緑玉髄




※セトストモからの妄想


「……っは……やるじゃねぇか、お前」

「……」

「でも、此処で負ける訳にはいかないんだよ……!」


オレは自身の痛む腹を押さえながら『断裂の免罪符』を握る手に力を込める。
不意に此方に襲い掛かってきた黒い男はただ黙って此方を睨みつけてくるだけ。
しかしその両手に握られた双剣は確かに此方の首を刈ろうと狙ってきているのが分かった。
先ほどから幻のように消え失せながら此方に攻撃を与えてくる男を捕まえるのは至難の技だが、何発かはその身に攻撃を当てる事は出来ている。
此方の方が受けている手数は多くとも、一撃としては此方の方が大きい筈だ。
だが、この後男と戦いを続けたところで勝算は少ないだろう。
どうしたら良いのかと脳内で必死に考えていると離れた場所に立つ男が聞こえないくらいの声音で囁いた。


「……お前は……何の為に戦う」

「……は……?」

「……」


ジッと此方を見詰めてきた男の瞳は何処かオレの真意を探っているような気がして、思わず構えていた『断裂の免罪符』の剣先を下げる。
他に誰も居ない陸橋の下、ぼんやりとした街灯に照らし出された男の影が風によって動くのを見ながら自分の中の考えを纏めながら呟いていた。
別に答える義理は無い筈なのに、何処までも正体不明な男が此方を試しているような気がしたのだ。


「んなの、いきなり聞かれたって……」

「……」

「強いて言うなら……オレが戦うのは自分の為だけじゃなくて、リンネや他の奴らの為でもある」

「……」

「だからオレはお前に負けられない。……負けたらリンネが悲しむからな」

「……リンネ、が……」


オレの言葉に微かに目を細めた男がその体から出していた殺気を少しだけ弱め、此方を見詰めてくる。
―――リンネ、という言葉にこの男は随分と弱いらしい。
きっとオレは知らないが男とリンネは何か複雑な関係なのだろう。
だが、もしかしたらリンネと懇意であるかもしれないこの男と争う必要があるのか、オレはそんな疑問を今更抱きながら男にそっと近寄ってみる。
すると思い出したように此方に双剣を向けた男にオレは持っていた『断裂の免罪符』を鞘に戻してから何時もの様に仕舞い込み、胸の前で両手をあげると男が驚いたような表情を見せた。


「……なぁ、一旦戦うの止めにしようぜ?お前が何考えてるのか分からないけどさ」

「……」

「きっと、話せば分かり合える気がするんだよ。リンネだってきっとそう言う筈だ」

「何を急に甘い事を……そんな事で俺が絆されるとでも思っているのか?」

「だって俺はお前が襲ってこなければ戦う気無いんだぜ?……勿論話は聞きたいけどさ」

「……」

「……な?」


片手を差し出しながらジリジリと間を詰めていくようにすると男が戸惑うように此方を窺っている。
まるで野生の猛獣に近づいているようだと思いながらも、どうにも俺はこの男がいけ好かないが、悪い人間ではない様に思えてならなかったのだ。
そうしてゆっくりと男の前に立つと、俺よりほんの少しだけ背の低い男は隠れた顔の隙間から此方を見遣ってくる。
相変わらず双剣は此方に翳されているが、もはや其れに殺気は篭もっていないように思えた。


「……何故……」

「……んー……なんでだろうな?」

「……!」


その言葉に答えを返す前に、男が不意に俺の身体を押しのけ、思わず俺は倒れこんでしまう。
一体何が起こったのかと顔をあげ見上げると、遠くから伸びてきているらしい異形の手が男の脇腹を切り裂いたのが分かった。
そのまま伸びた手がするりと音も立てず巨大な虚無の身体に戻るのとほぼ同時に男の体から赤い飛沫が飛び、男がしゃがみ込む。
俺は慌ててしゃがみ込んだ男を支える為、自分もしゃがみ込んだ。
男の体から零れ落ちた鮮血が黒いアスファルトの上で妙に生々しく見えた。


「おい!大丈夫かよ!!」

「……問題ない……」

「問題ないって……こんなに血が……」

「そんな事より……早く逃げろ……」

「……は……」

「あの虚無は……どこか、……異質だ……」


するりと蛇のような印象をした虚無が白髪を靡かせながら近づいてくる中、俺は思わず男の言葉に呆然としてしまう。
こんな所で怪我をしている奴を置いて一人逃げる事など出来るわけが無い。
俺はゆっくりと立ち上がると、片手を空に翳し再び『断裂の免罪符』を取り出した。
そうして鞘から抜いた『断裂の免罪符』を前に翳しながら男を庇うように立ち、白目の虚無に視線を向けると、不意に脳内に言葉が響く。


