「七夜、何か欲しいものは無いのか？」
そう二人で布団の中に納まっている時に男が囁く。
触れ合う体温に、体に回された腕。
薄暗い部屋の中でさえ優しい光を放つ男の瞳は、俺にとって何よりも安心できる物だ。
だから俺はその広い胸に顔を摺り寄せ、其処にある脈を夢想する。
実際には其処に浴衣を着ているものだから聞こえる筈も無いのに、まるで自分の中から聞こえてくる
かのようにその音は鮮明だった。
これは男と俺が血や、その心で、繋がっているからだろうか。
……なんて、こんな気恥ずかしいものを欠片でも信じるようになった俺は、きっと変わったのだろう。
「……なんで急に？」
「…………忘れたのか」
その言葉に俺は首を傾げ、男と目を合わせる。
男は困ったように薄く笑った後、まるで言い聞かせるように囁いた。
「……明日はお前の誕生日だろう」
「…………そうだったっけ……」
「……お前は去年も忘れていたな」
そう言われて始めて気がついたのは俺も阿呆だとは思うが、男のそんな呆れたような声音に思わず
ムッとしてしまう。
大体、俺にとって生まれた日など関係が無いのだから。そもそも誕生日などという物があるのかさえ
分からない。
ただ、男はそんな俺に対して諭すように言葉を紡ぐ。
何時もと全く同じように、其処には甘さと優しさばかりを内包して。
「……別に、忘れてたって……」
「……お前が生まれた事を大切に思いたいんだ、オレが」
「…………」
「……だからお前にも自分が生まれた日を、事を、大切に思って欲しい」
そう言われてしまったら、後に残るのは赤い顔をした俺と、幸せそうに笑っている男しか残らない。
自分の生も、使命も、何一つ美しいとは思えない俺にとって男の言葉はまるで全てを許す天の言葉に
さえ聞こえてしまう。
この体を構築する全てが醜く、そこに詰まった感情の殆どが濁っている俺を、男が『大切』だと言ってくれる。
それが俺にとってどれ程の価値なのかを男は知らない。
真っ赤な血の海に溺れ、地獄の中から這い上がり、そうして汚れたこの体を男が求めてくれる。
その事実が俺にとって、泣きたくなるくらいに心震わせるものなのだと男は知らない。
俺はじわりと込み上がってきたものを表に出さないように男の浴衣を握り、自分でも素直では無いと
感じる台詞を吐く。
「じゃあ、俺にも祝わせてくれよ」
「……？」
「お前に誕生日は無いんだろう？」
「……そうだな」
男は自分の生まれた日を知らない。
それは幻として生み出された俺よりももっと、寂しいものだろうなと思う。
だから俺は在り得ないと分かりつつも、今から自分のつく嘘が本当になれば良いと願い、言葉を
紡ぐ。
「……だから、俺と、お前の誕生日にしよう」
「…………」
「この日が来たら、お互いにお互いを祝えば良い」
「…………」
「お前が言うように、俺だって……アンタが生まれてくれた事に感謝できる日が欲しいんだよ」
最後は聞き取りにくいだろう声量でそう囁く。
いざ自分で考え付いた事を目の前の男に伝えるのはやはり恥ずかしさを伴うのだ。
だが男はそんな戯言を吐いた俺を笑う事もせず、ただ黙って強く此方を抱きしめた。
男の顔が見られないのは嫌だが、それよりも己の赤く染まってしまった顔をマジマジと見つめられなかった
事に安心する。
あぁ、でも、こんなに近く強く抱きしめられていたらきっと鼓動が伝わってしまう。
だって俺には男の高鳴った鼓動が痛いくらいに分かるのだから。
「…………」
「……軋間」
「……なんだ」
「……欲しいもの、言った方が良いのか」
「そうだな」
男の腕の力が弱まる。そうして肩にあった男の顔が俺の耳元にまでずれた。
お互い分かっているのに言うのは確認の意味もある。
けれど言うことでもっと強固なものにしたいのだ。
今だけではない、もっとずっと先の未来まで、男が俺を大切だと思えるように。
そうして俺が男を大切だと思い続けられるように。
「……ずっと、……」
「……ずっと？」
「……アンタが傍にいてくれる、その権利が欲しい」
「……」
「…………叶えて、くれるか」
おずおずと、自分の中にある感情を吐き出す。
そうして男は流れるような動作で布団の中にある俺の右手を掬い取り、口元にまで持っていく。
そのまま俺の見ている前で手の甲にそっと口付けを落とした。
それだけで男の答えなど、手に取るように分かった。
俺はお返しに、と男の首元に顔を寄せ、その筋の浮き上がった首に一つ口付けを落としたのだった。
-FIN-
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