月下美人




※カーマインストモネタ



体中の痛みに意識が飛びそうになるのをどうにか気合で押し留める。
あの赤い髪をしたマッカチンに似た男は、散々暴れまわった挙句、高笑いをして夜の闇に消えていってしまった。
まさかあの男が此処まで強いとは、と自身の力不足に苛立ちを覚えるが、それよりも早く家に帰って治療しないと本当に死んでしまう。
やっとの思いで生き延びたのに、あんな男に殺されるなんてごめんだ。
しかし脳内とは裏腹に身体からどんどん力が抜けていく。
オレはどうにかコンクリートの壁際まで体を寄せると、倒れていた体を起こして背をつける。
ジワジワと腹部から流れ落ちる血に、死を意識して確かな恐怖と悔しさを覚えた。
こんな所でまだオレは、死ぬ訳にいかないのに。
胸に溜まる空気を吐き出すと何者かの影が此方に近づいてくるのが視界の端に映り、顔を向ける。
まさかあの男が再びオレに止めを刺す為に戻ってきたのかと身構えるが、今の状態では先手を打つような事は何も出来ない。
ただ黙って息を潜めていると、まるで夜を切り取って作り出したかのような不思議な気配を纏った男が此方に近づいてくるのが分かった。
裾の長い衣服と白と黒のツートーンカラーの髪、衣服で隠された口元とその前髪の隙間から見える黒い瞳が確かにオレを見ている。
オレも同じように男を見返すと、足音も立てずオレの傍まで来た男は何の感情も篭っていない声で囁いた。


「……お前が『断裂の免罪符』の所持者か」

「……オマエも……、アイツの仲間なのか……」


有り得ない気もしたが余りにもタイミングが良すぎると、目の前の男にそう問いかけると、僅かに眉を顰めた男が言葉を返してくる。


「……あのマッカチンのような男は俺が釜茹でにしてやった」

「は……?」

「……まぁ、そんな事はどうでもいい……」


男の発言の意味が分からず、体が痛む中、気の抜けた声を発すると男は会話を戻すようにそう言ってからオレを見つめる。


「……そのままだと、放って置いても死ぬな」

「……うるせぇ……んな事、自分が良く分かってる……」


改めて男から指摘されて苛立ちが頭を掠める。
先程から男に弱みを見せてはなるまいと必死に意識を保っているが、正直段々と意識が遠のくのが分かる。
一体この男はなんなのだろうか。オレが死ぬのを見物しにきたのか?
静かにオレを見つめたままの男に向けていた視線を外し、オレはどうにか壁に凭れ掛かるようにしながら立ち上がった。
そして空間から『断裂の免罪符』を取り出すと左右に揺れる体を抑えながら両手で其れを握りこむ。
流石にオレのそんな行動に驚いたのか少し後ろに下がった男が此方を見ている中、声をあげた。


「戦うつもりなら、受けて……やるよ……」

「…………貴様は愚かなのか?」

「オレは死ぬわけに……いかねぇんだ……だから、……お前がやる気なら、……座ってなんかいられねぇだろ」

「……」

「こんな所で、死んだら……リンネ達に……顔向けできねぇ……」


其処まで言って、ぐらりと視界が回る。
そのまま自分の意思とは関係なく、前に居る男の方に倒れこんでしまう。
きっと男がオレを避けるだろうから地面に顔面からぶつかってしまう、などと考え目を伏せるが、硬い感触は感じず何か仄かに温かいものに触れた。
まさかと閉じそうになる瞼を開くと、黒い髪と其処から覗く白い首筋が見えて驚いてしまうがオレを支えたままの男の事も無げに囁く声が聞こえる。


「出来もしない癖に、強がるものではない」

「……」

「……とんだ拾い物をしてしまったものだな……全く……」

「……オマエ……なん……で……」

「!……まだ意識を保っているのか……ならば為るべく保つよう努力しろ。……流石に一人で気絶したお前を運ぶのは骨が折れる」

「……」

「早く其れを仕舞え」


そう言われて初めてオレはまだ『断裂の免罪符』を握りこんでいるのを思い出す。
其れをどうにか元の空間に戻すとオレの正面にいる男がオレの背中に腕を回し、肩を貸すようにしてくる。
―――この男は一体何者なのだろうか。
そんな疑問を持ちながらも、オレはそろそろと歩みだす男に合わせて必死に足を動かし、家への道を進んだ。



