞬だけ呆れたような顔をしたクリプトが胸元にしまい込まれた包帯の先端を外すとそこを緩めた。
 はらりと緩まった包帯の下にはもう既に薄くなっているものの、確かにミラージュがクリプトに撃ちこんだ弾痕が残っており、その傷口に顔を寄せたミラージュが胸にキスを落としていく。
 そのまま傷痕の無い方の胸にある薄い色をした乳首を舌の腹を使って擽るように舐れば、白いシーツの上で吐息を詰めたクリプトの眉が切なく寄せられる。

 「……ん、……っ……」

 ちゅ、ちゅ、と鳴るリップ音に身をよじらせたクリプトは顔を寄せたミラージュの髪に指を差し入れた。
 その間にもミラージュの両手が腰を擦り上げ、ボトムスのベルトに手を掛けバックルを外していく。

 「……俺ばかりじゃなくて、お前も見せろよ」

 不満げな表情でそう囁いたクリプトにミラージュはバックルを外していた手を止めないまま、うっすらと笑った。
 傲慢なのはベッドの上でも変わらないらしい。
 クリプトの纏っているデニムのボタンを外してジッパーを下げたミラージュは煽るように自分の着ているシャツのボタンに触れると、囁きを落とす。

 「見たいなら自分で開けてみるんだな。【ゲーム】の時みたいに積極的に詰めてくるところ、見せてくれよ」

 「……アルゲッソ(分かったよ)」

 チッと舌打ちでもしそうな勢いで上に跨っているミラージュのシャツのボタンに手をかけたクリプトが母国語を発しながら、光沢を纏った貝ボタンを外していく。
 全て開き終えた先にある貼りつけられた防水加工の施された湿布を見つけたクリプトは、ミラージュを見つめると不敵に笑った。

 「あ、お前、っちょ……いってぇ!?」

 ベリ、と一気に引き剥がされた湿布にミラージュの身体がビクリと震える。
 剥がされた湿布の奥から現れた、綺麗に割れた逞しい腹筋の上に残る青痣に、フ、と笑ったクリプトはつい先ほど手荒く湿布を剥がしたのと同一人物とは思えない優しい手付きでその青痣を指で労わるように撫で擦っていく。
 【ゲーム】の中ではあれだけの殺意を纏っていた男が、本当に愛しいモノを見る目つきでその肌を見つめる様は酷くミラージュの劣情を高めていく。
 矛盾しているのに、それが正しい形なのだと思えば、クリプトがつけた傷すらも愛せる気がした。

 「……は……」

 「綺麗に痕、残ってるじゃないか」

 「あぁ、誰かさんに思いっきり蹴られたからな。……あの後に筋トレ頑張ったのか? クリプちゃん」

 「まぁな……っぁ、おい、……!」

 会話の応酬のどさくさに紛れてクリプトのボトムスと下着を一気に脱がせたミラージュは、デニムの下から現れたしどけない下肢に手を這わせる。
 やはり細い脚だと思っていたが、確かに太ももはみちりと質の良い筋肉がさらについており、白い皮膚が掌に馴染む感覚に酔う。
 何よりもその下肢の中央でとろとろと蜜を零すペニスの愛らしさに、ミラージュの唇が弧を描いた。
 快感を得ているのだという隠しようのない事実が露わになり、それを隠したいのか膝を立てようとするクリプトの腿を掴んで開かせる。
 捲り上げられたタートルネックと、首にかけられた幾つものネックレスの煌めき、そうして解け落ちた包帯がどこか淫靡さを増して、ミラージュの眼前に迫ってくるのを視界に収めながら、ミラージュはクリプトの羞恥によって赤くなった顔を眺めた。
 こんなに愛しいのに、明日もクリプトはミラージュの前に立ち塞がる敵として現れるのかもしれない。それとも背中を預けあい共に戦う同士になるのか。
 どちらにしてもそれはこの先も続いていく筈で、きっと何度も互いの命を取ろうと思いながらチャンピオンという称号を賭けて本気で戦うのだろう。

