天香国色




雨戸と障子戸の開かれた縁側から入り込む夏の日差しが俺の横たわっている場所の畳まで遂に到達したのを目を細めて見ながら、その光から逃れるように縁側の真反対に位置している居間へと続く障子戸の方にさらに体を動かす。
畳に横たわったまま着込んでいる浴衣と髪をズリズリと擦らせ移動する様はまるでナメクジか蝸牛のようだと自分でも苦笑してしまうが、何よりもこれほどまでに暑いのが悪い。
今は夏真っ盛りで、こうやって室内の影に居ても追いかけてくる光と熱は体に絡みついてくるようだ。
もはやキチンと着ているとは言い難い浴衣の掛け衿部分を一層開き、片手で風を送る。
もしも此処に男が居たならば、すぐに『だらしがない』等と言って直してくるだろうが、生憎、男は現在外出中だった。
これ程暑いのに街に酒を買いに行くと言った男に、『鬼に休肝日は無いのか』なんて冗談交じりに笑って送り出したのは少し前の事だ。
其れからはこの暑さで何もする気が起きず、結局、自堕落に体を横たえていた。


「……本当に今日は暑いな……」


誰に向けたわけでも無い小さな呟きを宙に放り投げ、鎖骨に流れる汗を指先で拭う。
そもそも、一般人の立ち入る事が出来ない森の奥深くに存在しているこの庵は、元来、此処に居ない男の居住地だった。
本来ならば一族の仇である男の住処にどうしてこうも馴染んでしまっているのか。
その事に対して絶望や焦燥や、それ以外にも様々な事を考えてきたものの、こうして男と共に住むようになってもう随分と経つ。
初めて此処に来たときは俺自身も男と戦い、そうして死んでいくつもりだった。
きっと男も同じように思っていたのだろう。
なのに、地獄へと落ちる前に此方の手を容赦無く掴んで引き上げたのは、どうにも複雑な表情をしていた男で。
それからは、実に色々な事があった。
先ずは死んだと思い目を覚ました俺が生かされた事実を理解し、男に掴みかかったりだとか、初めて俺が男に飯を作ったりだとか。
気が付けば傍に居て、名前を呼び合うのが普通になって、そうして同じ布団で眠るようになった。
ただ共に眠るだけだった布団の中で触れた男の指先が驚くくらいに熱を帯びていて、その熱が欲しくなって、結局俺から誘った。
『好きだ』なんて言葉を熱病に魘されているかのように低く耳元で囁きながら滅茶苦茶に俺を穿った男は、なんて傲慢で愛しい存在なのだろうと、今でも強く思う。
殺してやりたいという気持ちが完全に消えた訳ではないが、其れでも、今の俺は居ない時でも男の事を考えてしまう程に男に囚われていた。
だからこの暑さをどうせならば男との情交で紛らわせてしまいたい。
そうすればこの不愉快な温度も途端に興奮の材料になるのに。
――――やっぱり、一緒に付いていくべきだったか。


「……これじゃあ、『だらしがない』じゃなくて『ふしだら』って言われそうだ」


其処まで考えて、脳内で男が呆れたようにそう言うのが容易に想像出来てクツクツと笑ってから一人囁く。
夏はどうにも色々と良い事も悪い事も考えてしまうから良くない。
どうせなら、敢えて外に出て新鮮な空気を吸うのも良いかもしれないと、横たわっていた畳に手をついて立ち上がり、障子戸の敷居を越えて縁側へと出ると其処に腰を下ろした。
見上げた空は恐ろしい程に澄んだ青色をしていて、巨大な入道雲が伸びやかに広がっている。
ずっと見上げていると目に入ってくる光が眩しくて思わず瞳を瞑るが、また瞼を開いた先には色褪せない空があった。
果ての無い空を見る度に、俺はまだどうにかこの世界で息をしているのだと実感するのだ。
そうして、何時か訪れる終わりを怯えながらも期待している。
何処までも矛盾していると分かっていながらも、其れでも、男の傍に居たいと願うのと同じように。
ため息を吐き、結局何一つ思考が正常にならない事を理解する。此れだから夏は嫌いなのだ。
胡坐を掻いていた姿勢から先ほどと同じように熱された縁側に横たわり、目を伏せた。
此れだけ逃げてもダメならばいっその事、日差しの中で眠ってやると半ば無謀な思いに駆られたからだ。
しかし想像していたよりかは縁側の風の通りが良く、俺は生温い闇へと落ちていった。



