ブランデー・クラスタ




 デスクトップ型のパソコンに繋いだモニターに映し出された文字列を流し見ながら手早くキーボードを叩く。
 ドロップシップ内に割り振られた小さな部屋の中に響くそのタイプ音は慣れ親しんだ音色で、聞いていると自然と心が落ち着いた。
 プログラミングをしている間は、それだけに思考を向けていられるのでいい気分転換と暇潰しになる。
 今日も【ゲーム】のシーズン中で、この後にももちろん試合があるのだが、まだ開始時刻までは余裕がある事から締め切り間近の仕事を先に終わらせてしまおうと最終チェックを行う事にしたのが約一時間前。
 ほぼ最終チェックも終わりに近づき、文字を打つ指先も自然と軽くなる。

 元々、趣味と実益を兼ねてキム・ヒヨン名義でサーバーセキュリティプログラムの制作を時たま行っていたのだが、今回は【ゲーム】内での俺の活躍を見た一企業から直接問い合わせがあり、是非とも仕事を依頼したいとの事だったのでシーズン中ではあるが『報酬は弾むからなるべく早く』というその仕事を引き受けていたのだ。
 機械的に最後の文字を打ち込むと動かしていた指先を止め、自らのプログラム記述にミスが無いことをザッと確認してそれを起動させる。
 黒い画面に浮かび上がる俺のよく使用する緑色のアイコンが光ったのを見て、これで重要顧客情報に不正アクセスを何度も仕掛けてくるバカに痛い目を見せてやれそうだと我ながら意地が悪いなと思う笑みを口端に浮かべた。

 そのまま無事に納品も終わり、約束どおりの報酬が振り込まれたのを確認して、僅かに前のめりになっていた身体を座り慣れたオフィスチェアに沈み込ませた。
 大した案件では無かったが、シーズン中という事もあり、疲れた身体のメンテナンスに当てる時間を減らして対応していたので満足度は高い。
 逆に急ぎで対応しなければならない仕事も他には無いので、明日からのシーズンオフの間は久しぶりにゆっくり出来るだろう。

 俺はさらに休憩しようとキーボード脇に置いておいたネッシー柄のマグカップに手を伸ばす。
 しかし底の方に数ミリ程度しか残っておらず、またコーヒーを入れ直そうか迷う。
 正直、自分で淹れたコーヒーよりも少し前に半ば襲われるようにではあるが互いの欲求を発散し、その後、正式に恋仲(この年になってこんな表現を行うのも気恥ずかしい)となったミラージュの淹れてくれたコーヒーの方が数倍美味い。
 通信デバイスで連絡をすれば恐らくすぐさま喜んで淹れてくれるだろうが、俺達が交際している事は他のメンバーには絶対に秘匿すべきだと念押ししている以上、それは出来なかった。

 立ち上がるのも面倒だと思ってグダグダと迷っていると、背後でドアが控えめにノックされる音が聞こえる。
 俺はそれに対して返事をしてから手元のスイッチでドアの鍵を解除すると、ちょうど考えていた男がドアを通って室内に入ってくるので少しばかり驚いた。

 「よぉ、クリプちゃん。まだ仕事中か?」

 「いや、先ほど終わった」

 「そっかそっか!そりゃあいい。お前、いつも忙しそうだもんな」

 こちらに近付いてきたミラージュにチェアごと身体を向けると、相変わらずニヤついた笑みを浮かべた男が立っており、何かを言いたそうにモゴモゴとしている。
 何かしでかしたのか? と俺はそんなミラージュの態度を不審に思いながら、問いかけてみる。

 「わざわざ部屋にまで来るなんてどうかしたのか? 次のゲームでも俺達は別部隊だろう」

 「……あー、のさ……明日からシーズンオフだろ? だから来週辺りにどこかでかけないか? お前が行きたい所あればそこでも良いし、俺の車でドライブ! それもいいだろうし、とにかくデートってやつだな。それをしたいなと思うんだが……どうだ?」

 こちらの問いかけに、言いにくそうにしていた男のよく回る舌が早口でそう言う。
 デート、という聞き慣れない単語もそうだが、何よりも両手を忙しなく動かしながら照れたようにそういうミラージュにこちらまで微かに頬が熱くなってくる。
 互いにいい年をした男だし、コイツに限ってはまぁまぁ色々な経験もしてきていそうな癖に初デートに誘うくらいでこんな風に改まって言われるとは思っていなかったからだ。
 俺は自身の戸惑いを隠すように、一度咳払いをして目の前に居る男を見上げた。


 「……来週出かけるのは構わないが、別に今日このままお前の家に行くのでも構わないと思っていた。来週のがいいのか?」

 「!? それは最高にありな話っちゃ、ありなんだが……どうせいつも通りシーズン最終日はお疲れ様会やるだろ? そしたら今日中になんてとてもじゃないが帰れない。それに最近はパラダイスラウンジをマーヴィンやスタッフに任せっぱなしなんで次の休みは顔を出そうと思ってたんだ……部屋も散らかってるしな」

 ツラツラと並べられた理由に、確かに、と納得する。
 俺の事をいつも忙しいと評する男だが、コイツはコイツで【ゲーム】以外にもバーを経営しており、シーズン中だろうがなんだろうがトラブル対応などをしている姿はよく見ていた。
 信用出来るスタッフに任せているとはいえ、オーナーが顔を出さなすぎるのも問題なのだろう。
 家で一人出来る仕事とは異なり、人と人との関わり合いで成り立つ水商売はまた別の大変さがあるのだろう事は流石にそのような仕事をした事がない俺でも分かる。

 「クリプちゃんも色々やりたいことあるだろうし、今回は2週間オフがあるから焦らなくても良いかと思ったんだよ」

 「分かった。では来週にしよう……詳細はお前が空いている時にでも連絡をくれ」

 「オーケー、お前も行きたい所あれば連絡くれよ。それ以外の寂しい時もいつでも連絡待ってるぜ。もちろん俺からはちゃんと定時連絡するし」

 そう言って俺の方に近付いてきたミラージュはそのままこちらの金属製デバイスを避けるようにして目元に口付けてくる。
 最初は止めろと言っていたのだが、何度も繰り返される挨拶のようなそのキスにこちらも慣れてきてしまい何も言わずに受け入れると、嬉しそうな顔をしたミラージュが離れていく。

 「じゃあ今日の試合はお互い頑張ろうな。まぁ、今シーズンラストの試合はこのミラージュ様が勝つけど」

 「ほう? ……お前の最近の戦績は芳しく無かったようだが? 累計キル数も俺より少なかっただろう」

 「グッ……、力を溜めてたんだよ。これからあっと……あ?……とにかく最強の俺を見せてやるぜ」

 「最終日まで力を溜めておくなんて随分悠長な奴だな」

 フ、と笑った俺に悔しそうな顔をしたミラージュがすぐにその顔に笑みを戻し、俺のデスクにある時計で時刻を確認する。

 「おっと……そろそろミーティングの時間が迫ってるな。お前もこれからだろ?」

 「あぁ。まぁ今回のメンバーは皆自由人だから、ミーティングに関しても余り期待はしていないが」

 今回の同じ部隊メンバーであるランパートとオクタンの顔を思い出す。
 ミーティングの集合時間を決めたものの、その時間に2人とも現れるかどうかすらあやしいものだ。
 そんな俺の顔を見ていたミラージュは、あの2人はなぁ……と自分も余り人の話を聞かない癖にそう言う。