 「凄い良い蹴りだった。めちゃくちゃ痛かったけどな」

 「……っそれを、お前が言うのか? ……わざわざこんな所に撃ち付けたクセに」

 そのまま自身を蹴りつけた腿に顔を寄せて赤い情痕をいくつも刻み付けるミラージュの耳に触れたクリプトに誘われるようにミラージュが顔を上げるとミラージュに触れていない方の手で自身の胸元の痕を愛おしげに撫でるクリプトと視線が絡む。
 この男は、本当に性質が悪い。
 脳内で焼ききれそうな理性を総動員して、暴走しそうな熱を押さえようと深い吐息を洩らしたミラージュに、さらにクリプトは胸元から下腹部に手を伸ばす。
 スルスルとヘビのようにしなやかな腕が微かな下生えのあるそこを緩く撫で、とろついた瞳がミラージュを見つめる。

 「……なぁ、……ヤろうと思ってるなら出来るぞ。ちゃんと、……準備してあるから……」

 いくら襲い掛かったとはいえ、ミラージュも男同士のセックスについて調べたのもあって、前回と同じように擦り合わせるだけで今日は収めようと考えていた。
 それなのに目の前の悪魔のような甘美な誘惑をした男は、言うに事欠いて、準備をしてきていると言う。
 つまりそれは、クリプトという気位の高い男がこの家に来る前からミラージュに抱かれるかもしれないと想定していたという事だ。
 グルリと回りかけた頭をどうにか持ち直しつつ、それでもミラージュは聞き間違いではないかと心配になって声を上げていた。

 「準備って……その、……あれだよな? ……俺がお前を抱くって、そういう事で良いのか」

 「……一々言わせるな、……どうなるか分からなかったから、どっちでも良いように……そう思っただけだ」

 益々顔を赤くしてそう言うクリプトに、ミラージュも思わず顔を片手で押さえる。
 確かに性的な目でクリプトを見てしまったあの日から、ミラージュは何度もクリプトを夜のお供にした。
 でもそれは全て自分の下で喘ぎ乱れるクリプトを想像して行われていた。
 男なら大体がそうだろうと思うのに、それでもクリプトが自分に抱かれるのを望んでいるというのが堪らなくなる。
 それと同時に期待に応えなければという気持ちも大きくなるのを感じたミラージュは、顔に触れていた片手を離すと、纏っていた開襟シャツを脱ぎ去りベッド脇に落とす。
 自分の為にその肉体を差し出してくれるというクリプトに、今までにない程の快楽と奉仕を与えてやりたかった。

 「痛くしないように頑張るからな」

 「……もし痛かったらまた蹴りつけてやるよ」

 「それ、きょ、きょ……脅迫か? 付き合いたての恋人を脅すなんて悪い奴だ」

 互いに軽い会話の応酬をしながらも、張りつめた熱が冷めることはない。
 ミラージュはサイドチェストの引き出しに手を掛けると、そこからプラスチックボトルに入ったローションとスキンの箱を取り出す。
 クリプトに準備をしてきていると言われて動揺したものの、ミラージュもミラージュでその可能性を考えなかったワケではなかった。
 そしてミラージュはローションを手に取る前に、脱げかかったクリプトのタートルネックに軽く触れると、その動作の意味に気が付いたのか、自らタートルネックから頭を抜いたクリプトが脱いだそれと一緒に外したネックレス諸共ベッド脇に落とす。

 その間にベッドに置かれたクッションを取ったミラージュがクリプトの腰の下にそれを敷いてやると、緩まった包帯も煩わしそうに取り去ったクリプトを見て、ようやくローションを手に取ったミラージュは冷たく粘度の高いそれを手の中で揉み込んでからクリプトの下肢に手を伸ばした。
 クリプトが言っていたのは本当のようで、ミラージュの指先を飲み込んでいくアヌスの中は熱くも指を締め付ける。
 グチグチと濡れた音を立てるそこを慎重に探りながら、揺れているペニスをもう片手でしごけばクリプトの腰と声が上がった。

