ファイブロライト
※どちらかと言えばハイ+セト



夏特有のうだるような暑さと、もう夕方近いというのに未だに日の光をしっかりと湛えた空。
しかしその空の端に巨大な雲が現れ始めているのが見えて、オレは片手で潰れた改造済みの通学鞄を背負いながら、足早に家への道を歩んでいた。
普段ならばもう少し早い時間帯には家に帰りついている筈だったのだが、もはや惰性に近い感情を持て余しつつコンビニで週刊漫画雑誌を立ち読みしていた為にこんな時間になってしまったのだ。


(……なんか本格的に雨降りそうだな)


再度顔を上げ、空を視界に映すと広がっている雲がよりその大きさを増しているのが見える。
その上、遠くの方で雷が鳴り始めているのかゴロゴロという音も耳に届いた。
これは後数十分もしない内に激しい雨が降るだろう。
だが、わざわざ傘を用意する必要がある程に今日の天気が悪くなるとは朝の予報では言っていなかった筈だ。
オレはまるで役に立たない天気予報を思い出しながら、何時も曲がる角よりも何本か手前の道を進んでいく。
この辺りは巨大な団地が数多く密集し、本来ならば人通りも多い筈なのだが、皆、雨の気配を感じてなのか往来も少なかった。
道なりに進み、電柱を幾つか超えた先にある細い路地をさらに入っていくと、奥の方に開けた場所があるのが目に映る。
この先には様々な遊具が置かれている公園があり、公園を突っ切れば僅かではあるが家までの近道だ。
通常時ならば遊んでいる子供が多い事もあってわざわざ此処を通ろうとは考えないのだが、制服のままでずぶ濡れになるよりかは幾分かマシだと思ってしまうのは親が居らず自分で家事をしているからだろう。
しかしオレの想像していた以上に公園内には人が居らず、やはり子供達も親に呼び戻されたのだろうと何処かで安堵している自分がいた。
だからこの時間にこの場所に来た事は本当にただの偶然だったのだ。


(……あれって、……)


色とりどりの遊具が置かれた公園の端の方に植えられた巨大な木の下にポツンと置かれたベンチがあり、誰かが腰掛けているのが見える。
俯き、微動だにしないその男に妙な既視感を覚え、自分の中の記憶を探った。
だが其処まで深く思い返さずとも、その細い肩と髪型から一人の男を思い出す。
前回の虚ろの夜でオレの持つ『断裂の免罪符』を狙ってきた男であり、リンネとも親交があるらしい『セト』という男だ。
オレの事を狙ったのがリンネにバレたらしく、結局あの夜の後に逆にリンネに倒されたセトとしぶしぶ顔を合わせる事になってしまった。
その時は顔まで隠れるような黒い衣服の隙間から苛立ちの籠った瞳でオレを見ていたというのに、白いワイシャツと黒いパンツ姿のセトは雨の匂いのし始めた公園で一人座り込んでいる。
しかもその姿は今にも消えてしまいそうなくらいに、頼りなく見えた。
……声を掛けるべきか、それともこのまま放っておくべきか。
迷ったのは一瞬で、オレは公園の反対側にある出口へと向かっていた足を動かし、離れた場所にあるベンチへと向かう。
もしかしたら、うたた寝でもしているのかもしれない。
そうで無くとも、ただ一言声を掛けるくらいは問題無いだろう。
こういう部分がお節介だと言われる所以だとは分かっているものの、黙ってセトの前を通り過ぎるのも気分が良くなかった。


「おーい。避難しないと濡れちまうぞ」

「!……お前は……」


控えめな声量でそう言うと、其れでも驚いたのか俯いていた顔をあげ、怪訝そうな表情でセトが戸惑うように囁いた。
妙に青白さを宿した肌とは違い、此方を見つめる瞳は強い光を宿している。
まるで人を寄せ付ける事を望まない野生の獣のようだ、と考えながらも視線を合わせた。
――――オレにとってこの男は一体何を考えているのかまるで分からない事の方が多い。
今も沈黙を保っているセトに対してどうやって話を切り出そうか迷うくらいだ。
そもそも、オレの名前が出てこないなんて事は無いだろうな、なんて事を考えながらも先手を打って答えを返す。