 「今日は子守りで大変だろうクリプちゃんに労いのコーヒーでも淹れてやろうか? もうそれ無いみたいだし」

 いつの間にそんな所をチェックしていたのか、俺のデスクに置かれたマグカップを指差してそう言うミラージュのサービス精神に内心舌を巻く。
 人と話しながら相手の飲み物の有無を確認するなんて、バーテンダーとしては必須のスキルなのだろうが、それをこんな自然に聞いてくるとは。

 「よく見てるな。実はちょうどお前に頼もうか迷っていた所だ。……ありがたく頂戴しよう」

 「頼みたいならいくらでも言ってくれよ。お前が世界一大好きなミラージュ様特製コーヒーはすぐにお届け可能だぜ」

 「……お前、その態度をドアの外でカケラでも出したら殺すからな」

 俺の言葉に、ヒェ、と情けない声をあげた男を無視してゆっくりとチェアから立ち上がると、隣に居るミラージュと共にドロップシップ内の備え付けキッチンへと向かうために与えられた自室のドアを通り抜けた。

 □ □ □

 仕事部屋の窓を開けて換気をしながらグッと身体を伸ばし、ある程度片付いた部屋を見回す。
 久しぶりに詰めていた仕事も無かったので今まで見てみぬフリをしていた部屋の掃除をしなければ、と早朝から取り掛かったのだが気がつけばあっという間に昼過ぎになってしまっていた。
 奴らに見つからないようにと比較的手狭な部屋を借りているのだが、それでもシーズン中は殆ど放置に近かった仕事部屋と寝室、それからダイニングキッチンを掃除するのは時間がかかる。
 その上、デスクの上に置かれた適当に書き留めたメモに契約書、その他参考資料などもごちゃごちゃとしていたのを整理しファイリングするのにも手間取った。
 しかしまだまだ休みは残っていると前半にダラダラとしてしまった己が悪い。
 仕事に関してはコツコツと積み重ねる事が得意なのだが、家事に関してはどうにも面倒で溜めてしまいがちなのだ。

 「……腹が減ったな」

 そんな反省会もすぐに切り上げ、伸びをしたタイミングで腹の虫が鳴ったのに気がつき、そう一人呟く。
 何か食べられる物はあっただろうかと俺は仕事部屋から出て、短い廊下を辿り、24平米ほどの広さのあるシンプルなダイニングキッチンへと続くドアを開く。
 極力無駄な物を省いたそのスペースには二脚の椅子が横に置かれた木製のダイニングテーブルと、テレビ台に置かれた小さなテレビモニター、細々とした物を入れているチェストが置いてあり、それらはカーテンの開かれた高い場所の景色が覗ける窓からの光に照らし出されていた。
 家具は基本的にモノトーンで統一してあるので見た目にも生活感は少ない。
 セキュリティの為に高層階のオートロックマンションを借りており、その上でベランダにはいつでもそこから飛び降りられるように【ゲーム】でも使用しているメーカーのジャンプキットが隠してある。
 自宅とは言うものの、数ある隠れ家の一つに過ぎないこの部屋はなんだかんだで安心出来る場所ではあった。

 そうしてダイニングに備え付けのキッチンはカウンターで仕切られ、向こう側が見えるようになっているのだが、普段ここに立つことはほぼ無かった。
 今からデリバリーを頼んでもいいのだが、軽く何か食べられればそれでいいとキッチンの収納を適当に開けると中から唐辛子の利いたカップ麺が出てきたのでこれでいいかと湯を沸かす準備を始める。
 準備と言っても電気ケトルに水を入れてスイッチを押すだけだ。
 ポコポコとケトルの中で湯が沸く音を聞いていると、デニムのポケットに入れていた通信デバイスに連絡が来たのかバイブレーションでそれを伝えてくる。
 俺はポケットからデバイスを取り出すとその内容を目で追った。

 『おはよう、今日はもう起きてるか? まさかまだ寝てないよな? 明日はお前の家に10時くらいに迎えに行くから住所だけ送っておいてくれ。よろしくな』

 ミラージュからのそのメッセージを読むと、すぐに返信を行う。

 『今日は起きている。 明日の件、了解した。車で来るのか?』

 返信をしている間にちょうど湯が沸いたのでカップ麺の包装を破り、具材とスープを取り出して中に入れるとさらに上から湯を入れる。
 するとすぐにミラージュから返信が戻ってきた。

 『天気も良さそうだし、美味いって噂の店の情報も聞いたからドライブがてら行こうかと思ってな! お前が好きそうな辛い物も置いてる店だぞ』

 『それは期待しておこう。住所も後で送っておく。今日も仕事なんだろう? 無理はするなよ』

 恐らく通信デバイスを手に持っているのだろう速度だったので、俺はそのまますぐに返信を行う。
 予想した通り画面の向こう側に居るらしいミラージュはまたすぐに返事をしてきた。

 『仕込みだけ手伝って今日は早く帰るつもりだ。ありがとな、クリプちゃんも良い一日を!』

 そうして謎にキメ顔をした自撮りをいつもどおり送ってきたミラージュに、送信時に暗号化して一部デバイス以外からは読めないようにした状態のメッセージで部屋の住所だけを送った。
 定時連絡をすると言った男は本当に毎日朝と夜には挨拶のメッセージと共に今日の一日の予定や出来事を報告してくる。
 大体は仕事が忙しいというのが分かる内容であったが、何故か必ず自撮りも送って来る男のまめまめしさに苦笑すら浮かぶくらいだ。
 俺は出来上がったカップ麺とステンレス製の箸を手に持つと、ダイニングに戻りテーブル脇の椅子を引いてそこに座るとカップ麺を啜り始める。
 口の中に痛みとして残るくらいの辛さが喉に刺激をもたらすこの感覚は心地良く、腹の虫もこれで大人しくなるだろう。

 あの日はミラージュが予想していたとおりにシーズン最終日は皆で飲み会が開かれ、宣言していたようにミラージュ・パスファインダー・レイスのいつものパーティーがチャンピオンを勝ち取った。
 8位という結果で終わってしまった俺は施設にて治療を受けながらミラージュの試合を中継で見ていたのだが、力を溜めていたというのが本当だと思えるくらいに終始動きの良かったミラージュのデコイがしっかりとハマって最後の一騎打ちで勝った場面ではこちらまで手に汗を握っていた。
 中継カメラに向かって嬉しそうにポーズを決めた男の姿はいつになく輝いて見えたものだ。