 「あっ、う、……それ、……一緒にするな……」

 「……クリプちゃん、ここ触ったの今日が初めてじゃねぇだろ? 自分で弄ってたの?」

 肉襞が待ちわびていたようにミラージュの指を易々と1本呑み込み、さらにもう1本差し入れる。
 ただ内部を洗浄しただけではこうはならない筈だ。
 それこそ何日間か慣らさなければここまで快楽を拾えまい、と奥を指の腹で擦りあげたミラージュの手付きに足先でシーツを乱したクリプトを見つめたミラージュは思う。
 そうだとしたら、本当にこの男は恐ろしく愛らしい。
 性的な匂いなど一切感じ取らせず、【ゲーム】で戦っていた男がミラージュを受け入れるつもりで一人慰めていたのだとしたら、それは最高にかわいらしいとしか言いようが無かった。

 「あっ、んっあ、……や、めろ……そんな話ぃ……や……!」

 「ヤバイ、マジで鼻血出そうだ。……俺に挿れて欲しくて一人でここ触ってエッチな事してたの? そんなの可愛すぎるだろ……なぁ、お前、どこまで俺を惚れさせれば気が済むんだ?」

 グリ、と肉襞を押し込めると、裏返った声でクリプトが鳴く。
 それと同時に前から零れるカウパーの量も増えてはトロトロとミラージュの手を濡らした。
 図星を突かれて背をしならせたクリプトに、もはや可愛らしすぎて苛立ちすら感じ取りつつあるミラージュは、あっという間に3本目を呑み込んだクリプトのアヌスを探るようにバラバラに動かして内壁を擦る。
 本当なら、あの日から記憶に焼き付けられたピンク色の純粋無垢なアヌスを自分の手で開発してやりたかったが、その楽しみが減ってしまったのと同時に、自分を想ってクリプトが自己開発に勤しんでくれたのが嬉しくもある。
 これからは一人では得られないもっと深い悦楽の波にクリプトを溺れさせたい。
 そんな野望を胸に秘めつつ、ミラージュは自分のボトムスと下着を手早く脱ぎ去ると、腹につきそうなくらいに反り上がったそこを見遣る。
 赤黒く巨大なそれは早くクリプトの中に突き入れては温かな内部をかき混ぜてやりたくて、ドロリと涙を溢していた。

 「は……」

 ミラージュと同じくその凶器じみたペニスに目を向けたクリプトは、感嘆なのか、それとも恐れなのか判断のつかない吐息を洩らす。
 箱から一つスキンを取り出したミラージュは、そのまま包装を破くとスキンを傷付けないようにくるくると手早くそこに取り付けていく。
 その一部始終を熱を帯びた瞳で見ているクリプトの視線に気が付きながらも、焦ってはマズイとミラージュは出来るだけしっかりとそれを取り付け、精液溜まりの部分を軽く捻って調整をする。
 そうして、ピッチリとしたスキンにくるまれてもなお硬度を保ったままのペニスの先端をクリプトの膝裏を押さえてアヌスに押し付けたミラージュは、今か今かと待ちわびるように収縮を繰り返す窄まりに全てを持っていかれないように歯を噛み締めながらゆるゆると腰を埋めた。

 「ひ、ぅ……あッあ゛……ぐ……!」

 少しずつ腰を進め、中を押し拡げていく。汗によって滑る手で掴むクリプトの膝裏がフルリと震えて、それを支えているミラージュの手に力が籠った。
 無意識に食い込む指から力を抜いたミラージュが顔を上げると目を強く瞑っているクリプトの表情が目に入ってくる。

 「ッ……締め付けが、ヤバイな……痛い……? 大丈夫か? クリプちゃん。……今日はここで止めとこうか」

 そうして、嫌々と頭を振って堪えるような顔をしているクリプトに心配になり、半分程度で止めてからミラージュは声をかけた。
 声かけにそっと瞼を開いたクリプトが涙の滲んだ黒い虹彩をミラージュに向けると、未だに苦しそうな呼吸を続けながらもクリプトはその口端に笑みを浮かべる。

