アダマント


※公式ムックネタ



『……行きたい場所があるのだが、ついてきてくれるか』

不意に鳴った携帯に出ると、挨拶も早々に、僅かに強張ったセトの声が聞こえてくる。
時刻はまだ朝で、休日だったオレは目が覚めてはいたものの、直ぐに起きるのも面倒でベッドの上で無意味にゴロゴロとしていた自身のまだ整えていない髪を掻く。
今日は何も予定が無かった上に、セトからの折角のお誘いだ。断る理由も無かった。
リンネとバティには出掛ける旨を伝えておけば問題ないだろう。
横たわっていた身体を起こし、掛け布団を退かすと、ベッド脇に座り直す。
カーテンの隙間からは柔らかな光が差し込み、今日がそこそこいい天気だというのも分かった。


『良いぜ。……今から?』

『其処まで時間はかからないのだが、無理なら……』


慌てたようにそう言ったセトに思わず苦笑すると、一度咳払いをする音が聞こえてくる。
オレが断るような言い方をしなかった事に今更気がついたのだろう。


『……お前の空いている時間で構わない』


セトのその声に壁に掛けてある時計を改めて確認する。
この時間だと、支度をして、リンネとバティの朝食と昼食を作る時間が必要なため、少し長く時間を貰っておく必要があった。


『そうだな、そしたら……今から支度とか色々するから二時間後とかどうだ?遅いかな』

『いや、問題ない。二時間後に迎えに行く』


そのまま軽い定型文じみた挨拶を交わしてから通話の切れた携帯をベッド脇にあるミニテーブルに置くと、急いで出かけるための支度を始めた。


□ □ □


「おはよう」

「……おはよう」


きっかり二時間後に呼び鈴が鳴り、玄関を開けると片手に白い紙袋を持ったセトが戸惑うような顔をしながらも挨拶を返してくる。
時間に律儀な所はセトの良い所だと改めて思う。
そんな事を思いながらも、先ほど着替えた白い長袖ワイシャツにワインレッドのカーディガン、デニムというラフな格好で表に出た。
オレと対峙しているセトは同じように薄手の長袖にグレイのジャケットとデニムという恰好をしている。
世界は夏も終わりに差し掛かり、秋の気配が周囲に漂ってきて流石に半袖では寒さを覚えるくらいだ。


「お待たせ。行こうか」

「……場所を聞かないのか?」

「え、そんな遠い場所なのか?」

「いや、……歩いて行けるが……」

「じゃあ問題無いだろ」


その言葉に首を傾げると、軽く吐息を洩らしたセトが、そうか、と一言だけ呟いてから歩き出す。
住宅街特有の狭い道路を二人で歩んでいくと、周囲の家の人々と時折すれ違う。
この家に引っ越してきてから随分経つが、町の中心部とは逆方向の此方側に進んでいくのは珍しく、知らない町のようにさえ見える。
だからこそ、隣を歩むセトに離れないようについていくと、普段は曲がらないような細い路地を曲がり、さくさくと進んでいく。
静かな足取りとは異なって、セトの片手に持たれている白い紙袋はカサカサと小さな音を立てていた。
隣に居るセトに視線を向けると、同じように此方を見ていたセトと視線が絡み、 思わず笑ってしまう。
二人で歩いているのだから、目的地まで黙ったままというのもつまらないだろうとオレは他愛のない言葉を投げかけていた。


「最近寒くなってきたなー」

「秋に近づいてきているからな」

「……今日は夜まで空いてるのか?」

「嗚呼。……この用事もすぐに終わる」


そっと微笑んだセトに、此方も自然と嬉しくなる。
こうしてセトと共に居るようになって、大分時間が経っていた。
初めは敵同士として『虚ろの夜』の中で巡り合い、その後、何の因果かリンネを通じて知り合いになっても考え方の違いからぶつかる回数は多かった。
けれど、ある時、その冷静な顔の裏に誰よりも人の事を考えて、一人苦しんでいる姿を見つけてしまって。
其れを知ってしまってからは勝手にセトの姿ばかりを目で追いかけるようになっていた。
そのうちにセトと視線が絡む事の多さに気が付き、其処からはまるで坂を転がる石のように、互いに落ちていったのだ。
そうしてこの事に関しては今も後悔の念は微塵も無かった。


