ペールブルー2




 【レジェンド】であるクリプトがパク・テジュンだと"奴ら"にバレたのは約1年程前の話だ。
 一体どこから情報が洩れたのかは分からないが、まさか自らの主催する【ゲーム】に自分たちが探している人間が居ると思ってもいなかったらしい"奴ら"から逃れるように俺はクリプトという仮面を捨てた。
 それからはひたすらに逃げ回る日々が続き、1週間前にもう少しで"奴ら"に殺されかけた俺は右足を撃ち抜かれた。
 碌な物資も救急キットも無かったお陰で、自分の衣服を破って簡易的に足を縛りどうにか止血を試みたが、うまく力が入らない。
 弾は上手い具合に貫通していたので良かったものの、それでも流石に痛みはする。
 足を引き摺りながらも逃げ延びて、現在隠れているこの巨大なビルの屋上も恐らくすぐに場所が分かってしまうだろう。

 何よりも血を流し過ぎたせいで熱を帯びた頭では、もう次の逃げ先も考えられなかった。
 結局、俺は俺を殺人犯として仕立て上げた黒幕を崩壊させる事が出来ないまま、本当は違うというのに家族を殺した犯罪者という濡れ衣を被って死んでいくのだろう。
 もしも映画のストーリーでこんな展開があったなら、何のカタルシスもない悲劇的な結末だろうな、と嗤う。
 正直な事を言うなら悔しくて堪らなかった。俺はまだ何も成し遂げていない。
 ミラの行方も分からず、俺の家族を引き離した黒幕に鉄槌も下せず、そうして無残に殺される。

 死を恐れていないかといえばそれは嘘になる。
 誰だって志半ばで死ぬ事を望む人間は居ないだろうし、何よりも死ぬのは怖い。
 けれどどこか安堵している自分が居るのも事実で、もうこれ以上逃げられないと思えば諦めもついた。
 この先、一生逃げ続けながら生きていくなど不可能なのだ。
 こちらはたった一人の人間で、相手は様々な悪事を働く巨悪の根源ともいえる組織。
 初めから勝ち目の少ない勝負だった。たった1%でも勝ち目があるのなら、俺はそれに賭けたかった。
 そうしてダイスは振られ、俺はその賭けに負けた。

 でも負けた事を恥じたりはしない。
 【クリプト】という仮面を被っている間、俺は我ながら随分とよくやっていたと思う。
 キングスキャニオンのタワーを壊してやった時はきっとマーシナリーシンジケートも泡を吹いた事だろう。
 【レジェンド】のクリプトとしてもかなり活躍してやったから、全ての情報を消す事は難しかった筈だ。
 そうして孤独だった俺にはたくさんの友人も出来た。
 ワットソン、レイス、ジブラルタル、ライフライン……その他のメンバーも一部を除いては皆大切な友人達だ。
 きっと彼女たちの事だから俺の疑惑を払拭する為に無理に動いてくれたりもしたのだろう。
 街角の中継モニター越しに、早く戻ってこいとこちらに呼びかける声を何度も聞いては、その度に胸が詰まる思いになったものだ。

 何よりも、その中継カメラでミラージュを見た時、俺は自分の胸が一際大きく軋むのを感じた。
 本当はあの友人たちの輪に戻りたかった。あの恐ろしい【ゲーム】の中で互いを信じ、勝利を目指して戦う空間は確かな高揚をもたらしてくれる。
 その中でミラージュのくだらないセリフに辛辣な言葉を返しながら、どちらがキル数を稼げるかなんて物騒な勝負をしたりしたのが遠い過去の話のように思える。
 俺にとって、あの男は最初はただのバカな男という評価でしかなかった。
 ひたすらにペラペラと軽薄な言葉を並べたて、何が真実で何が嘘なのか読めない男。
 その性格によく似合うホロ装置を使ったデコイを出して戦うアイツは、俺とは全く正反対の戦い方をする。
 けれど、その正反対さが逆に鬱陶しさを越えると心地よかった。
 どれだけ冷たい口調で男をなじっても、男はそんな俺に気にする事無く話しかけてくる。
 元々人付き合いの得意なタイプでは無かったし、俺の目的から考えれば【レジェンド】達と仲良しこよしをする必要は無かったので、周りとの接触は必要最低限のもので良いと考えていた。
 それなのにあの男だけは一種の執着なのではないかと思うくらいに俺に突っかかってきては、その度にやり込められるのを繰り返していた。
 諦める事無く何度だって声をかけてくるその行為と男自身に、次第に自分が絆されていくのを感じていた。