 「……まだ、全部入ってないんだろ……、俺は平気だから……」

 最後まで来い、と囁いた唇が、無理をさせていると不安になったミラージュの心を解して安心させてくる。
 辛いのは本当なのだろう、それでもクリプトの肉体を征服してしまいたいという雄としての欲求がミラージュの喉を鳴らす。
 ズクリと重みを増した睾丸がその中の欲をもっと奥に埋めて吐き出したいのだと騒ぎ立てる。
 これが終わったらまた料理を全部温め直して、そうしてクリプトが望むならシャワーに連れて行って介抱までしてやる。
 だから今はクリプトの虚勢だと分かっている優しい笑顔に、甘えてしまいたかった。

 「ぅあ゛、あっぁ……あー……!」

 残り半分の肉欲を奥に突き入れるように腰を押し付けたミラージュの下腹部がクリプトの臀部に当たってパチュ、と肉感的な音を立てる。
 デバイスの取り付けられた喉仏が跳ねた背中と一緒にせりあがり、悲鳴のような声を上げたクリプトの口端に浮かんでいた笑みが消えるのと同時に滲んでいた涙が一滴、その頬に落ちていく。
 やっと、この男と繋がれている。求め続けた奥をこじ開けて、その内部がミラージュを求めるように蠢き包んでは、キツイくらいの締め付けで苛んでくる。
 一瞬でも気を抜けば持っていかれそうな快感と充足感の中でミラージュはクリプトが零した涙を拭う為に膝裏に添わせていた手の片方を、頬に伸ばした。

 ふぅふぅと荒い吐息を洩らしながら、目元を染めたクリプトの汗ばんだ頬、それから額を労わるように撫でるとどこかぼんやりとした目をしたクリプトがミラージュを見つめる。
 しっとりと部屋の空気は湿り気を帯びて、触れ合う肌の熱が温度を高めていく。
 そうして頬に触れたミラージュの手に、手を伸ばしたクリプトはそれを取ると恭しくミラージュの指の節に順々に口付けを落とす。
 まるでこの指の一本一本が大切なのだというような行為に、もう片方の手も前についたミラージュは流し目でその動作を見ているクリプトの顔に顔を寄せた。
 小鳥が啄むキス、それから、下唇の膨らみを唇でなぞってからベロリと一舐め。
 ミラージュの手にキスをしていたクリプトの唇は再びミラージュによって塞がれ、絡めた指先でベッドに縫い止められた手が一部の隙も無いように握り込まれる。
 重なった掌から互いの心拍が伝わり合い、混ざり合って、また心臓へと戻っていく。絡んだ舌の隙間と、鼻から吸っては出される呼吸がヒゲの生えた顎先を掠める。
 …………これがクリプトの"生きている音"なのだと、ミラージュは、感動すら覚えていた。

 「はッ……あ、……は……」

 「……クリプト……好……きだ……好きだ、……」

 唇を離して、熱に浮かされた子供のようにただひたすらクリプトへの愛を紡ぐ。
 そんなミラージュと繋いでいる手の力を強めたクリプトは、ミラージュの耳元に顔を寄せると、耳をすましてようやく聞き取れるかどうかくらいの声を発した。

 「……ウィット……俺も、だ……」

 「うぁ……」

 それでもハッキリと鼓膜を揺らしたその言葉にミラージュの唇からしどけない声が洩れ、クリプトの中に埋められたペニスが脈動する。
 たった一言、それだけだというのに普段はまるで素直ではない男の素直さが心を揺り動かす。
 初めて身体を繋げただけでも幸せを感じているのに、その上、こんなにも与えられてしまえばもう止める事など出来なかった。
 
