黄菖蒲




レンガ造りの歩道を同じ速度で歩くセトを気がつかれないように横目で見遣る。
歩道の隣には黒い華奢な柵に囲まれた花壇があり、その中では名前も知らない赤い花が咲き誇っていた。
そんな中、黒い衣服を纏い、白と黒のツートンカラーの髪をしたセトは、何も言わないが此方とつかず離れずの距離を保っている。
薄暗く人気の無い公園の中をこんな深夜にセトと歩くようになるとは思ってもいなかったのだが、リンネを通して共に虚無を討つ事になってからは随分と話すようにもなった。
初めは俺を殺そうとしてきた上に何処か陰気な雰囲気のセトに良い印象は当然の事だが持っていなかった。
しかし、次第に二人きりでも話すようになり、意外とセトが人間に対して照れ屋な上に純粋な部分を 持ち合わせている事に気が付いた。
それからはまるで転がり落ちる石のように男であるセトの事を友情とは違った意味で意識してしまうようになった。
だから家に来る時はセトが好きな物を料理して出してみたり、出来る限り話かけてみたりととにかく絡むようにしている。
けれど、今はどうにも上手く話が出来ないまま、普段通り虚無を倒してからセトと二人で家への道を 歩んでいた。
こんな気まずい空気になったのも、三日前のあのゲームの所為だ。
俺はこんな状況にさせる原因となった出来事をつらつらと思い返していた。


□ □ □


割り箸の先を赤く塗った物を高らかに掲げたリンネがニヤリと笑みを見せながら自分が王様である事を宣言する。
其れを俺とセトとバティが見つめてからため息を吐いた。
ただの暇つぶしで始めたこの王様ゲームも初めは可愛い程度の命令だったのが、終盤に差し掛かるにつれて段々と面倒なものになってきており、比較的当たってしまう俺やセトは既にぐったりとしていた。
しかし此れが最後だと、俺は自分の持っていた割り箸に書かれている文字を確認する。
其処には数字の【1】が書かれていた。


『じゃあ最後に、【1】と【3】がキスで』

『はぁ!?』

『お、ハイドと………もう一人はセトか?』

『………』


思わずその命令に反応してしまうと、同じように体をビクつかせたセトを見つけたらしいリンネがくすくすと笑っているのが分かる。
バティは何故俺たちがこんなに困惑しているのか理解していないらしく、首を傾げていた。
セトは何も言わないが、半分隠された顔の目元が照れているのか赤く染まっているのが分かる。
その姿に思わずときめいてしまってそんな自分に動揺してしまう。
だいぶ前から俺はセトに友情以上の感覚を覚えていて、正直この展開も悪くはないな、などと随分能天気な事を考えていた。
しかし其れを表に出すわけにもいかず、困ったような顔をしてみせる。


『早くしないと終わらないぞー』

『何でそんなに楽しんでるんだよ』

『ふふ、そんな風に見えるのならそうなのかも知れないな』

『………セト、負けたのに逃げるのはずるい』


俺とリンネがそんな会話をしている間に、腰を引いたセトの袖口を掴んだバティにセトが息を詰めたのを確認する。
………此れは本当にするまで許して貰えなさそうだ。
男同士でキスなど、本来なら嫌になって逃げ出したい気持ちにもなるが相手がセトならば拒否感は無かった。
俺は和室に敷かれた座布団から立ち上がると、低いテーブルの反対側に居るセトの方に近づく。
すると同じようにセトの手を掴んでいたバティが膝で歩くようにしながら俺が先ほどまで居たリンネの隣へと座った。
四つの瞳が興味深そうに此方を見ているのは気まずくもあったが、其れよりも目の前にいるセトの表情の方が此方の意識を奪ってくる。