「城戸灰都、……ハイドで良いって言ったろ。忘れたのかよ」

「……何故このような場所に居る」

「それはこっちの台詞だ」

「お前には関係が無いだろう」


次第に鋭さを増す瞳と声に、此方も思わず返す言葉が喧嘩腰になってしまう。
コイツはオレの事が嫌いなようで、初めて会った時からどうにも言動に棘があるのだ。
多少の事ならば気にする性分ではないのだが、其れでも此処まで全身で拒否をされるのは気に障った。
其れにコイツの言う通り、公園で一人座っている事に対してオレが何か言う権利も無い。
ただ忠告の一つでもしておかないと自身の気持ちが落ち着かなかっただけだ。


「それはお前の言う通りだけどな、このまま此処に居たら濡れちまうぞ」

「……」

「……これだけ言いたかったんだよ」

「わざわざそんな事を言いに……」


其処まで呆れた口調でセトが呟いた瞬間、不意に頬に当たる雫を感じる。
口を噤み、空を見上げたセトもオレ同様に空から落ちてくる雨粒を感じたのだろう。
互いに言い合いをしている間に空を覆う雨雲がその黒さを増し、どんどんと地面に小さな影を作り出し始めている。
だから言わんこっちゃない、とため息を吐きたい気持ちを抑えながら、オレは急いでベンチに一層近づいていく。
白い半袖シャツと黒いパンツ姿の男の横には、さして物が入っていなさそうな黒い鞄が置いてあり、コイツも一応学校とやらに通っているのだという事が理解出来た。
しかし一向に動こうとしないセトに痺れを切らし、さらに声を掛ける。


「おい、降ってきたぞ」

「……一人で帰れば良いだろう」

「お前はどうすんだよ……」


其処まで言ってからオレはセトの肌の青白さが、本来のものよりも数段上である事に漸く気が付く。
今までマジマジと顔を見た事が無かった上に言葉の強さなどはまるで変わりが無いものだから気が付かなかったのだ。
具合が悪いならもっと早くに言えば良いのに、と内心舌打ちをしながらもオレはセトの前に自身の鞄を持っていない方の手を差し出していた。
だが思いが伝わる訳も無く、オレの手は虚しく宙に漂ったまま。
その間にも黒い雲はどんどんと大きさを増して地面に落ちてくる雫も、より多くなってくる。
あと数分もしない内に大雨になるだろう。
しかしオレが何か言った所で素直に聞かないというのは、今のやり取りからでも十分に理解できる。
差し伸べた手を黙って見ているセトの方に屈みこむと、ベンチに置かれた鞄を掴んでからその手を掴んで立ち上がらせた。
やはり体調が悪いのかふらついたセトの手をしっかりと握りこむと、何処か雨を凌げる場所は無いかと周囲を確認する。
螺旋を描いている小さな滑り台や、赤と青の二色で構成された回転式のジャングルジム、 褪せた水色をしているコンクリートで作られたトンネルなど様々な遊具があるがどれも二人で雨を凌ぐには無理がある。


「何をする……!」

「バカ、何時までもボサッと座ってんなよ!早く避難するぞ!」


此方の手を振り払おうとする男に敢えてきつめの口調でそう言って、一際離れた場所にある他の遊具よりかはしっかりとした造りの黄色とエメラルドグリーンで色付けされた雲梯と滑り台が一緒になったような遊具に向かって突き進んでいく。
次第に強くなる雨足に自分の髪や服が濡れていくのに焦るが、隣にいるセトの体調を考えるとあまり無理をさせる訳にもいかない。
駆け込むように目的とした遊具に入り込んだ時にはオレもセトも随分と濡れてしまっていた。


「……手……」

「あ、……悪い……」


オレが遊具から僅かに顔を出して空を眺めていると、聞こえないくらいの声音でセトが囁いてオレが掴んでいた手を動かした。
慌ててその手を離し、肩に掛けていたセトの鞄も手渡す。
其れを受け取ったセトの手と再び自身の手が触れ合い、その冷たさに動揺しそうになる。
先ほどのように強い口調で何か言えば良いのに、この場所に来てから何も言わなくなってしまったセトに何か言ってくれと心の中で呟いてみるが、其れも伝わる事は無かった。
互いに目を合わせずに向かい合い、ずぶ濡れで黙り込んだままでいる奇妙な状態が暫く続いたが、オレが一度空咳をすると硬直が解けたようにセトが身体の向きを変えた。
今日は本当になんて日だろう。
前髪から落ちる雫を掃いながら隣を見遣ると、同じように白い前髪から落ちる雫を首を振る事で掃っているセトと目が合う。


