幸福の形




「ただいま」


未だに慣れていないのか、その帰宅を告げる小さな声に気がつき、読んでいた本に栞を挟んでその声の主が居間として使っているこの部屋に入ってくるのを待った。
そうして暫くすると若干疲れた顔をした七夜が部屋に入ってくる。


「おかえり」

「……ん」


そうお互いに決まりきったような言葉を交わす。
だが、その決まりごとのような台詞を交わすことが、どれ程に大切な事なのかをオレ達は知っているからだ。
そして七夜はオレの脇をすり抜け、洗面台の方へと向かった。少し遠くから水音が聞こえてくる。
そうして部屋着としている薄い水色をした浴衣を身に纏った七夜が居間に戻ってきて、そのまま何時ものようにオレの横に座る。
手には何か紙切れを持っているようだった。


「……それは?」

「あー……これか?」


オレが問いかけると、七夜はその紙切れを此方に渋々といった様子で渡してきた。
その紙切れを受け取り、そこに書かれている文面を読む。


「温泉付き旅館……一泊二日……無料招待券?」

「リーズが秘密だって言ってくれたんだよ」

「秘密……?」


オレはリーズと呼ばれている銀髪の女性の姿を思い出す。
彼女は一緒に暮らしている人々が居たはずで、彼女達にそれを伝えないような人間では無かったように思えたのだが。
そんなオレの心を読んだのか、七夜は説明するように紙切れを指差して呟いた。


「ほら、此処に『二人一組』って書いてあるだろ?」

「あぁ」

「抽選会でたまたま当てたらしいんだけど、『皆で行けなきゃ意味が無い』って」

「……そうか」

「それに、さつき、って分かるだろう?」


その言葉に吸血鬼に堕ちてしまったか弱そうな少女を思い出す。
本来ならばそのような人の血でもって生きるモノと会話をする事も無いのだが、リーズの仲間として紹介されたあの少女は、悪いものでは無いと理解して、それからは親交を深めている。
其処まで考えて、オレは七夜が言わんとしている事を漸く理解した。


「成る程な」

「……うん」


先ほどから思っていたが、七夜の様子が可笑しい。
これは何かを言いたいが、素直になる事が苦手な七夜が何かを言いよどんでいる時の表情だ。
確かに一緒に暮らし始めてから大した月日は経っていないが、別に我が侭を言ったとしても構わないというのに妙に七夜は此方に対して気を使うようになった。
お互いに相手の気持ちを知る前よりもずっと、此方に気を配っている。
別にそんなに気を使わなくても、お前を手放したりしないというのに。
だがその言葉は無理矢理喉元に押し込んだ。
それを言ってしまったら、オレはきっと我慢している己の欲望に忠実な獣になってしまうだろうから。
そんな自分自身の暗い欲望を心の奥に仕舞い込んでから、成るべく優しい声音で声を掛けた。


「どうかしたのか?」

「え?……いや、なんでもない」


七夜の頭に手を乗せ、その煙色の柔らかい髪を梳かすように撫でた。
細く美しい髪が、きらりきらりと靡く。
その目の泳ぎようから、七夜が何を言いたいのか良く分かった。
だからオレはその心を読むように七夜の髪を撫でながら声を掛ける。


「……行くか」

「行くって……」

「たまには温泉に行ってみたいと思っていた所だし、丁度良いだろう」

「…………」


黙りこんでしまった七夜の肩に手を置く。
そうしてもう片方の手に持った紙切れに再び視線を向ける。
有効期限はまだまだ先のようだが、どうせ暇なのだし準備をして来週にでも行けば良いだろう。
そうと決まればすぐさま、頭の中で今後の予定を立て始める。
しかしそんなオレの思考を中断するように横からクイ、と手を引かれた。