『正気か………!』

『正気も何も、しなきゃ終わらねぇって分かってるだろ。キスくらい軽くすれば良いんだよ』

『……しかし』

『ほら、逃げんなって』


そして俺はセトの片手を畳の上で捕まえると、もう片方の手でセトの顔を隠す衣服を退かす。
現れたセトの顔は耳まで真っ赤になっていて、何時もの涼しい表情は欠片も残ってはいなかった。
そのままセトの柔らかな頬に触れると其処を一度撫でる。


『ハイド……ッ………』

『………目、瞑れ。一瞬だから』


俺の言葉に強く目を瞑ったセトに微かに笑ってしまうが、その笑みを消して静かに唇に顔を寄せる。
触れ合わせた唇は少しだけカサついていて、温かい。
直ぐに顔を離すと、視線を逸らしたセトが衣服を元に戻し顔を隠してしまう。
これで満足かとリンネ達の方を見ると驚いた表情をしていたリンネが、笑いながら言葉を紡いだ。


『おやおや、キスとは言ったが口にしろなんて言ってないんだけどなぁ』

『………随分情熱的』

『うっせぇ。もう此れで終わりだろ?』

『あんまり怒るなよハイド、ただのゲームだろう?』

『………おやつ抜きにするかも』

『其れは困る!』

『冗談だよ。………今日の分は冷蔵庫に入ってるから持ってきて良いぞ』


リンネとバティにからかわれ、そう言うと慌てた様子の二人が立ち上がらんばかりにそう返してきてつい笑ってしまう。
そして二人が立ち上がり和室の襖を開けて出て行ったのを確認する。
しかしそんな合間も黙り込んでいるセトに、其処まで嫌だったかと顔を向けるとやはり目元を赤く染めたセトが座ったままだった。
此処で俺が謝るのも可笑しな話だと俺はセトの顔を覗き込み、軽い感覚で声をかけた。


『大丈夫か?………まぁ犬に噛まれたとでも思っておけよ』

『………お前は、慣れているのだな』

『慣れてる訳じゃねぇけど……、そんな深刻に考えなくてもさ』

『………俺は………』

『ん?』

『俺は……、初めてだった、のに』

『………え』


セトの長い睫に縁取られた黒い瞳が此方を見てから、そう囁かれた言葉に体が固まる。
まさかのファーストキスだったという事も驚きだが、それ以上にそういう事をセトが気にするとは思ってもいなくて驚いてしまった。
何よりもセトの初めてをこんな形で貰ってしまうとも思っていなくて、何も言えなくなってしまう。
とにかく何か言わなければ、と口を開く前に再び襖が開き両手に俺が作ったゼリーを持ったバティとリンネが入ってくる。
それ以降、セトと二人で話すタイミングが無く結局その話は流れてしまったのだった。


□ □ □


其れから何となく日が過ぎて、セトと話をしないまま今日に至ってしまった。
三日前の出来事を思い返しながら街灯に照らし出されたセトの横顔を再び見遣る。
そのまま俺はそっと立ち止まるとポケットに入れた物に触れてから意を決してセトの名を呼ぶ。


「セト」

「!」

「そんな驚かなくても良いだろ」

「………すまない」


街頭に照らし出されたセトは、衣服によって半分隠された顔を此方に向けないままそう答えを返してくる。
その態度に少し寂しさを感じつつ俺は何気ない風を装ってさらに声をかけた。


「ちょっと休憩していかねぇか。あそこにベンチあるし」

「そう、だな……そうするか」


俺は男を連れるようにして近くにあるベンチに向かうと、その木で出来たベンチに先に男を座らせる。
そしてそのままセトのすぐ隣に腰を下ろすと、セトが触れる肩に反応して此方を見てきたのが分かった。
やっと此方を見てくれたと安堵する気持ちが心に湧き上がる中、俺はセトの顔を見る。
けれど影になってしまっている所為でセトの表情がどうなっているかは分からなかった。


「初めてのキスが俺だったのが嫌だったか?」

「………そういう訳ではないが……」

「聞き方が悪かったな。………俺とキスすんのが嫌だった?」


俺の問いに黙り込んでしまったセトに息苦しさを感じつつ、どう答えるのが正解なのか分からないまま同じように黙り込む。
すると聞こえないくらいの声音でセトが囁く声が聞こえてきた。