『……やはりその赤き刀身……貴様が近頃聞く『断裂の免罪符』の所持者か』

「!?……コイツ……話が出来るのか……!」

『……その刀も然る事ながら、貴様の顕現もまた気になる所……話を交わしている間に食らってやろうと思っていたが……其処の男に邪魔立てされてしまったな』

「……っ」

『……まぁ貴様の青い双剣もまた、気になる所ではあった……中々の手熟である事は先の攻撃を致命傷にしなかった事から容易に予想はつく……なればその顕現から食らうのもまた良いだろう』


不思議な音色でそう一人愉しげに囁いた虚無にオレは反応が遅れてしまったが、オレはその虚無を見詰めながら言葉を紡ぐ。


「言葉を話せる虚無が居るとはな……初めて見たぜ」

『それは此方への問いかけか、幼き偽誕の者……答えるならば、我もこの獣の身に堕ちてより我以外に意思を持つ虚無は見たことが無い』

「……ふーん……本当はそんな奴と戦ったっていう土産話をあいつ等に持っていきたいとこだけど」

『……』

「……正直今はそれ所じゃねぇんだよな」


チラリと横目でしゃがみ込んでいる男を見遣ると、更に流れ出している血の量が増え、その額からは汗が滴っているのがわかった。
腹を押さえている男は辛そうに瞳を伏せ、荒い息を洩らしている。
オレはそんな男の姿を確認すると、『断裂の免罪符』を虚無に向けながらもソイツに向かって提案してみる事にした。


「だからさ、……其処、今すぐ退いてくれよ」

『……この我に言葉でもって其れを望むとは……異形の返す答え等、分かりきっているだろう』

「……分かってるけど話が理解出来るなら、そっちのが早いかなって」

『そうか……だが答えは否だ、幼き偽誕の者よ。……その男より流れ落ちる赤き顕現が我の心を刺激して止まぬ』

「……だよなぁ……分かってはいたけどさ。……良いぜ、来いよ!」


オレが痛む腹を無視しながら剣を構え、虚無が此方に攻撃を仕掛けてこようとしたその瞬間、一筋の光が走りオレと虚無の間の地面を抉った。
そうして何処からとも無くヒラリと白い着物と赤い髪を靡かせながらオレと虚無の間に現れ立ち塞がった人物に思わずオレは声を掛ける。


「ユズ姉!?」

「やっほー、ハイドきゅん。随分面白いモノに絡まれてるねぇ」

『……』

「なんで、此処にユズ姉が……」


今の張り詰めた空気とはてんで似つかわしくない声音でそう答えたユズ姉はその手に持った長剣を肩に乗せながら、聞こえないくらいの声で囁いた。


「今すぐ其処の彼を連れて逃げな、ハイドきゅん。……ちょっとこの人厄介そうだからさ」

「!……でも、ユズ姉が……」

「私は大丈夫。寧ろ怪我人二人も面倒みながら戦えないよ」

『……逃げる算段は決まったか』

「ほら、早く!」


俺達がぼそぼそとしていたやり取りを予想したらしい虚無が此方に愉しげに問いかけてくるのを聞きながら、ユズ姉がオレに強い口調でそう言う。
オレは仕方なく構えていた『断裂の免罪符』を仕舞い込んだ。
確かに今のオレや男が居た所で邪魔にしかならないだろう。
本当は共に戦いたかったが、しゃがみ込んでいる男は一刻も早く治療しなければ命に関わる事態に成りかねない。
そうしてぐったりとしている男の傍にしゃがみ込むと、どうにかその身体を起こそうと腕を回し背中を支えた。
その間に数歩虚無の方に近づいたユズ姉はまた先ほど同様に気の抜けた声で虚無に語りかける。


「やれやれ、まさかこんな虚無が居るとはねぇ……騒がしいからきてみたら、とんだ大当たりだったみたい」

『……まさかこの地域の守人が出てくるとはな、面白い事もあるものだ』

「……私は全ッ然面白くないわよ!ただお煎餅買いに行こうと思ってただけなのに!もし見たい番組終わっちゃったらアンタの所為だからね!」

『……』


オレはそんなやり取りを聞きながら、どうにか男の身体を立たせゆっくりと男と二人その場より離れ始める。
ユズ姉が会話をして時間稼ぎをしてくれているのは分かっていた。
だからこそ早く此処から退避しなければと必死で身体を動かす。