□ □ □



「……や……」

「ん……?」

「……七夜、起きろ」


ヒタリと頬に覚えた何かの感触と聞き慣れた低い声に目を覚ます。
すると此方を心配そうに覗き込んでくる男と視線が交わり、薄暗くなり始めている周囲を認識して、かなりの時間眠ってしまっていたのを理解した。
まさかそんなに長く眠るつもりは無かったのだが、と思っていると俺の反応が薄い事に動揺したのか頬に触れていた手を動かし、額に這わせた男が呟く。


「まさか熱射病か……?」

「…………いや、……寝惚けてるだけだよ。……問題ない」

「……其れならば良いんだが」


俺以外には分からないだろうが、慌てたような顔をしている男を安心させる為に、薄く笑ってそう答えた。
そんな俺の反応に安心したのか一つ吐息を洩らした男が此方の額に添わせていた手を動かし、髪を撫でてくる。
いつの間に帰ってきていたのか分からないが、恐らく帰ってきて早々に俺が縁側で横になっているのに気が付き驚いたのだろう。
洗ったばかりらしい大きくかさついた掌は普段よりも冷えており、日に晒されて僅かに火照った体には心地が良かった。


「……お帰り」

「……只今」


そういえば、何時もの挨拶をしていなかったと言葉を掛けると、額と髪を撫でている手はそのままに男が挨拶を返してくる。
だが、覗き込むように此方を見ている男の瞳に未だに心配の色が滲んでいるのに気が付き、漸く縁側に横たわっていた体を起こした。
せめて男が帰ってくる前には目を覚まして夕餉の準備でもしておこうと思っていたのに。
起き上がった身体を支えるように俺に向かって手を伸ばしてきた男の手を受け入れながら、苦笑しつつ囁く。


「まさかこんなに熟睡するなんて思ってなかった。……飯の支度でもしておこうと思ったんだが」

「構わんさ。後でオレが作ろう」

「本当か?……じゃあ今日はお言葉に甘えようかね」


今度は背中を擦る男の手に相当甘やかされていると実感しながら、そう言葉を紡ぐ。
俺がこの庵に住み始めてからは、食事は基本的に俺が作るようになっていたが男の大味な料理も好みだ。
此方の体を抱きしめる力を緩めて覗き込んできた男が、ふと思い出したように柔らかく言葉を紡ぐ。


「……そうだ、酒のついでにお前に土産を買ってきたぞ」

「土産?……もしかして餡パンか?」

「残念だが今日は違う」

「ふーん……何か気になるな。見に行くか」


定番の土産である餡パンかと思いきや、今日は違うらしく、妙に楽しげな男に土産の内容が気にかかった。
此方を支えている腕の中から立ち上がると、同じように立ち上がった男が先行するように歩き出すのを追いかける。
足裏に触れた畳は影になっていた所為か縁側の床板よりも冷たく感じ、やはり此方で眠っていれば良かったかと僅かに後悔するが後の祭だ。
そんな事を考えながら障子戸用の敷居を跨いで居間へと入る。
男が帰った際に着けたらしく、囲炉裏のある居間の幾つかの燭台には火が灯され、周囲を照らし出していた。
夕方になったとはいえ真夏の為に其処まで暗い訳ではないが、やはり明かりがあると無いとでは見え方が異なる。


「これか?」

「嗚呼」


そして囲炉裏の傍には男が買ってきたらしい物がまだ袋に入ったままだった。
一体何なのだろうと、とりあえず囲炉裏の前に座り込みその物体を膝に乗せた。
そのまま半透明のビニール袋から僅かに透けて見える物質を取り出すと、少人数用の花火セットが出てくる。
まさかの物が出てきた事に呆気に取られて此方を見ている男を見遣ると困ったような表情をした男が静かに瞬きをしてみせた。