「軋間」

「ん?」

「……行く、のか……?」

「行きたくないのか?」

「……行きたい」

「ならば何の問題も無い……だろう?」


そう言って微笑むと、七夜はそれ以上何も言わずに、黙ってその身を此方の肩に擦り寄せた。



□ □ □



電車に揺られる事、約二時間。
降り立った駅は殆ど人がおらず、周りにはまだ自然が残っている。
そこまで遠くに来た訳では無いのに、此処まで景色が違うとつい色々と辺りを見回してしまう。
それは隣に居る七夜も同じようだった。
今日は天気も良く、朝早くから小屋を出てきた為にこの辺りを散策する時間もある。
あの招待券について来ていた旅館の紹介には、旅館の近くにある商店街なども載っていた。
他にも色々と回れるだろう。
未だ周りを見回している七夜の肩に手を乗せる。
すると七夜がそっと此方に振り向いた。
その顔は確かに愉しそうな顔で、オレは此処に来た事が間違いでは無かった事を確信していた。


「行くか」

「あぁ」


流石に外で手を繋ぐのは憚られたので、その髪を一度撫でてから、片手に持った荷物を持ち直してから歩みだした。
暫く手に持った紹介状に載っている地図を片手に進んでいく。
すると少し遠くの方に様々な土産を売っているであろう商店街が見えてきた。
やはりそこも街よりは寂れていて、そんな雰囲気が嫌いではない。
すると七夜がとある一軒の店の前に立ち止まった。
昔ながら、といった看板を掲げた店で、入り口には饅頭などが並んでいる。
そんな品物を見ながら七夜が小さく呟いた。


「食品は明日帰る前に買った方が良いよな?」

「そうだな」

「…………ん?なんだこれ……」


そう言って七夜は店の端の方に置かれていた小物を手に取る。
それは硝子で出来た極彩色の美しいビードロだった。


「ビードロだ……知らないか?」

「ビードロ?」

「この先の部分を口に含んで息を吹き掛けると音が鳴る」

「へぇ……でもこれ、硝子製だろう?」


そう言って七夜はその手に持ったビードロを恐る恐ると言った感じで触れている。
確かにその美しさは脆いもので、オレが触ったらそれこそ本当に壊してしまいそうだ。


「まぁ、置いておくだけでも充分、美しいからな」

「そうだな……」


そう言って七夜はそれを陳列されていた場所に戻そうとする。
オレはその腕を止めるように声を掛けた。


「……買わなくて良いのか?」

「ん?……こんな綺麗なモノ、俺が持ってたって仕方無いだろ」

「…………」


その言葉には確かな寂しさが滲んでいた。
オレはそんな七夜がいたたまれず、ただ黙ってその手からビードロを受け取る。
突飛な行動に七夜は驚いているのか、微かに目を丸くしていた。
だがそんな視線を敢えて無視し、店の中に入っていく。
そうして店の中で暇そうにしていた中年の女性にそれを手渡し、手早く代金を払った。
中年の女性は愛想良く笑ってから、そのビードロを白い紙袋に入れて此方に渡してくれる。
オレはそれに答えるように小さく礼の言葉を囁き、未だ外で此方を覗き込んでいる七夜に手渡した。


「これ……」

「まぁ、なんだ……旅の思い出というやつだな」

「…………」

「それにもう買ってしまったから、返せない」


そう言ってオレは妙に気恥ずかしさと覚え、七夜の顔を見る事無く、ゆっくりと歩んでいく。
すると後ろの方から本当に小さな声が聞こえてきた。


「……大事にする」


その台詞に七夜から見えない位置で小さく笑った。



□ □ □



結局色々な所を回って、旅館に着いたのは夕方近くだった。
そうして随分としっかりとした扉を潜り、靴を脱いで玄関にあがる。
すると直ぐに奥から人がやってきて、その女将らしき人物が話しかけてきた。


「いらっしゃいませ、二名様ですか?」

「あぁ」

「ご予約は……」


それに頷いてから、招待券をその女将に手渡す。
すると女将は券を受け取り、ニコリと微笑んだ。


「お待ちしておりました、軋間様……お荷物お預かり致します」


そう言って女将がその手で荷物を預かろうとしてきたが、大丈夫だと伝えるように オレは首を横に振った。
それを理解したのか女将はこれまた愛想良く笑ってから、階段を上った先にある一番奥の部屋 までオレ達を案内してくれる。
壁には此処の近くの山から見た景色を描いたらしい絵画が掛かっており、その素朴な色使いはこの上品な旅館の雰囲気に良く似合っていた。
女将が先に障子を開け、導いてくれた部屋は景色も美しく、窓の近くにはそれらを眺める為に据えられたのであろう藤編みの椅子が二脚と小さな机が置いてあり、部屋の中心にはそれよりも大きな木造の机と橙色の 柔らかそうな座布団が置かれている。