 苦しい試合展開の中でも、何かと冗談を言ってはチームの士気をあげようと躍起になる姿
 パラダイスラウンジで普段の戦闘服とは違うバーテン服を着ている男のシェーカーを振る姿
 スナイパーのスコープをいつもの笑みを浮かべずに真剣な眼差しで覗いている姿

 目を閉じれば離れていても鮮明に思い出せるその日々は、逃亡生活の中で苦しい俺を何度救っただろう。
 もしもこの逃避行が上手くいって、"奴ら"の手の届かない場所にいけるか、疑惑が晴れたあかつきにはあの男の隣でもう一度、笑っていられるかもしれない。
 そんなあり得ない希望だけを抱いては、一人寒空の下で凍えそうな時の生きる理由としていた。

 この感情は、友情などというものではない事を俺は途中から気が付いていた。
 友情だなんてモノよりももっとずっと重く深いその感情の名を俺は知っていて、その上で自分の心の中に封印しようとした。
 それほどまでにミラージュという男は俺の心の中に入り込んで、しっかりと根付いてしまっていたのだ。
 恋人なんて作らない。もしも何かあった時にその存在が足枷になってしまう。
 何よりも俺は自分の所為で自分の大切な人が、不幸になっていくのをもう見たくなかった。

 なのに、俺はどうしたって最後にあの男に手紙を書いてしまったのだ。
 足を引き摺りながら2日前に花屋に行った俺は随分と不審な客だっただろうが、どうせ周囲にあるカメラに撮られているのは変わらないのだからと半ば諦める気持ちだった。
 買った花束はエーデルワイス。俺からの贈り物だとすぐに分かるように緑色のリボンを巻いて貰った小ぶりな花は慎ましく俺の腕の中に収まった。
 そうして本当なら一瞬で届くメッセージを送れば良かったのだが、それをすればきっとアイツは必死になって俺を探すだろう。
 きっと自分の使える情報網を全て使ってでも、それをするのだろう。
 けれどそれをすれば俺がアイツに秘密を話していると思われて、次はアイツが標的になるかもしれない。

 それはダメだ、と体調の悪い頭でもきちんと理解出来ていた。
 こちらの身勝手で逃げた俺の問題をアイツにまで押し付けるわけにはいかない。
 だから俺は失血からくる寒気と痛みで震える手を押さえ付けながら、今までの想いを籠めるように一文字ずつ文字を書いていた。
 便箋で贈るラブレターなど初めて書いたが、きっと上手く書けている筈だと、封筒にはネッシーのシールまでつけてやる。
 少しでもこの手紙を読んだアイツが泣いてしまわないように。
 自分が死んでしまってからではないと、俺はアイツに好きだと伝える事すら出来ないなんて、情けない話だと思う。

