紫華鬘

※【月下美人】の続き的なもの




その日はたまたま外を歩きたくて、宛もなく夜の街を一人歩いていた。
人通りの少なくなった街は虚ろの夜を思い出させて、複雑な気持ちに陥る。
けれど、逆に日々の喧騒から離れた静かな闇は、同時に心を落ち着かせた。
しかしながらこんな時間に男子高校生が一人歩いている姿を見られるのは色々とまずいことになるので、敢えて表通りではなく地元の人間しか知らないような裏道を歩んでいく。
ここら辺一帯はいつからか使用されなくなった何がしかの施設だったらしい廃墟などが近くにあり、昼間でも余り人は寄り付かない。
幽霊などは信じていなかったが、自分が虚無に襲われ、偽誕者になった時に自分の世界の狭さを身を以って知ったオレはそういうモノが居てもおかしくは無いのかもしれないと考えるようになっていた。
そんな事を考えていると遠くの街灯の下に誰かが立っているのが見えて、思わず立ち止まってしまう。
全身が黒いそいつは何か首元に巻いているらしく顔もよく見えない。
先ほどまで自分が考えていた事もあり、まさか本物の幽霊を目撃したのかとよくその人物を観察する。
だが、ゆらりと動いたその影はきちんと足もあり、オレに背を向けて歩み始めてしまう。
その動きに従うようにふわりと広がったコートの裾と背中に漸く自分の見知った人物だという事を理解した。


「……セト、か……?」


一人呟いた言葉は当然、男に届く事は無く暗い世界に消えていく。
リンネの知り合いだというセトと初めて会ったのは前々回の虚ろの夜だ。
マッカチンに似た長髪の男と戦い、怪我を負ったオレの前に立ち塞がったセトが何故か此方を助けてくれたのがキッカケだった。
其れから改めてリンネに紹介され、今は互いに会えば普通に言葉を交わすような間柄にまではなっていた。
しかし、物静かなセトは余り口数も多く無く、普段はどのようなところで生活しているのかという事すら教えてくれず心配をしていたのだ。
なによりも話していてふと見せるセトの寂しげな笑みに、もっと心の底から笑った顔を見てみたいと常々思っていた。
どんどんと遠ざかってしまうセトらしき人物の背を見ながら、どうしようかと思案する。
此処で追いかけるのも可笑しな話だと分かっていた。
けれど、こんな夜中に廃墟の方向に向かっていくセトをどうしても放っておけなくて、オレは結局ばれないように気配を殺しながらゆっくりと先を歩むセトの背中を追いかけた。



□ □ □



「……なんで……んなところ……」


小さく呟いてセトが入っていったビルを見上げる。
そこそこの高さがあるそのビルは、もはや入っているテナントも殆どないようで、ほぼ廃墟同然だった。
かなり前に作られたらしく、薄汚れた風貌の其処は一人で入るにはかなりの勇気が必要だったが、 セトが中に入っていく姿をしっかりと確認してしまった以上、引き返す事も出来ない。
此処まで考えて、本当にこうして追いかけるのが正しいのかという思いが頭を過ぎる。
姿を見かけただけでこんな夜中に追いかけるなんて、まるでストーカーのようだ。
―――正直に言えば、全くの好奇心が無いわけではない。
心配なのは事実だが、普段どのような事をしているのか分からないセトの秘密を一つ、覗けてしまうかもしれない、という感情。
オレは溜まった唾をのみ込み、セトが入っていったのと同じ扉に手をかけ其処を開く。
中は薄暗く、足元には割れたガラスの破片と共に埃がうっすらと積もっている。
積もった埃にはセトの物らしき足跡がぼんやりと見え、その事にほんの少し安心した。
恐る恐るその足跡を追いかけるようにすると、本当に稼働するのか怪しい一基のエレベーターがありランプは最上階で止まっている。
どうするべきだろうと考えてみるが、視界の端に階段があるのが映った。
こんな場所のエレベーターが本当に動くかどうか分からない上に、もし動いたとしても乗りたくはない。
其れにもし動かしたらセトに気が付かれてしまうかもしれなかった。