「たまたま、街で見かけてな」

「……そうか」

「とりあえず……夕餉を作ってくる」


此方の怪訝そうな表情を見て、更に複雑そうな表情をした男は気まずくなったのかそそくさと居間から出て土間造りの炊事場へと行ってしまった。
仕方なく目の前にある物を観察する為に視線を向け直す。
少人数用なだけあって、其処まで多くの本数は入っていないが普通の手持ち花火や線香花火など一通りの物は揃っていた。


(……俺にこれをねぇ……)


自然と小さなため息が洩れ、持っていた花火のパッケージを指先で撫でる。
薄いフィルム越しに伝わる感覚とカサリ、という音を聞きながら男が土間で煮炊きを始めたらしい気配を感じた。
――――これを俺が喜ぶと思って買ってきたのだとしたら、相当餓鬼扱いされているという事になるのではないのか。
一瞬でもそんな風に捉えてしまった己の幼稚さにまたため息が出そうになる。
だが、その前に先ほど言われた男の言葉を思い出し、花火が入っていたビニール袋に視線を向けた。
よくよく考えてみれば、男は本人が自覚している程の強面な所為もあり、懇意にしている行きつけの店にしか基本的には寄りたがらない。
しかし花火の入っていたビニール袋に印字されている企業マークは街にある出来たばかりの大型量販店の物だった。
つまりはわざわざ俺の為にこれを見つけて、人の多い店の中にまで入っていって、買いに行ったという事だ。
男が酒を抱えながら、この花火だけを持ってレジに並んでいる姿を想像し、思わず吹き出しそうになる。
きっと多くの人間が通るであろうレジの中でも、一際印象に残っただろう。
餓鬼っぽいとか、そういう以前に男が俺の事を考えてこれを買ってきてくれたのならば其れで良いじゃないか。
先ほどまで熟睡していた為なのか、頭が眠る前に見ていた青空のように澄んでいた。
兎に角、まずは男に感謝の意を示すべきだろうと手に持っていた花火を置いてから立ち上がり、炊事場の方へと向かう。


「軋間」

「どうかしたか?」


既に食材を包丁で切り始めている男に、背後から声をかける。
一段高い板の間に立っている俺の方に振り向いた男に出来る限りの感謝を込めてそっと笑った。


「言うのが遅くなったけど、土産有難う。嬉しいよ」

「……そうか」


俺の言葉に嬉しそうな顔をした男がそう言うのを聞いて、もっと早くに声をかけてやれば良かったと内心思った。
男にとって、誰かに土産を買うなんて行為自体がまだ不慣れなのは分かっていた筈だったのに。
此方を見ている男に向かって俺は自分でも信じられないような柔らかさを以って、続けて囁く。


「折角こんなに良い天気だし、どうせなら今夜やろうか」

「お前がそれで構わないのなら、そうしよう」

「勿論!……じゃあ早く楽しむ為にも俺も手伝うとするかね」


そう言って板の間の下に置いてあった自分用の下駄をつっかけると、男の傍に寄り、夕餉の支度を手伝う為に手を動かし始めた。



□ □ □



満天の星の下、普段は薪割り台として使用しているケヤキの切り株の上に置いた燭台の中にある蝋燭の灯りがゆらりと風に揺れては地面に陰影を作る。
その燭台の傍には既に並々と水が注がれた木で出来た頑丈な桶が置かれ、此方も風によって波紋を描いていた。
俺の隣に居る男は全ての準備が終わったと言わんばかりに此方を一瞥してくるので、小さく頷いてやる。
丁度よく薪割り台周辺を草取りしたばかりなのも幸いして、男が買ってきた酒と二人で作った夕餉をひとしきり楽しんでから風呂に入る前に先に花火をしようという話になった。
昼間は暑苦しい位だったが、夜になると気温も下がり、心地よい温さが体に纏わりついてくる。
何よりもこの風光明媚な星空に浮かぶ一際目を惹く程に輝く月にこのまま月見酒にでも洒落込みたいとさえ思ってしまう。
しかし、花火のセロファン袋を手早く開け始めた男に意識を向けると妙に浮き足立っているのに気が付き、思わず肘で男の腕を小突いて笑った。


