エリシマム




(……まただ)


現在は夜も深まり、闇が周囲に満ちている。
そんな中、俺達は付近に潜伏していると言われる人語を発する虚無を討伐する為、公園の仄暗い街灯の元、今日の作戦を一通り立てた後、軽く談笑していた。
しかし、目の前に居るリンネやバティスタと笑顔で会話をしながらも、俺の意識はリンネ達の背後に居る男に向けられていた。
わざとこちらから少し離れた場所に佇んでいる男はその黒い衣服と白と黒のツートンカラーの前髪の隙間から此方を確かに睨んでいるように見える。
リンネを通じて男……セトと関わりを持つようになり幾分か時間が経っていた。
けれどセトは俺の事をどうにも嫌っているようで碌に会話をした事も無い。
俺としては気まぐれではあるがリンネ達の代わりに稽古をつけてくれる時や、リンネ達と親しげに接している姿、そうして時折一人張り詰めた顔をして青い双剣を見つめる姿。
そういったセトを見ている内に、もっと親密になりたいと思うようになっていた。
仲間の中では同年代の男は居ないし、正直言えばセトと稽古をしていてもその動きに舌を巻く事が多々ある。
何より俺よりもか細い腕や体をしている癖に、残像を残しつつ消え失せる煙のように疾く動くセトに尊敬の念を覚えているのだ。
と、そんな事を思っていても其れは一方通行にしか過ぎず、俺は緊張しつつ声を掛ける事をしては居るものの未だにセトの笑った顔を見たことが無い。
寧ろよく見るのは無感情な瞳をしている顔か、こうやって知らぬ間に向けられている鋭い視線ばかりだ。


「おい、ハイド、聞いているのか?」

「ん?……ああ、悪い悪い」

「……そんなにセトばかり見てどうかしたの?」

「?!……何言って……!」


俺の意識が逸れていたのに気がついたのか、声をかけてきたリンネ達の言葉に思わず少し声量を上げてしまう。
しかし離れた場所に居るセトには会話の内容は届いていないらしく、怪訝そうな顔をしただけで此方から直ぐに視線を逸らしてしまっていた。
一人慌てた様子の俺にリンネがくすくすと笑ったかと思うと、囁くように言葉を紡ぐ。
その瞳は街灯に照らし出されて、随分と楽しげな色を宿していた。


「……お互い随分良く見ているんだな」

「だから、見てねぇって……」

「そうか?……セトは随分とハイドを気にかけているようだったからお前もそうかと思ったんだが」

「……確かに穴が開きそうなほど、良く見てる」

「!……セトが?……単純に俺が嫌いなだけじゃねぇのか」

「さぁ、……それはどうだろうな?」

「……んだよそれ……」


二人の勿体つけた言い方に俺がため息混じりに言葉を返すと、再びセトの視線を感じる。
俺はいっそ見返してやろうと顔を向けるとセトが焦ったように顔を背けるのが分かった。
そんな背後の動きなど手に取るように分かるのか、視線をリンネに向けると肩を竦めて笑っているリンネが何かを思いついたかのように手を一つ打つ。


「ハイド、今日はセトと一緒に回ると良い」

「なッ……さっき決めたのと違うじゃねーか!」

「何時も同じメンバーで回るのもつまらないだろう?だから今日はバティスタと回る。構わないな?」

「私は問題ない」

「おい……」


俺が反論しようと口を開いた瞬間には背後に顔を向けたリンネがセトに向かって声を掛けていた。


「セト!今日はハイドと一緒に行ってくれ」


薄闇の中でもわかるくらいに驚いた目をしたセトは直ぐにその表情を引っ込めたかと思うと、そっと此方に近寄ってくる。
音を立てずに歩んでくるその背に従うように翻る衣服の裾がより深い影を地面に落とすのを見ていると、此方を一瞥してからリンネの前に立ったセトがそっと声を上げた。


「……先ほど決めた組とは異なるようだが」

「何時も同じじゃないか。どうせ今日も周辺の見回りだけだし問題無いだろう」

「……しかし……」

「たまには良いだろう?お前もハイドに稽古をつけてやっているんだから、その成果を間近で見る機会があるかもしれないぞ」

「…………」


リンネの言葉に黙ったままのセトがもう一度此方に視線を向けてくる。
確かに今日は周辺の探索に過ぎず、もしも探している虚無や人を襲うモノが居れば戦うという程度の見回りに過ぎない。
だから別に誰が誰と組もうと其処まで問題では無いのだ。
ただ、純粋に俺はセトから嫌われていると感じていたものだから今までリンネとセト、そして俺とバティが組む事に異議を唱えた事は無かった。
けれどリンネの言う通り、セトに俺が実戦で戦っている姿を見せた事が無い為に、少しは成長しているのだという事を伝えたいという気持ちは確かにある。
俺はちらりとセトを見ると、当然此方を見ていたセトと視線が絡む。
すると先に視線をゆるりと逸らしたセトの前髪が揺れるのを認識すると、唇を開いたセトが囁いた。