 その後の飲み会で声をかけようかと思っていたが、チャンピオン部隊となったメンバーで話をしていたし、奴はなんだかんだで皆の中心で話している事が多い。
 俺はと言えばそういう場でもあまり目立つのを好む方ではないから、入れて貰ったウィスキーの水割りを片手に部屋の端の方でホライゾンとワットソンのサイエンス談義を聞く役に徹していた。
 彼女達の会話はある程度までしか理解できないが、一科学分野における最高峰の天才とも呼ばれる彼女達の会話はこちらも学ぶことが多く聞いていて面白い。
 そうして結局その日はミラージュと話をする事も無いままシーズンオフに突入してしまった。

 (……明日か。久しぶりだな)

 一週間程度しか経っていないのに久しぶりというのもおかしな話だと思うが、シーズン中は毎日顔をあわせていたので不思議な気分になる。
 何よりも離れてみて理解したが、アイツは毎日俺に声をかけてきていた。
 それはからかいの言葉であったり、挑発的なセリフであったり様々であったが、恋仲となる前からそれは行われており、初めは鬱陶しさしか感じなかったそれを当たり前のものとして受け入れていたのはいつからだったろうか。
 今なら何となくではあるが、アイツなりの気遣いなのだという事が分かる。
 一度周囲からスパイだと疑われた俺を奴だけは笑い飛ばした。
 それから俺に対しての声かけが増えたのは、こんな茶番劇をしている男を怪しいと思わないだろうという考えもあったのかもしれない。
 …………単純に気にくわなかっただけなのかもしれないが。

 けれど、どこにいても針の筵のような気分であった俺は、そんなアイツのくだらない声かけや変わらずに行われるやり取りに、コイツの前でだけは気負わずに居ても良いのだという安心感を覚えていた。
 だからこそ、ドローン操作時に触れてくる指先の感覚も嫌では無かったので気がついていないフリをしていたのだ。
 そこからこんな風になるとは思ってもいなかったけれど。
 俺はそんな事を思い出しながら、カップ麺の容器に口をつけて辛さの凝縮されたスープを飲み干す。

 ジンジンと痺れる唇の感覚に、ふと、明日がミラージュの言っていた『最初の一回』になるのではという事に気がつく。
 恋仲になってから何度か男の家に飲みに行ったりもしたし、人目につかない隠れた場所で男からの軽いハグやキス、手を繋いだりの行為は何度かあったがセックスだけはまだだった。
 それは半ば襲うような行動をしたミラージュなりの誠意の見せ方なのかもしれないが、俺としては酔っていようがなんだろうが別に気にしていないのにと思っていたのだ。

 恐らくあの男の事だから、初セックスは初デートが終わった後に、なんて考えているだろう事は容易に想像がつく。
 俺は急にもどかしい気分になって、椅子から立ち上がるとキッチンの流しで箸を洗い、ダストボックスにカップ麺の空き容器を捨てる。

 そのまま先ほどまで掃除をしていた仕事部屋に足早に戻るとデスク前に置かれたオフィスチェアに座り、起動しっぱなしのパソコンのマウスを操作した。
 そうしてブックマークしていたサイトのURLを開くと怪しいデザインの男同士のセックスHOW TOサイトが出てくる。
 男同士でセックスをした事は無かったので、ある程度の知識はいれておくべきかと調べていたのだ。

 俺は別に恋に恋するようなそんなウブな男ではない。
 路上生活していた時期に何度か"そういう事"を強要してこようとした気の狂った奴らも居るには居たが、どちらかと言えば薄汚く貧弱なアジア系のガキなど憂さ晴らしのサンドバッグ代わりにされる回数の方が余程多かったので、怪我をさせられていない限りは逃げるのは得意であった。
 これがか弱い女児であったのなら恐らく無事では済まなかっただろう。

 逆に俺に手慰みに抱かれたいという女も居たのでそれらを抱いた事もあるが、到底楽しいものではなかった。
 あの時は男よりも女の方が身体一つで金を稼げる事に羨望も覚えていたが、今となってはその思想に陥っていた事実がおぞましい。
 その後、ミスティックに拾われて人並みの生活を送らせて貰っていくうちに俺の幼少期がどれほど異質な空間で過ごしていたのかを理解出来たのは本当に幸運としかいえない。

 けれど、過去の重い経験は消える事はなく、この年まで生きてきて恋人とするセックスというものを知らない。
 形式的な行為でしか認識されていないからこそ、そこまでしたいとも思わなかった。
 それに、恋人を作るというのも、人生の大半を逃亡に費やしてきた自分には考えられない事であったからだ。

 ――――だが、ミラージュとはどうだろうか?
 俺は握っていたマウスを動かして何度か読んだサイトの文面を目でゆっくりと辿る。
 本来ならばそのような用途で使用しない器官を慣らして行うそのセックスは男女の行為よりも面倒な上に負担が大きいらしい。
 それは当然の話だと思うが、実際にその状況になった時、俺はそれを許容出来るのか。
 この数日の間に導きだした答えはまぎれもないYESだった。
 例えどちらがトップになろうがボトムになろうが、あの男の全てに触れられるのならば構いはしない。

 甘い香水と本来の体臭が混ざって香るあの男だけが発する匂い。
 その匂いだけで地下道で荒々しく触れられ、そのまま擦りあわせて互いに達したあの日の感覚が脳内によみがえってしまう。
 けれどあの日から深追いはされずに軽くされるキスやハグの合間にも絶え間なく匂うそれはこちらの情欲を確実に煽る。
 我慢などせずに触ってくれと伝えれば良いのに、俺はそれを言えるほど素直にはなれなかった。

 「……早く明日になればいいのに」

 これ以上回想すると一人で処理する必要が出てきて、虚しい結果が待っているというのが容易に想像出来たので、俺は開いていたURLを閉じて目元を押さえるようにしながらそう自分に言い聞かせるように呟いていた。

 □ □ □

 「フォーーー!!!やっぱりドライブの時は叫ばないとなぁ!!」

 そう叫びながらアクセルを踏み込んだミラージュの声に思わず耳を塞ぐ。
 運転席側の窓を開けているのである程度の音は外に逃げるが、それでもうるさいものはうるさい。
 しかし上機嫌そうにハイウェイを走る男に文句を言うのも無駄かと俺は助手席側の窓から外を眺めた。
 キッカリ10時に俺のマンション前に現れたミラージュは、前を胸元まで開けた派手な柄のシャツにダメージ黒スキニーにサングラスという如何にもチャラついた出で立ちをしており、俺は俺で別にそこまで着飾る必要も無いだろうといつも通り白シャツにデニムととりあえずの変装のために黒フレームの伊達メガネをかけていた。
 そんな俺を見たミラージュはこちらの背負っている小さめなリュックを見て何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずに車のロックを解除したのだった。
 ちなみに背後のリュックにはドローンや小型のラップトップなどをしまいこんであり、けして他意は無いのだがわざわざそれを訂正するのも可笑しい気がして俺も何も言わなかった。