「朝食は朝の七時、夕食は七時、お風呂は朝の六時から夜の十二時までとなっております」

「……嗚呼」

「お布団は此方でお客様が入浴なさっている最中に敷いておく事も出来ますがどうなさいますか?」

「いや、それは大丈夫だ」

「畏まりました、何か御座いましたら冷蔵庫脇にある内通電話から係の者をお呼び下さい」


それに頷き、感謝の台詞を述べる。
女将はその言葉に対して再度、持て成しの言葉を述べると、するすると障子を閉めて帰っていった。
辺りを再びぐるりと見渡す。
中々に良い部屋で、此処に無償で泊まれるというのは余り無い幸運かもしれない。
気がつけば七夜は疲れているのか、そそくさと座布団の上に座って、外を眺めていた。
オレはそれに倣い、七夜の真向かいに座る。
机の上には茶を入れる為の急須や湯を入れておくための機器、それと幾つかの茶菓子が乗っていたので中にある茶請けの上に反対に置いてある湯飲みをひっくり返し、茶の準備を始めた。
勿論、二人分だ。


「疲れたか?」

「……ちょっとだけな」


そう言って七夜が微かに笑みを浮かべる。
だがその顔は嫌な疲れでは無く、愉しい事をして疲れたという表情で安心した。


「そうだ、先に湯浴みをしておくか?」


手早く茶を入れた湯飲みの片方を七夜に手渡しながらそう囁く。
その湯飲みを礼を言ってから受け取った七夜はぼんやりと呟いた。


「そうだな……食事も七時からだし……」


そういって七夜は壁に掛けられた時計に目をやる。
その視線に釣られる様に時計に目をやると、まだ五時前だった。
少しこの部屋でゆっくりとしてから風呂に入ったとしても、全然余裕がある時間だ。


「じゃあ少しゆっくりしてから向かうとするか」


そう微笑んでからオレは入れたばかりの茶を啜って、小さく吐息を洩らした。



□ □ □



さわさわとした風の音と、それによって揺らされた水の音がする。
ここは露天風呂で有名らしい。
だが、今この風呂にはオレと七夜の二人しか居ない。
実はこの風呂に行く途中で仲居の一人に呼び止められ、良い情報を聞いたのだった。
それは、今の時期は人が殆ど居ないので立て札を立てておけば風呂を貸しきりに出来ると言う事で。
―――それならば当然立て札をかけるしか無いだろう。


「七夜、背中を流してやろうか?」

「え、あ……あぁ」


そう言って髪を洗い終わった七夜に対してそう言う。
やはり何処かしら緊張しているらしい。
それはオレも同じではあったが、逆にそんな身を硬くされると、悪い事をしているような気持ちになってしまう。
こうして一緒に風呂に入るのは七夜にとっては始めての事なのだ。
一応、倒れていた七夜を自分の小屋に連れてきて治療をする前に風呂に入れたのだが、気絶をしていた七夜はそれを知らない。


「痛くは無いか」

「……ん」


石鹸を擦りつけ、泡立てた手ぬぐいを七夜の背中に当てゆっくりと撫でるように洗う。
オレにとっての力加減と、七夜にとっての力加減が同じではない事は良く分かっているのだ。
だからこそ、確認しながら洗っていく。
そして丁度わき腹近くに手をかけた途端、ビクリと七夜の体が跳ねたのが分かった。