「……俺は、別に構わないが」

「だそうだが、どうする?」

「そんなの……俺だって」


可笑しな展開になってきたと思いながらもそう答えると、にやりと笑ったリンネが隣に居るバティスタを見てから公園の中央に建てられた時計に視線を向ける。
時刻は丁度12時を回った所だった。


「じゃあ決まりだな。おや、もうこんな時間か……行こうかバティスタ」

「了解。……行こう、リンネ」

「あ、私達はあちら側を見てくるから計画通り一時間半後、家で落ち合おう」


そう言ってすたすたと歩いて行ってしまった少女二人組の背中を見ながら俺は隣に居るセトを見遣る。
此方と同じく呆然としているセトと目が合い、訳も無く俺も固まってしまった。
その間にも夜の闇は侵食し、風も吹かない今日は気まずい沈黙を少しも緩和してくれない。
だが何時までもこうしてはいられないとゆるゆると動き出すと、セトに向かってぎこちなく言葉を投げかける。


「……なんか、変な事になっちまったな」

「嗚呼……」

「とりあえず俺達も行くか」


戸惑うような顔をしたセトにそう囁いてから、指先で鼻を掻く。
こうなってしまった以上、何時までもこの場所で戸惑っている訳にもいかないだろう。
計画通りリンネ達とは別ルートで虚無を探すべきだ。
セトが音を立てず隣についてくるのを感じながらとりあえず先ほど決めたルートへ続く道に向かって歩み始めた。



□ □ □



「此処が最後だったよな」


虚無の出没地点である場所を二人で其処まで真剣にならずに巡ったが、やはりそう簡単には見つからなかった。
時間も差し迫る中、茜色の蛍光灯が周囲を照らし出している高架下に辿り着くと虚無を探す為ざっと、其処でも辺りを見回す。
緑の茂った街路樹が等間隔で植えられ、一部は工事中なのか白い幕が張られた橙色の衝立が立てられている。
そうして反射板に描かれた進行方向を示す矢印は明かりに映し出されたせいで浮かび上がって見え、コンクリート造りの模様が描かれた地面はガードレールの影を立体的に映していた。
もともと人通りが少ない場所のせいか辺りには当然のように誰の気配も感じない。
まぁ、居ないに越した事は無いと思いながらボンヤリとしていると背後からセトの緩やかな視線を確かに感じ、振り向く。
するとそれとなく視線を逸らしたセトが僅かに離れた場所に立っている。
茜色の光に映し出されたセトは、その体の華奢さがより一層引き立ち、ついつい俺はずっと疑問に感じていた事を問い掛けていた。


「………なぁ」

「なんだ……?」

「いっつも此方を睨んでるのって、俺が嫌いだからか?それとも……嫉妬?」


俺は苦笑しながらそう言ってみる。
色々と考えてはみたものの、結局思いつくのがそのくらいしか無かった。
急に現れ、昔の知り合い達の間に割って入る俺を忌々しく思うのも分からない訳ではない。
そして、もしもそうならきっとセトは素直に認めるだろう。
しかし、俺の投げ掛けた言葉にセトが見せた反応は俺の想像とは若干異なっていた。


「!……別に笑顔を見た程度で嫉妬など……するわけがないだろう」


完全に動揺し、しどろもどろになったセトにこちらも動揺してしまう。
再び訪れた沈黙の中、視線を地面に落としたセトの言葉を反芻する。
笑顔に嫉妬、というのはどういうことだろうか?
別にリンネ達はセトと話をする際、特に俺と話す時となんら変わりないと傍から見ていて思う。
だとしたら、この動揺具合は他の可能性しか考えつかなかった。
俺がその思考に辿りつき、一言発するとセトが俺の言葉を先読みしたのか瞬きをしてから早口で言葉を紡ぐ。


「………もしかして……」

「此処にも虚無は居ないようだな。……もう、帰るぞ。……時間が迫っている」

「ちょ……まッ……!」


そのまま踵を返し、逃げようとするセトを追いかけるように一歩足を踏み出し、その腕を掴んで逃がさないようにする。
振り払おうとするのを留めるように握る力を強めると此方を向いたセトと一度視線が合うが直ぐに逸らされてしまった。
………何時もこうやって視線をそらされてばかりだ、と思いながらも腕を動かし半ば強引にセトの体を此方に向けさせる。
握ったままの細い手首に意識を向けながら、目の前に居るセトをしっかりと見つめた。