「……オレ、本当になにやってんだ」


はぁ、とため息を吐きつつもエレベーター前よりも一層暗い階段の元へ向かい、上着のポケットに入れたスマホを取り出すと其れを明かり代わりにして階段を上りはじめた。
エレベーターを見る限り、十階立てのビルなようで、階段で上るのはかなり骨が折れる。
階段を上る度に、自身の足音だけが周囲に響くのは不気味だったが、此処に来たのはオレの意志だ。誰も責められない。
半分ほどを過ぎた辺りで、オレが見たのが本物のセトだったのか不安になってきた。
だが、そんな不安を無理矢理頭から振り払い、足早に残りの階段を駆け上がると、やっと最上階の広い廊下に出る。
駆け上がった階段の隣にはエレベーターの扉があり、息を切らして上ったオレはやはりエレベーターを使えば良かったかと僅かに後悔したが後の祭りだ。
最上階の窓は流石にガラスが割れておらず、光が中に入り込んできていた為に周囲の状況が多少は確認出来る。
そのため、オレは持っていたスマホを再び上着のポケットにしまい込み、辺りを見回す。
視線を向けたエレベーターの扉の前には、やはりセトの物らしき足跡があり、その足跡はある扉の前に続いていた。
その扉は屋上へと続く扉のようで、オレは緩慢な動きで扉へと近づき、銀色のドアノブに手を掛ける。
想像していたよりも軽い扉を音を立てないように、ほんの少しだけ開けて中を覗き込む。
するとオレが見たのと同じ姿をしたセトが月の光に照らし出され、所々壊れかけた金網の傍に佇んでいるのが見えた。
何故かその背中を見て、胸が苦しくなる。
其れはセトの全身から出ている雰囲気が寂しげな物だった事もあるが、月に映し出された姿が何処までも遠くに見えて、このままいなくなってしまうように見えたからだ。
声を掛けようか、それとも黙ったままでいるか迷っていると、不意に立っていたセトがどんどんと金網の方へ近づいていくのが見えた。
全身の血の気が引くとはまさにこの事だろうと、オレは自分の体温が一気に冷えるのを感じ、思わず持っていたドアノブを押し開け、駆け寄る。


「セト!」

「……なッ……!?」


驚いた様子で此方に振り返ったセトの腕を掴んで強く引き寄せる。
金網の目の前に立っていたセトの向こうには遠くで光るビルの群れが美しい光景を作り出していた。
暫く黙ったままでいると、握っていた腕を動かされ、真っすぐに見つめてくるセトと視線が絡む。
勢いよく飛び出してセトを捕まえてしまったが、どうやら勘違いだったらしい。
怪訝そうな顔をしているセトが小さく呟いた。


「……お前、何故こんな場所に居る」

「オレは、たまたま散歩してたらお前を見つけて……そんで……」

「わざわざ追いかけてきたのか……?」

「う……、……悪い……、……お前が変な場所に向かってるから心配になって……」

「……」

「……ごめん」


オレを見つめるセトの瞳に呆れている色が映っているのが分かり、謝罪の言葉を口にすると、セトがため息を吐いた。


「それで俺が死ぬとでも思ったのか……何を早とちりしている」

「んなの、……仕方ねーだろ……」

「……本当にお人よしな男だな」


自分がとんだ勘違いをしていた事を再度指摘され恥ずかしくなった。
緊急事態だと思ったからこそ、飛び出したが、セトにしてみればこんな場所まで追いかけてきて、一体なんなのかと思われて当然だろう。
オレの腕から離れたセトは目の前の金網に体を向けて、其処に片手で触れた。
白い指先が黒い金網を緩く掴むのを後ろから見ていると、聞こえないくらいの声音で囁くのが聞こえる。


「別に……此処からの景色が好きなだけだ。だからお前が心配するような事は考えていない」

「……」

「だが、『暗殺者』として生きている以上、常に死の覚悟はしている。……それに俺が死んだところでそこまで悲しむ者も居ないだろう」


そう言ったセトに、オレは再び先ほど感じた苦しさと共に、無性にセトを叱り付けたくなる。
けれど、其れをすればセトが嫌がるだろうという事は分かっていた。
今まで生きてきた中で、オレなどより様々な死線をくぐってきたセトの覚悟は本物だろう。
オレもセトも確かに他の人間とは違う世界に入り込んでしまっていて、戦いだなんていうモノと常に隣り合わせだ。
でも、だからこそ、そんな風に何もかも諦めたような言葉を言って欲しくは無かった。
金網を掴んでいる手の上に手を重ね、もう片手で細い腰に腕を回し、後ろからセトを抱きしめる。
ビクついた体をそのまま腕の中に収め、マフラーの巻かれた首元に顔を寄せた。


「ハイド……!?」

「……そういう事言うなよ。……お前が死んだら、オレが嫌だ」

「……ッ……、……そういう言葉を、思ってもいないのに言うのは……」

「……こっち向けよ、セト」


柔らかく囁いて、金網を掴んでいたセトの手の上に乗せていた手を離し、両手で腰を掴む。
もっと激しく抵抗されたらオレももっと冷静になれただろう。
けれど、おずおずと体ごと此方に振り向いたセトを真っすぐ見つめると、黙り込んだままのセトの目元が微かに赤くなっているのが分かり、心臓が一段とその脈を早くする。
オレの発した言葉には何の偽りもない。
リンネとセトに命を救われたからこそ、こうして今もオレは此処に立って息をしている。


「……嘘ついてるように見えるか?」

「……」

「見えないだろ?……ちゃんと全部本心だよ。お前が死んだら、嫌だ。……オレが、悲しむよ」

「……」

「だから、そうやって一人で全部抱え込んで苦しむのは止めろよ。……役に立たないかもしれないけど、なんだって聞いてやるから」


オレの目を見つめ、此方の吐き出す言葉全てを聞いていたセトは複雑そうな顔をしてから瞬きをする。
長い睫が瞬きの度に揺れるのを間近で見ながら、やはりコイツは綺麗だ、と心の中でそんな事を考えていた。


