セントポーリア




オレは何時ものように此の家に訪れたセトを自身の部屋に通し、茶と菓子を出してやってから近くにある雑誌を適当に手に取り目を通す。
隣で座るセトは毎日テレビで放送する番組がいたく気に入ったらしく、そのせいでリンネと話す為以外にも此の家によく遊びに来るようになり、オレは其れを何となく嬉しく思っていた。
初めてあった時はセトの事をいまいち理解出来ていなかった上に、いきなりセトが此方に襲い掛かってきたものだから余り良い印象は抱いていなかったのだ。
しかし、セトがリンネの古い知り合いであることを知り、セトと話す様になった今ではセトの事を好いている。
何よりも二人きりで居て、例え沈黙が続いたとしても全く気まずいと思わなくなった為に共にいて居心地が良いのだ。
セトからこちらの事をどう思っているのかを確りと聞いた事は無いが、わざわざ此の家に遊びに来る事を考えればセトもオレとほぼ同じように思ってくれているのだろうと思う。
ただ一つ、確実に違うのはオレの『好き』という気持ちがただの友人に対して向けるモノと少し異なっている点だろう。
しかし其れを何となくは解っていても、自分でもまだ確信が持てていなかった。
それは今まで男に向かってこんな気持ちになった事が無いからだろう。
行き過ぎた友情なのか、それとも本気でセトの事を好いているのか。


(……こうやって幾ら考えたって分かんねぇんだよなぁ)


何時もこうしてセトが来る度にこんな事を一回は考えるのだが、堂々巡りの思考にしかならない。
それに結局はそんな事を考えるよりも前にセトと共に居るこの時間を満喫してしまうのだから考えたところで無意味だ。
思わず自嘲の笑みを浮かべながら、溜息を吐きそうになるが、その前に此方の肩にセトの頭がもたれかかってくる方が先だった。


「……セト?」


点いているテレビの音も、目の前に広げている雑誌の文面も一瞬で頭の中から消え失せ、肩に意識が集中する。
聞こえないくらいの寝息を立てているセトは疲れているのか熟睡しているようだった。
今までセトがこんな風になった事は一度も無い。
だから、オレと共に居る事に慣れたのかもしれないし、それ以上に疲れているのかもしれなかった。
しかしそんな事を必死に脳内でこねくり回しながらも混乱しているのはどうしようも無い。
オレはとりあえず手に持っている雑誌を為るべく体を動かさないようにしながら 薄い絨毯の引いてある床にそっと置いた。
その間にも隣に居るセトの頭が此方の肩に擦れ、微かな寝息が聞こえる。
オレとセト以外には誰も居ないこんな空間でまさかこのような事態に陥るとは思っても おらず、脈拍が嫌に速くなり、脳内がくらくらとまるで無理矢理酒を呑まされた かのようだ。
だが、好いている相手の普段は誰にも見せないであろう表情を見せ付けられて落ち着いていられる程にオレはまだ割り切れていない。
こうして無防備な面を晒されて、漸くオレの感情は確かな恋慕なのだと気がついた。
しかしながらこのような場面で改めて自覚する必要も無かっただろうに、とオレは 自身の赤く染まる顔に片手を当て、その指の隙間から横目でセトの顔を見る。
閉じられた瞼についた長い睫が光を反射して艶かしく感じられた。
―――このまま起きるまで静かに待つか、其れとも少しばかり眠っているセトに触れてみるか。


「セトー……」


自分でも小さいと思える声でセトの名を再び呼びかける。
当然、そんな声でセトが起きる筈も無く、オレは空いている方の手を伸ばし セトの白と黒で構成されたツートーンカラーの前髪に触れた。
指先に感じるサラリとした感触に、更に胸元がざわざわと音を立てる。
本当はきっとオレを信用しているからこそ、うたた寝をしているセトに こんな風に疚しい思いを持って触れるべきではないと分かっていた。
けれどこんなにも、こんなにも傍に居るのに触れないままで我慢出来るような 出来た人間ではなくて、そんな自分に嫌悪感と安心感を覚えてしまう。
オレが虚無に初めて殺されかけてから色々な事が自分の周りでは変わっていて、其れはセトに恋をしてしまった事も含まれている。
だからオレも何時かは前の自分とは全く違うモノになってしまうのでは無いのか という不安が心の何処かには潜んでいた。
だが例え恋をしたのが男だとしても、好きな奴にこうして触れたいと思うのはきっと 一般的な事で、オレはまだ普通からは全てが外れてしまっている訳では無いのだと 可笑しな部分で安心感を覚えてしまう。


