因果の小車




   機内に轟々と響くドロップシップのエンジン音と試合の始まる瞬間の緊張感と熱気。
 何度体験しても冷めることの無いその熱狂が辺りを包んでいるのを肌で感じ取りながら、そんな興奮とはまるで対極に居るかのような隣人に悟られない程度の視線をゴーグル越しに向ける。
 人間ではあり得ない程の細長い機械の手足とそれらをくるむ簡素な赤い衣服、次々と先に飛び降りていく他の部隊を冷ややかな目で見つめているロボット……レヴナントは今回のデュオ部隊のジャンプマスターであった。

 『あそこへ向かう』

 轟音の中でもクリアに聞こえるように調整された耳元に取り付けられている通信機器からレヴナントの無機質な声が響き、すぐさま空高く飛ぶドロップシップから一気に飛び降りるのを認識して同じように飛び降りた。
 全身で風の抵抗を受けながらレヴナントが指した方向を確認すると、眼下にスカイフックの巨大なビル群が迫ってくる。
 物資も豊富にある上にワールズエッジ内では比較的広い場所な為、デュオならばある程度は余裕を持って装備を整えられる場所だろう。悪くはない選択肢だった。

 『了解』

 そう答えながら周囲に視線を走らせ、少し離れた場所に降下している何部隊かの敵の位置を報告する。
 こちらの報告にレヴナントが答える事は無かったが、それらの部隊とはかぶらないように試練の間に近いビル群に向かったレヴナントから離れて自身も隣の高いビルの屋上に着地した。
 そのまま屋上にあるサプライボックスを手早く開けて物資を集めながらビルの階段を降りて必要な物を揃えていく。
 この【ゲーム】に参加し始めて随分と長いせいか身体に染み付いた動きを行いながらも脳内ではまるで別の事を考えていた。

 今回私と同じチームになったレヴナントの悪逆無道な行いは、レヴナントがこの競技に参加した後に来たローバ・アンドラーデによって白日の元に晒され、奴は周囲の嫌悪の対象となった。
 特にレイス・ライフライン・クリプトからの嫌悪は激しく、彼らはレヴナントとチームを組む事を極力避けたがっているのは傍目から見ていてもハッキリとしている程だ。
 おそらくあの三名はそれぞれに辛い過去を持っていたり他者を守る為に尽力してきた人間だからであろう。

 他者の過去に関して深入りするつもりも聞き出すつもりも私には無いが、少なくとも共に闘いという修羅場を潜り抜ければある程度の性格というものは理解出来るものだ。
 己の能力を最大限駆使して前線にて戦闘の起点を作り出す者、痛みを厭わず他者のサポートを徹底して行う者、極力無駄な戦闘を避け効率的に勝ちを狙う者。
 それぞれに全く異なった性質ではあるが、それでも根底には他者への慈しみを感じる。

 『ホップアップを探している。スカルピアサーだ』

 不意に耳に届いた通信に意識を引き戻される。鼓膜に低く届く声はいつ聞いても酷く不機嫌そうであった。
 機械の肉体を持ちながらも邪悪なる魂を抱くモノ。
 同じロボットであるパスファインダーとはまた違った根底から滲み出る悪意。だからこそ、神への冒涜とも呼べる行いさえ容易く出来るのだろう。
 ――――どうにも私には理解しがたい相手だ。

 そんな風に考えながらも、たまたま傍に落ちていたレヴナントご所望のスカルピアサーを発見するとそれを拾い上げてバックパックにしまい込む。
 そのまま探索を続けつつも再び階段を降りて一つ下の階に向かった。
 理解しがたい相手とはいえ、この組み合わせになった以上、今は仲間であると己に言い聞かせながらさらに考えの枝葉を伸ばす。

 他者への慈しみを感じると言ったが、それは彼らに限ったわけでない。他のメンバーも様々な思惑があるとは思うがどこか人間性や性質が垣間見れる。
 だが、レヴナントだけは恐らく我々の中でも一際に異質な存在であった。異質、という言葉で片付けていいのかも怪しいがとにかくレヴナントの闘い方は無機質だった。
 信念も正義も誉れもない。目の前の敵をただただ殺していく、暗殺に長けた殺人ロボット。
 闘いの中で唯一性質を認識出来るモノがあるとしたならば、獲物を狩り取った時の微かな歓喜だけ。

 冷酷さを宿したその戦闘は、共に戦う度に複雑な気持ちを植え付けてくる。
 しかしレヴナントの罪に対して直接的に詰るつもりも断罪するつもりも私には無かった。それらは主神の御許にて行われる行為であるからだ。
 主神の信徒である私が個人的な理由で他者を断罪する事はあってはならない。