□ □ □



「ん……」


目を覚ますと自分の部屋の天井が見える。
どうにか男に支えられて、自分の家に帰ってきた所までは覚えていた。
だが、着いた瞬間に安心してしまったのか意識が深い闇に包まれ、此方を覗き込んでくる男の黒い瞳が最後の記憶だった。
オレは布団を退かし、いつの間にか着替えさせられていた黒のスウェットを捲り上げ、自身の腹に丁寧な治療が施されているのを確認する。
どうやらまだ死んではいないようだ。
しかし起き上がれるまでには回復していない為に、うめき声をあげる。
だが、どうにか手を伸ばし、近くにあるテーブルに置かれた照明を着けた。
途端に暗かった部屋が少しだけだが明るさを取り戻す。
まだリンネ達は帰ってきていないようなので其処まで長い時間が経っているわけではなさそうだ。
そんな事を思考していると、閉じられていた部屋の扉が開かれ、静かに男が入ってくるのが見えた。
男は出会った時と同じように感情の見えない瞳をしていた。
ただ一つ、先程と異なっているのは男の胸元にドス黒いシミが広がっている事だ。


「……もう起きたか。リンネ達が戻ってきたら一応、医者にかかった方が良い」


そのまま部屋から出て行こうとする男に慌てて声を掛ける。
そしてどうにか体を起こそうとすると男が流石に拙いと思ったのか、扉の方を向いていた体を翻して此方の寝ているベッドに近づいてきた。


「……待て……よ……」

「おい、起き上がるな。傷が開く」

「………まだ……オマエに言いたい事も聞きたい事も、何も言ってねぇ……」

「……言っていない事……?」


必死に体を起き上がらせ、ヘッドボードに上半身を凭れさせる。
そんなオレにどう反応すれば良いのか分からないのか、傍に寄ってきた男は呆れたように此方を見下ろしていた。
ただ、オレの話を聞いてくれる気にはなったらしく黙っている。
痛む体を叱咤しながら、ゆっくりと唇を開いて言葉を選ぶ。


「……とりあえず、ありがとな……助かった」

「別に……」

「それでだ……先ずはオマエの名前教えてくれよ」

「……何故そのような事……」

「……良いから……」


その問いから逃げようとする男に手を伸ばし、衣服越しにでも分かる位の細い手首を掴む。
もしかしたらこの男はオレが作り出した幻かとも思ったが、確かに実体はあるようだ。
薄暗い部屋の中、真っ直ぐに男を見詰めると男は仕方がないという様子で囁いた。


「……セト」

「セト、か。……なぁ……どうして、助けてくれたんだ」

「……何故、そんな事を聞く」

「……だって……オレとオマエは今日初めて会ったわけだろ……」


セトの細い手首を握りながら、そもそもこの男が人を助けるような人間に見えないと思ったのは敢えて言わないようにする。
其れに確かに男は戦う意思を見せてはいなかったが、だからと言って動揺した様子も見せてはいなかった。
あのまま放置されていても可笑しくはなかっただろう。
だからオレは『断裂の免罪符』を抜いた。
オレの考えを理解したのか、男は面倒臭そうにしながら微かにため息を吐いた。


「………お前は命乞いをしなかった」

「……へ?」

「その気概に関心しただけだ。……二度目は無いぞ」

「……」

「それに……見殺しにして、其れを知られてリンネ達に文句を言われるのも癪に障る」

「お前、リンネの知り合いなのか?」

「……ただの昔馴染みだ。……俺が助けたなどとは言うなよ」


ふ、と笑った男の瞳が此方を見ているのを意識すると、心が嫌にざわめいた。
例え昔の知り合いの連れだと分かっていたとしても、己に刃を向けた男をわざわざ住処まで運んで治療もするなど随分なお人よしだ。
だからだろう、コイツにちゃんとした礼をしなければならないと思い、更にコイツの事をもっと知りたいと思うのは。
一体どうしたものだろうと思いながら、オレは男の手を握っていた掌を滑らせて衣服から出た指先に触れる。
途端にびくりと体を震わせた男が何事かと言った様子で此方を見てくるのが分かった。