 グッと埋めていた熱をギリギリまで引き抜いて、一気にまた押し込む。
 ローションと体液で濡れそぼったアヌスが縁いっぱいまで拡げられているのに、中はギュウ、と離さないと言わんばかりにミラージュのペニスを包み込んでくる。
 抽挿の狭間で繋いだままの爪先が堪えるようにミラージュの手の甲に立てられる痛みさえも、逆にクリプトを抱いているのだという熱量が高まるだけ。
 黒い瞳はただぽろぽろと涙を溢れさせ、同じく唇からは今までに聞いた事の無いような嬌声が響いて部屋に満ちる。
 汗を纏って張り付く肌も、腹の間で切なげに震えるペニスも、全部が目に毒なくらいに綺麗で、そうして愛しい。
 交わりの先に何も成す事が無いとしても、それだけが体を繋げる目的ではない。
 ただ、クリプトという人間とミラージュという人間が言葉だけでは伝えきれない、溢れる愛の交換をしては、その生を感じ取りたくて行われる行為に、普段の軽口はもう出てこなかった。

 「っぁ、ぐ、んぅ……うぁ! あ……う、ぃ……っとぉ……!」

 「くりぷと……ッ、……ちゃんと気持ちい? ……俺、ばっかり……じゃないか……?」

 「っひ、……きもち、いッ……気持ちいい……あ゛!? ……あー……」

 再び投げかけられた心配そうなミラージュの問いかけに、素直に声を上げたクリプトの前立腺を中に埋められた亀頭先端が容赦なく擦り上げ、その衝撃でクリプトの揺れたペニスから、目元と同じく透明な雫がとろりと流れ落ちた。
 ちゃんと気持ちよさを拾えているらしい、と安心したミラージュは丸めていた背を少しだけ動かしてベッドについていた手でその甘イキしたばかりのクリプトのペニスを緩く握り込むとそこを扱き始める。
 前と後ろから攻め立てられる感覚に、無意識で繋いでいない方の手の甲で口元を隠しても、クリプトの唇から洩れる嬌声の方がより大きく、それが掻き消える事は無かった。
 体勢的にはキツイものの、バランス感覚の優れたミラージュはそのままさらに腰の動きを速めていく。
 バチュバチュと肉と肉がぶつかり合い、その抽挿のせいで泡立ったローションがシーツへと滴り染みをつくる。
 ベッドの上で絡み合い縺れ合う二人の吐息と鼓動が重なって、まるで一体の獣のようにすら思えた。

 「も、ぃ……イく……ウィット、……ダメ、ダ……メッ……っぁあぁ゛……!!」

 「……んッく……っぐ……ぅ……!」

 そのまま獣じみた声をあげて精を吐き出したクリプトとミラージュは、ぐったりとその肉体をシーツと、その上に眠るクリプトへと凭れさせた。
 多少なりとも膝と手に力を込めているものの、ミラージュの体重を受けたクリプトは絡めた指先を振って無言の抗議を試みるが、ゆるゆると離れた指先は結局クリプトの背へと回り強く抱きしめられる。
 腹に散ったクリプトの精液が肌につくのも気にしてないのか、抱き込める力を緩めないミラージュに遂にクリプトは掠れた喉から声を上げた。

 「お、もい……馬鹿……そんなに抱きしめなくったって、消えてなくなったりしない」

 「……だって……」

 「とりあえず一回抜け……俺をこのまま圧死させるつもりか? 小僧」

 「んん、……もう少しムードってモンを大切にしたらどうだ……」

 つい先ほどまでミラージュの下で喘いでいたのに、と埋めていたペニスを抜くと、それだけでクリプトがヒクリと震える。
 まだ足りないとでも言わんばかりに収縮をくり返す赤くなったアヌスからどうにか視線を動かしたミラージュは、手早く萎えたペニスからスキンを取り去ると自分でも驚くくらいに精を溜めこんだそれを処理してゴミ箱へと放り投げた。
 そうして改めてベッドの上でクタリと力を抜いているクリプトの淫猥さの残る肢体を見つめていると、太い眉を苛立たしげに寄せたクリプトがサイドチェストに置かれたティッシュを数枚取りつつ、ジトリとミラージュを睨み付ける。