 私は何度考えても結局その結論に至る事を分かっていながらも、レヴナントと共に闘う度に思案する己がまだまだ未熟であると小さく吐息を洩らした。
 今は戦いに集中するべきだ、とその思考を振り払う。
 レヴナントが例えどのような思想をしていたとしても、今は協力し合わねばならないのだから。

 気持ちを切り替える為に、探索の途中で見つけた背中のホルスターに装備しているマスティフに取り付けるボルトを要求しようと通信機器に向かって言葉をかけた。

 『ショットガンボルトを探している』

 『……ショットガンボルトを発見。レベル2だ』

 すると、すぐさま隣のビルの一階に居たレヴナントがそう答えてくる。

 『私の物だ』

 その通信にそう返答すると、続けて言葉を繋げた。

 『スカルピアサーを持っているので、そのままそちらに向かう』

 そうして物資を探していたビルの鉄の扉を開いて外に出ると、隣のビルの扉を開いて中に入り込む。
 すると一階で立ち止まっているレヴナントの足元に探していたボルトを見つけて拾い上げた。

 「ありがとう」

 代わりに自分が持っていたスカルピアサーをバックパックから取り出すとレヴナントの方に差し出した。
 こちらを一瞥したレヴナントはそれを乱雑な手付きでこちらの掌から拾い上げると視線を合わせる事無く呟く。

 「礼は言わないぞ」

 そのつっけんどんな言い方に、僅かに不満の滲んだ声が出てしまう。

 「私には良いが、主神には感謝を忘れるな」

 「……ふん」

 私の言葉を鼻で笑ったレヴナントに重ねて言葉を続けようとした瞬間、同じタイミングで我々は一定の方向に顔を向ける。
 私達以外に降りた部隊がぶつかり合ったのだろう銃声がそこまで遠くない場所から聞こえてきたからであった。

 このスカイフックに降り立ったのは我々を含めて3部隊だった筈だ。
 デュオ戦においてはトリオ戦よりも決着がつくのが速いので、漁夫の利を狙うのであるならかなり素早い動きが求められる。
 それを私達は充分に理解していた。

 無言で音の鳴る方向に駆け出したレヴナントを追いかけると、敵部隊は私達の居るビルから遠くないビル2棟の間に簡素な板が渡されている建物の1つで戦闘しているようだった。
 音を聞く限りまだ戦闘は続いており、お互いに1人ずつダウンしているようだ。

 掘削場側の野原から回り込み、背の低い2階建ての建物の横を通り過ぎると目立たぬようにコンクリート塀の裏でレヴナントが禍々しい邪気を纏ったトーテムを生成する。
 触れた者の存在を汚染するそのトーテムは私にしてみれば不愉快なものでしかないが、戦闘においてはかなり有用だ。

 「私は血に浴するもの!」

 それとほぼ同じタイミングで私は自らの左腕に装着したデバイスを操作して力を解放した。
 視界がモノクロになり、感覚が研ぎ澄まされ、周囲の情報が全て流れ込んでくる。
 荒く漏れ出る吐息と爛々と赤く光る瞳、世界が広く遅く見える視界は私が【ブラッドハウンド】と呼ばれる所以であった。
 そんな私の隣に立っているレヴナントはホルスターからウィングマンを取り出してこちらを見る事無く呟く。

 「……トーテムは」

 「必要ない」

 「ならば勝手にしろ。……もし倒れたら、捨て置く」

 トーテムの効果によって全身が焼かれたような姿になり、その黒く煤けた身体から掠れた声で吐き捨てるようにそう言ったレヴナントはさっさと走り出し、敵の背後を突く為なのかビルの僅かな引っ掛かりを利用して板の渡された3階へとよじ登っていく。
 私も同じように走り出すと、戦闘が起こっているビルの1階の入り口の鉄製の扉に向かった。

 硝煙と傷ついた者から流れ出す血液の匂い。
 それから普通の人間には捉えられない無数の赤く光る足跡をドアの隙間から確認する。
 入口を塞ぐように置かれた電気フェンスが目に入りこみ、そのフェンスの根元をドアの隙間から撃って破壊した。
 随分と慌てて設置したようで、扉を完全には塞ぎきっていないそのフェンスは他の2つの扉も塞ぐように設置されている。
 フェンスがあるという事は敵部隊の片方にワットソンが居るのは確実だろう。