「……まぁ、でも私の可愛いハイドきゅんを傷つけた上に、この地域で暴れ回る……そんな悪い虚無にはキツイお仕置きが必要みたいねぇ?」

『……当初の目論見は外れたが、貴様の顕現もまた稀有なようだ……その顕現が食らえるならば、少しの期間だけ大人しくしていても構わんぞ』

「笑えない冗談止めてよね。私のモノは私のモノ、アンタにはあげませーん」

『……なれば答えは一つ』

「そうね、……お相手、願いましょうか!」


背後で響く激しい戦闘音を聞きながら、オレはどうにか男と共にその場から退避したのだった。



□ □ □



出来るだけ音を立てないように部屋の扉を開け、絨毯を踏みながらオレのベッドに横たわっている男の傍に寄る。
すると丁度睫を揺らした男の瞳がそっと開かれ、オレは思わず声をかけていた。


「……ん……」

「……起きたのか?」


そのままパチパチと何度か瞬きをした男は慌てたように身体を起こす。
近寄ったオレはそんな男の背中を支えようと手を伸ばすと、男の鋭い視線で止められてしまった。
仕方なくオレは此方の着せた寝巻き姿の男をベッドの横に立ちながら見詰める。


「……此処は何処だ」

「オレん家だよ、お前凄い怪我してたろ?……病院連れてくにも名前も知らなかったから無理だし」

「……」

「……お前、セトっていうんだろ」

「……何故俺の名を知っている」

「リンネから聞いた」


リンネ、の言葉を出した途端、その表情に僅かな変化を起こした男にオレはそのまま言葉を続ける。


「体、大丈夫か」

「……」

「まぁ……大丈夫、では無いよな……」


その言葉に自分で答えたオレは一度前髪を掻きあげた。
そのままゆっくりと間合いを詰めつつベッドに腰掛けたオレを黙ったまま見詰めている男は複雑そうな顔をしながらオレの言葉に低い声音で答えを返す。


「……お前は……」

「……え」

「……お前は平気なのか。……それにあの女も……」


まさかのその返事にオレはやはりこの男が悪い人間では無いと確信した。
オレはそんな男に出来るだけにこやかに見えるように笑いかけながら、答える。


「オレは体頑丈だから平気だよ。其処まで重傷じゃなかったし」

「……」

「それにユズ姉は結局あの後すぐに帰ってきたよ。……どうも乱闘騒ぎを聞きつけて『光輪』が来たらしくってさ、だから無傷だ」

「……そうか」

「ちゃんと助けて貰った事は謝っといた。あんな所で乱闘すんなって少し説教食らっちまったけど」

「……」

「ああ。……それでさ、……その……」

「?」


セトの身体を治療し、昨日一日世話をしている間ずっと言わなければならないと思っていた言葉を唇に乗せる。
あの時、咄嗟の事で理解が及ばなかったがセトは俺を庇って怪我をしてしまったのだ。


「ありがとな、セト」

「……いきなり何を言っている」


その言葉に驚いたように目を丸くしたセトは顔を逸らした。
そんなセトの横顔を見る為にオレが動いた所為でベッドが微かに軋んだ音を立てる。


「オレの事、庇ってくれたろ?」

「……」

「……お前が庇ってくれてなきゃ、今度こそ三途の川渡っちまって戻ってこられない所だった」

「……別に、……お前の為にした訳では無い。虚無が攻撃をしてくるのが見えたから応戦しただけだ」

「そっか」

「……」

「……」

「……何故、見詰める……」


オレがジッとセトの顔を見詰めていると痺れを切らしたらしいセトが微かにその眉を困ったように顰めながら此方を見返してきた。
その姿が窓から射し込む光に柔らかく照らし出されていて、ツートンカラーの前髪の隙間から見える瞳が意外に大きい事が分かった。
どうしてそんな観察をしているのかと自分自身でも疑問に思うが、どうしても気になってしまうのだ。
そもそも男同士がこんなに近い距離で互いに見詰め合うのは可笑しな光景だろうと思いながらも、敢えて視線を外す事無く呟く。


「……腹減ってんじゃないのか?もうほぼ丸一日何も食べてないもんな」

「……別に減っていたとしてもお前には関係無いだろう」

「多少は減ってんだな……あ、それと当然だけど怪我治るまで此処に居ろよ」

「貴様……人の話を聞け……!」

「だってお前との会話はこうしろってリンネが言ってたんだよ」

「……こうしろ……?」

「全然素直じゃないから多少は押し通さないと上手くいかないってな」


そう言いながら立ち上がるとベッドの上から此方を睨みつけてくるセトと視線が絡む。
だがその頬は恥ずかしさの為か僅かに赤らんでいて、大して怖くも無かった。


「今、飯持ってくるけど……ベッドから起きれるか?」

「……だから……」

「歩くのは厳しいだろうから此処で食べろよな」

「……」


オレはくるりとセトに背を向け、先ほど入ってきた扉に向かい始める。
そんなオレの姿を見ながらセトが小さくため息を吐いた音が聞こえて、オレは勝負をしているわけでも無いのに何故か勝利したような不思議な気持ちを覚えていたのだった。



-FIN-






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