「すまない……くすぐったかったか?」

「ちょっと、だけな……そうだ、今度は俺が背中流してやるよ」

「そうか?……でも先に全部洗ってからの方が……」

「!……そう、だよ……な」


そう言ってやると、七夜が慌てたようにオレから手ぬぐいを受け取り自分の体を洗い始めた。
……可愛いな、と内心微笑む。
以前の襲い掛かってきた餓鬼とは思えない反応だ。
そうして、七夜が此処まで何を意識しているのか、それも手に取るように分かる。
正直、心を通わせ一緒に住み始めてから、未だ接吻までしかしていない。
それを七夜が気にしているのは分かっていたし、オレも其の先を求めている。
だが、もしも体を繋げたとして、それが本当に正しい事なのか分からないのだ。


「軋間……?」

「……どうかしたか」

「いや……背中流そうか?」

「あぁ、頼む」


敢えて知らぬ振りをして七夜に背中を向けた。
そして此方にとっては少し弱いくらいの力で七夜が背中を流すのをただ黙って受け入れる。
……本当は、自分が七夜に欲望をぶつけて壊してしまうかもしれない事が恐ろしいのだ。
こんなにも力の差があるのだ、だからこそ、壊してしまう可能性がある事を良く分かっている。


「……こんなもんかな」

「む……すまないな」

「気にする事は無い」


そう言って七夜が桶に湯を張りその湯を背中にかけてくれる。
温かな湯が背中に流れて泡を濯いでいく様は心地よかった。


「……さて、そろそろ湯にでもつかるか」

「そうだな」


漸く、といっては可笑しいが、この為に来たといっても過言では無い温泉にやっと浸かれるのだ。
色々と見て回った為に微かに疲れた体もこれで癒せるだろう。
オレと七夜は石鹸や手ぬぐいなど使った物を一旦綺麗にして、洗い場に置いてから透明な湯を湛えた巨大な湯船に体をつけた。
互いに吐息を洩らしてしまうがそれは仕方の無い事だろう。
ふと上を見上げれば美しい月がその身を惜しげもなく晒している。


「……綺麗な月だな……」

「……ん……?」


同意を求める為に、横に振り向くとしっとりとその肌を濡らした七夜と目が合う。
途端にドクリ、と血の巡りが良くなったのが分かった。
敢えて、先ほどまで視線を成るべく向けないようにしていたのに、今は直ぐ近くに七夜が居る。
そんな事を考えていると、ふいに湯の中にある指先に何かが触れる感覚がした。


「…………」

「…………」

「……なな、や……」

「…………」


黙ったまま、互いに見詰め合う。
潤んだ灰色の瞳に、微かに上気した頬。
その唇が何を言いよどんでいるのかなど、言われずとも分かった。
オレはそっと触れ合っていない方の手を湯船から取り出し、その頬に触れる。
薄紅色の唇が、僅かに吐息を洩らした。
その色に誘われるようにそこに口付ける。
ふくふくとした柔らかい唇の上を舌で一度舐めてから、その奥に舌先を差し入れた。
今まで接吻をした事はあっても、自分を抑えきれない気がして深い口付けはした事が無かったのだ。


「……ん……」


ぱちゃり、と水音が響く。
そんな中でも耳元で良く聞こえる七夜の鼻に掛かった声が堪らなく愛しい。
たどたどしく差し出される舌を絡めとり、そうしてじゅる、と吸い上げる。
その感覚が心地良いのか、七夜の体が小刻みに震えた。


「………ッあ……」


もっと触れ合う面積を増やしたいと願い、合わせた唇を一瞬、離してから七夜を膝上に乗せる。
そして再び奪うような接吻を七夜に求めた。
肩に回った七夜の腕が、縋るようにオレの背に爪を立てる。
薄く目を開け、七夜の姿を見遣れば、目を伏せて快楽に耐えているかのような姿。
―――本当に、駄目だこれ以上は。
オレは名残惜しいのを隠すことも無く、ゆっくりと七夜の口腔から舌を抜き、その口端に残る接吻の後を優しく舐め上げてやった。
七夜は荒い吐息を洩らしながら、こちらに抱きついてくる。
そのしっとりとした肌を感じながら、濡れた髪に指を差し入れ、撫でる。


「……きしま」


暫く、その濡れた感触を愉しんでいると、不意に七夜が俺の名を呼び、体を微かにオレから離す。
その声は、強請るような響きが多量に含まれていて、その甘い響きに自分の我慢の糸が解けそうになるのを必死で抑える。
そうして俺は、そっと七夜の方に視線を向けた。