 車に乗ってからしばらくは男の久しぶりに会えて嬉しいやら、今日はハイウェイを抜けて湖に近い場所に行くやら、今週のパラダイスラウンジで起きたおかしな事件などの途切れる事の無い話を時折相槌を打ちながら聞く事に専念しておいた。
 何かこちらから話す事と言っても、ほぼほぼ自宅でゆっくりとしていただけだったのでネタも無かったからだ。

 「クリプちゃん、腹は空いてるか?」

 「お前が言うからちゃんと朝飯を控えてきたぞ」

 「そっか。そろそろだからもうちょっと待っててな。……ほら、湖も見えてきたぜ」

 ひとしきり叫んだ後に冷静さを取り戻したらしい男はハンドルを握ったままこちらを一瞥してくる。
 俺はそんな男の言葉に視線をフロントガラスに向けると、ハイウェイの先に光に照らし出されキラキラと輝く湖を見つけた。
 通常の人々のホリデーからはずれているのもあってハイウェイを走る車の台数も少なく、ミラージュの言葉どおりハイウェイを降りるとすぐさま思ったよりも巨大な湖面が見えてくる。
 そうして湖に沿って作られた道を行くと、岸辺にはその湖の景色を一望出来るようなテラス席のある小さいながらも雰囲気の良さそうなトラットリアが建てられていた。
 ここがミラージュが客から聞いたという【美味いと評判の店】なのだろう。
 滑らかに砂利の敷かれた駐車場に車を停めたミラージュがシートベルトを外してキーを持ち上げたのを確認して、俺もドアを開けて車外へと出る。

 【ゲーム】の戦場とは全く異なった肺を満たす爽やかな空気を吸い込みながらそのトラットリアの外観を見回す。
 周りには丁寧に剪定された木々が生い茂り、花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。
 敢えて蔦を絡ませている古代ヨーロピアン調の建築を再現しているらしい外観によく映えるそれらの横を通りすぎ、既に開かれているドアに入っていくミラージュに続いて俺も店内へと入った。
 中はそこまで広いというわけでは無く、静かに食事を行うにはピッタリだろうと思っているとにこやかな笑みを浮かべたマダムがこちらに声をかけてきた。

 「ご予約のウィットさんですか?」

 「そうです。ここの料理がとてもイカしてるって噂で聞いたもので来ちゃいました」

 「まぁ、そうですか! そう言って貰えるのは嬉しいわね。さぁどうぞこちらに、テラス席の一番いい所を取ってありますよ」

 「ありがとう。素敵なマダム」

 サングラスを外し、笑みを浮かべて対応をしたミラージュに気をよくしたらしいマダムは、室内を抜けてテラス席の中でも一番広々としている場所に案内してくれた。
 俺達が座ったテラス席の離れた場所に女性二人組が居るくらいで、鳥の囀る声と風に吹かれて木々の葉が揺れる音だけが聞こえてくる。
 街中の喧騒や普段から気にかけている問題を忘れさってしまうようなその雰囲気はとても心が安らいだ。
 そんな俺の心を読んだようにミラージュが声をかけてくる。

 「こういう静かな所のが好きだろ」

 「ああ……。しかし……予約してくれていたのか? 何から何までやって貰っているな」

 「別に普通だろ? 俺が誘ったんだから、それくらいするさ」

 「……そういうモノか」

 何を言い出しているのだろうという表情のミラージュに、こうしてエスコートされて人と出かけるのは初めての経験なのでそういうモノかと納得する。
 この年になってマトモにデートもした事が無いというのは珍しいのだろう。
 俺はそれ以上この話題を出すのは止めようと思い、案内された席に置かれたメニューを手に取るとそれを開いた。
 印字された料理名はどれも美味そうに見えて目の前のミラージュに顔を向けると、ニコニコといつも以上に笑顔を浮かべた男がこちらを見ているのに気が付き持っていたメニューを手渡す。

 「お前が選んでくれ。俺はよく分からない」

 「なんだよ、真剣に選んでるクリプちゃん可愛いから見てたかったのに」

 「……可愛いという表現は止めろ」

 不意に言われた形容詞に、眉をしかめる。
 コイツは試合中や皆の前では以前と変わらずに俺に散々生意気だの偏屈だの言う癖に、二人きりになると途端に可愛いやら好きだやら言い出すので質が悪い。
 まぁこちらも人の事を言えたものではないのだが、それにしても心臓に悪いのは変わらなかった。

 「へへ。……じゃあ俺が決めちゃうけど良いんだな?何か嫌な物とかも無かったか?」

 「無い。ただお前が言っていた辛いメニューというのは気になる」

 「了解、じゃあそれは頼もうか。お前酒は? 飲むだろ?」

 「いや、酒はお前が飲めないだろう。一人で飲むのは好みじゃない」

 「別に気にしなくていいのに」

 俺が本当に飲む気が無いのを察したらしいミラージュはそのままオーダーを待ち構えていたらしいマダムに片手を挙げて、料理を頼んでいく。
 そこそこの量の料理とミネラルウォーターを頼んだミラージュに全部食べられるのかとも思うが、俺も男も腹が減っているし恐らく大丈夫だろう。
 こちらはそこまで食に関して興味がないが、ミラージュは自分自身が店をやっている事もあり酒や料理に関しては俺などよりも余程造詣が深い。
 美味いと言われる店の味を出来るだけ食したいと考えるのは当然の事だろう。

 「そういえばさ、今日はお前……」

 「あのー、すいません。……もしかしてミラージュさんとクリプトさんですよね?」

 俺がそんな事を考えながらミラージュの顔を見ていると、何かを言おうとしていたミラージュの言葉に被さるように女性の声が聞こえて、思わず二人して声の方向に顔を向けた。
 すると唯一テラス席に座っていた女性たちがこちらの席にまでやってきたのだという事を理解して、俺はどう対応しようか悩む。
 【APEX】は認知度も高く、街を歩いていても声をかけられる事がたまにあるのだ。
 しかしコイツと一緒に居る時に声をかけられた事が無かったので、それに対してどう話をすべきなのだろうと思っていると慣れた様子でミラージュは彼女たちに対応を始めた。

 「……お姉さん達よく気が付いたなぁ! そう、俺はあの有名なミラージュでこっちはクリプトさ」

 「やっぱり! 最初に見た時にそうかなと思ったんです! 私たち【APEX】良く見てて……こんな所で【レジェンド】に会えるなんて」

 「へぇ、女性なのにあんなこわーい【ゲーム】を見るんだなぁ。銃弾飛び交うのも殴られるのもマジなんだぜ?」

 「確かに戦ってるシーンはビックリする時もありますけど、面白いからつい見ちゃうんです。この間の試合も見てましたよ! とってもカッコよかったぁ」

 キャーキャーと歓声を上げた彼女たちに片手をあげてファンサービスをするミラージュに内心苛つくのを我慢する。
 自分が何に苛立っているのかもよくわからなかったが、とにかく胸の中にどす黒い感情が浮かぶ自分自身にも苛ついた。
 あの最終試合は確かに良かったが、それに対してまだ俺は直接感想すら言えていないのに。
 そんな風に考えて黙っていると、未だに彼女たちと他愛もない会話をしているミラージュの革靴を履いた足先がこちらの足先に触れる。
 なんだ? と思っているとそのまま足先がゆっくりとくすぐる様に足の筋をデニム越しに撫でてくるのが分かって、一度息を詰めた。
 しかしミラージュは相変わらずこちらに視線は向けないまま、その足先だけで俺をあやしてくる。