 注意深く中を確認するが未だに戦闘は続いており、もう片方の敵部隊にはバンガロールが居るようで銃撃音と共に階段上からはスモークの白い煙が溢れている。
 これならば私の独壇場だ。階段を駆け上がると白く煙った世界の中で誰かが必死にシールドを回復しているのが見える。
 一対一の戦闘中に背後から撃つのは僅かに気が引けるが、この【ゲーム】では勝てなければ意味がない。

 持っていたマスティフをその煙の中に居る相手に向けると迷わず引き金を引いた。
 ショットガン特有の巨大な発砲音と共に敵が崩れ落ちたのとほぼ同時に上の階で一発の独特な銃声が響き、辺りが沈黙に包まれる。
 我々の奇襲作戦は成功したようだ、と次第にさざ波が引いていくかのようにモノクロの視界から通常の視界に戻っていく。
 時間経過と共にスモークの靄も晴れてくると、自分が撃った相手がバンガロールだった事をようやく理解した。

 (……すまないな)

 そう心のなかで謝罪の言葉を述べてから周囲を見回す。
 私が立っている2階のフロアにはもう一人のデスボックスがあり、そのデスボックスのラベルにはローバの刻印が刻まれている。
 敵部隊の片方はバンガロールとローバのチームだったようだ。
 素早く両方のデスボックスを漁るが大した物資は見つからなかったので、背中に背負っているR-301にレベル1の拡張ライトマガジンを取り付け、シールドをいくつか自身のバックパックに移した。
 ふともう片方のチームは一体誰だったのだろうと階段を上がり、3階にあがる。
 するとワットソンの刻印が刻まれたデスボックスの前でしゃがみ込み物資を漁っているレヴナントの姿が目に入った。

 丁度漁り終えたのか立ち上がったレヴナントの体に纏わり着いていた黒いオーラが剥がれ落ちて空に消えていく。
 見慣れた赤い服装に戻ったレヴナントは傷ひとつ負わなかったようだ。
 それは私も同じではあったが、互いを讃えあったりもしなかった。
 逆にレヴナントから何か褒められる事があるとしたら、何かを画策している時なのかと疑いの眼差しで見てしまうだろう。
 そんな事を思いながら、チラリと視線を動かすと、ワットソンのデスボックスから少し離れた場所にはレイスの刻印が刻まれたデスボックスが落ちており、レヴナントはそちらも漁り終えているようだった。

 「大した物資が無いな」

 つまらなそうにそう呟いたレヴナントはウィングマンに一発だけ銃弾を込めるとそのままホルスターにそれを収めた。
 確かに2部隊を倒した割にお互いにボディーシールドはレベル2だった。
 腕に取り付けたデバイスを起動し、マップとリング収縮時間を確認すると、まだもう少しだけ時間に余裕はありそうだ。

 「ならば試練の間に行くか?あそこには多くの物資がある」

 リングは少し離れてはいるが、二人で試練をクリアしてから移動しても充分に時間はある。
 私の提案に小さく唸り声をあげたレヴナントは黙ったまま階段を下りて試練の間の方向へと歩き出した。
 どうにも意思疎通が難しい相手だと思うが、向こうも同じことを恐らく考えているのだろうと小さくマスク内でため息を吐く。
 私と奴では思考回路が全く持って異なるのだから。
 建物から出ると我々が最初に降り立ったビルの背後に巨大な岩肌を彫って造られた4羽のカラスの姿が見えてくる。

 神々しさを感じるその場所を私は愛していた。
 私の主神に対する信仰をより一層高めてくれる場所であったからだ。
 だがなかなか降り立つタイミングというものが少なく、試練の間に向かうのも久しぶりであった。

 私は先行くレヴナントの背中を追いかけながら、ふと、彼に信仰する神は居るのだろうかと疑問に思う。
 だが心に浮かんだその疑問を聞く程に愚かではなかった。
 信仰心など、欠片も無さそうだというのは普段の言動から嫌という程に分かりきっている。だから不必要な疑問を投げ掛けて無駄な論争をするつもりは無い。
 私は脳内に浮かんだその愚かな疑問を無視して、山肌に取り付けられた巨大な鋼鉄製の扉を開けたレヴナントの後を追った。

□ □ □

 3つ目の試練のボタンを押すと、壁面にある13の丸く取られた檻から血に飢えたプラウラーが次々と飛び出してくる。
 呻き声をあげながら飛び掛かってくる獣達はこちらを喰らってやろうとその鋭い牙と爪で攻撃を仕掛けてくるが、傷一つ負わされる事の無いまま私達は無言でそれらを倒していく。
 今まで何度も感じていた事ではあったが、互いに言葉での意志疎通が苦手だというのに戦闘時の理解度は高いのだ。