「体調大丈夫か」

「……嗚呼」


だが、合わせた視線をずらしていくとセトの白いシャツが雨によって透け、中の黒いインナーが見えてしまっている事に気が付いた。
開いた首元から見える浮き出た鎖骨と、張り付いたシャツがセトの身体の細さを強調して、一際視界に飛び込んでくる。
――――あの冷たい指先と同じように身体も冷えているのだろうか、と意味不明な事が頭の中を過った。


「なんだ、そんなにジロジロ見て」

「えっ、いや、……なんでもねぇよ!」


オレの視線の行方に気が付いたのか、此方を怪訝そうな目で睨みつけてきたセトが低く呟いた。
まさか考えている事に気が付かれたのかと自分でもしどろもどろだと思いながら、言葉を紡ぎつつ、肩に掛けていた鞄のジッパーを開いて中に入っている黒いフェイスタオルを取り出す。
今日は授業で体育があったものだから、普段持っているタオルよりも大きめな物を鞄に入れていたのを思い出したのだ。
実際には持っていたのを忘れて使用しなかったから、匂いも無いだろう。
手に持ったタオルをセトの方に差し出すと不思議そうな顔をしたセトに痺れを切らし、放り投げるようにして頭にタオルをかけてやる。


「ほら。……早く拭けよ」

「お前も濡れているだろう」

「良いから」


コイツと話していると普段はけして出てこない自分の感情が表に出てくるようで戸惑う。
冷たくしたいわけでも、別に本気で嫌悪しているわけでもない。
リンネやバティスタなどに向けるような優しい言葉を本当は発したいのに、セトのオレをどうとも思っていなさそうな瞳やオレの存在自体を嫌がっているように見える様を認識すると酷く苦しく感じてしまう。
でも、放っておくことなんて出来なくて、自分自身も混乱していた。
今も不器用だと思いながらも声を掛けて、結局はタオルまで貸している。
けれど、今日もきっとセトはオレの捩くれた感情など知る筈も無く、拒否をしてくるだろうと思っていた。
だがしかし、想像とは異なり、頭に掛けたタオルを両手で掴んだセトは大人しく自分の髪や体を拭き始めた。
そうして一通り拭いたらしいセトがそのタオルを此方に返しながら、小さく囁く声が聞こえる。


「……お前も早く拭け……風邪をひくぞ」


セトの声は今までに聞いた事の無いような此方を気遣う色を宿していた。
同じように一瞬だけオレに向けられた瞳も雨に濡れる前よりも優しい気さえした。


「そうだな」


だからオレは同じようにそう囁きながら、返ってきたタオルで顔を拭き、自分でもどういう表情を作ればいいのか皆目分からない顔を隠す。
嬉しいやら恥ずかしいやら様々な想いが心の奥底で混ざりあって、それら全てが表に出てこようとしている。
其れをタオルの中に押し込め、必死にこの感情に正当な理由をつけた。
オレからの厚意をセトが素直に受け取った事が嬉しくて、こんなにも舞い上がっているのだろう。
誰だって嫌われていると思っていた人間に柔らかい対応をされれば、ある程度嬉しいに決まっている、と。
其処まで考えて自身の中で納得したオレはタオルに埋めていた顔を離し、髪を拭きながら相変わらず大量に降ってくる雨を見つめた。
ただの通り雨ならば良いが、流石に今すぐには止みそうに無い。
意を決してオレは隣に居るセトの方に顔を向け、会話を試みる事にした。


「……なぁ、お前の家って此処から近いのか?」


とりあえず当たり障りのない事から始めようと唇から出た言葉は、そんな台詞だった。
これくらいならば答えが返ってくるかもしれないなんて感情も込みで発した疑問はどうにかセトの耳に届いたようで、 隣に居るセトは僅かに面倒くさそうにしながらも答えを返してくる。