「…………」

「…………」


黙ったまま、オレは艶々とした瞳を見つめ続ける。
このまま此処で欲しいといったなら、七夜はどんな反応をするのだろう。
そんな空想を真実にしてみたいと願いながらも、その空想を振り払い、赤みを帯びている七夜の頬に手を当て撫で擦った。


「……七夜、……そろそろあがるか?」

「…………あぁ……」


そう囁けば、七夜の腕が離れそうになる。
だが、オレはそんな七夜を留めるようにその体を引き寄せ、抱き上げてみる。
バシャリ、と水音が辺りに響いて、七夜の息を呑む声が間近に聞こえた。


「ちょ、っと!……軋間!?」

「誰も居ないから良いだろう?」

「そういう問題じゃない……だろ……」


その声に気がつかない振りをしながら、オレは途中手ぬぐいを拾い、そしてさっさと脱衣所へと扉を開いた。



□ □ □



「乾杯」


陶器と陶器がぶつかり合い、軽やかな音を立てる。
結局オレ達が風呂からあがり、旅館の薄い浴衣に袖を通し部屋に戻ったのは六時半を僅かに過ぎた頃だった。
先ほどの事を意識していたのか、七夜は暫く俺から離れて窓の外の景色を眺めていたが夕餉が運ばれてくると何事も無かったかのように微笑んでオレの前に座り、杯に酌をしてくれた。
なので此方も七夜の杯に酌をして、先の合図をしてから二人だけの宴を始めたのだった。


「この酒は美味いな……」

「……あぁ」


思わずそう洩らすと、七夜はそれに答えるように呟いた。
そうして二人で目の前にある色とりどりの料理に箸を付けていく。
桜鯛の酒蒸しに、旬の野菜を使った天麩羅、さらには活蟹の姿造りとかなり豪勢な食事が並んでいて暫くオレ達は無言でそれらの料理に舌鼓を打った。


「……ふう」


大体の皿が空になり、七夜が満足げなため息を洩らした頃、そっと自分の杯を傾ける。
オレも良い料理に良い酒と、かなり満足する事が出来た。
其の上、目の前には酔いが回ってきているのか、幸せそうに微笑む七夜も居る。
……たまらない、と内心その姿に興奮を覚えた自分を理解する。
酔っているのもあるのだろうが、先ほどの接吻を思い出してしまったのだ。


「……軋間?」

「……ん?」

「どうかしたのか……?」

「いや、なんでもないぞ……何かあるように見えたか?」


そう不敵に笑って見せれば、七夜の顔が微かに赤らむ。
甘い雰囲気に辺りが包まれた頃、不意に障子の外から声が聞こえてきて、たちどころにその空気は掻き消されてしまった。
その声に答えると、そうして若い仲居と、柔和そうな顔の仲居の二人組みがそそくさと食べ終わった皿を手早く片付け、挨拶をして出て行ってしまう。
流石に慣れているのかあっという間に彼女達は出て行ったものの、やはり気まずいのだろう、七夜が困ったような顔をしていた。
この状況を変える為にオレはそんな七夜に視線を送った後、立ち上がり、窓の近くにある椅子の一つに座る。
すると此方の意思を理解したのか七夜がもう片方の椅子に座った。


「…………」

「…………」


黙ったまま視線を絡めあう。
けれど七夜はその視線を外して、窓の外に視線を逸らしてしまった。
その視線に誘われるように外を眺める。
群青の空に三日月、そうして揺れる木々に、遠くに見える灯り。
何時もの窓から見える景色とは違うが、自然に溢れた風景。
和風の旅館によく似合う。
そっと横に視線を向けると、月の光に映し出された七夜の横顔が見えた。


「……美しいな」


風呂の時にも感じた、その感情。今度は声に出さずにはいられなかった。
そんな俺の呟きに七夜が薄く笑って、あぁ、と囁いた。
しかしその答えが意味している事は、やはりオレの考えている事と違うのだろう。
だが敢えてそれは言わない。
言ったならその美しい横顔を眺めていられる時間が短くなってしまうだろうから。
暫くその横顔を眺めていると、不意に七夜が此方に振り向く。