 本当は伝えないまま死ぬのが一番なのだと分かっている。
 こちらの勘違いではないのなら、俺がアイツを酔った目で見る時、アイツも同じような視線を向けてくる事があった。
 俺達はお互いに臆病で、その最後の一線だけは越える事が無かった。
 何事も始まらなければ終わる事もない。純粋にこのもどかしくも楽しい時間が終わらないで欲しいと願っていた。
 でも、この想いの終着点が見つけられなければ、あの男は俺がこの世界のどこかで生きているかもしれないと思い続ける。
 俺はあのいつだって笑みを浮かべている男に、幸せになって欲しかった。
 家族という物を大切にしているあの男には、相応しい女性を見つけて幸せな家庭を作ってほしい。
 温かな家族という物を俺達は一番に求めていたし、それを大事にしている男を好ましく思っている。
 だから自分が【レジェンド】の【クリプト】という役割を捨てようと決めた日、俺は真実を話そうとして止めた。

 ――――俺と共に来てほしい、出来る事ならばそう言いたかった。
 でも、それを願う事は、これから起こる様々な苦難やいつ死ぬか分からない恐怖という地獄の中に男を落とすのと同義だ。
 言える筈が無かった。俺と男は"親友"で、俺の地獄に男の人生を巻き込むわけにはいかない。
 最後に男と会った日、あの男といつもと変わらずに挨拶を交わしあって別れた。
 次第に遠くなっていく後ろ姿に俺は本当は全て吐き出して、縋りつきたかった。

 さようなら、ミラージュ。ずっとずっとずっと好きだった。
 俺はそんな自分を監視する気配を背後に感じて、その言葉を奥底に秘めてその場を去った。
 それからは想像していた通り、昼夜問わず"奴ら"の襲撃を恐れながら逃げ回る日々が始まって、俺はあの男を巻き込まなかった過去の自分に感謝した。
 本当に辛くて酷い日には胸元に大切にしまってある家族の写真と、ミラージュに半ば無理矢理にツーショットで取られたおもちゃの様なポラロイドカメラの写真を見ればまだどうにか心を立て直す事が出来た。
 でももうそんな日々ともおさらばだとこの1年間、頭に残っていた思考を切り替える。

 不意に、屋上のドアが破壊される音がする。
 思っていた以上に"奴ら"は俺を見つけるのが早かったらしい。まだ世界は朝の9時で、ホリデーだからか街の騒めきも少ない。
 温かな日光と澄んだ空に似つかわしくない黒いスーツに顔を見せない為なのかサングラス姿の男は1週間前に俺の足を撃ち抜いた男だった。
 無感情なその姿は俺を殺すという仕事を全うするだけという意志を感じる。
 俺は自身の腰に取り付けたホルスターに手をかけ、弾数の残り少なくなったウイングマンを取り出し男に向けた。
 同じように持っていた銃の銃口をこちらに真っすぐに向けた男は迷う事なくその引き金を引く。
 発砲音と共に発射されるその銃弾を近くの巨大な配管を使って避けながら、男に応戦しつつビルの屋上から飛び降りようとこのビルの高さにしては低い柵に向かって駆けた。
 しかし足を引き摺っている俺はいつもの半分くらいの速度しか出ていない。
 柵の目の前で、一発の銃声が俺の胸を呆気なく貫くのをどこかぼんやりとした感覚で受け入れながら、そのままズルリと柵を越えて落ちていく肉体から力が抜けていく。
 身体ごと撃ち抜かれたジャンプキットは背中でパチパチという火花を散らして、その役割を全うする事が出来ないのが分かった。
 やはり、ここで俺の人生は終わってしまうらしい。

 痛みで閉じていた目を開けた先には美しいペールブルーの空と、笑顔で俺に手を差し伸べる男の幻覚を見る。
 あぁ、こんな最期の時に俺はやっとお前の腕の中に抱かれる事を許されるのか。
 その差し伸べられた手を返すように男の体を抱きしめる。
 感触の無い体は、それでもどこか温かさを感じて、本当にあの男が俺を抱きしめてくれているような感覚に溺れた。
 けして良いとは言えなかった人生の中で、この記憶で終われるのなら悪い気はしない。
 俺は地面に叩きつけられる瞬間、安心した気持ちの赴くままに目を伏せて笑った。

――――ずっと、恋をしている。

-FIN-






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