セトと正式に付き合うようになって、漸くキスまで許して貰えるようになったのは極々最近の事だ。
初めてキスした夜は人気の無い夜の公園で、虚無を二人で倒した後何時ものように休憩していた時に隣に座っていたセトに堪えきれなくなり手を伸ばした。
その時、一瞬、躊躇いがちになりながらもゆっくりと目を伏せてくれたセトの怯えと期待に揺れる表情は忘れる事が無いだろう。
それから、オレはなるべくセトが嫌がらない様に場所や時間にも気を遣いながら、それでも抑えきれなくて何度かキスをした。
その度にセトは心地良さそうな顔をして腕の中に居てくれたのだ。
………だが、今は何故か避けられていた。
昨日も、次の『虚ろの夜』までの計画を立てる為にオレの家に来たセトに声をかけたのだが碌に視線も交わさず、逃げる様に帰ってしまったセトに茫然としていると背後にいたリンネ達がオレとセトのやり取りを見ていたのか、苦笑しているのが分かった。
これは昨日だけではない。もうここ数日ずっと同じような感じが続いている。
初めは何か此方が悪い事をしてしまったかと原因を考えて、夜眠れない位の日もあった。
けれど、このような事が続くと次第と何も言ってこないセトに腹が立ってくる。
セトが余り自分の心の中を語りたがらないのは分かっているし、そういう部分も好きだと思っている。
そして、人をそうそう信頼しないセトが此処まで許してくれたのは、奇跡にも近いのだともしっかり理解していた。
だからこそ、今のセトの反応がオレには理解出来ないし、もしも何かあるなら言って欲しかった。
そうでなければ直すことも出来ない。
今日もオレとセトがペアになり街の探索を行う事になっていた。
座っていた椅子から見える時計を確認するともうそろそろセトが家に来る時間だった。
「待人はまだ来ないのか、ハイド」
そんな事を考えていると背後からリンネにそういわれてしまい、勝手に肩がビクつく。
そして顔だけを振り向かせるともう準備を整えたらしいリンネが静かに此方を見つめていた。
けれど、それは何処か不思議な色を宿している事に気がつき、オレは何と返そうか迷ってから言葉を発する。
「………そうだな。でもアイツ、遅刻はしないからもう少ししたら来るだろ」
「確かに遅刻した所を見たことが無いな」
「其れは今までの記憶か?」
「ああ。……セトはああ見えて根は律儀で優しいからな。昔からずっと、そうなんだよ」
そう言って、ふ、と笑ったリンネを見て内心そんな事は分かっていると言いたくなったのを抑える。
リンネ達とセトの関係はオレなどよりもずっと長く深い。
其れは当然の事で、今更覆せるだなんて思ってはいない。
ただ、今は少しばかり気が立っているだけだろう。
互いに黙り込んだままでいると玄関でチャイムが鳴らされた音が聞こえた。
「来たようだな」
「……おう」
「……何があったのか知らないが、仲直り出来ると良いな、ハイド」
「!……オレは喧嘩したいわけじゃねぇんだけどな」
「そうか。……まぁ、頑張れ」
やはり何もかもお見通しだったのか、此方を見てくすくすと笑ったリンネに苦笑してしまう。
そのまま玄関に向かったリンネを追うようにオレも椅子から立ち上がり、セトが居るであろう外へと向かった。
□ □ □
「セト」
「……」
「……ちょっとあそこで休んでいこうぜ」
「おい……!?」
何時も通り、二人で虚無を倒してからオレは逃げようとするセトの手を掴み強引に近くの公園までセトを連れて行く。
キチンとやらなければならない事は終えたのだから、此れからの行動は自由にしたって構わない筈だ。
微かに抵抗を見せたセトもオレの感情を読み取ったのか黙ってつ いて来る。
そうして初めてキスをしたベンチにセトをつれて来ると、其処に座らせた。
そのままオレも隣に座り、手を離さないようにしたまま沈黙を保つ。
本当は問いただしたかったが、其れをすればきっとセトは本心を言わないだろう。
其れに何も言われない苦しさをセトにも知っておいて貰いたかった。
暫し黙ったままで居るとオレが掴んでいた手を動かしたセトが聞こえないくらいの声で囁くのが聞こえる。
「……ハイド」
「何」
「……」
「オレが何言いたいか分かる?」
わざと冷たい言い方をすると触れていた手からセトの僅かな震えが伝わってくるのが分かった。
自分でも甘いなと思いながらも、僅かに言葉に秘めた険を取り除いてから更に言葉を紡ぐ。
「……オレ、何かしたか?色々考えたんだけど分からなかった」
「……」
「言ってくれなくちゃわかんねーよ。なんかあるなら直すしさ、……謝るから」
「……違う、お前は何も悪くない」
「へ?」
段々と小さくなってしまうオレの言葉を遮るように発せられたセトの囁きははっきりとしてはいたが、何処か辛そうで、オレは地面に向けていた視線をセトに向ける。
こちらには視線を寄越していなかったが、繋がれた手には力が込められたのが分かった。
衣服の隙間から覗く瞳に、何処か迷っているような色が見えて、オレは掴んでいた手を動かし指先を絡ませる。
冷えた手を握ると、此方に一度視線を寄越したセトが再び地面に視線を戻してからゆっくりとした口調で囁いた。
「………お前の周りには、色々な人間が集まるだろう。それはいい悪いはあるが、少なくともお前は俺よりも好かれる」
「……」
「ある時、不意に思ったんだ。お前には……、お前の隣にいるのは、もっと相応しい……綺麗な姿をした女が良いんじゃないかと」