「いや。……もう少し先だ」

「そっか、……オレの家はこっから五分くらいなんだけど、普段は此処通らねえんだよな」

「……」

「お前は何時も此処通ったりするのか?」

「……用があったからな」

「……公園に?」


オレの言葉にバカにされているとでも感じたのか、此方を一瞥してから目の前の雨に視線を戻したセトが苛立った声で呟いた。


「前回の『虚ろの夜』の際に、この場所で複数の偽誕者が殺害されている」

「……は……」

「お前のような新参者までは情報が回っていないようだがな。……次の『虚ろの夜』まで幾ばくも無いだろう、もしもの時の為の下見だ」

「……もしもって、ソイツらを殺した奴が出てきた時の為にって事かよ」


下見、という言葉が耳に引っかかり、そう囁くと雨を通して公園を見渡しているらしいセトが更に呟いた。
その瞳は何処までも冷淡で、何を考えているのか読み取れない。


「殺害された偽誕者達はある程度名の知れた能力者だった。だが、その遺体を見つけた者の情報では随分と酷い有様だったらしい」

「……」

「俺自身はその偽誕者達に会った事は無かったが……、奴らの相手が虚無だったのか、はたまた別の偽誕者だったのかは分からないが、用心しておくに越したことは無いだろう」

「そうだとしても、なんで普通にこの公園が開いてるんだよ、捜査とか……!」

「……通常時ならばともかく、『虚ろの夜』での戦闘中だぞ。発見された後に放置されて虚無に全て喰らわれて血痕さえ残らない」

「……」

「其れでどうやって捜査など出来る」


淡々と紡がれるセトの言葉を聞きながらオレは今までぼんやりと眺めていた公園が不意におぞましい空間に感じられた。
夜の間に、幾つかの生命が殺されたその場所は、昼になれば温かな光と子供の声に満たされる。
深く考えていけば、オレの今立っている場所でも遡ればきっと誰かが死んでいるのだろう。
一々そんな薄暗い事を考えたりはしないが、それでも、たったひと月前にオレ達と同じように能力を持った者が、この場で呆気なく死んだという事実を聞かされて何も感じない程に無情でも無かった。


「……なぁ、お前は何か思わねぇの?」

「……何か、とはどういう意味だ」

「いや……」


余りにも無表情な横顔に、思わず口走ってしまった言葉に後悔する。
そういう台詞を言える程に自分がお綺麗なわけでもないのに。
しかし、一度言った台詞はもう元には戻らない。
雨から視線を動かしたセトが此方を強く睨み付けてくるのを感じ、ゆっくりと其方に顔を向けた。
濡れた服とは異なり、瞳の奥には炎さえ見えるようだ。


「お前は、俺に、何と言われれば満足なんだ?」

「……」

「其れとも、もっと悲壮感を出して説明をすれば良かったか」

「……っ……」

「俺の立っている場所は、もう疾うにそのような場所じゃない」


一つ一つ区切りながらそう言ったセトに咄嗟に返す言葉が見当たらない。
だが、このまま黙ったままでいるのはきっともっと後悔する。
乾いた唇を舌先で濡らし、本来ならば大きい雨音よりもさらに大きく耳に響く自身の心臓の音を聞きつつ、セトに向かって考えながら言葉を発した。


「悪かった。……そういう気持ちで言った訳じゃないけど、考え無しだったよな。……本当にごめん」

「……」

「オレはさ、自分でも思うけど甘いんだよ。……これはこの間、お前にも言われたっけ?」


謝罪の言葉を発した後、微かに笑ってそう言うとセトの全身から溢れていたとげとげしい雰囲気が少し緩和された気がした。
其れに乗じて、さらに言葉を続ける。


「だからどうしても色々考えちまう。その、……死んだ奴の事とか」

「……」

「それだけじゃなくて、自分がその立場になったら、とかさ。……後は、知ってる奴だったら、とか……、次が自分やそいつ等じゃないって確証は無いだろ?」


オレは正直、公園の中心で赤く染まり横たわるセトを想像したのだが、流石に其れは言えなかった。
けれど其れはあり得ない未来では無いのだ。
こうして偶然に会ったセトや、当然のように毎日会話をしているリンネ達だって明日には会えなくなるかもしれない。
ましてやオレ達は普通よりも遥かにそのリスクを負っている。
けれど、其れを理解しながら、オレ達は何処か歪になっているから闘うのだろう。
そうして、幾度も幾度もそんな時を過ごせば、一々そんな事を意識しようとは思わなくなるのかもしれない。