「そっか。そしたら、夜、家に来るだろ。鍋しようぜ、鍋」

「鍋?……少し気が早くないか」

「いやー、今日くらい寒ければもう許されるって。作るの楽だしその上、安あがりだしな」


出会った当初の事を思い出しながらも、軽快な口調でそう提案すると、セトが笑いを含ませた声で答えを返してくる。
日々学業や、稽古、戦闘などをしながらも家事をするのは嫌いではなかったが、簡単に済ませられるならばその方がより良いに決まっている。
寒さの厳しくなってきた季節だからこそ、皆で同じ鍋を突くというのも悪くは無いだろう。
何よりも、セトやリンネ達と一緒に食事を摂るというのがオレは好きだった。
彼らがオレの家に来るまでは気楽ではあったものの、家族は全員海外に行ってしまっていて、僅かに寂しさを感じる時もあったのだ。
仕事のために海外に出ている両親を恨むつもりなど微塵も無く、逆にオレの事を考えて男子高校生だというのに一人で暮らさせてくれた事に感謝している。
ただ、時折覚える寂しさは人としての本能的な部分からくるもので、抑えようが無かった。
けれど今は家に帰れば『おかえり』と言ってくれる人が居る。
今後の事で言い争う事も確かにあったが、それ以上に一度死にかけた身であるオレにとって、当たり前に今を生きられる事。
そうして、そんな己を認めてくれる存在が何よりも大切だった。


「ハイド?……どうかしたのか」

「え、……あ、いや……」

「もう着くぞ」


怪訝そうな声に、思考の渦から顔を上げる。
そしてセトの視線の先を辿るように瞳を動かすと、石垣の中に巨大な木々が茂っているのが分かった。
…………一体、何の施設なのだろう。
オレの疑問に答えるように、もう少し先に行くと厳かな雰囲気を纏った巨大な赤い鳥居と、其れに寄り沿うように少し煤けた石灯篭がいくつも建てられていた。
どうやら此処は何かを祀る神社のようだ。
しかし其処まで大きいというわけでは無く、全国的に有名な場所というわけでも無いのだろう。
普通のアスファルトから途中で切り替わった凹凸のある石畳を踏みしめ歩んでいくが、鳥居の向こうにある石灯篭に囲まれた長くも低い階段に人の姿は見えなかった。
だが、セトは慣れた様子で階段の奥にある小さな社へと進んでいく。
セトの背中に従うように、オレは素早い足取りで其処へと近づいていった。
周囲は社や鳥居よりも更に巨大な木々に囲まれ、それらには寒くなったとはいえ、まだまだ葉がついている。
そのため、頭上より注ぎ込む日の光が薄い葉に透けては石の階段に複雑な陰影を作り出していた。
神聖な空気というのはまさにこういう空気の事を言うのだろう。
もしも夜に来たならば、石灯篭の明かりが点り、一層妖しくも厳かな雰囲気になる事は十分に想像出来る。
この場所にオレを連れてきたかったのか、と朝に電話越しで聞いた言葉を思い出しながらセトの細い背中を見つめていた。
そして、意外とすぐに細いしめ縄が掛けられた小さな社の前にたどり着くと、慣れた様子で手に持っていた紙袋を地面に置いたセトが 其処から布巾やビニール袋に入った米と塩らしきものと、液体が入ったペットボトルを取り出した。


「塩……?」

「嗚呼……、そろそろ供物を変えないとならないからな」


思わず呟いたオレの言葉が聞こえたのか、答えを返しながらも布巾で社を軽く清めたセトが更に、社の正面に置いてあった木造りの台に触れる。
セトの触れた、高さのある木の台の上には、陶器で出来た蓋のついた小さな瓶が二つと、その前に平たい小皿が二枚載っていた。
普段こんな場所に来ることが余り無いものだから、その光景をつい、不思議な心持で眺めてしまう。
オレが興味深げにその木の台の上を見ている間にも、セトがテキパキと陶器に手を伸ばして供え物を取り換えていく。
セトの姿をただ見ているだけでは一緒に来た意味がないだろうと思い返し、慌てて声を掛けた。


「オレも手伝うよ」

「では、此れを此処に入れてくれるか」

「おう」


渡された小皿に盛ってあった米をセトが渡してくれたビニール袋に入れ、新たな米を小皿に入れ直す。
其れを落とさないように元の位置に戻している間に、同じようにセトが持ってきていた紙袋の中に出していたものを全てしまい込んでいた。
そして綺麗になった社から一歩離れて手を合わせたセトに倣うように、オレも一歩後ろに体を引くと目を閉じて手を合わせる。


「……此処は」


暫し黙って手を合わせていると、不意に隣からセトの呟く声が聞こえて目を開ける。
視線を社から隣にいるセトに向けると、まだ社に視線を向けたままのセトが続けて言葉を紡いだ。
その横顔は何処か寂しげな表情が宿っている。