「なんだよ、アンタの方が楽しみにしてたみたいじゃないか」

「そうかもしれん。……正直に言って、初めてなんだ」

「花火をするのがか?」

「今まで考えた事も無かった」


改めて男の手に持たれた、けばけばしいとも言えるくらいの文句が表に書かれている花火の袋を見てから、男の横顔に再び視線を戻す。
そうやって言われてみれば、俺も知識としては花火がどのようなモノで、どういう風に扱うかは理解していたが実際にこの手で持った事は無かった。
初めにタタリとして呼び出された時も、その後も、この手に握っていたのは何時も愛刀ばかりで。
そもそも俺は俺を呼ぶモノを殺す事しか知らなかった筈なのに、今では呑気に午睡だってするし、男の土産に勝手に意図を探っては一喜一憂もする。
――――そうして其れはきっと男も同じなのだろう。
『亡者』と『鬼』が何時しか人間らしい感情を持ちえ、魔除けとしても利用されていた花火を喜々として行うなんて、本当にこの俗世では何が起こるか分からない。
そんな事を考えていると、不意に何本かの花火が入った袋の一つを男が差し出してくる。
まだ袋の中には小分けにされた花火の束が入っていたが、まずはこの中からとりあえず選べという事だろう。
まるでクジのようにその中の一本を取り出すと、同じように花火を取り出した男に無言で促されるまま燭台に花火を近づける。
紙で出来た揺れる先端を火に炙ると音と共に色鮮やかな青い光が一気に吹き出て、薄暗い世界の中を一筋の線となって迸った。
俺の後に続くように火をつけた男の花火からも同じように赤い光が溢れ、交差する。
初めは青だった光は次々とその色を変えて、男の持っている花火も其れを追いかけるかのように様々に色を変えていく。


「おお」


思わずそんな感嘆の言葉さえ洩れる程にその光景は美しく、自身の中に存在する知識だけでは感じられないモノがあるという事を改めて理解させられた。
其れは隣に居た男も同じだったらしく、俺のように声こそ上げはしなかったが真っ直ぐに花火の光を見据えている横顔は楽し気な色を宿している。
しかし、その美しい光も火薬の燃える時特有の匂いと煙が薄まるのに比例し、小さくなって消えてしまう。
手に持った花火が完全に燃え尽きたのを確認してから水の入った桶に投げ入れる。
すると再び袋を差し出してきた男にまだまだ花火が残っている事を思い出して、苦笑した。


「そうだった。見惚れちまってて忘れてたけど、まだ一本目だったな」

「全くだ」


これほどまでに感動するとは考えてもいなかったのを素直に言葉にすると、差し出していない方の手で燃え尽きた花火を桶に入れた男がそう囁きながら自分の分を袋から一本取り出す。
その口元には微笑が浮かんでおり、そんな男の柔らかい表情を見る事が出来るのはこの空間で俺だけだ。
俺は続けて手に持った花火にまた火を灯す。
そうして其れを今度はくるりと動かすと、花火の先端から落ちる光が残像となって空に円を軌跡として描く。
そんな事を男と共に笑いながら何度か繰り返しているうちに、普通の花火は無くなってしまったらしく、あっという間に過ぎた時間に驚いてしまう。
あと残った花火は男の掌に乗せられた線香花火だけらしく、俺はテープでまとめられた線香花火バラけさせると、半分取ってから男に渡した。


「ほら」

「……嗚呼、有難う」


そう言って戸惑うように受け取った男に教える為、右手でユラユラと揺れる持ち手を掴んで先端に火をつける。
線香花火のつけ方も知識としては理解していたが実際にこの手で行うのは初めてだった。
俺と男が自然と線香花火を注視していると先端には赤い雫のような熱球が溜まり、次第にその周囲に小さくも美しい光が飛び散っては輝く。
先ほどの花火のような迸る激しさは無かったが、この細い糸に似た花火から放たれる光には独特の風情があった。
俺の動きを見ていた男が同じように持っていた線香花火に火を灯したのを確認している間に、俺の持っていた花火は勢いを無くし、そうしてポトリと地面に落ちてしまう。
今度は男の手元で火花を散らしている線香花火を見ていると、ふと思いついた事があり、呟いてみる。


「なぁ、この線香花火の最後の一本で賭けをしないか」

「賭け?」

「最後まで火を保っていられた方の勝ちっていう決まりで」


此れは本当にただの思いつきだった。
別に男に何かさせたい訳でもなかったが、たまにはこういう張り合いが無いと俺も男も退屈してしまう性質なのだ。
黙ったまま俺の言葉に耳を傾けている男の視線は未だに明るい火花を飛ばしている線香花火に向けられていた。