「………そうではない」

「………セト?」

「お前とああいう事をしたのが嫌なわけではない。初めてだというのも別に問題では無かった………ただ、……どうしたら良いのか分からなくて」

「どうしたらって………」

「普通に、………お前の顔が、見られなくなって………」

「………」

「………このような事………、今まで無かった、から………」


此れで嫌がられたら仕方が無いと諦めていただろう。
けれど今のセトの反応はあまりにも此方の期待を煽ってくる。
俺は肩に手を乗せ、此方に振り向かせながらセトと視線を絡ませた。
もう此処まできたらいっその事、全てを曝け出してセトを捕まえてしまおうなどと考えてしまう。
だからゆっくりと周りを取り囲むように言葉を紡いでいく。


「………それってさ、………キスしたら俺を意識し始めて困ってるって事か」

「………」

「俺は前からお前の事、好きだったけどな」

「何を言って………」

「………顔、赤いぞ」

「!………からかうのは止せ、………俺は本気で………」

「………此処まで言っておいて俺がからかってるって本気で思ってんのか」

「……ハイド………!?」


逃げようとするセトの体を捕まえ、自分の方に引き寄せる。
抵抗を見せる体を両手で抱きこめると、その髪を撫でた。
柔らかな髪が指先に絡む感覚が心地よくてまるで夢を見ているかのようだ。
ドクドクと体の中に響く心音を聞きながら暫くそのままで居ると腕の中でセトがもぞもぞと動いているのに気が付き抱きしめていた腕の力を緩める。


「………わりぃ、苦しかったか?」

「どうして………」

「どうしてって、こうしたかったからしただけだ」

「………嘘だ………、………俺を騙そうとしているんだろう」

「実際こうやってんだから嘘じゃねぇだろ。………其れとももう一回、ゲームじゃないキスしなきゃ信じないか?」


そろりと髪に添わせていた手を動かして、セトの顔を隠している衣服を指先で退かす。
現れたセトの唇に顔を寄せると体を固まらせたままのセトが目を瞑ったのが見えた。
此れはしても構わないという事だろうか、と俺は静かに顔を寄せ乾いた唇に口付ける。
そして顔を離すと至近距離で視線が絡んだ。
街灯に照らし出された瞳が僅かに潤んでいる状態で俺の瞳を映していた。
敵と戦う時は此方がひやりとするくらいの冷静さと、酷薄さを宿している瞳が今はまるで何も知らない幼子のような色を湛えている。
そんな瞳で見られて、俺は言い含めるように微笑みながらセトに囁いた。


「………ほら、嘘じゃねぇだろ。………好きじゃなきゃ、ゲームでも無いのに男にキスなんて出来ない」

「………」

「お前はどうなんだよ……俺に流されただけか?………それとも俺だったらキスしても良いって思ったのか」

「………う………」

「俺ばっかり言ってるのはズルイだろ。……言えよ」

「………そんな事………言える訳が………」

「言えって」


そっと衣服を退かしたままだった手を動かして、耳に触れる。
柔らかな耳朶を揉むようにすると体をビクつかせたセトが唇を震わせた。


「………お前が相手だったら………しても良いと思った………」

「………そっか」


セトからその言葉を聞けただけでも十分だった。
そのままもう一度セトの体を抱きしめると、その耳元に顔を寄せる。
そして未だに自覚していないらしいセトに説明するように言葉を紡ぐ。


「それってさ、もう俺の事が好きって事だろ」

「好き……?」

「そうだろ。……他の男とキス出来るのか?」

「其れは無理だな。……そうか………此れが、そうなのか」


納得したように俺の言葉を復唱したセトに思わず笑ってしまう。
セトが人の感情や自分の感情に疎いのは分かっていたが、今まで理解せずに一人悩んでいたのだとしたら随分と可愛過ぎる。
其処まで考えて、俺はポケットに片手を入れ、中に入っていた物を取り出しセトに其れを手渡す。
簡素なパッケージに包まれた其れを受け取ったセトが首を傾げた。