セトの台詞に今すぐ反論したかったが、唇を噛んで其れを堪える。
今は、やっと聞けるセトの本心をきちんと聞いておきたい。
黙ったままの俺には視線を向けないまま、更にセトは静かな口調で言葉を発する。
外灯が灯る薄暗い公園の中で、その小さな筈の声はオレの耳に驚くほどハッキリと聞こえた。
「……だから、これ以上深い仲になる前に離れ無いといけないと思った。お前の隣に居るべきではないとも思った。……でも、姿を消すのはどうしても出来なかった……ただ……」
「……ただ?」
「お前の可能性と、優しさを食い潰したくなかった……お前にとっての枷になりたくないんだ」
最後は一気にそう言い切ったセトは、やはり此方を見ない。
セトの考えは分かった。
ならば今度は此方の思いを伝える番だろうとオレは視線をセトと同じく地面に向けてから唇を開いた。
「……オレは、お前を枷だと思った事は一度もねぇよ。男だからとか、そういう前にお前が好きだと思ったから。………側に居たいと思った」
「……」
「でも自信が無いのはオレも一緒だ。けど、やっぱり好きだから……キスだってした…………お前もそうだったんじゃないのか?セト」
オレはそのまま隣に居るセトの手を自身の方へ引き寄せる。
そして、黒い瞳を覗き込むとセトが此方を見返してくるのが分かった。
「好きだから他の奴になんて渡したくない。……セトはオレが別の奴とこうやって手繋いでキスしてたって気にならないのかよ」
「………それは……」
「お前の言ってるのはそういう事だろ。……オレがお前の目の前で別の奴に『好きだ』とか言ってキスしてたって平気って事だろ。……なぁ、それで本当に良いのか?」
「……ッ」
「………此処で本当の事言わないなら、マジでやるから」
セトの瞳に映るオレの瞳は仄暗い赤さでセトを射抜いている。
もしもセトが此処まで言っても素直にならないなら本気でそうするつもりだった。
暫く黙ったままでいると、微かに瞳を潤ませたように見えるセトが苦しげに吐息を漏らし、漸く声を上げた。
「………何故、そんな事を言うんだ……お前にはもっと良い将来があるのに……」
その表情についに堪らなくなり、繋いでいた手を離してから細い体を抱きすくめる。
其処まで辛い顔をするくらいなら初めから言わなければ良いのに。
オレはセトの耳元で柔らかく囁く。
「……オレが好きなのは他の誰でもない、お前なんだよ。それに、自分の未来はオレが決める。……だから教えろよ……お前の本当に言いたい事……」
「……ハイド」
「……うん」
「…………はいど……」
「言ってみ、……セト」
オレの名を呼んだセトを説得するようにそう呟くと顔を離して、此方を見てくる。
そして、一度瞬きをしたセトが言い難そうにしながらも呟いた言葉が耳に入り込んできた。
「……永遠などという贅沢は言わない……、…………お前が飽きるその時までは、俺の側に居て欲しい…………ッ……!」
「…………ずっと、居るよ。お前が嫌だって言っても絶対離してなんかやらねーから覚悟しとけ」
その言葉が欲しかった、と伝えるようにセトの衣服を動かして薄い唇に口付ける。
そしてそのまま、何時ものセトに対する口調でそう言うと恥ずかしかったのかセトが顔を背けた。
オレも恥ずかしさを感じないわけではない。
なので、顔を同じ様に逸らしつつ、冗談っぽく笑いながら呟いた。
「……ったく、こんな恥ずかしい事人に言うの初めてだわ……凄いやつだよ、お前は」
「…………ハイド」
「ん?」
名を呼ばれ顔を戻すと、本当に自然にセトから口付けられる。
そして軽く触れてから離れた先には視線を地面に落としながらも真っ赤になったセトが居て、オレも今の行為を数瞬経ってから理解し、顔から火が出そうになるくらいに熱が集まったのを感じた。
何度かキスをするようになったが、それは今までずっとオレからばかりでセトからして貰った事がなかったのだ。
其れはきっと恥ずかしがっているのだろうと思っていて、受け入れてくれるだけで嬉しいと気にしていなかったのだが、実際こうして求められるのは脳内がクラクラする程に心地良い感覚だった。
オレは自分の顔を見られたくないのと、もっとセトに触れていたくて、もう一度強くセトを抱き締めてその細い肩に顔を埋める。
同じ様にオレの首元に顔を寄せたセトがおずおずと背に手を回したのを確かに感じた。
ドクドクと響く自身の心臓の音を聞きながら、背にあるセトの手から伝わる体温を知る。
このままで居られたら良いのにと思いながらも、そろそろ家に戻らないとリンネ達が心配するだろうと大分熱の引いた顔を上げると、オレが動いたのがわかったのか同じように顔を上げたセトと視線が絡む。
「………もう戻るか。……あんまり遅いと心配かけちまうから」
「………そうだな」
オレはそう言ってベンチから立ち上がると、そのままセトの手を掴んで引き上げる。
そしてその手を離さぬようにぴたりと脇腹につけると戸惑うようにセトが囁いた。
「……手……」
「大丈夫だろ。……誰か来たら離すし」
「……」
「帰るぞ」
有無を言わせぬようにそう言ったオレに黙って頷いたセトの手を握ったまま
薄暗い公園を自分達の家に帰る為、そっと歩み始めた。
-FIN-
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