ゼラニウム




初めはただの好奇心だった。
何時も澄まし顔で余り笑いもしないセトがいきなりの事態にどのように対処するのか。
けれど、ヘタをしたら一瞬で首を掻き切られる可能性もあって、そんなリスクの高い方法を取る必要は全く無かったはずだ。
分かっていながらも何時ものように街中に居る虚無を二人で倒して家に帰る際に通る道順に敢えて薄暗い路地裏を選んでいた。
そうして少し前を進むセトの腕を不意に掴んだオレはそのまま細い体を此方に引き寄せる。


『!』

『…………なんか、ごめんな』


そのまま更に引き寄せ、触れ合わせたセトの唇は思っていたよりも柔らかく温かかった。
もっと抵抗されるかと思っていたのに随分と呆気なく触れた其処から顔を離すと、訳が分かっていないのか茫然としているセトが居て、そこで漸く罪悪感を覚える。
湧き上がったその罪悪感が促すまま謝罪の言葉を口にすると、セトが瞬時にその頬を赤く染め上げてから眉根を寄せ、泣き出しそうな顔をした。
セトのそんな表情に驚きと共に、まずい事をしてしまったと更に重ねて謝罪する為に唇を開くが、その前にオレの手を振り払ったセトが其れこそ風のようにその場から消えてしまった。
…………これが約1週間前の出来事だ。
そんな回想をしながら現在、首元に突きつけられている双剣に生命の危険を感じていた。
だがどれだけ喚こうとも今は此の家にオレと、オレの上に跨るようにして剣を向けてきているセトしか居ないのだからどうする事も出来ないだろう。
それにあの日から初めて家に来たセトを迷う事無く中に上げ、部屋に通したのは他でも無い自分自身だ。
そんな妙に冷静な分析をしながら、此方を服の合間から睨み付けてくるセトと視線を合わせる。
ジッと見詰めていると不意にセトが聞こえないくらいの声音で囁いた。


「……この間の件は、どういう意図があったんだ」


まさかのその問いに思わず笑いそうになってしまうが、必死に笑いを留める。
一度敵と判断した者には厳しいセトの事だから問答無用でオレを仕留めるかと思いきや、1週間も経った今になって理由を問う所から始めるなんて。
しかしまだオレにはセトが満足してくれるような答えが分からない。
だからとりあえず、嫌な奴だと自分でも思いつつも笑いながら言葉を返した。


「……今更其れを聞くのか?」


こちらの言葉を聞いたセトがこの間と同じように眉根を寄せ、辛そうな顔を見せる。
仕舞った、と思ったがフォローの言葉を吐く前に俯いたセトが呟く方が先だった。


「今更、か……そうだな」

「……セト?」

「……俺がこの1週間、一体どんな気持ちで居たのかお前には分からないんだろうな」

「……」

「……本当に俺がどれだけ悩んだか、お前には分からない」


最後はもはや消え入りそうな声で囁いたセトが此方に突きつけていた双剣を下ろす。
その姿に遂に堪らなくなって、目の前に居るセトに手を伸ばし抱き締めた。
慌てたように双剣をベッドの上に置いたセトの細い肩が震えるのと同時に、息を詰めたのが分かる。
そして思い出したように微かな抵抗を見せたセトの耳元に顔を近付け、言葉を紡ぐ。


「ごめん」

「……」

「でも、……嫌だったか?」

「……」

「……あの時も、……今も、……嫌か?オレに触られるの」


此方の問いに黙りこくってしまったセトの背に手を這わせ、ゆるゆると其処を撫でる。
すぐに答えの出る問では無いのは分かっている。
しかも自分は笑って誤魔化した癖にセトには答えを求めた。
もしもこれで嫌がられたならば、ただの冗談だったと殴られるのを覚悟で言えば良い。
ただ、どちらかわからないという答えや、色良い返事ならば別だった。
本当は逃げ道なんて作らずに、真っ直ぐに言葉を伝えれば良いのかもしれない。
けれどオレはまだ餓鬼だから、男に対して失恋して、傷付きたくは無かった。
暫くしてから青い双剣を腰につけた鞘に戻したセトは、抱き締めているオレの胸元を押し、此方を見つめてくる。
やはり嫌だったのかと半ば諦めの念が頭を占める中、見つめ返すと一度ゆっくりと瞬きをしたセトが酷く言いにくそうにしながら囁いた。