「……そっか、分かった」

「何……」

「お前、良い奴だな」

「……」

「……セト」

「……だから……なんなんだ……」


戸惑いを見せている男の名を呼んでから、笑みを見せるとオレは血に染まった男の衣服に視線を向けてから再び男に視線を戻す。
男は空いた方の手でオレの手を上から掴んで離そうとしてくるが、怪我人相手だと思っているのかその力は弱弱しい。


「……もう俺は戻る……この手を離せ」

「……まさか、そのまま帰るつもりなのか?」

「……どういう意味だ」

「……そんな格好で帰って誰かに見つかったら大変な事になるだろ……其れにリンネ達が帰ってくるまで此処に居ろよ。知り合いなんだろ」

「……しかし……」

「其処にある服、勝手に着替えて良いから。その間に洗濯しておけば良い」


『人間』から『偽誕者』の体になった所為か、通常よりも体力の回復が早いような気がする。
だからといって直ぐに傷が塞がるなどという事は無いが、次第に意識がはっきりしてきて逃げようとする男を言葉で捕まえる。
そして何か反論しようとする男を制すように更に言葉を続けた。


「正直に言うと、まだ満足に動けねぇから……もう少し此処に居てくれるとすげぇ助かる。……お前が嫌なら良いんだけど……」

「…………」

「……なぁ、……頼むよ」


そう言って男の冷たい指先についた形の良い爪を親指で撫でると、オレの手の上に重ねていた手に込めていた力を完全に抜いた男が長い吐息を洩らす。


「……分かった……、分かったから手を離せ……其れにその顔をやめろ」

「?……おう」


触れていた手を離し、男の言葉に答えを返す。
手を離してほしいという言葉の意味は理解できたが、其処まで可笑しな表情をしていただろうか。
しかしその意味を問う前に男がベッドから離れ、畳んでおいたままだった着ても良いと言った服を持ち上げる。


「……本当に借りても良いのか」

「ああ、洗濯機とかも好きに使って良いから」


オレの言葉に頷いた男が手に服を持ったまま再びゆるりと近づいてくる。
無遠慮なオレの言動に呆れているのか、疲れた様子を見せながら男はゆったりとした口調で呟いた。


「………お前はしっかりと体を休めろ……幾ら顕現によって回復力が上がっていたとしても無理をするものではない」

「……勝手にいなくなるなよ……?」

「こんな時に何の心配をしている……良いから早く横になれ……」


先程まで触れていた指先がオレの髪を一度撫でる。
その声にヘッドボードに凭れさせていた体を掛け布団の中に潜りこませた。
男と話している間はどうにか痛みを紛れさせていたが、全く痛みが無い訳ではない。
ただ、体を安静にさせていると体の中にある力が少しづつではあるがオレの体を治していくのが分かった。
確かに今は安静にしているのが一番の薬なのかもしれない。
男は其れを良く分かっているのだろう。


「……何かあったら声をかけろ……、……」

「……ハイド」

「……」

「オレの名前、言うの忘れてたな。……悪い」


声を掛けてくれた男が言い澱んだ理由を察知して、オレは自分の名を名乗る。
すると男はそのまま、唇を微かに動かして聞こえない位の声音で響きを確かめるようにオレの名を呼んだ。
そのまま電気スタンドに片手を伸ばした男が問いかけてくる。


「……電気は」

「……消さなくて良いよ、ありがとな」


そう言ったオレに複雑な表情を見せた男が電気スタンドから手を離してから此方を見下ろしてくる。


「……どうした?」

「……お前、良く人にお人好しだとか、騙されやすそうだとか言われないか」

「んー………たまにリンネとかには言われるけど……、そんなでも無いと思うけどなぁ」

「……少し自覚した方が良いぞ」


何と無く男が言いたい事が分かったが、其れは敢えて言わないままそっと笑う。
すると視線を逸らした男の僅かに焦りを帯びた声が聞こえた。


「……もう、眠っていろ。……言った俺が愚かだった」


どうやら照れているようだ、と男の横顔を観察しながらそんな事を考える。
男は面倒になったのかそのまま、まるで影のようにほの暗い部屋の中にある扉へと向かっていってしまう。
オレはそんな男の背中を見送ってから、口端に上る笑みと脇腹の痛みを誤魔化す為に目を伏せた。



-FIN-






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