「……お前は、どうして其処までする?……何時か自分の身を滅ぼす事になるぞ」

「セトがオレを助けてくれたんだろ。……だったら、オレがお前の支えになりたいって思うのは間違いじゃないだろうが」

「だからッ……お前は俺と心中でもするつもりか……?……俺はお前が思っている以上に色々な事をしてきたし、その選択は間違いではないと思っている」

「……」

「しかし、其れは同時に恨みも買う。……そういった事柄にお前を巻き込む訳にいかない、……親しくしているだけで狙われるなどよくある話だ」


今までセトが極力人を寄せ付けないようにしていた言動の意味が漸く理解出来て、余計にセトへの想いを自覚する。
初めて会ったその時から、オレはきっとセトに恋をしていた。
戦いの中で冷たさを宿したその瞳が、時折見せる苦しさを僅かでも良いから理解したくて。
戦い以外で見せる隠しきれていない可愛らしい部分を、他の奴に見せたくなかった。
独占欲と、所有欲と、それら全ての感情が集まって一つの線となりセトに向けられている。
……狂おしい程にセトが好きだと、自分の心が叫ぶ声を聞いた。


「オレはお前と心中するつもりはねぇよ。……確かに一度情けないところを見られたけど、あれから修行もしてる」

「……」

「…………心中する予定は無くても、お前と一緒に生きていきたい」

「……」

「お前がオレに知らなかった事を教えてくれたように、オレはお前が見たことない景色をたくさん見せたい」


堪えきれず、セトの体を強く抱きしめ、その髪に片手を添わせる。
仄かな体温が衣服越しに伝わってくるのが分かって、確かな興奮を覚えた。
さらさらと指通りの良い柔らかな髪を撫で梳かしながら、更にセトの耳元で囁く。


「……好きなんだ」

「……は……」

「セト……好きだ」

「そ、んな……事……」

「急に、ごめん。……こんなこと言ってからじゃ遅いかもしれないけど、ずっと友達でも良いって思ってるから……だから、逃げないでくれ」


勢いがついて言葉にしてしまったが、途中で言ってはいけない事を口走ってしまった事に気がつき、 どうにかフォローしようとするも自分の声が震えているのが分かった。
こんな事を言うつもりなんて一切無かったのに、実際セトを抱きしめた時から歯止めが利かなくなっていたのだろう。
胸元を軽く押され、身体を離す。
やはり嫌だったかと思いセトを見つめると、オレの服を握りこんだセトは顔を俯かせており、表情が見えない。
オレは何を言ったらいいのか分からず、暫し黙っていると聞こえないくらいの声が耳に入り込んできた。


「……い……いきなり、そのような事を言われても……処理が、……追いつかない……」

「……そうだよな、……オレも言うつもりなかったんだけど……」

「……っぅ……」


手を伸ばし、セトの耳に髪をかけてやる。
耳を掠めた指先に小さな声を上げたセトに、ぞくぞくとした痺れを覚え、見つめていると顔を上げたセトの目元が今度は確かに赤いのを確認した。


「抱きしめたら、我慢出来なくなっちまった」

「……ハイド……」

「……そういう顔すんなって……、勘違いしちまうから」

「!……まだ、結論は……」

「分かってるよ。……でも、それってちゃんと考えてはくれるって事だろ?」


か細い声でオレの名を呟いたセトの目元に親指で触れる。
は、と吐息を洩らしたセトがコクリと頷くのを確認し、顔がにやけてしまった。
嫌われたり、拒否されると思っていたが想像していたよりもずっと良い結果になりそうだ。


「……とりあえず降りようぜ。寒くなってきた」

「……嗚呼、……そうだな」


冷たい風が体に吹き付けてくるのを感じ、そう言うと冷静さを取り戻し始めたセトが掴んでいた服を離してそう囁いた。
離れてしまった身体に、寂しさを感じるが仕方のない事だろう。
すると目の前にいたセトがオレの胸を一度軽く叩く。


「だから、……そういう顔をするのは、やめろ」

「……え?オレなんか変な顔してたか?」

「お前は最初から……、……もう良い、……行くぞ」

「なんだよ!気になるじゃねぇか」


何かを言いかけてオレの横をすり抜けてしまったセトの言葉に引っかかりを覚え、 声を掛けるが振り向かずにセトは扉に向かって進んで行ってしまう。
そんな背中を追いかけるように走り寄り、セトの隣に並んだ。
さっきまで遠くに見えていた背中が今は近くに感じて妙に嬉しくなってしまう。
ドアノブに手を掛けたオレの隣に居るセトが此方に顔を向けたかと思うと、呆れた声で囁いた。


「……何をにやついている」

「にやついてねぇって。……ほら、行こうぜ」


そう言って閉じられていた扉を開き、セトと共に薄暗いビルの中に一緒に足を踏み入れた。



-FIN-






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