「………ずっと、考えていた」

「……うん」

「……嫌だと思えない自分が居て、ハッキリ言って今も困惑している」

「……」

「しかもあの日からお前の事ばかり頭に浮かぶ」

「……セト」

「……俺は……可笑しくなってしまったのか?……教えてくれ、……ハイド」


目を僅かに潤ませ、まるで暗い道で一人迷っている幼子のような表情をしたセトがオレの服を縋るように掴む。
そんなセトの片手を掴み取り、しっかりと握り込みながらもう片方の手でその頭を引き寄せた。
抵抗も無く引き寄せられたセトの衣服を上手く避けながら、その奥にある唇に唇を合わせる。
オレよりも少しだけ冷たい其処にただ触れる事がどうしてこんなにも胸を動かすのだろう。
体中に響く音を聞きながら顔を離すと、そっと目を開けたセトと視線が絡んだ。
そして此方を窺うようにしているセトの頬に手を添わせ、出来るだけ優しく声を掛ける。


「……そうしたらオレはもっと可笑しいのかもな」

「……」

「此れだけでこんなにドキドキしてる」


笑いながらそう言うと、此方から目を逸らしたセトが小さく吐息を洩らしたのが分かる。
掴んでいたセトの手に自分の指を絡ませ、その手を引いた。
動きに応えるように此方に向き直ったセトに顔を近づけ再び口付けをする。
身体だけが欲しいわけではないが、どうしても触れたいという感情が抑えきれない。
セトに何度も軽いキスをしてから、唇を僅かに離し其処に舌を這わせた。
その動きに至近距離で困ったような気配を見せたセトに向かって教えるように囁く。


「セト、……ちょっと口開けて」


戸惑いながら閉じていた唇を開けたセトの口腔に舌を入れ込む。
途端に逃げようとするセトの手から自身の手を外し、両手で体を捕まえたまま熱く狭い其処を探ってみると甘い水音と微かな喘ぎが部屋に響いた。


「……ん、……っぅ……」


暫く其処を堪能していると此方の服を掴んでいる手でセトが此方の胸元を叩く。
其れに応えるように唇を離すと透明な糸が合間に掛かり息苦しそうにしているセトが肩に凭れ掛かってきた。
そして掠れた声でセトが呟くのが聞こえる。


「っ……死ぬかと……思った……」

「……鼻で呼吸しないとそりゃ苦しいだろ」

「……そんな事、……分かるわけが無いだろう……」


誰かとこんな事をするのは初めてだ、と続けたセトの体を抱き寄せ、同じようにその肩に顔を埋める。
正直最初はいけ好かない奴だと思っていたというのに、次第にその表情を変えてみたくなった。
そうして今はこうしてセトの今までに見た事の無い一面を発見しては愛らしさを感じている。
何時の間に此れだけセトの事を好きになっていたのだろう。


「……好きだ」

「……ッ」

「オレさ……お前が好きだよ、セト」

「……それこそ……今更だな」


唇まで奪った後だが、此処はキチンと言っておくべきだろうとそのままセトの耳元でやっと自分の気持ちを言葉にする。
その言葉に静かに笑ったセトにオレも同じように笑ってしまった。
確かにセトの言うとおり今更な言葉だと思う。
其れでも今、この時に言っておかないときっと後悔する事になる。
だから今度はセトからも聞いておきたかった。


「……なぁ、お前は?」

「……何がだ」

「こら、誤魔化すなよ」

「…………お前は一度誤魔化した癖に」

「もう……ちゃんと言ったろ」


何故か赤くなる顔を見られたくなくて、強く抱きしめながらそう言うとセトが此方の背に両手を這わせてくる。
そして聞こえない位の声音でセトが言葉を紡いだ。


「……お前に触れられると、頭が上手く回らなくなる」

「ああ」

「それと……息苦しさを感じて、動悸が激しくなる」

「……」

「……此れがお前の言う『好き』という感情ならば、きっとそうなのだろう」

「……相変わらず遠回しな言い方だな……まぁ良いけどさ」


普段通りのセトに思わず笑ってしまうが、其れでもやはり照れてしまう。
しかも髪の隙間から見える耳が赤くなっているのが分かって、セトの頭に手を添わせ、其処を撫で梳かす。
まだ皆が帰ってくるまでには時間が掛かるだろう。
其れまではまだこの体を離したくない。
そんなことを考えながら、より一層セトを感じる為に目を伏せた。



-FIN-






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