「丁度一人三本あっただろ?俺もアンタも慣れてないから、二本目までは練習って事にしてさ」

「……何を賭けるんだ」


此方の提案に意外と乗り気の様子を見せた男に面白みを感じながら、自分でも意地の悪い笑みを浮かべつつ言葉を紡ぐ。
その言葉の合間に、二本目の線香花火を左手と右手で交互に受け渡す。
もしも男が俺の申し出を受けるなら、この一本は練習として大事に灯さなければならない。


「そうだな……、最後まで保っていた方の言う事を一つ何でも聞くっていうのはどうだ?」

「お前は何時も突拍子もない事を思いつくな」

「そうか?……安心しろよ、俺が勝っても其処まで酷い事は言わないさ」

「……良いだろう、乗った」

「そう来なくっちゃな」


一瞬悩んだ様子を見せたが手元の花火が地面に落ちたのを確認してから、男はクスクスと笑った俺に視線を向け頷いた。
男のこういう普段は見せないが実は勝負事が好きで負けず嫌いな所は以前から好ましい部分の一つだ。


「じゃあこれは練習っていう事で」


そう言って右手に持った二本目の花火に火を灯すと、男もすぐさま二本目に火を灯した。
ユラユラと揺れる二本の花火は互いに主張するかのように隣り合って眇々たる花を咲かせる。
そうして数瞬先ではあるが、男の方の火球が地面に音もなく落ちていった。
しかし、これは二回目で練習だと言ってしまった為に無効だ。
だが俺にしか分からない程度にムッとした表情をした男に、可愛げを感じてしまい、笑ってしまう。


「おやおや、練習じゃ俺の勝ちみたいだが?」

「……まだもう一回分あるだろう」

「勿論。俺は言った事は違えないからな」

「……」

「其処は肯定しろよ。……まぁ良いけどさ」


俺の言葉をさり気無く無視して三本目の線香花火を急くように掲げた男にそう言うものの、こんな冗談めいたやり取りはもう慣れていた。
その為、左手に持っていた最後の一本を右手に持ち替えて前に掲げる。
そうしてほぼ同時に燭台にその花火を近づけ着火した。
最初は謙虚とも言えるくらいの光の起こり具合から、徐々に勢いを増していく様子はまるで生物の命を表しているようだ。
誰が先に終えるか、其れは皆、次の一瞬まで分からずに、其れでも終わりが来るまで燃やし続ける。
せめて俺は男がその生命を終えるその時に、一番傍で其れを看取ってから消え失せられたらと心の奥底で願っていた。
其処まで考えて、こんな気分に陥っているのを気が付かれるのは不味いと隣で黙ったまま手元を見つめている男に声を掛ける。


「今回も俺の方がギリギリ優勢みたいだな」

「……其れはどうだろうな」

「……は?」


互いに火の勢いが少なくなっているものの、若干俺の持つ花火より弱まっている男の花火を見つつそう言うと、不意に自分の花火を覆い隠すように手を翳した男に首を傾げる。
だが、すぐに普段ならば気にも留めない程度の穏やかな風が吹いた瞬間に男の手の意味を理解する。
もうほぼ消えかけそうになっていた火種はその風によって静かに地面に落ちていった。


「あ……」

「オレの勝ちだ」

「よく風が吹くって分かったな」

「此処に暮らして永いからな」


しれっとした顔でそう言った男の花火もポトリと地面に落ちていくのを横目で見ながら、肩を竦める。
確かに俺と住む前からこの場所で一人暮らしていた男にとって、風が吹く前の予兆を周囲の様子から見定めるなど容易なのだろう。
一本取られたと微かに悔しい思いを隠しながら、持っていた最後の一本を桶に投げ入れると男の方に向かい合った。


