赫々たる燕去月




(こうして、男と虚ろの夜以外で会うようになったのは何時からだったか)


ジワジワという死にかけの蝉の最期の声を聞きながら、待ち合わせ場所である公園の街灯の元に一人立ちつつ、ふとそんな事を考えていた。
初めて出会った時は戦いを躊躇う事も無い程に憎かったというのに、ひょんなことからリンネを通じて話をするようになり、驚くくらいにお人好しな男に呆れ返ると共に面白みを感じて。
それは何故か向こうも同じだったようで、次第にリンネ達を介さずに二人で話す事が増えた。
今まで、世間との関わりを極力持たないようにしていた俺にとって、男から聞く話はどれも新鮮で、聞き入ってしまう物ばかりだった。
そうして、大して良い反応も出来ない俺に、男は特に気にした様子もなく笑顔で話しかけてくるのだ。
そもそも、友好的に話をしてくる人間は今までに数少なく、未だにどのような反応をすれば良いのか戸惑う事も多い。
けれど男はまるで気にした様子もなく、俺を外に連れ出す。
其処まで派手な事はしなくても、男が連れて行ってくれる場所は何処も新たな発見や、こんな物があるのかと関心すらしてしまう。
そして、帰り際に必ず『楽しかった?』などと問うものだから、それに黙って頷くと柔らかな笑顔を見せて、『また、来ような』などと言うのだ。
もはや一連の決まりきった流れだというのに、俺はそのやり取りが心地良く、嬉しかった。
…………そう、確かに嬉しかったのだ。
人と馴れ合うというのは、自分の弱みにしかならないと本当は嫌という程に分かっている。
もしかしたら、また男と敵対する可能性があるのも、重々承知していた。
だから、何度か男から離れようと試みた事もある。
でも、男は察しが良いのかそんな俺を逃がさないように、何時もと変わらぬ柔らかな笑顔で接してくるのだ。
『大丈夫か?』なんて、甘い言葉と一緒に。
大丈夫な訳はないのに、俺は素知らぬ顔をして肯定の言葉を発するしか出来ない。
その度に、どうして男を拒否出来ないのだろうと悩みながらも、冷たい態度を取っても嫌われていない事に安堵していた。
向こうからしてみれば、何を考えているか分からないだろうに、それでも。


(……暑いから、こんな事を考えるのだろうか)


本格的な暑さは消えかけているものの、遮蔽物の無い此処は煉瓦造りの地面から来る照り返しがきつい。
今日は其処まで風も吹いていないから、余計にそう思うのかもしれなかった。
その前に、普通の人々よりも暑苦しい格好をしているからだ、と男からは言われるかもしれないが。
折角意識を逸らしたのに、自分からまた男の事を考えてしまった己の愚かさに思わず深いため息を吐く。
そもそも、男との待ち合わせ時間より早めに来ている時点で、離れるなんて無理なのだろう。
自分がこんなに意思が弱いとは思ってもみなかった。
それほどまでに、俺はあの男に心を掌握されている。
けれど、きっとそれは向こうにしてみれば全く分からない事なのだろう。
だって、自分自身でさえ、上手くこの感情が理解出来ていないのに。


「セト!」


不意に背後から掛けられた声に振り向くと、何かが飛んでくるので其れを難なく掴み取る。
掴み取った物は冷えたペットボトル入り飲料だった。
いきなり此方にそんなものを投げてきた相手に視線を向けると、先ほどまでずっと思考の中心にいた男が日の光に照らし出され、少し離れた所に立っている。
満面の笑みを見せながら片手を上げて俺を見ている男に、一瞬、目が潰れたかと思うくらいの感覚を知った。


(嗚呼……何故、こんなにも眩しいんだろう)


今までに感じた事の無いくらい、胸の奥が強く締め付けられる想いがする。
屈託なく笑う男の笑みなんて、今まで何度も見てきているのに。
――――けれど、夏の日差しの中で笑う男はその金色の髪も赤い瞳も何もかも、眩しく見えた。