「なぁ、さっきのってさ」

「……」

「……誰の話?」


広い空間に響いた俺の言葉が耳に届いたのか、視線を逸らしたままのセトが聞こえないくらいの声で呟くのが聞こえた。


「……手を離せ……」

「俺の質問に答えてくれたら離す」

「………何故、お前にそんな事を言わなければならないんだ」

「そんなの………気になるからだよ」


腕を振り払おうとするのをそのまま押さえつけつつ、ひたすら真っ直ぐセトを見つめる。
次第に抵抗が弱まり、そろそろと視線を上げたセトと瞳が合うがその瞳に映る感情は戸惑いに満ちていた。
近くで見ると一層長い睫が瞬きの度に揺れるのを見ながら、何時もとは全く違うしおらしい姿に胸が嫌に高鳴る。
先ほどまで此方に冷たい瞳を向けていたのと同じ人物だとは思えないくらいだ。
暫くの沈黙が続く中、俺は急かすように握っている手を動かして更にセトに近づく。
もはや至近距離といっても差し支えない位の場所に立った俺の傍で吐息を漏らしたセトを見つめたまま柔らかく囁いた。


「……時間ねぇってさっき自分で言ってただろ」

「……それは……」

「セト」

「!?……やめろ……、からかうな……!!」


だから今まで見せた事の無い笑みをセトに向けると、驚いた顔をしたセトが眉を顰めてから思い切り腕を振り払う。
流石にその勢いに握っていた手が離れてしまった。
まさか此処まで嫌がられるとは思っておらず、セトの胸元で握りこまれている手を確認する。
その腕の先を追うようにセトの顔を見上げると茜色の明かりに紛れて分かりにくいが、確かにセトの顔が赤みを帯びているのが分かった。
その上、隙間から見えた今にも泣き出しそうな瞳に、ぞくぞくとした痺れを背中に覚える。
俺はただ、セトと少しでも仲良くなりたいと思っていただけで、こんな風に追い詰める気は無かったのに。
無言で此方を睨みつけてくるセトから一瞬、視線を逸らしつつ、片手で髪を掻く。


「……からかってねぇよ」

「……」

「気になるって言ったろ。……本当にお前がどう思ってるのか、聞きたかっただけだ」


睨んでいた瞳を閉じたセトが小さくため息を吐く。
そのままもう一度瞼を開いたセトが、今度こそくるりと背を向けてしまった。
ふわりと翻る裾とベルトの先に目を奪われそうになるが、慌ててその背中に声を掛ける。


「あ、……っちょっと……待てよ……!」

「……俺はこのまま自分の隠れ処に戻る。リンネ達にも伝えておけ」


背中を向けたままのセトが静かに囁く声が耳に響く。
其処まで離れた場所に居るわけでは無いのに、妙に遠くに感じて、俺は引きとめようと発した言葉を途中から謝罪に変える。
からかったつもりではなかったが、あんな表情をさせてしまったからには謝らない訳にはいかないだろう。


「待て……、っ……悪かった、気分悪くさせたよな……」

「……謝るくらいなら……初めからするな、………馬鹿」


最終的に聞き取れないくらいの声で言われた罵倒の言葉に混ざる困惑と、細い体が確かにビクついたのが分かった。
罵倒は余りにも弱弱し過ぎて、本当に何時ものセトとは思えないくらいだ。
けれど先ほどの動揺しながらも言ってくれた事が、セトのずっと言いたかった事なのだとしたら、なんて不器用で可愛い奴なのだろう。
―――だから変に勘違いされたまま、セトを帰したくない。


「!……でもさっきのは本当だから、覚えておいてくれよ」

「……そんな事……」

「……?」

「そんな事、………言われなくても分かっている」


確かに聞こえたその声に答えを返す前に、セトの姿が掻き消えてしまう。
結局一人取り残された俺は今のセトの言葉を反芻し、思わず一気に火照る顔を片手で押さえ倒れそうになる足に力を込める。
ずっとセトの考えている事が理解出来ずにいたが、少し揺さ振っただけであんな風になるなんて思ってもみなかった。
どうせ嫌われていると思っていたのに、こんな展開になるとは。


(……あれはどう考えても反則だろ)


しとりと濡れた黒い瞳が此方を不安げに見つめてきたのを思い出して、ため息を漏らす。
これからこの先どんな顔をしてセトと顔を合わせれば良いのだろう。
なるべく笑顔は見せるべきかもしれない、なんてそんな事まで考えてしまうが其処まで考えて時間が迫ってきている事に気がつく。
早く戻らないと本当に心配させてしまう。
だが、一人で戻ったらきっと二人から散々探りを入れられるのは想像に難くない。


「……まぁ、仕方ねぇよな」


顔を押さえていた手を離し、気合を入れなおす。
とりあえず嫌われていないという事は理解出来たのだから、次の手を考えよう。
そうして何時かはセトの優しい笑顔を見る事が出来る日がくるのだろうか。
そんな事を考えながら、茜色の光の中、自宅への道を今度は一人で歩みだした。



-FIN-






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