「……あんまり油断してっと襲っちまうぞー……なんてな」


俺は頭に浮かんだ感情を仕舞いこみ、微かに笑いながら軽い調子でそう言いつつ、セトの髪に触れていた指先を離す。
しかし当然ながらセトがオレの声に答える事も、目を覚ます事も無い。
オレは寄りかかっていたベッドの上にある薄いタオルケットをどうにか引き寄せ、 セトとオレの身体の上に掛けた。
そうして目の前にある背の低いテーブルに置かれたリモコンに手を伸ばすと着いていた テレビを消す。
どうせセトはまだ起きないだろうし、オレも眠ってしまおうと静かに目を伏せた。



□ □ □



ふ、と目を覚ますと自分の体にタオルが掛けられているのに気がつき、続いて 隣にいるハイドが眠っている事に気がつく。
一体どれ程の時間眠ってしまっていたのだろう、と周囲を見回すと壁に掛けられた 時計がかなりの時間が経過している事を示していた。
見ていた筈のテレビは消され、薄手のカーテン越しに射し込む光の量も減っている。
そのままもう一度ハイドの顔を見ると、静かに寝息を立てているハイドが眉根 を寄せ体を動かした。
俺がずっと肩に頭を乗せていたままだった所為できっと体勢的にも辛かっただろうに 何も言わずに隣に居るハイドに胸が締め付けられる思いがする。
―――まさかこの俺が誰かに向かってこんな感情を覚えてしまうなんて。
今はリンネやクオンの事を第一に考えなければならないのに、一人で居ても二人で居ても考えるのはコイツの事ばかりだ。
知らず知らずの内に漏れでたため息もそのままに固まってしまった体を静かに動かし、ハイドの顔を見詰める。
俺とは違い、何処か能天気なようでいて、その実良く周囲を見る事の出来るコイツは様々な奴に優しい。
今だって俺を起こせば良かったのに寝かせておいたのだろう。
だから、勘違いなどを起こしてはならない。
しかしこうしてハイドの顔をマジマジと見詰める事は今まで無かった為に自然と観察してしまう。
寝息を立てる薄い唇、長い睫に意思の強さを現しているかのような眉。
美しい紅玉のような瞳は今は瞼の裏に隠されてしまっていて見る事は叶わない。
もしも俺がこのままハイドの首を掻き切っても、きっとコイツは何が起きたのかを 認識する暇も無く死ぬのだろう。
そうして俺が眠っている間にハイドが何をしてもきっと俺は気がつかなかった筈だ。
まさかこの俺が此処まで無防備な姿を他人に晒してしまうとは思ってもいなかった。


「……ん……」


そのままジッと見詰めているとその目を震わせたハイドが小さく声を上げた。
思わず顔を引くと、目を開けたハイドが何度か瞬きをしてから微笑む。
何処か切なげなその表情を間近で見てしまって、勝手に頬に熱が集まるのを感じた。
其れを悟られたくなくて顔を逸らすと俺の異変に気がついたのか寝起きで掠れた 声のハイドが此方を覗き込みながら囁く。


「あー……オレも一緒に寝ちまったわ……何時から起きてた?」

「……」

「……セト?どうした?……もしかして具合悪いのか」


答えない俺に慌てたようにハイドが此方に更に身を乗り出し、心配そうな顔をする。
俺は必死に頬の熱が醒めるように祈るが、其れは全く持って意味が無かった。
顔半分を衣服で隠したまま、自分でも掠れていると思える声で囁く。