 それを裏付けるように私の死角からこちらに爪を振るったプラウラーをレヴナントは額1発で撃ち抜き、代わりに私はR-301でレヴナントの傍らに居たプラウラー2体を撃ち倒した。
 戦闘慣れしているからこそ、相手の死角やどの程度まで対応可能なのかの見極めが出来る。
 最初からこの【ゲーム】に参加し、経験を積んだ私やそれ以上に戦闘に長けているレヴナントからすれば意識せずとも身体が記憶し、判断する事が可能だ。
 そして、その熟練度がお互いの足を引っ張らない程度に同じであるからこそ、言葉で言わずとも分かる。

 残りの1体を片付けると、自らの録音した音声が最後の試練をクリアしたのを巨大な広場に告げた。
 R-301のリロードを行い、そのまま背中のホルスターにしまい込むと片膝をついて、音を立てて開かれる祠に小さく祈りを捧げる。
 こうして試練を生き延びて報酬を受け取れるのも総ては主神の御心のお陰だからだ。
 そして、報酬の入れられている小さな祠のような場所はしゃがみ込まないと上手く中の物が取れない。
 私はその中に置いてあるシールドバッテリーとレベル4のノックダウンシールドを手に取った。

 「……ッ!?」

 だが、不意に背後から向けられた殺気に気がつき、背中に抱えていたマスティフを構えて素早く後ろを振り向く。
 視線の先にはこちらに向かってウィングマンを無言で突き付けているレヴナントが立っていた。
 その瞳は爛々と鋭い憎悪を滲ませているように見える。
 明確な殺意と歪な憎悪をいきなり向けられ、躊躇いの感情を覚えるがそれ以上に今の状況を分析している己が居た。

 互いの距離としては2メートル程度しかない。
 近距離戦ならば私の持っているマスティフに分があるが、レヴナントの構えているウィングマンの銃口はピタリとこちらの頭を狙っていた。しかも相手のウィングマンはスカルピアサー付きだ。
 対してこちらはしゃがみ込んでいる状況から動き出さねばならない。
 という事は避けようとしても必ず1発は当たる……つまり私の方が不利だ。
 一瞬の間でその分析をしていると、銃口を一切下げないまま微かに首を傾けたレヴナントが濁った声で嗤った。

 「流石に貴様でもこの状況は不利だと思うのか、……皮付き」

 「……一体なんのつもりだ」

 ゴーグルの下で思わず眉を顰める。
 今まで【ゲーム】内でレヴナントとチームを組むことがあっても、こうして正面から対峙した事は無かった。
 何を考えているのかまるで分からない。 
 だが微動だにしない私に向かって、レヴナントが語り掛けてくる。

 「貴様は本当に神が居ると信じているのか?」

 「……何?」

 「貴様の言う神とやらが居るのなら、今ここで頭を垂れて命乞いでもしてみるといい。 そうすれば救われるかもしれんぞ」

 ウィングマンを持っていない方の手でキューブ型のデバイスを転がし始めたレヴナントは、その発する言葉全てに嘲りの色を含ませている。
 しかし先ほどまで私が感じていた憎悪という感情が、実は嫉妬なのではないのかとぼんやりと感じていた。
 神の存在を本当に信じていないのならば、そもそも信仰心のある私に問う必要も無い筈だ。
 今まで様々な人間を見てきたが、私に神の存在を問うものはその心の中に神を求めている人々であった。
 救いを求めているのに裏切られたと思い、苦しむ生き物ほど神への憎悪は深くなり、それを愛する者への嫉妬に満ちる。

 「何か勘違いをしているようだなレヴナント。 主神は我々に関与される事は無い。 何故ならば主神は大いなる眼を以って全てを見られているからだ」

 「……ならば何故貴様は神を信じている」

 キューブ型のデバイスを転がすのを止めたレヴナントはそれを握りこむと、堰を切ったように声をあげた。

 「神が見ているだと? 見ているならば何故私は死なない! 貴様もローバから聞いたのだろう、私が何をしてきたのかを!!」

 「……」

 「ここで貴様を殺しても、神は貴様を守らない。 神などいない! 居たとしてもとっくに死んだ。 狂った妄言を吐くのは止めろ……貴様を見ていると反吐が出る!」

 その言葉を聞いて、レヴナントにとってこの世界こそが【地獄】なのだと理解する。
 操られたまま終わらない輪廻転生。記憶に残る殺戮の歴史と痛みさえも分からぬ肉体。死にたいと願えども死ねないその身体は、私には想像も出来ぬほどの苦痛なのだろう。
 死ぬことの出来ない繰り返しの中で、もしかしたらレヴナントは何度も神に救いを求めたのかもしれない。
 けれどそれは満たされないままに恐ろしい程の時間が経ってしまったのだろう。
 憎悪がその瞳を曇らせ、精神を蝕むほどに。