「分かったよ。俺の負けだ、……じゃあ願い事をお一つどうぞ?」

「……願い事と言われてもな……」

「よっぽどの事じゃなければやってやるよ」


そう言って桶に花火を入れながら悩んでいる様子の男に声をかけながら、考えてみれば男から何かを願われた事が余り無かったというのを思い出していた。
俺が何かを頼むなんて事はしょっちゅうではあったが、男は人に何かを望む事をしてこなかった所為か、そういう事を余り思わないらしい。
嗚呼、でも唯一といっていいくらいに男が望んでくる時間があった、とつらつら考えていると俺の腕を掴んだ男が真っすぐに此方を見ながら囁くのが聞こえた。


「では、……接吻を願おうか」

「……は……」

「何でも良いと言ったのはお前だろう」

「確かにそう言ったけど……」


何も問題は無い筈なのだが、まさかこんな事を男が情事時以外で言ってくるのが初めてで戸惑ってしまう。
自然と逸らした瞳は地面を映すが腕を掴まれている事実は変わらず、頬に熱が集まるのを感じた。
はっきり言って男とはもっと他人に言えないような事も色々している訳だし、接吻などそれこそ飽きる程している。
だから此処まで緊張する事も羞恥を感じる必要も無い筈だと意を決して逸らしていた視線を男へと戻した。
月光に照らし出された男は優しげな笑みを浮かべ、此方を見つめている。


「するから、目、閉じろよ」

「それもそうだな」

「アンタ、……なんか楽しんでるだろう」

「お前が逆の立場ならどう思うかだ」

「…………」

「そもそも先に仕掛けてきたのもお前だろうに。……そんなに恥じらわれると此方も困る」

「恥ずかしがってなどいない!」


男の掌が頬に当てられ、熱を帯びた其処を撫でられる。
他に誰も居ないというのに密やかに交わされる囁き合いが余計に周囲の空気を生温くしてくるようだ。
もうさっさと済ませてしまおうと頬を撫でてくる手を逆に掴み取ると、長い前髪を避けるようにして男の方へ顔を寄せる。
其れと同時に隻眼の瞼を伏せた男を確認してから、自分も瞼を伏せて薄い唇に唇を合わせた。


「……っ……!」


すると不意に腰に手が回され、ぬるりとした舌先が此方の機嫌を窺うかのように唇を舐めあげてくる。
思わぬ攻撃に体が一度ビクつくが、そっと唇を開いて男の舌先を迎え入れると容赦無く中を探られ、ゾクゾクとした痺れを覚えた。
くちゅくちゅという音が頭蓋骨に響き、花火をした所為で未だに周りに残っている火薬の匂いと共に蛇のようなその舌が此方の意識を混濁させていく。
初めはあんなにたどたどしかった口付けも、回数を重ねる度に俺の弱い部分を的確に攻めてくるようになったのは予想外だった。


「ぁ、ふ……」

「……は……」


最後に此方の舌先を甘噛みしてから離れた男が目の前で甘く微笑み、腰に回している腕に力を込めてくるのを感じる。
その力強い腕と笑みに不覚にも荒くなった吐息も隠せないくらいに、胸が高鳴った。
…………この生涯の中で、一体あと何度俺はこの男に感情を乱されるのだろう。
愚かな思考を振り払うように横を向き咳払いをして誤魔化すと、目の前にいる男に声をかけた。


「ほら、約束は守っただろう。早く片づけして、風呂入ろうぜ」

「……七夜」

「ん?」


俺の名を呼ぶ声に顔を上げると今度は男から触れるだけの口付けを落とされる。
直ぐに離れた男を無意識に見つめると、何故か此方から顔を逸らし、腰から腕を離した男が照れている事に気が付いた。
人からされるのは良いが、自分からするのはやはり面映くなるらしい。


「…………自分だって恥ずかしがってるじゃないか」

「……」

「黙るなんて狡い奴だな。……まぁ良いか……」


もうこれ以上責めても互いにもっと気恥ずかしくなるだけだと、男を急かすようにその手を掴んで耳元に顔を近づける。


「……この続きはあとでな」

「!……そうだな」

「ほら、じゃあ早い所片付けようぜ」


此方の言葉に嬉しそうな顔をした男に吹き出してしまいそうになるが、続きを望んでいるのは俺も同じだった。
煽られた熱はこのまま置いておくだけでは引かないくらいには高まっている。
俺と男は互いに何処かそわそわしながら花火の後始末をする為に素早く動き始めた。



-FIN-






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