 「……腹が減った。お前のせいで」

 「悪かったって、ちゃんと全部温めなおしておくからさ。ちなみに、特製デザートもあるからな。それでご機嫌直してくれよダーリン」

 「誰がダーリンだ。……全く、調子が良い奴だな」

 クリプトのその言葉が照れ隠しなのを理解しているミラージュは、腹に散った白濁を自分で拭っているクリプトの唇に軽くキスを落とす。

 「必要なら今度はシャワールームまで連れて行ってやろうか? ……イテッ」

 「うるさいぞ」

 抵抗されないまま何度か重なってから離れた唇でミラージュがニヤつく顔を抑えないままそう囁くと、ペチンとクリプトの四本の指がミラージュの額を軽く叩く。
 大して痛みも無く、その上、頬を染めたクリプトに笑みをさらに深めたミラージュをクリプトの目が今度こそ強く睨んだのを見て、これ以上は明日の【ゲーム】の時に真っ先に殺されかねないとミラージュは慌ててベッド脇の下着だけを拾い上げて履き直すと、恥ずかしがり屋な恋人の為に料理を温め直そうとダイニングへと向かったのだった。


 □ □ □


 ミラージュの貸したスウェットを纏ったクリプトが温め直した残り僅かなポークチョップを口に含むのを見ながら、Tシャツとハーフパンツに着替えたミラージュもまた、グラスに入ったままだったワインに口をつける。
 シャワーを交互に浴びた後、食事の続きをソファーで摂っている二人の間にはここに来た時よりもずっと穏やかな空気が流れていた。
 だが、時折、動きが鈍くなっているように見えるクリプトにミラージュは持っていたグラスを置いてからその背に手を伸ばす。

 「腰、大丈夫か? ……明日の【ゲーム】しんどかったらごめんな」

 そうして腰を労わるように撫でるミラージュの手付きに、咀嚼を終えたクリプトが目を向けたかと思うと、ペロリと指についたソースを舐めとった。

 「別にそこまでじゃない。一晩寝れば治る」

 「そっか」

 「……それに、……許可したのは俺だから……お前が気に病む必要はない……」

 消え入りそうな声でそう言うクリプトに、再び熱を持ちそうな下腹部に脳内で叱責しながら、ミラージュは軽く咳払いをする。
 この調子で行くとまた甘い雰囲気に流されてシャワーを浴びた意味が無くなってしまう。
 話題を逸らそうと、腰を優しく撫でる手を止めないままミラージュは声を上げた。

 「あー……デザートも食べるだろ? ブラマンジェ、作ってあるんだ。甘いの嫌いじゃなかったよな?」

 「……頂こう」

 その返事にソファーから立ち上がったミラージュはキッチンの方へと向かうと、デザートのついでにコーヒーも淹れてやろうとコーヒーメーカーのスイッチをオンにする。
 ハンドドリップで抽出しても良かったが、ミラージュもミラージュで久々の激しいセックスに微かな気だるさを覚えていた。
 キッチンに置かれた一人暮らしにしては巨大な冷蔵庫を開けると、いくつかの食材に並んで、ラップをかけられ小さな透明のカップに入っているブラマンジェを取り出す。
 表面にラズベリーソースを敷いた白くぷるぷるとした質感をしているそれと、一緒に持っていく用のコーヒースプーンを引き出しから取り出すと、今度は二つ分のマグカップを取り出したミラージュは抽出されたばかりの黒々としたコーヒーを湛えたコーヒーサーバーからコーヒーをそこに注ぎ入れる。
 マグカップ二つとブラマンジェの入ったカップ、そうしてスプーンを器用に両手で持ったミラージュはそのままソファーに座っているクリプトの前にそれを置く。

 「悪いな」

 「いいんだよ」

 途中でマグカップを受け取ったクリプトが礼を言うのを聞きながら、ミラージュはまたクリプトの横に腰を下ろした。
 湯気の立つコーヒーの入ったマグカップを握っているクリプトを見つつ、ふとミラージュはクリプトと出会った時の事を思い出していた。