「……あんまり、ジロジロ見るなよ……」

「……嫌だったか?」

「…………」


黙り込んでしまった七夜に対して、小さな机越しに手を伸ばす。
滑らかな肌が掌に触れて、それだけで口元が緩みそうになる。


「……七夜……」

「…………」


黙ったままの七夜が掌に頬をまるで猫か何かのように摺り寄せてくる。
愛らしい、そう思ったオレは一度頬に当てていた手を外し、机を少し退けてから、両手を広げて七夜が来るのを待った。
そんな行動に七夜は面食らったのか、暫し視線を泳がせていたが、やがて椅子から立ち上がりオレの膝の上に座る。
向き直るには椅子の大きさが充分では無いので、後ろから七夜の腰を抱く。
そうして七夜のうなじに鼻を摺り寄せ、その首筋に残る石鹸の香りを吸い込んだ。
ビクリと抱きしめている七夜の体が震えるのが良く分かる。
その反応が可愛らしくて、オレはその首筋を微かに食んでみた。


「……ぁっ、……きし……ま……」


ちゅ、と跡の残らぬ程度に吸い上げ離れる。
すると困ったような表情をした七夜が振り向いて囁いた。


「今日、……どうしたんだよ……」

「……変だと思うか」

「変っていうか……」


焦れてるのが良く分かる、そうからかうように言われて苦笑を浮かべるしか出来なかった。



□ □ □



結局あの後、ひたすら七夜の体を検分するように抱きしめたまま、時を過ごした。
そうしてそんなオレに痺れを切らしたのか、そろそろ布団を敷こうという話になって迷う事無く一組の布団を取り出し床に敷いたのだった。
オレの迷いの無い行動に、七夜は何かしら言いたそうな顔をしていたが何も言わないまま。
その後、明日の準備や寝る前の準備を行ってから、先に七夜を布団に寝かせ、声をかける。


「……電気を消して良いか」

「……うん」


その声を聞き、オレは部屋の電気を消す。
だが全ての電気を消すわけでは無く、段階調節が出来るものだったので、一番小さな灯りは灯したままにした。
敢えてこのようにしたオレの考えを理解出来たらしく、布団を捲ると、潤んだ瞳をした七夜と目が合った。


「…………」

「…………」


互いに黙り込み、布団の中で見詰め合う。
いざ、このようにお互いの気持ちがかみ合ったというのに、今まで我慢していた所為か中々上手く事を始める事が出来ない。
風呂の時は、風呂の温度と相手の肌に逆上せたという言い訳が出来たが今度はそうはいかないのだ。
……違う、あの時は七夜から仕掛けてくれたのだから、今も仕掛けて欲しいと願っている。
そしてあの時、求めてくれた七夜を再び見たいと思っている。
嗚呼、でも、焦れている自分がいるのも分かる。
これでは我慢比べのようではないか。
結局、こちらを見つめている七夜の頬に手を伸ばし、軽く撫でる。
それに答えるように目を伏せた七夜に遂にその体の上に覆いかぶさった。


「……良いか……?」


答えなど分かっていて、それでも確認の為に問いかける。
頷いた七夜の髪が薄ぼんやりとした部屋の中でも布団の上で揺れるのが分かった。
オレは手探りで七夜の浴衣の袷に手を差し入れ、首筋にそっと触れる。
そうしてそのまま手をゆっくりと下ろし、滑らかな胸板を擦っていく。
それだけで、俺と七夜の吐息が荒くなるのが分かった。
両手で浴衣の前を開くようにしてから、片手を離し、七夜の頭の横に肘を着く。
間近に迫る七夜の赤く染まった顔に微かに含み笑いを浮かべながら口付ける。
何度も薄くも柔らかな唇に唇を合わせ、次第にその動きは自分でも抑えようとしているのにも関わらず激しさを増していく。