「……なんでも無い……、……気にするな」

「でも……熱とかあったらやべぇだろ」

「!」


此方に手を伸ばしたハイドが俺の髪を掻き分け、極々自然に額に手を当ててくる。
その手付きに顔を上げるとハイドが一度目を見開いたかと思うと俺と同じように 頬を赤く染めた。
男同士で互いに見詰めあいながら顔を赤くするこの状況はもしも誰かが見ていたら奇怪に思うことだろう。


「お前、……なんで熱も無いのにそんな顔してんだよ」

「……お前こそ……」

「……あー……もう、……マジで……」

「ハイド……?」

「……ごめん」

「何……!?」


額に当てていた手を此方の頬に滑らせたハイドが切羽詰ったかのような声で そう謝罪する。
そしてそのまま此方の顔に顔を寄せてきたかと思うと先ほどまで観察していた 唇が此方の唇に微かに触れた。
呆然としている俺からゆっくりと離れたハイドがそのままバツが悪そうに視線を 逸らし、乾いた唇を一度舌で舐めるのが見える。
一体、今何が起こったのか上手く理解出来ていない。
お互いに黙り込んだまま、時間だけが過ぎていく。
暫く経って漸くハイドがその片手で前髪をかき上げたかと思うと、小さくため息を 吐いてから言葉を紡いだ。


「……オレさぁ、……やっぱりお前の事、好きみたいだわ」

「……」

「あーあ……絶対こんな風にするつもりなかったのに……」


そう言って此方に視線を向けたハイドは何処か無理をしながらも必死に笑み を見せるが、其れが酷く痛々しく此方には映った。
俺が黙っていると更にハイドが言葉を続ける。


「ごめんな、男にキスなんかされて気持ち悪いよな。こう言っちゃなんだけど……犬にでも噛まれたと思って忘れてくれよ」

「……」

「……もう絶対しないからさ……信じてもらえるか分かんないけど」

「……ハイド」

「でも……正直……お前とこうやって会うのだけは止めたくない……ごめん。……マジ勝手だ……オレ……」

「ハイド」


次第に小さくなっていく声と共に顔を俯かせ、片腕で顔を覆ったハイドの名を呼ぶ。
そしてその金と黒の二色の髪に手を伸ばすと思った以上に柔らかな其処を撫で梳かした。
その感触に顔を上げたハイドの目はほんの僅かだが潤んでいて、俺は思わずその情けない顔に笑ってしまう。


「……セト……?」

「……勝手に先走るな。……俺はまだ何も言っていないだろう」

「……え、……」

「……別に気持ち悪くなんてなかった」

「……は……」


俺はハイドの頬に手を当て、同じように唇に唇を寄せる。
こんな事をした事が無かったものだから先ほどの真似事になってしまったが其れでも 一応の格好はついているだろう。
緩慢な動きで顔を離すと呆然としていたハイドが不意に俺の体をその両腕で抱き寄せて くる。
痛いくらいに抱きすくめられ、その首元に顔を押し当てると耳元で囁かれた。


「嘘じゃないよな……今の。……俺の幻聴じゃ、ねぇよな……」

「……お前がそう思うならばそうなのかもしれないな」

「……そんな事言うなよ……なぁ、……セトもオレの事、好きか……?」

「…………嗚呼」

「……そっか……、なぁ、……じゃあ、またキスしても良いか……?」

「……」

「……セト」

「……ん……」


少し黙り込んでからそっと頷くと目を細めて笑ったハイドが再び此方の唇に口付けてくる。
俺は抱き寄せられたハイドの背中に手を回し、その背を撫でた。
そうして顔を離すと、額を寄せ合い笑いあう。
すると小さくハイドが囁く声が聞こえた。


「しっかし……まさか本当に襲っちまうとはな……そんなつもりなかったのに」

「?……一体何の話をしている」

「んー?……内緒」


くす、と笑ったハイドが俺の唇にまた口付けたかと思うと嬉しそうに俺の首元に 顔を寄せ、頬を摺り寄せてくる。
其れに応えるように俺はハイドの背に這わせた指先に力を込めた。



-FIN-






戻る