 「そういえばさ、お前、俺の出した酒に『毒でも入ってるんじゃないのか』って言ってきたよな。覚えてるか?」

 だいぶ前の話だから忘れているだろうと口にしてから思ったミラージュの考えとは異なり、クリプトはマグカップにつけようとしていた唇を止めてからミラージュを見つめる。

 「覚えている。俺の歓迎会があった日だろ」

 「覚えてんのかよ。てっきりすっかり忘れてるのかと思ってた」

 ミラージュのその言葉に、クリプトが微かに首を傾げる。
 そんな可愛らしい所作にミラージュは思わず自分用のマグカップを手に取ると、そこに口をつけた。
 だが、ミラージュの意図が気になるらしくまだミラージュをじっと見つめているクリプトにミラージュは熱いコーヒーを飲み下しながら、どう言うべきなのかを思案する。

 「いや……考えてみたらお前、途中から普通に俺の作った酒も料理も食ってくれてたなーって……」

 「……それは……、あの頃はお前の事をよく知らなかったから……」

 言いよどんだクリプトに、ミラージュは実はずっと気になっていた事を思わず聞いていた。

 「……なぁ、いつから俺の事、好きだったの」

 その問いかけに手元のマグカップに視線を戻したクリプトは黒い波紋を立たせたコーヒーを眺めてから、マグカップの縁に唇をつけた。
 このまま黙殺されかねない。ミラージュはわざとらしくコーヒーを飲んでいるクリプトの顔を覗き込む。
 マグカップを唇から離したクリプトは黙ったまま、それをテーブルに置くと、ブラマンジェの入ったカップとコーヒースプーンを緩慢な動きで手に取った。
 焦らされている気分になってきた、とミラージュは今にも口をついて言葉が出そうになるのを押さえながら、クリプトがコーヒースプーンで赤と白を掬い取ってそれを口腔内に運び入れるのを見守る。
 数秒かけて漸く飲み込んだらしいクリプトがやっとミラージュに視線を戻すと、不敵な笑みを浮かべ、囁きを返す。

 「知りたいか?」

 「知りたい」

 間髪入れずに声を上げたミラージュに、クリプトの目が細まる。
 再びスプーンの差し込まれたカップの中のブラマンジェを口に運び入れる前に、逆にミラージュの顔を覗き込んだクリプトが唇で弧を描く。
 今にもキスが出来そうな距離感のまま、ミラージュはそのヘーゼルの虹彩の中に居るクリプトの言葉を待った。

 「知りたいなら、先に言うのが筋ってモノだろう。……物事は等価交換だ」

 ふい、と視線を外されてスプーンを銜え込んだクリプトのぽってりとした唇に白いデザートがまた吸い込まれるのを見ながら、ミラージュは過去を思い出す。
 ――――いつから、コイツを好きだったのか。
 初めは絶対に相容れない存在だと思っていた。それは確かだった。
 一緒に戦う間にクリプトの芯の強さを知った。そうして敵に向ける強い眼差しと、常に冷静さを失わない頭の良さも。
 そこから酒の勢いのままに、甘える時の仕草や普段は隠された肌の白さを知ってしまった。
 そうして裏切り者だと言われたクリプトを庇って、その奥に潜む本当は脆さも併せ持った優しい心を知った。
 でも明確にこの時期からだ、と宣言が出来ない。
 何故なら、ミラージュの中に芽吹いたクリプトへの愛情は、それこそゆっくりと根を張り続けていたのだ。
 それが日々のクリプトとの何気ないやり取りの中で、鉢に植えられて大切に水を与えられ育てられた植物のように段々と大きくなっていった。
 クリプトに聞いた手前、答えようとしたものの結局は上手く答えられない。
 ミラージュは片手で刈り上げた頭を掻きながら、クリプトの腰に当てていた手を動かして肩甲骨を辿り、金属デバイスに覆われたうなじに触れる。

