メルセゲル




「悪いな、……布団とか無くてさ」

「……別に。ただ、……お前が気になるなら俺が床で眠るが」

「だからそれはダメだって言ってんだろ」


きっぱりとそう言うとベッドに腰掛けているオレの隣に同じように座り込んでいるセトが長いツートーンの前髪を指先で掃った。
其の横顔を見詰めながら、妙に脈打つ心臓を押さえるようにそろりと自分の黒い寝巻きを着た胸元にさり気無く触れる。
こうしてこの家にセトが泊まるのは初めての事で、緊張する必要も無いと言うのに、どうしてオレの灰色の寝巻きを着ているセトにこんなにも愛らしさを感じてしまうのだろう。
一人でこうも悶々としている自分が可笑しくなったのかとも思うが、普通に接している時にもセトにときめいてしまうのだからある意味ぶれていないのかもしれないが。


「……どうした?」

「……なんでもない」

「……」


黙り込んでしまったオレの様子を窺うように長い睫に縁取られた黒い大きな瞳に心配そうに見詰められ、思わず顔を逸らしてしまう。
随分と素っ気無い態度を取ってしまったと後悔しながらも逸らした顔を戻せないままでいると、隣にいるセトが小さく囁くのが聞こえた。


「……やはり迷惑だったな」

「!……んな訳ねぇだろ!……もう良いから寝るぞ」


セトをベッドに押し付けるようにしてから素早く立ち上がり、ドア脇に設置されたスイッチに近寄ると電気をオフにする。
途端に暗くなった部屋を手探りで進みベッドの近くに寄ると、不意に伸ばされた冷たい手がオレの腕を掴んで引き寄せた。
その手に導かれるようにベッドに潜り込むと何時も以上に近くに居るセトに掛け布団をかけてやる。
二人分の体温で温かいとは言え、セトが風邪をひいたら困ってしまう。
そうして枕に頭を預けるとセトが此方を見詰めている事に気がつき、思わず声を掛けた。


「……セト?どうした?」

「……何でもない、……」

「そっか?……じゃあ、お休み」

「……嗚呼」


静かにそう言ってセトに背を向ける。
自分でもぶっきらぼうだと思いながらも、こんなに至近距離でセトとずっと見詰め合っている事に堪えられる訳が無い。
そもそも漸く二人で居ても気まずくなる事が無くなったばかりだというのにオレがセトに友情以上の感情を抱いていると気がつかれてしまったらきっと嫌われてしまう。
……それだけは絶対に嫌だ。
相変わらず喧しい心臓を意識しながらも必死に目を閉じた。



□ □ □



(……っくそ……)


結局かなりの時間が経ったのにも関わらず、上手く眠る事が出来ない。
その上、背後に居るセトの体がどうしても触れるものだから余計に眠ること等出来る筈が無いのだ。
ベッドの中で静かに体を動かし、セトの方に体を向ける。


(……随分熟睡してんな)


すうすうと此方に背中を向けて寝息を立てているセトにそんな感想を抱く。
大分薄まってはきているが初めて会った時のセトは何時も周囲を警戒している野生の獣のような瞳と気配をしていた。
其れが今では共にこうして同じベッドに横になり、微かな寝息を立てている。
その事実を思い返して思わずゾクリとした欲が沸き立つのを感じ、慌てて自分の心を否定しようとするが、其れでもその背中に触れたいと願ってしまう。


「……寝てる……よな」


確認するかのようにその薄い背に向かって声を掛ける。
反応は当然無く、其れに安堵しながらもそっと手を伸ばし、指先で其処を撫でた。
衣服越しに伝わる肩甲骨の隆起を撫で、背筋を辿る。
―――このまま、この体を何も考えずに抱きしめられたなら良いのに。


「……ん……」

「!」


そんな考えに頭が満たされそうになる寸前、セトが小さく声を上げた。
其処で我に返り、慌ててセトの背中に触れている手を離す。
そうして急いで先ほどと同じようにセトに背を向ける。
其の間にゴソゴソと体を動かしたらしいセトの視線が此方の背を撫でてくるのが分かった。
寝ぼけたにしても、先ほどの行為に今は上手い言い訳が思いつかない。
だからただの夢だったと勘違いしてくれるように必死で願う。


「……はいど……?」


しかし、寝ぼけているのか何処か舌足らずな声音でオレの名をセトが呼んだ。
普段はオレの名を余り呼ぶ事すら少ないのに、どうしてそんな声で呼ぶのだろう。
しかも背後で微かな衣擦れの音が聞こえたかと思うと、セトの指先が腕に触れたのが分かった。


(もう、知らねぇかんな……!)


その事に内心、舌打ちをしながらも敢えて寝ぼけたフリをして再びセトの方に向き直る。
そしてそのままセトに手を伸ばしその細い体を抱き寄せた。


「!……ハイド……?」

「……ん……」


流石に驚いたのか先ほどよりハッキリとした声でオレの名を呼んだセトを無視して寝ぼけた声を出し、その体を一層強く抱きこめる。
もしかしたら起きている事に気がつかれてしまうかもしれないが、気がつかれても眠っていたと言い張れば良いだけだ。
そんな半ば捨て鉢状態のオレの心中などセトに分かる筈も無い。


「なんだ……寝ているのか」


胸元で小さく囁いたセトの声が耳に忍び込んでくる。
嫌がられていると思っていたのに、何処か甘い響きを滲ませたその声に心地良さを感じた。
そして此方の胸元に頭を摺り寄せ、胸元に収まったセトが静かに吐息を洩らしたのも分かる。
こんな状況では、もっと先を望んでしまいそうになる。
しかし幾ら寝ぼけているフリをしても口付けやその先をする訳にはいかないだろう。
そんな事を思いながらも、暫しその状態のままで居ると胸元に居るセトが再び寝息を洩らすのが聞こえた。
オレはゆるりと抱きしめている手の片方を動かし、その柔らかな髪に指を絡ませる。
想像していた以上に触り心地の良い髪にそっとため息を吐いた。


(本当に慣れると無防備なんだよなぁ……)


初めにセトに会った頃、リンネがセトの性格についてオレに語ってくれた事があるが、其れは事実だったらしい。
そしてオレはリンネが評するように『お人よし』、とやらなのかもしれなかった。
胸の中で安心しきった様子のセトにもっと触れたいと思いながらも、此方に懐いてくれているからこそ、そんな事を出来るわけが無いのだ。
今日はもう眠ることが出来ないかもしれない。
そんな事を考えながら、セトの髪をゆっくりと撫でつつ、複雑な感情を込めたため息を暗闇の中で一人吐き出していた。



-FIN-






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