 「でもお二人が一緒にご飯に来てるなんてビックリしましたよー。【ゲーム】中にお互いに色々言ったりしてるし……もしかしてこれからお仕事ですか?」

 「ハハハ、まぁ画面で見てるとそう思われるかもなぁ。盛り上げるって意味でもああいうのは大事だろ? それに今日はプライベートなんだ。……なぁ、クリプト」

 いつの間にかそんな話題になっていたらしく、スッと向けられた男の瞳と視線が絡む。
 俺はそんな男から目を逸らすとかけていた眼鏡に指を当てて、冷静さを取り戻そうと試みながら普段通りに声をあげた。

 「まぁ、たまにはこういう事もある」

 「そうなんですね。じゃあ邪魔しちゃって悪いし、私達そろそろ帰りますね! ……あの……ちなみにサインとかって貰えます……?」

 「おーぅ、サインならいくらでも書けるぜ! クリプトもサインなら良いよな?」

 「……あぁ」

 そのまま彼女たちが差し出した電子手帳にペンでそれぞれ二人でサインを書くと、女性二人組は頭を下げて帰って行った。
 彼女たちがテラスから居なくなったのを確認してから俺は目の前の男に瞳を向けると、ニヤついた笑みを浮かべたままのミラージュはこちらの足を辿っていた足先を離す。

 「……彼女達に見えてたらどうするつもりだ」

 「クリプちゃんがとっても不満そうに見えたからさ。嫌だったか?」

 「……嫌とか嫌じゃないとか、そういう事ではなくて……」

 男のこなれた態度にどうしたら良いのか分からなくなっただけだ、と自分でも理解してはいるがそれをうまく言語化出来ない。
 何よりも頬が熱くなるのを誤魔化す方に意識が向いているからだ。

 「お待ちどおさま! たくさん食べていってね」

 しかし、そんなやり取りの合間に店内から料理を持ってきたマダムがやってきてテーブルの上にドンドンと配膳していく。
 それらの色鮮やかでかぐわしい匂いを発する品を見て、俺たちは一旦飯を食べるのが先だと料理と共にテーブルに置かれたカトラリーに手を伸ばした。

 □ □ □

 美味い料理の数々で満たされた腹のまま、湖面が風によって動く様を見る。
 マダムのご厚意で湖周辺を散策する間、車は駐車場に停めておいても構わないとの事だったので食事を終えた俺たちは行く宛も特になく湖の周りにある遊歩道を歩いていた。

 「噂に違わない美味さだったなぁ。特にあの赤ワインの牛煮込みとペスカトーレ! 美味くて目が飛び出るかと思ったぜ」

 「確かにな。唐辛子入りのサルシッチャもしっかり辛味が強く効いていたし、美味かった。ロザマリーナのカルパッチョ……あれも初めて食べたがまた食べてみたいものだ」

 「俺もあれは初めて食べたなぁ……今度レシピ探して作ってやるよ。締めのソルベも美味かったし、また来たいな」

 そう言って腹を撫でたミラージュに、俺は黙って頷く。
 確かにあの店は味とマダムの人柄、どちらも良くてまた来たいと思わせる雰囲気が全体に漂っている名店であった。
 そんな事を考えていると腹を撫でていたミラージュの手が不意にこちらの手に触れてくるのがわかり、俺は周囲に人が居ないのを確認してその握り込んでくる手を受け入れる。
 絡んだ指先に伝わる体温は高く、歩みを止めないままのミラージュがこちらを見ながら静かに囁いたのが聞こえた。

 「さっき言いかけた事なんだが……」

 「なんだ?」

 「……今日はデートの後にこのまま家に来るんだよな?」

 ミラージュの目は真面目な色を宿しており、自然と歩みを止める。
 葉の擦れる微かな音が耳に入るのを聞きながら、俺は瞬きをした。

 「……そのつもりだが」

 「そっかそっか、そうだよな……。あのさ、それで、……あー……」

 俺の返答に手を握っている指に力を込めたミラージュに、俺は同じように指に力を込めてその先を言ってやる。

 「お前の懸念は分かっている。俺は正直、その……"どっち"でもいいんだ。お前が……やりたい方にしたら良い。別にお前と"そういう事"が出来るなら……」

 嫌に火照る頬もそのままにそう言うと、ミラージュの目が一度丸くなったかと思うと本当に嬉しそうに細まり、手を引かれて抱き締められる。
 金属デバイスに覆われた耳元に顔を近づけ囁いた男の声は掠れていた。

 「俺もお前と出来るなら"どっち"だって良いんだよ。本当に。ただ、もし……お前が嫌じゃないなら……お前の事を抱かせて欲しい。大事にするって言葉を、真実にさせてくれ。クリプト」

 「…………分かった。今日はお前に色々と委ねてるからな、”夜”もお前に任せる」

 抱きしめられた胸元から、男の激しい鼓動が聞こえてくる。
 そして俺の心臓もきっと同じように鼓動が高まって、ドクドクという音が混ざっていく。
 それを逃さないように俺は手を伸ばし、その背に回した。

 「ありがとう。……このままだと今すぐ爆発しそうだ」

 「……こんな所で無駄打ちするなよ?」

 「分かってる!! そうやって煽るなって……。なぁ、今日、他に行きたい所とか無いのか? このままじゃすぐに帰る事になるが……」

 「構わないさ。……早く帰ろう、ウィット」

 俺の言葉にグゥ、と小さなうめき声を洩らした男に内心笑ってしまう。
 けれど他に行きたい所が無いというのは事実なのだ。出来る事ならば一刻も早くこの男と触れ合いたい。

 「まぁ休みはまだまだ長いからな……今日くらいはそういう日でも良いよな……?」

 ブツブツとそう言うミラージュから体を離すと、繋いでいる手を動かす。
 俺が良いと言っているのに何を気に病む必要があるのだろう。

 「お前があんまりにも悩むなら行かないぞ」

 「そッ、それはダメだ! さぁ帰ろう、今すぐ帰ろう!」

 「ふは……お前、現金な奴だな……」

 真顔で男の目を見つめて言った俺に慌てた様子でそう騒いだミラージュについ声を上げて笑ってしまった。

 □ □ □

 カーテンから差し込む僅かな光に照らし出された薄暗い部屋に置かれたベッドの軋む音と共に、俺の隣に座ったミラージュがこちらの手を握ってくる。
 行きよりもさらにアクセルを踏み込んで車を走らせた男の助手席で、事故らないかと不安ではあったがどうにか無事であった。
 そして慌ただしく帰宅した後に、先に男のバスルームを借りて風呂に入ったのがつい30分前の事で、俺の後に風呂に入った男はいつもよりも早く入浴を済ませて出てきた。
 髪がまだ完全に乾ききっていないのか癖のある髪が僅かに湿り気を帯びているのを横目で見ながら、握ったり緩めたりを繰り返してくる男に声をかける。