「でも、其れが嫌なら、どうすれば良いかって、……お前もそう思ってるから此処に来てるんだもんな」

「…………万全を期さないと嫌なだけだ。其れにお前と違って、俺は周りの人間に其処まで興味は無い」

「その割には……お前、何時も息苦しそうに見えるけどな」

「……何……?」


ずっと胸の中に収めていた想いを遂に言った瞬間、セトが動揺したのが分かった。
それはオレでも分かるくらいにセトの表情が変わったからだ。
どんな時も被っていた仮面の一部が剥がれ落ち、その奥に居る幼さを残した顔。
普段は一体どれだけの感情を抑圧しているのだろう。
今日はセトの知らない顔ばかり見ていると思いながらも、其れは見なかったフリをした。
そういう顔をするという事は、踏み込まれたくない領域だったのだろう。
だから、肩を竦めて大げさに笑って見せる。
――――冗談にしてしまえば、互いの間に流れた気まずい空気も誤魔化せるだろうなんて浅い考えもあった。


「なーんてな。……オレが勝手にそう思ってるだけでお前がそう思ってるかは分かんねぇけど」

「……勝手に俺の思考を想像するな」

「ハハ、そうだな。……あ、……ちょっと雨、小降りになってきた」


オレの言葉に乗ってきたセトにそのまま笑いつつ、空を見上げると降っていた雨が随分と弱まっていた。
これくらいの雨量ならば急いで帰れば其処まで濡れずに家までたどり着けるだろう。
此方のそんな呟きに、安堵しているような声でセトが囁き返してくる。


「……そのようだな」

「家、遠いんだろ?体調も心配だし、オレん家寄ってけよ」

「……だが……」

「お前もそんな濡れたままで帰るの嫌だろ。因みに、断るのは無しな」


断る言葉を迷いながら探している様子のセトに持っていたタオルを投げかける。
小雨になったとは言え、其れでもまだ十分に降っているこの中を歩むには、まだタオルでもかけていた方が身体も冷えないだろう。
気温が高くとも、雨に濡れればその分、体温を奪われる。
そのまま遊具の影になっている部分から出ようとしたオレを背後から掛けられた声が留めた。


「待て」

「ん?」

「……これを使え」

「……これって……折りたたみ傘……」

「お前が、……勝手に先走るから……」


セトが気まずそうに言いながら、自分の鞄から取り出した物を見つめ、一瞬の沈黙の後、笑ってしまう。
仄かに染まった頬は、先ほどの色白い肌よりも余程いい。
本当に今日は今までに見た事が無い位にセトの色々な表情を見ている気がする。
そして其れを面白がっている自分自身にも驚いてしまう。
意外とオレはセトという男の事を気にしていたのかもしれなかった。
そんな事を思いながら、黒いカバーに覆われた小さなその傘を受け取ると、そのカバーを外してゆっくりと開いた。
薄靄の掛かった公園の中で遠くには色彩鮮やかな遊具が見える。
それらを覆い隠すように開いた黒い傘を掲げると、其れを見ていたセトを手招きして引き寄せた。
小さいからこそ近づかないと濡れてしまう。


「!……俺は……いい」

「何言ってんだよ。お前の傘だろ」

「……」

「すぐ着くから我慢しろって」


それっきり黙り込んでしまったセトに苦笑しつつ、公園の出口へ向かう。
とりあえず帰ったら風呂を沸かして熱い物でも飲んで体を温めよう。
公園で雨宿りまでしたのに結局二人とも風邪を引いたなんて、笑い話にもならない。
ふと、傘によって影になった地面に赤い色が見えた気がしたが、一度瞬きをすると見えていたように感じた赤は跡形もなく消え失せる。
随分と嫌な幻だ、と思いながらもオレは傘を握る力を強めて地面から目を離し、離れた場所にある公園の出口だけを見据えた。



-FIN-






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