 「お前がここで私を殺して一人先に進むのならば進めばいい。 それもまた主神の意志だ」

 けれどレヴナントの言葉が私の篤い信仰心を曇らせる事は無かった。
 この身は生まれた時から主神へ捧げる為の供物であり、我らは主神の真の御心など理解できるような存在ではない。
 与えられた試練を常に乗り越え、その試練へ感謝を忘れずにいる事こそがいつしか真理へと至る道となる。
 その道が続く限り、私の主神への想いは変わらない。

 「神は居る。 ……常に、我々の上に居られるのだ」

 こちらを睨み付けてきているレヴナントに真っすぐ視線を向け、そう言い放つ。
 すると私を心配しているのか試練の間の上を飛んでいたアルトゥルの一鳴きと共に黒い羽が一枚、私たちの中央に舞い落ちてくる。
 それを確認するように見上げると、外に出る為のジップラインが通っている吹き抜け部分から雲の合間を抜けて温かな光が差し込んできていた。
 まるで主神の温かな手が天より差し伸べられているような光景に、私は殺意を向けられているのにも関わらず穏やかな気持ちになる。
 やはり我々は常に主神の掌の中に居る子供のような存在なのだ。

 「……周りは皆、私を狂っていると評するが私からすれば貴様の方がよほど狂っているぞ。 皮付き」

 忌々し気に投げかけられた言葉に顔を前に戻すと、ウィングマンをホルスターに戻したレヴナントが小さな機械音を響かせながら近づいてくる。
 先ほどまで真っ赤に燃えているようにも思えた瞳にはもう何の色も宿ってはいなかった。
 微かに身構えた私を見下ろしたレヴナントは、退屈そうに視線を逸らし天を見上げる。

 「貴様と語り合うのは無駄だ」

 そう言ってこちらに危害を加えるわけでもなく、私とレヴナントの前にあるジップラインを掴んだかと思うとスルスルと上がって行ってしまう。
 私はそんなレヴナントの姿を下から見ながら、しゃがんでいた状態から立ち上がると構えていたマスティフを背中に戻す。
 それと同時に収束し始めているリングが迫ってきている音が聞こえてきた。
 かなりの時間が経っていたような気がしていたが、実際は数分の出来事で無意識に張りつめていた自分の肉体が微かに緩むのを感じる。

 レヴナントの殺意は本物だった。
 恐らくここで私を殺そうとしたのは冗談では無かったのはよく分かる。
 そして、私の返答がレヴナントにとって望んでいた答えとは余りにもかけ離れていたのかもしれなかった。
 理解出来ないモノを理解しようとするのは長い時間がかかるものだ。
 私が今まで彼を理解してみようと思考を重ねた時間以上に、レヴナントが【ブラッドハウンド】という存在を納得するまでには時間がかかるだろう。
 短い時間ではあったが、逆に私はレヴナントという男の片鱗を僅かではあるが感じ取る事が出来た気がしていた。

 (神の断罪を、救いを求めている。 ……ならば彼は死ぬという事で救われるのかもしれないな)

 けれど、それは人間ではないレヴナントに訪れる日は来るのだろうか。
 それが達成されるまで一体何度、彼は自問自答を繰り返し、諦め続けるのだろう。
 無限と思える時間を過ごしては、絶望して、罪を繰り返しては【地獄】に留まり続ける。
 私は初めてレヴナントに対して憐みという気持ちを抱いたが、それ自体を彼は忌避するだろう。
 事実、彼が今までに大量の罪を重ねている事は何一つ否定できないのだから。

 (……正解など誰にも分からないが、どうか彼に微かな慈悲をお与え下さい)

 主神にそう小さく脳内で祈りを捧げる。
 この小さな祈りが届くかどうかは、それこそ主神の御心が判断されるだろう。
 そうして姿の見えなくなったレヴナントを追いかけるように私も目の前のジップラインに手を伸ばし、光射す方向へとのぼって行った。


-FIN-






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