 「ウィット」

 「……ああ」

 俺の呼びかけに静かに返事をした男がそのままこちらに顔を寄せて唇を触れ合わせてくる。
 厚い唇がそっと確かめるように何度か触れたかと思うと、頭を支えられながらベッドに横たえられ、チロリと舌先がこちらの唇をなぞった。
 それを受け入れるように唇を開くと、熱い舌が口腔内に忍び込んでくる。
 その舌はまるでヘビのようにぬるりとこちらの柔い場所を擦っていくのと同時に、男の指先が俺の頭を撫でていく。
 待ちわびていたその感触を追いかけるように舌を絡ませると、唇を離したミラージュがひっそりと笑った。
 頭を撫でていない方の手でこちらの借りたスウェットの内部に指を這わせた男が腹を撫で擦る感覚にくすぐったさを覚えて微かに身を捩る。

 「クリプちゃん……さっきの女の子達と話してた時さぁ、何考えてたんだ?」

 「っはぁ? ……なんで、今そんな話になるんだよ……」

 スウェットをめくり上げて胸元までさらしてきた男が掌で温めるように擦るのを続けながらそう囁く。
 続けて男が両手で脇腹を掴んだかと思うと、今度はその口ひげの感触を残しながら緩慢な動きで金属デバイスの取り付けられた首、鎖骨、胸元を通り腹筋までキスを落とす。
 じわじわと煽られるその行為に俺は手を伸ばして男の髪に指を差し込みそこを撫でた。

 「いや? ちょっとだけ気になってさ……こういう時でも無いと言ってくれなそうだから」

 「ん……っ……、それ、くすぐったいぞ……」

 「……くすぐったいって事は、このまま触ってたらヨくなるかもなぁ。試してみよう」

 「バカ、……止めろって……」

 しかし俺の言葉を無視した男に脇腹を擦りながら舌先で腹筋のラインをなぞられ、背中が僅かにしなる。
 まだ触られてすらいないのに既に下着の中で自分のペニスが熱を帯び始めたのを感じ、髪を撫でていた男の耳を軽く引っ張ると顔をあげさせた。
 笑みを浮かべてはいるものの、視線が合ったヘーゼルの瞳は情欲の光をともしてこちらを見返してくる。

 「お前の最終試合、……俺もカッコ良かったと思ってた。それを先に言われてムカついた、ただそれだけだ」

 「そうか、嬉しいなぁ。クリプちゃん嫉妬してくれたんだな」

 「嫉妬ってそんな……、……うっぁ!」

 脇腹を撫でていた手が布越しに俺のペニスを刺激してくる感覚に、思わず声が洩れる。
 今週は自分で処理をしなかったから、その微かな刺激でさえも強い快感を求める呼び水になってしまう。
 それを悟られたくなくて腿を擦り合わせた俺の動きを察したのか布越しに触れる手は止まったが、話している最中だというのにその不埒な手はスルスルとおりていき下着ごとスウェットのボトムスを脱がされてしまった。

 「……すごい反応してるな。そんなに気持ちよかった? それともあんまりマスターベーションしてなかったか?」

 先走りで濡れた下着とペニスの間に透明な糸がかかり、それを見たミラージュが軽く舌なめずりをする。
 下を脱がされた後に今度は脱ぎかけていた上も頭を通して脱がされ、ほぼ生まれたままの姿にさせられた。
 同性同士とはいえベッドの上で他人にこうして服を脱がされ、全身をくまなく見られるというのは恥ずかしい。
 俺は男の問いかけには答えずに男の着ている服を軽く引っ張った。
 こちらの言いたい事が伝わったらしく、部屋着として使っているらしいTシャツの上を脱いだミラージュの均整の取れた筋肉のついているがっしりとした肉体が現れる。
 しっかりとした体毛の生えた色の濃い肌に試合でついたらしい古傷がいくつか残っており、それを見るだけで喉が鳴った。
 男目線でも憧れるような肉体が今から俺を抱くのだと思うと堪らない気分になってしまう。

 「そんなに見つめるなよ。可愛い可愛いクリプちゃん……そんなエッチな表情されたら我慢出来なくなっちまう」

 カーテンを閉めて部屋を薄暗くしているとはいえ、まだ夕方にはなりきれていない時間帯だ。
 卑猥な言葉で攻め立てられるにはまだ早い筈なのに、逆にその背徳感に急かされて余計に先を望んでしまう。

 「……別に我慢なんて必要ない。……"欲しい"んだよ、わざわざこんな事を言わせるな」

 「ッ……あぁそうかよ。明日お前の腰が立たなくなって叱られても俺は謝らないからな」

 完全に唇に乗せていたうさんくさい笑みを潜ませた男は腰骨に手を滑らせると、こちらの腿に手をかけそこを開く。
 男の眼前にさらされる事になったペニスはその視線を感じて反応し、ぴくりと脈動する。
 一体どうするつもりなのかと思っていると、男が腿を押さえながらそこに顔を寄せた。

 「ひ、……っあ……!?」

 躊躇いもなく口に含まれ、舐られる感覚に高い声があがる。
 女の口とは違う遥かに大きくて熱い内壁と厚みのある舌に包まれる感覚は高ぶっている体には刺激が強すぎた。
 無意識に逃げるように後ろに引こうとする体も男の指でしっかりと腿を固定されていて逃げられない。
 じゅぷじゅぷと唾液まじりの濡れた音がそれだけで溶けそうな脳内に入り込んでくる。

 「みらー、じゅ……ダメだっ……て! ……それ、すぐ……イってしまう……!」

 「はぁ……クリプちゃんのもうこんなに濡れてべしゃべしゃだもんなぁ。俺のフェラでもっと気持ちよくなっちゃったのな」

 「ん、……っぅ……」

 俺の限界を訴える言葉にやっと顔をあげた男は満足げにそうやって直接的なセリフで煽ってくる。
 余裕ぶった男に悔しいと思えども、確かに快楽を感じている体は離れた男の唇を目で追ってしまう。
 するとサイドチェストに手を伸ばしたミラージュはその引き出しの中からプラスティック製のボトルに入ったローションとスキンを取り出す。
 いよいよか、と思う俺の目線に気が付いたのか一度こちらの額にキスをしたミラージュと視線が絡んだ。

 「怖いか?」

 いつもは良く回る舌がたった一言そう囁く。正直な事を言えば、恐れていない筈が無かった。
 けれどそれは何もかもが未知の体験だからだ。
 男の体で男を受け入れるという事も、そうして心から欲した相手と繋がろうとする事も。
 年を重ねているからこそ、初めての事は恐ろしく感じてしまう。
 そんな恐ろしさを抱えていても、それらを凌駕する程に俺は男を求めていた。