「夜刀の一族を祀っている社なんだ」

「……『夜刀』って、セトやリンネの一族だよな」

「嗚呼。……もう一族が滅亡して久しいがな……だから、この社も殆ど形骸化しているのだが……」


其処で一度言葉を切ったセトが社から視線を上げ、此方を柔らかな色を宿した瞳で見つめ返してくる。
緩やかな風が吹き、オレとセトの髪を揺らした。
頭上に広がる木々の葉も同じように揺れ動き、オレ達の顔にかかっている影も変容していく。


「一度、お前と共に此処に来たかったんだ」

「……」

「……『夜刀』が呪われた一族だと重々分かっているというのに……、不思議だな」


まるで自分自身に呆れているような笑みを見せたセトにオレは唇が勝手に動くのを感じた。


「……此処は、お前にとって大切な場所なんだろ。連れてきてくれて、ありがとな」


此方の言葉に面食らった様子を見せたセトに、そのまま微笑みかけてみる。
セトやリンネ達の過去に根深い問題があるのは、はっきりと言われなくとも何となく察してはいた。
それらに対して、セトが苦しみ縛られている事も理解していた。
だからこそ、深入り出来ずにセトが時折零す言葉に耳を傾けるしか出来なかったのだ。
何時かセトから少しずつでも話してくれる事を待っていた。
――――其れが今、また一つ叶ったのだ。


「お前は何故、何時もそうやって笑うんだ」


眩しげに目を細めたセトが、心底疑問というような顔をしてそう囁く。
オレはそんなセトの言葉に笑いながら答えを返した。


「嬉しいからだよ」

「……嬉しい?」

「お前にとって、此処に連れてきても良いと思えるくらいに、オレが重要な存在になったって事だろ?」

「……」

「……セトの事を知る度に、オレは嬉しく思うよ」


だからつい、笑っちまうんだ。と自分でも言っている途中で気恥ずかしくなり、片手で髪を掻くとセトに再度笑いかける。
すると見る見る内にセトの頬が赤らんでいくのが見えた。
セトの肌は白いから、赤くなるとすぐに分かる。
普段は口元まで衣服で隠れているから見えにくいが、今は顔が分かる恰好をしている為により一層確認出来た。
オレがニヤついているのが分かったらしいセトが視線を地面に向け、片手の甲で顔を隠してしまう。
こういう所が、特に愛らしいと思うのだが、其れを言うと本気で怒ってしまうだろうから流石に言葉には出さなかった。
しかし、オレの考えなど筒抜けなのだろう。
顔を隠しながらもセトはオレを鋭い瞳で見つめてくる。
だが、そんな表情で見られた所で怖くもなんともなかった。


「……お前は……、常に俺の想像を超える……」

「……嫌か?」


段々と気持ちが落ち着いてきたのか、オレを見るセトの視線が柔らかくなり、そう囁く声が耳に入り込んでくる。
オレとしては普通に思ったままの事を言っているつもりなのだが、セトにしてみればオレの 言動は時折変わっているように聞こえるらしい。
此方にしてみればセトの方が余程変わっていると思うのだが。
ただ、今のセトの言い方は本気で言っているような印象を受けなかった為に、オレは冗談じみた口調で言葉を紡ぐ。
頭上から降り注ぐ日の光が増しているようで、セトの白と黒のツートーンカラーの髪に反射して煌いた。


「嫌とは言っていないだろう」

「知ってる」

「……全く……お前という奴は……」


ふ、とため息まじりに笑ったセトにオレは同じように笑ってしまう。
こうして互いに笑いあえるような関係が心地いい。
そうしてこれからも、もっとセトやリンネ達と共に非日常ながらも何処か安らかな時間を過ごすことが出来れば良いと、願ってしまった。


「そろそろ行くか」

「おう」


地面に置いた紙袋を持ち上げたセトがそう言ったのに、軽く返事をする。
くるりと体の向きを変え、再び階段を下りていくセトを追いかけるように体を動かそうとするが、その前にオレは社に向かって一度挨拶をするように頭を下げた。
何故自分でもそうしたのかは分からないが、この場所にセトの先祖が祀られているというのなら黙って体を背けるのは何となく悪い気がしたのだ。
そして、既に階段の離れた場所に居るセトを今度こそ追いかけるように足早にその場から離れ、セトへと近づいていった。


「なぁ、セト」

「なんだ?」

「また此処に来る時はオレを呼んでくれよ」

「……ん」


追いついたセトの隣に立つと、同じくらいの歩幅で歩みながらねだるようにそう囁く。
此方を見たセトがそのまま嬉しそうに頷いたのを確認してから、先ほどくぐった巨大な鳥居へと続く階段を上った時よりも緩慢な動きで二人、下りて行った。



-FIN-






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