 「……わからねぇ……気が付いたら、お前の事が好きになってた」

 「……俺と一緒だな」

 ハハ、と軽く笑い声をあげた無邪気な顔に思わずミラージュはうなじに触れていた手を動かすと、ねだるように顔を寄せる。
 ミラージュの動きの意図に気が付いたらしいクリプトが緩く目を伏せたのを確認してからミラージュが唇を触れ合わせると、ミルクとラズベリーの甘い香りと味が鼻に届いた。
 ちゅ、という軽い音の後に額だけを合わせたミラージュとクリプトの視線が再び熱を帯び始めたタイミングで、不意にテーブルに置かれたままのミラージュの通信デバイスがメッセージが届いたのを告げた。
 やっぱりこのままもう一回くらい雪崩れ込んでもいいかと思っていたミラージュの思考を遮るように、立て続けに音を鳴らすその通信デバイスに遂にクリプトが合わせた額を外してから確認するのを促すように顎をしゃくった。
 内心、舌打ちをしながらもミラージュが急いで通信デバイスを掴み取りその内容を開いて文面を読み込んでいく。

 「……マジか」

 そうして思いもしなかった文面に、思わず声を上げたミラージュへとクリプトの視線が注がれたのを理解したミラージュはデバイスから顔を上げると、面倒くさそうにため息を吐いた。

 「ギアヘッド……あ、お前はこれだと分かんないか。……ランパートって知ってるか? ガントレット界隈で特に有名な奴なんだけどさ」

 「武器改造職人のランパートか? お前、知り合いなのか」

 「あぁ……。たまに俺の店に飲み来たりするんだよ。でも、アイツはいっつもツケ払いでマトモに金なんか払った事ねぇけどな」

 ミラージュはまたデバイスに目を向けると、続けて飛んできたレイスからのメッセージの内容を確認する。
 それはガイアで店をやっていたランパートが襲撃されたという事と、そこにブリスクが現れて彼女もまた次回シーズンから【レジェンド】としてミラージュの同僚になるという話が書かれていた。
 そして店を破壊されてしまった事で行き場を無くしたランパートを一時的にパラダイスラウンジで引き取って欲しいとの文面が書かれている。
 何故レイスからのメッセージなのかは分からなかったが、ランパート本人は今は店の片付けや荷物をまとめる事などに奔走しているのだろう。
 自分よりもジブラルタルやバンガロールとの仲が深い筈のランパートを引き取って欲しいというメッセージの裏側には、あのじゃじゃ馬娘の引き取り手が見つからなかったのだろう事が窺えた。
 もしもミラージュも自宅にランパートを引き取れと言われたら断るだろう。
 何故なら、ランパートは改造に関しては一流の職人であったが、それと同時に物を散らかす能力に長けているからであった。
 一般的なアパートメントでは三日と持たずにあっという間にランパートの私物で溢れかえってしまうだろう。

 「ランパートの店が襲撃されたらしい。んで、アイツが次シーズンから新しく【レジェンド】になる……ついでに俺の店でルームシェアさせてくれときた……勘弁してくれ、まったくよぉ」

 漸くローバの持ち込んだアーティファクト回収というミッションが終わったというのに、今度は子守りのミッションでは身が持たない。
 どうにか他でなんとか出来ないのか? とメッセージを返したものの、恐らくはこのままミラージュがランパートを引き取る事になるのだろう。
 一人愚痴を洩らすミラージュの横で食べ終えたブラマンジェのカップをテーブルに置いたクリプトは、悠々とマグカップを手に取ってコーヒーを啜ってから、楽しげに呟いた。

 「賑やかになりそうでいいじゃないか。頑張れよ、小僧」

 「ったく、自分に関係ないからって余裕かましてるんじゃないっての! この、偏屈爺さんめ」

 そのままクリプトの髪をくしゃくしゃと撫でたミラージュに、肩を竦めたクリプトの顔には笑みが浮かんでおり、同じくミラージュにも笑みが浮かんでいた。
 これから先も【ゲーム】は続いていって、解決しきれていない問題も数多く残っている。【ゲーム】内だけではない様々なアクシデントも巻き起こっていくのだろう。
 だが、こうして何気ないやり取りの中でクリプトの笑顔を見られる事が出来るのなら、きっとこれからも頑張れる。
 ミラージュは心の中でそう思いながら、クリプトの髪を撫でていた手を離して自分用のブラマンジェへと手を伸ばしたのだった。

-FIN-







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