 「怖くはない。……お前に全てを委ねると決めているから」

 「うん……。そっか、そうだな……大事にするって俺は言ったもんな」

 俺の言葉にふ、と笑ってそう言った男はベッド脇に落ちてしまっていたクッションを拾い上げて俺の腰の下に入れてくる。
 柔らかなクッションに腰が沈むのを感じていると、その間にミラージュはボトルからローションを絞り出すとそれを掌で温め、指に纏わせた。
 爪が短く切りそろえられた形のいい太い指がこちらのエネマを終えておいたアヌスにゆっくりと侵入してくる。
 固く締まったそこに入り込んでくる指先の感覚はむず痒く、痛みはそこまで無い。

 「……クリプちゃん、痛くない? 大丈夫か?」

 「へ、いきだ……不思議な感覚はあるが……」

 「ちょっと動かしてみていいか」

 男の問いかけに黙って頷くと慎重な手付きで男の指が腸壁を探り、軽く出し入れされる。
 気持ちよさというよりかはどちらかと言うと違和感の方が強かったが、男の指で内部を探られている感覚に思考が揺すられる。
 これから男のモノを受け入れる為の体に作り替えられているのだと思うと、それだけで指がシーツを握りこんでしまう。
 女が好きだと公言していたミラージュが、男の俺を抱く為にこんなにも念入りに俺をほどいていく。
 そうして俺もまた、ミラージュだけを受け入れるためにこの体全てを差し出している。
 その事実を指で内壁を探られる度に自覚させられるからだった。

 「もうちょい大丈夫そうだな……」

 次第に緩まってきているのか、もう一本、男の指が中に入り込まされて内部をかき混ぜられる。
 ぐちゅりとローションと粘液の混ざった水音と共に、より奥深くまで触られた瞬間、脳内に一瞬火花が散った。

 「っぁ!?……な、……なん……だ……?」

 「! ここか……」

 「ん、っぅ! ぅあ……ミラージュ……!」

 「多分ここがクリプちゃんの気持ちいい所だな。……ほら、中もグネグネしてきてる……」

 執拗に指の腹でその一点を押されると、まるで自分の声ではないような声と共にミラージュの言うとおり腹の中がその指を求めるように蠢く。
 そのまま先ほどよりも強めに指を抜き差しされるが、もう異物感よりも与えられる快感の方が強い。
 そうして縁の部分を広げるように指で開けられ、ボトルに入ったローションをもう一度手に取ったミラージュが少しずつそれを流し込んでくる。
 ひやりとしたローションがすぐに体温で熱くなるのを直に感じ取りながら、それを馴染ませるように塗りつけられ指を引き抜かれた。

 「ごめんな、……俺ももうヤバそうだ……」

 そう言って持っていたボトルをベッドに乱雑に置いたミラージュが下着と一緒に履いていた俺に貸してくれた物と形は同じだが色違いのスウェットのボトムスを脱ぎ捨てる。
 あの日見た時よりもさらに巨大に見える男のペニスはべったりと濡れており、サイドチェストに置いてあったスキンを手に取ったミラージュは歯で包装を破き、手早くそれをペニスに装着した。
 男の理性の薄さが露骨に現れたその行動に、ぞくりと背が震える。
 そのままミラージュの濡れた片手が膝裏に添わされ、スキンを纏った先端をアヌスに宛がわれる。

 「……挿れるからな……痛かったらすぐ言えよ」

 「……っぐ、……う……っぁあ゛……!!」

 「ッ……は……」

 指などとは比較にならない圧倒的な物量に、うめき声のような喘ぎが口から洩れた。
 先ほどの荒々しさとは真逆の慎重さで埋め込まれていくその感覚は、男が精一杯の理性を総動員しているのが膝裏を掴む手からも伝わってくる。
 やがて男の体毛の生えた下腹部が俺の肌に触れたのを理解して、あの巨大なペニスが全て自分の肉体に収まった事を理解する。
 本当に今、男と繋がっているのだと思うと驚くくらいに体が熱くなって心臓が脈を速めた。
 これが愛している相手と行うセックスなのだと人生初めての経験に目が自然と透明な膜を張る。
 それは男も同じ事を考えているのか、こちらに顔を寄せた男の目元は赤い。

 「クリプト……」

 「……ん……」

 「……やっとだ。……やっとお前をこうして抱けてる。夢みたいだぜ、こんなの……」

 「……は、……夢になんてしてやるかよ……真実だ、ウィット。お前に全部やるよ。……もうお前のモノだ」

 「っぅあ……、クリプト……ッ……」

 俺の言葉と腹の収縮に息をつめたミラージュが、その腰を動かしてピストンを開始する。
 引き攣れる感覚に痛みがないわけでは無いが、先に入れ込まれたローションのお陰でそこまで嫌な痛みではない。
 何よりも俺の上で俺だけを見つめて腰を振るミラージュの必死な表情と、汗の匂い、そうして男の使っているシャンプーの香りが男からも俺自身からも立ちのぼり纏わりつく。
 それだけでこちらの興奮を高める材料は揃っていた。

 「あッ、ぁ……っぐ、……うう……!」

 「クリプト……好きだ、……クリプトッ……」

 「……うぃっと……ぁ、ああッ……!?」

 うわ言のように呼ばれ、俺も同じように男の名を呼ぶと不意に俺のペニスに触れた男がそこを擦る。
 弱い裏筋を指の腹で扱かれるとそれだけで内壁が締まるのを感じた。
 そうして顔を寄せた男に唇を塞がれ、出た声すらもその中に押さえ込まれる。

 「……ヒヨン」

 そのまま唇を離され、目の前で愛おしげにそう呼ばれた名前に、まるで透明な世界に一滴の黒い絵の具を落としたような感情を覚えた。
 こうして男に全てを差し出してもなお、俺は男に自身の一番重要な情報を伝えていない。
 その事実を忘れてしまっていたつもりは無かったのに、男にそう呼ばれてチクリと胸が痛む。
 俺達の関係は俺の嘘の上で成り立っているというのを思い出したからだ。

 「なぁ……名前で呼んでくれないか?」

 いつかこの男の前からキム・ヒヨンとして存在している俺は消えなければならない日がやってくるだろう。
 それが一体いつになるかは分からないが、俺は男を愛しているからこそ男にまで危害が加わるような状況になったならすぐに身を引く覚悟は出来ていた。
 でも今はまだ、俺はエリオット・ウィットという男の誰よりも傍に居たい。
 その日が来るまでは、この男の愛を受け入れては同じ分だけを返してやりたかった。

 「……エリオット……」

 「……好きだよ、ヒヨン……好きだ……お前が好きでたまらない」

 「ん……俺もだ。……エリオット……俺も、……お前が好きだ」

 目の前の男に悟られないように目を合わせてそう囁く。
 腰に当てていた片手を離して俺の片手を握ってきた男の指を絡めとるように繋ぎ合わせると、男の腰がさらに揺らめいた。
 ぱちゅぱちゅと肉がぶつかり合う音と互いの吐息が周囲に響いては消えていく。
 もはやこちらに完全に覆いかぶさるようにしてきた男を受け入れるように開いた足先が揺さぶられる度に空を蹴り、喉が自然と声を上げる。