「……ん、ん……ッ……」

「……っ……」

「ん……む……、……」


執拗に七夜の口腔を掻き混ぜ、舌を探り、それを絡め取る。
互いに求めていて、それに答えてくれているというその真実が何処までもオレの欲を駆り立てるのだ。
そして下にいた七夜が苦しげな声を洩らし始めたので、一度離れた。
離れたのを惜しむように透明な橋が二人を繋ぎ、そうして崩れる。
今の接吻が心地よかったのか、恍惚とした表情をしている七夜は妙に淫靡に見えて、オレは離れてそこまで経っていないというのに再び口付けを始めてしまう。
だが、もう片方の手で七夜の浴衣の帯を緩めに掛かった。
しゅるりと衣擦れの音を聞きながら、帯を緩める。
再び名残惜しげに離れた後、今度は七夜の首筋に口付け、跡を残す。
赤い跡が白い肌に花のように咲き誇る様は、酷く俺の征服欲を満たしてくれた。


「…………七夜」

「……きし……ま……」

「可愛いな、……七夜……」

「……ん……」


そのまま舌で鎖骨を撫で、ぷくりと立ち上がった胸の飾りをねっとりと舐め上げる。
すると七夜がビクリと震えたので、さらに追い討ちをかけるように腰の下に手を差し入れ撓る七夜の体を引き寄せてさらに舐めた。
その舌先から逃れるようと七夜が身を捩るが、それでもオレはその体を離す事無くさらに追い詰めるように小さな蕾を口に含んで吸い上げたり、舐ったりともっと七夜の反応を引き出そうと苛めてみる。


「あっ……ぅ……なんで、そこばっか……」

「…………」

「っ……きし、ま……きしま……!」

「……なんだ」


オレは不意にその声に顔をあげ、薄く笑ってみせる。
すると七夜の顔がさらに赤みを増した気がした。
だが震える声で七夜が小さく囁く。


「……電気……」

「……電気がどうした……?」

「、……全部消して……くれ……」

「…………」

「なぁ……」


その懇願するような声に迷ったような顔をしてみせるが、答えなど決まっているのだ。
オレは七夜に優しいと思われているが、そうでありたいと願っているだけで本質は鬼に過ぎない。
それは七夜もよく分かっているだろうに、と内心笑った。


「……俺はお前の顔が見れなくなるのは嫌なのだが……」

「…………」

「……お前が本当に嫌なら仕方が無いな」


そう言って小さくため息を吐き、立ち上がろうとする。
だが、布団から離れる前に七夜の震える指先がオレの浴衣の端を掴んで引き止めた。


「やっぱり……そこまで……嫌じゃ、ない……から」

「…………そうか」


その言葉に微笑んでから、いじらしく可愛らしい七夜の上に再び覆いかぶさったのだった。



□ □ □



「……腰は平気か」

「大丈夫だって……それ、何回目だよ」


ぱしゃ、と水音を立てて横に来た七夜は笑う。
その体には幾つもの情痕が残り、先ほどまでの乱れた七夜の姿を思い出させた。
今は早朝で、昨晩のようにやはり人が来る気配も無く、安心して二人風呂に浸かる事が出来る。


「少し無理をさせてしまったからな」


そう言って七夜の髪を撫で擦ると、七夜が苦笑してからオレの唇に軽く口付けてくる。
それに答えるように前髪を掻き揚げ、額に口付けた。
やはり七夜は疲れているのか、オレが口付けた後、体を此方に凭れ掛けてくる。
その体を支えるように後ろに手を回し、七夜の腕を擦った。


「……そうだ、」

「どうした?」

「……何時に此処出るんだ?……土産買ってないだろう」

「そうだったな……」


七夜の背に回していない方の手を湯船から出し、顎に添える。
そこでふと、思いつき、隣でくたりとしている七夜の耳元に近づき低く囁く。


「……どうせだったら、もう一泊していくか」

「……本気にするぞ」


そう二人して冗談を言い合い、互いに笑いあう。
遠くのほうでは朝を喜ぶ小鳥の声が聞こえてきて、どうしようもないくらいの幸福というものが 具現化したならばきっとこのような事をいうのだろうと柄にも無く思った。



-FIN-






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