「あ、そうだ。………此れやるよ」

「ん?………なんだ此れは」

「リップクリームだよ。匂いも刺激も無いやつだから使えるだろ」

「何故いきなりこんな物を………」

「………いや、前にキスした時、唇がかさついてたからさ」

「!………あんなもの、一瞬しか触れ合っていなかっただろう………」


ぱっと顔を上げたセトが手に持ったパッケージを一瞥してから再び此方に視線を向けつつ驚いた表情で言うのに急に気恥ずかしさを感じてしまう。
確かに触れ合ったのは一瞬だったが、思い返したのはもう数え切れない程だったから感覚がまるで唇に焼き付いてしまっているかのように今も残っている。
だから、ふと薬局に立ち寄る機会があった時にセトの事を思い返してしまってつい、リップクリームを手にとってしまったのだ。
男が男にそんな物を贈るなど、可笑しいとは思っていたがもしもセトがキスの事で俺に気まずさを覚えているのならば此れを笑いながら渡してこの間の事を全て冗談にしてしまおうと思っていた。
けれど想像していたのとは違った反応を見せ付けられて、結局、自分自身の思いを閉じ込めて置く事が出来なくなってしまった。


「折角買ったんだから、ちゃんとつけろよ」

「しかし………こんな女がするような物、俺には………」

「………此れからは必要だろ?」


疑問符を頭につけているような顔をしているセトのパッケージを持っている手から其れを取り、パッケージを開けリップクリームを取り出し空になったパッケージをポケットにしまい込む。
そしてそのままその蓋を開けてからもう片方の手で衣服を退かし、顔に触れた。
顎を引きかけたセトを捕らえるようにしながらもう片手でその唇に薄く塗ってやる。
そのまま、保湿された唇に再び顔を近づけ其処に触れるだけのキスをした。
面食らったような顔をしたセトに一度笑いかけ、顎を掴んでいた手を離す。
蓋を開けたままだったリップクリームの蓋を閉めてから手渡すと困ったような顔をしたセトが視線を逸らしているのが分かった。
だから俺はそんなセトに言い聞かせるように笑いながら唇を動かす。


「………こうやってキスする事が増えるんだから」

「………っぐ」


息を詰まらせたセトに、ついつい笑ってしまう。
今言った事はこれから事実になると思っているし、更にセトに言うつもりは無かったが、俺が渡したリップクリームを塗る度に俺とのキスを思い出せば良いとも思っていた。
流石にこの考え方は気持ち悪すぎると自分でも思うが何かに執着する事がなさそうなセトに、俺が居ない時でも俺を思い出すくらいに自分の存在を一層強く刻みたかった。


「………お前は変わっている!」

「え?………ああ、まぁ………そうかもな」

「本当に、………こんな俺を………」

「『こんな』とか、言うなって。………俺はそういうお前が好きなんだよ」


場の空気に耐え切れなかったのか、不意に立ち上がったセトが此方に背中を見せながらそう言うのを聞く。
少し冷たい風が体に吹き付けてくるのを感じながらそっと手を伸ばし、セトの衣服から出た白く細い指先を握りこんだ。
そのまま立ち上がり、セトの耳元に顔を寄せる。


「だから、自分の事そうやってあんまり卑下すんなよな」

「………」

「………分かった、セト?」

「………善処しよう」

「ん、それなら良かった。………じゃあ寒いから帰るか」


俺はセトの手を掴んだまま、パッケージの入っていない方のポケットに自身の手を突っ込む。
慌てたように何かを言いかけたセトを無視して俺は人の居ない公園に点る街灯を追いかけるように家への道を押し合うようにしながら歩みだした。



-FIN-




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