(食料は買っただろ……洗剤は……多分まだあったかな)
俺は両手に携えたビニールの袋と肩に掛けている学生鞄の重みを受けながら
近所のスーパーの自動扉から出つつ何か買い洩らしは無かったかと一人脳内会議をする。
学校も終わり早々に町に買出しに行く俺はどうにも普通の学生らしくない気がした。
しかしながらこの生活もだいぶ慣れてきて、手際も良くなり楽しみすら見出してきている。
まぁ、こういう事が出来る様になっておいて損な事は一つも無い。
そう一人納得しながら、買い洩らしがない事を祈りつつ疎らにだが居る人々を避けるようにして歩みだした。
(よし、とりあえず帰るか)
小さく息を吐きながら段々と薄暗くなり始めている夕方の町を進む。
淡い朱色に包まれた町は何処か物悲しくも美しい輝きを纏っている気がして好きだ。
此れがもう少し時間が経つと途端に深い闇に包まれ虚無などが徘徊して回るのだから町の景色の多様性は不思議なモノだとも思う。
「……あれ……?」
そんな事を思っていると前方に見知った男の姿を見つけ、声を掛けようかと口を開くが直ぐに閉じた。
知ってはいるもののどうにも俺は男に嫌われているような気がしているのだ。
俺個人としては嫌ってもいないし、寧ろ、もっと奴と親密になってみたいとさえ思っている。
しかし声を掛ける前に裾の長いコートとベルトをはためかせた男が気配を殺しながら人の居ない路地裏に入っていってしまう。
一瞬、このまま見なかった事にして帰ろうか迷う。
けれど結局興味の方が勝って俺は男の後をこっそりとつける事にした。
路地裏に入ると一段と闇が濃くなる。
そんな闇の中で遠くに男が随分とゆったりとした足取りで歩いていく姿が見えた。
俺は其処まで気配を隠している訳でも無いのだが、珍しく男は警戒していないのか気がついていないようだ。
そのまま男の姿を見ていると角を曲がったのか姿が見えなくなる。
(どこ行くんだ……?)
どうしてこんなに男の動向が気にかかるのか自分でも分からないまま忍び足で角の傍に近寄っていくと小さく声が聞こえて立ち止まった。
「……どうした……ずっと待っていたのか……?」
普段は一度たりとも聞いた事の無いような甘く優しい声音に思わず体が固まる。
そして嫌に心臓が急激な脈動をはじめ、戸惑った。
更に耳を澄ましてみると猫の鳴き声が聞こえてきて、男の逢引の相手が猫なのだと分かる。
「……ん、……待て……くすぐったいだろう……仕方の無い奴だ……」
くすくすと笑いながら囁く男の姿を是非とも見てみたくなり一歩前に踏み出す。
そうして音を立てぬように覗き込むとしゃがみ込んだ男が黒い猫を抱き上げているのが視界に映る。
「!……誰だ」
「あー……俺だよ……」
柔らかく笑んだ男が見えて、更に一歩足を動かすと持っていたビニールの袋が思ったよりも音を立ててしまい男が此方に顔を向け低く呟く。
もう誤魔化す事も出来ないと俺は両手に持った荷物を持ち直しながら男の前に現れる事にした。
「……ハイドか……?お前、何故こんな所に……」
「んー……お前の姿を見掛けてさ。……気になったもんだから」
「……何時から……見ていた」
そっと立ち上がった男はその手の中に居る猫を撫でながらほんのり目元を赤らめつつそう囁いた。
下手をしたらキレられると思っていたのだが、まさかのその反応に刹那、反応が遅れてしまう。
「……セトが此処に来てからずっと見てた」
「……」
「……なぁ、……ソイツ、……触っても良い?」
互いに黙り込んでから俺が声を掛けると戸惑っている様子を見せつつも頷いた男が撫で易いように此方に近づいてきてくれる。
そんな男の心遣いにときめきを覚えつつ、荷物を片手に持ち直し甘え上手らしい猫の頭を撫でてやった。
どんどんと暗くなってきている為によく見えないが毛並みは良く、どうやら首輪もしている。何処かの飼い猫のようだ。
暫く撫でていると目の前に居る男が小さく囁く声が聞こえた。
「……笑わないのか」
「……何が……?」
「……だから……」
猫の首元を撫でながら男の言葉の意味が分からず首を傾げる。
すると困ったように視線を逸らした男は、分からないなら良い、と囁いた。
其処で漸く男が言いたい意味を理解し、そんな事を気にしていたのかと少し笑ってしまう。
俺の笑みが見えたのかムッとした顔をした男が抱いていた猫を地面に下ろし、胸元についた毛を払った。
猫は慣れているのか男の足に体を摺り寄せたかと思うと尻尾を振って居なくなってしまう。
そして同じようにもう用事も済んだとばかりに、くるりと背を向けて居なくなろうとする男のベルトを思わず掴んでいた。
「!?……何処を掴んでいる……!」
「勝手に居なくなるなよ!」
「……俺が何処に行こうとお前には関係無いだろう」
「そうだけど……、そうじゃなくて」
俺は此方をジッと見つめてくる男を見つめ返す。
折角会ったのだ、この機会を逃す訳にはいかないと心の中の俺が自身を鼓舞する。
「……この後、暇か?」
「……いきなり何だ……」
「いや……此れから家来ないかなって」
「は……」
心底驚いた表情を見せた男が何か言う前に俺は素早く言葉を紡ぐ。
もう闇も深くなり、早く帰って食事の準備をしないとリンネやバティ達に文句を言われてしまうだろう。
いや、そうじゃない。それよりも目の前の今までに見た事の無い顔を見て酷く動揺している。
そしてもっと男の様々な表情を見てみたいと思ってしまっている自分が居るのだ。
例えば俺が作った料理を食べて一体男がどのような反応を示すのか、そんな事が気になってしまう。
だから自分でも無理矢理だと思う理屈を頭の中で捏ね上げ唇に乗せた。
「ほら、飯もまだ食べてないだろ?……今日はカレーにでもしようって思ってたんだ」
「……」
「カレーって何時も作りすぎちまうから。……食べに来てくれると助かるなと思って……」
結局、次第に勢いを失っていく俺を見つめていた男が、小さくため息を吐いたかと思うと微かに苦笑するのが分かった。
しかし下手をしたら男から初めて笑みを向けられ息が詰まる。
―――なんなんだこの男は、今まで可愛げの欠片も見せた事が無いくせに。
俺がそんな事を考えているなんて男はきっと一分も考えてもいないだろう。
もしバレてしまったら、今度こそ怒り狂うに違いない。
「………分かった……、だからその手を離せ」
「マジか!……じゃあ、行こう」
此方の必死さに呆れと諦めを覚えたのかそう言った男に、俺は無意識に掴み続けていた
男の尻尾のように長いベルトから手を離す。
「何をそんなに喜んでいるんだ……お前は」
「んー……まぁ、いいじゃん」
「?……変な奴だな」
今日は何時も以上に気合を入れて作らねば、と心の中で思いながらも何処か
にやけてしまう顔を抑え切れないまま男の言葉を適当に濁す。
そして、男の気持ちが変わらないうちにと男を引き連れ、俺達は路地裏から抜け出す
為に表通りへと続く道を歩み始めた。
-FIN-
戻る