「おい、大丈夫かよ。……暑かったからバテちゃったか」

「……」

「其れとも急に投げたから怒ってんのか?」

「……いや……」


まさか、そんな事を思っているとは言うわけにもいかず、固まってしまった身体をゆるゆると動かす。
俺よりも余程涼しそうな恰好をしている男は近づいてきたかと思うと、心配そうにそう言って此方の顔を覗き込んでくる。
何故かその顔をしっかり見る事が出来なくて、手に持ったペットボトルに意識を向けながら囁いた。


「わざわざ、買ってきたのか……」

「ん?……お前、何時も時間より早く来てくれてて、ちょっと待たせちまうから」

「……」

「今日は特に暑いし、オレを待ってて熱中症になったら困るだろ?」

「……そうか」

「お茶じゃ嫌だったか」


くすくすと笑ってそう言った男はペットボトルを開けるのを待っているようだったので、水滴のついたペットボトルの蓋を捻り、開ける。
そうしてそれを口元に運ぶと冷たい麦茶が思っていたよりも熱されていた体を冷やしてくれた。
こんな些細な事で心が揺らめくのは、優しくされる事に慣れていないからだろう。
そうなのだと、思いたかった。


「今日は何処行こうか、セト」

「……お前が何時も決めるだろう」

「そうなんだけどさー……、オレとしてはお前が行ってみたいところとかに行きたいんだよな」

「俺が行きたい所?」

「だってそうじゃないと意味ねぇもん」


言葉の意図が掴めず、ペットボトルの蓋を閉めようとしながら視線を向けると、瞳に不思議な色を宿した男が柔らかく笑っている。
男にとって、俺と何処かに出かける事に何か深い意味があったのだろうか。
此方の瞳に疑問の色が浮かんでいるのに気が付いたのか、此方に手を伸ばしてきた男に首を傾げる。


「喉乾いたから一口くれよ」

「……嗚呼……」


元々、買ってきてくれたものなのだからと持っていたペットボトルを手渡すと其れを男が飲む。
減るペットボトルの中身と共に、Tシャツを着ている男の喉元が動くのを見てしまう。
本当に喉が渇いていたのか、三分の一程度を一気に飲んだ男は蓋を閉めてから、口元を手の甲で軽く拭うと、此方を見て二ヤリと笑った。
そのまま顔を寄せてきた男がまるで秘密の話をするかのように耳元で囁く。


「オレはお前と遊びに行ければ何処でも楽しいからさ。だったら、お前が行きたい所に行った方がお得だろ」


吐息交じりに言われた台詞に、体が跳ねそうになるのを必死で抑え込む。
こういう風に無邪気に此方を慌てさせるような事をする男は、実は相当出来る奴なのかもしれなかった。


「あれ、……なんだよ、照れてんのか?」

「……違う」

「その割には顔赤いけどな」

「見るな、ばか……」


此方の顔を覗き込んできた男がペットボトルを持っていない方の手を伸ばして前髪を除けてくる。
流石に其れは緩く首を振って拒否を示すと、緩慢な動きで手を離した男が一度此方の髪を撫でたかと思うと冗談じみた口調で言葉を紡いだ。


「かーわいい奴」

「……面白がるのは止めろ」

「悪い悪い……。じゃあ、とりあえず先に飯食いに行こうぜ」


そう言った男は俺の隣に立ったかと思うと、先行するように道を歩む。
その姿は、日に照らし出されて深い影を後ろに落としている。
地面に映った影にすら、意味を見出してしまう。
今は、光を纏う男の傍に影のように居る事を許されていたい。
何時か離れなければならない日が来るまでずっと、己の気持ちを封じておけばいいのだから。
酷く苦しい想いを抱えるとしても、其れは俺一人が感じるだけなら何ら問題ない。
俺は遂に自覚してしまった想いを胸の奥に押し込めながら、すぐ先を行く男を追いかけるように歩み出した。



-FIN-






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