 「っぁは、……あっぐ、ぅ……ぁ……!」

 「ヒヨンッ……もう、……俺……」

 「は、っは……いい……俺も、……も……ぅ……」

 確認を取るために苦しげに耳元で囁かれた声に頷きながらそういうと、こちらの先ほど敏感に反応した内壁とペニスを同時に弄られる。
 脳内で弾けるその快楽の波に巻き込まれる感覚を少しでも和らげたくて繋いでいる手に力を込めた。

 「い……っぐ、……うう……うッ……あぁー……!!」

 「……っは、……出すぞ、……ヒヨン……ッ……!」

 ひと際奥に押し込まれ、押し出されるように自身のペニスからドロリとした精液が腹に吐き出されてから一拍遅れて中に埋められた男のペニスがスキン越しにでも分かるくらいにその精を吐き出す。
 孕むわけでも無いのに腰を押さえ付けられ全てを余さず押し込まれるような動きに、こちらの腸壁もそれを促すように蠢くのを感じながら荒い息を洩らした。

 「……ウィット……」

 「……ん……」

 そのまま俺の上に乗っかってきた男の肌がピタリと触れ合う。体重をかけられて苦しいのに、それでもその肌が張り付く感覚が心地いい。
 男の名を呼ぶと気だるげに声を上げた男が一度触れるだけのキスをしてから、男が俺の中から出ていくのを何故か寂しい気持ちになりながら見つめる。
 …………正直、もう一度くらいならば出来そうだ。
 ペニスから精液の溜めこまれたスキンを外して結んでいる男に向かって声をかけようと唇を開くが、初めてでこんな事を言うのもはしたないかと上手く言葉が出てこない。

 「……その……あー……」

 そんな俺を見ていたミラージュは俺の腹に散った精液に指を這わせ、それを口に含む。
 まさかのその行為に驚いて男を見ていると、未だに獣じみた瞳をしているミラージュがニヤリと笑った。

 「俺はさっき言ったよな? 明日お前の腰が立たなくなっても謝らないって」

 既にもう硬さを取り戻し始めている男のペニスが先ほどまで入れ込まれていた場所に擦りつけられる。
 わざわざこちらがねだらなくとも、俺と同じように男もまだまだする気はあるらしい。
 俺はそんな男に向かって敢えて一度舌を突き出して唇を舐めた。

 「だったら俺も言っただろう、"欲しい"んだと……もっと寄越せよ……エリオット」

 「っはー……、お前には敵わないな。……なぁ、ヒヨン」

 その挑発に深い溜息を吐いた男は、サイドチェストに手を伸ばして新しいスキンの包装を手に取った。

 □ □ □

 ふ、と目を開けるともう外からの光が入ってこない暗くなった寝室でベッドに体を横たえていた。
 全身がだるく、散々喘いだせいか喉が渇いているのに気が付く。
 あの後、結局2回ほどねちっこく男に抱かれた俺は流石に体力の限界を超えて、沈むように眠ってしまったらしい。
 体中が汗と精液でベタベタになってしまっているかと思ったが、それは綺麗に拭きとられており先ほど脱いだスウェットを着せられていて、拭きとれない中だけがじっとりとしたローションの感覚が残っていた。
 そこでようやく俺は隣にいる筈の男の姿が無い事に気が付いて枕に乗せていた頭を持ち上げる。

 一体どこに行ったのだろう、と俺は軋む体に鞭を打って上半身を動かすと僅かに開いている寝室のドアの向こうの照明が灯っているのが見えた。
 寝室から出て廊下を抜けるとダイニングがあるので、恐らく男はそこに居るのだろう。
 俺は喉が渇いている事もあって、ベッドから半ば這い出るように立ち上がるとふらつく足を叱咤しながらゆっくりと寝室のドアを抜けてダイニングの方へと向かった。
 ダイニングに近づく度に美味そうな匂いが漂ってきており、鼻に入り込んだその匂いが食欲を刺激する。
 あれだけ昼に美味い料理をたくさん食べたものの、時間も経っている上に激しいセックスの後では腹も空く。
 ダイニングに続くドアを開けると、ダイニングに併設された俺の自宅とはまるで違う使い込まれたビルドインキッチンに立っている男の後ろ姿が見えた。

 「お、起きてきたか。……大丈夫か? 後で飯持ってこうと思ったんだが」

 「……なんとかな」

 「喉は大丈夫じゃなさそうだ。……ほら、そこ座ってろ。水持ってくから」

 気配を察したのか振り向いた男が俺の近くにある牛革張りのソファーを指さすが、俺はその言葉を無視して男の居るキッチンの方へ向かう。
 自分でも掠れて聞き取りにくい声をしている上にふらついているのを見た男は慌てて火を止めると、キッチンにまで侵入した俺の体を抱き留めた。
 ふんわりと優しいジンジャースープの匂いが鍋から漂っているのを横目で見ているのに気がついたらしい男が少し笑って俺の頭を撫でる。

 「身体辛くないか? って散々抱いた俺が言うのも可笑しいかもしれないが……」

 「……ん……」

 「ほら、水飲むだろ? 俺の飲みさしで悪いが、とりあえず飲んどけ」

 調理中に飲んでいたらしいキッチンに置かれたミネラルウォーターのボトルを渡されて、それを口に当てると温くなった水が渇いた喉を潤していく。
 そうしてボトルをキッチン台に置くと俺はそのままTシャツを着ている男の胸にもう一度顔を寄せた。
 トク、トク、と響く男の心音が耳に響くのを聞きながら男の指先が俺の頭を撫でる感覚を享受する。

 「随分と甘えん坊だな。起きて一人だったからさみしくなったか?」

 からかうようにそう言いながらも男の指は止まる事無く、一定のリズムで撫でていく。
 ――――このまま時間が止まってしまえばいいのに。俺は柄にも無く心からそう思った。
 この幸福だけを受け入れていればいい、世界で二人きりのような、この空間で時間が止まればいい。
 けれどそれはあり得ない事だと分かっている。
 シーズンが始まれば俺達はまたあの血に濡れた【ゲーム】に参加するし、俺はこれからも俺を犯罪者に仕立て上げ、家族を壊した奴らへの復讐の為に生きていく。
 そうしていつかこの幸せが泡のように消えて、幻になってしまうのだろう。
 その時にこの男の肌の感触や鼓動、匂いを思い出せるように、許される間に出来るだけ忘れてしまう事のないように細部まで触れていたい。

 「……さみしくなんか無いさ。ただ、少し……触れたくなっただけだ」

 「? それってほぼ一緒じゃないか? 俺には同じ意味に聞こえるが」

 「お前の好きに取ればいいだろう。……それよりも腹が減った」

 「はいはい。もうちょっと待っててな」

 そう言って離れた俺に不思議そうな顔をした男が上機嫌でまた火をつけなおしたのを見て、俺はその後ろ姿を脳内の記憶領域に焼き付けるようにゆっくりと瞬きをした。

 -FIN-






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