「……っぐ」
「……もう仕舞いか」
目の前の餓鬼がオレの拳により倒れ伏せる。
随分としぶとく此方に襲い掛かってきてはいたが、流石に今の一発は効いたのだろう。
草むらの中で餓鬼は腹を押さえまるで猫のように丸まっていた。
オレはゆっくりとその餓鬼の傍に近寄り、その姿を見下ろす。
「…………」
餓鬼は虚ろな眼で此方を見上げてくる。
その手にはしっかりと刃を持ってはいるが、もはや体が動かないのだろう。
その精神力は認めるが、やはり及ばない。
オレは知らず知らずの内に呟いていた。
「才能は父を超えようが、心技未だ至らず。……失望させてくれたな、七夜」
「……ッ……」
それを黙って聞いていた七夜が酷く傷ついた表情をしたものだから、瞬間的に自分の言葉に後悔する。
だがすぐさまオレは飛んできた殺気に対して避ける事に専念せざるおえなかった。
しかし少し意識を別のところに飛ばしていた所為か、喉を狙って投擲された刃に頬と髪を僅かに切られてしまう。
はらはらと何本かの髪が散る。
そうして刃を投げてきた本人を見遣ると、不敵な笑みを浮かべながら此方を見ていた。
……なるほど、才能だけでは無く、精神力も中々にあるという事か。
オレはそのままゆっくりとしゃがみ込み、もはや此方への対抗策を持たない餓鬼に対し
手を伸ばす。
「随分と……馬鹿にしてくれたな……」
「……あぁ」
「倒れてるからって……ナイフを持っている奴に対して警戒心を抱かないなんて」
「……そうだな、……謝罪しよう」
「…………」
そう囁いて首筋に手を当てると七夜が困ったような顔をする。
オレが謝った事がそんなに驚くような事だったのだろうか。
しかしそのままオレがゆっくりと手に力を入れていくと、抵抗も無く七夜の瞼が伏せられる。
そうしてそのまま優しく締め上げると、がく、と七夜の体が力を失った。
だがオレはそのまま締め上げるわけでは無く、気を失ったのを確認してからそっとその手を離し、その体を抱え上げる。
そうして意外と軽い体を抱きしめてから、先ほど飛んでいった刃を探さなくてはならないという事に気がつく。
暫しうろついていると草むらに突き刺さった刃の柄を見つけてそれを引き抜き刃を仕舞ってから
、同じように草むらに置いておいた上着のポケットに仕舞いこむ。
上着を着ようかとも思ったが、片手に七夜を抱いている事もあり、仕方なく自分の肩に引っ掛けてから自身の小屋へと向かう道を歩み始めた。
―――少し月が沈み始めている。早くしなければならないだろう。
□ □ □
そんな事を考えていたのが昨日の出来事で、今はもう夜になってしまった。
一通りの治療を済ませ、餓鬼を自分の布団に寝かしつけたのが昨日の早朝だったのだが、未だ懇々と七夜は眠り続けている。
このまま七夜は目覚めないのだろうか。しかし、此処まで連れて来たのはオレの意思だ。
目覚めなくても、目覚めるまで待つのが道理というものだろう。
そんな事を考えながら眠っている七夜を見つめていると、不意に七夜の睫毛が震える。
そのまま見ていると目を開けた子供が、こちらに焦点を合わせ、そうして小さく言葉を呟く。
「……え」
「目が覚めたのか」
「…………」
「…………」
「……何の、つもりだよ」
状況を理解する事が出来たのか七夜が苛立ったように掠れた声で呟く。
別に感謝されるとは端から思ってはいなかったのだが、此処まで嫌がられるとは。
やはりオレの主張を押し付けた事は悪いとは思っているが、それでも今回は謝る気には
ならなかった。
「……七夜」
「…………」
「とりあえず、……」
「…………」
「怪我はどうだ?痛むか」
黙り込んでしまった七夜を気遣うように声をかけたのだが、逆に苛立ちを助長させるだけだったのか
七夜が此方を睨んでくる。
そうしてそのままいきなり此方に飛び掛ってくるものだから、オレは思わずそれを抱きとめていた。
正座をしていた状態だったのだが、片手を後ろにつく事で耐えると、目の前に居る七夜と視線をあわせる。
オレの上を取れなかった事が不満なのか七夜は相変わらずその不満げな顔を崩さなかったが、不意にその唇を開き物騒な事を言う。
「……そうやって余裕こいてると、寝首を掻かれるぞ?」
「別に余裕を出しているわけではない」
「じゃあなんだよ。まさか俺に正常な思考を求めてるならお門違いだ」
「それも違うな」
「…………」
じゃあ何だ、と瞳で訴えかけてくる七夜に対し、オレは暫し考えてから呟く。
「オレがお前と再戦を望むようにお前も望むと思うからだ」
「…………」
「…………」
「だってアンタ、俺の事……興味なくしたんだろ」
「……いや?寧ろ興味が沸いた。……ただし」
「……ただし?」
「今のお前ではダメだ」
そうはっきりと言い放つと七夜の瞳が動揺に揺れ動いた。
そのまま見つめていると先に七夜の視線が逸らされる。
オレの浴衣を着ている所為か袷から覗く白い包帯が痛々しい。
オレが鍛えなおしてやるなんていう大口を叩くつもりはないが、こうでも言わなければ
納得しないのだろう。
「…………」
「理解出来たか」
「分からないよ。……そんな事」
「……そうか」
「…………じゃあ、せめて拘束くらいはしろ」
「……は」
何を言っているのか理解出来ずに、呆けた声を出してしまう。
だが七夜はもう一度教え込むように此方に向かって囁く。
「……だから、せめて……」
「……いや……」
「……一応、捕まってるって事になってた方が、俺としてはマシなんだよ」
「…………」
「俺にも矜持ってものがあるわけだし……分かるだろ」
そこまで自身を追い詰める必要があるのかは分からないが、七夜が言いたい事も
分からなくは無い。
しかしオレにどうしろというのか。
そっとその顔を見つめていると、七夜が辺りを見回しつつ、両手を前に出してくる。
「……」
「縄くらいあるんだろ」
「……まぁ」
「取って来い」
「……」
どうしてこんな事になってしまったのだろうか。
そんな事を思いながら、オレはそっと膝上に居る七夜を下ろしてから縄を探しに行った。
□ □ □
「痛まないのか」
「んー?別に」
結局両手と両足を縛られた状態のまま隣で壁に背を凭れ掛けさせている七夜に声をかける。
一応手加減はしてある筈なのだが、荒縄で結んでいる為に痛くないわけはないだろう。
それで何度か声をかけてはいるものの、一向に気にした様子も無く七夜は壁に凭れ掛かりながら半ば眠っている。
オレはそんな七夜を気にかけつつも、途中まで読んでいた本の続きを読み始める。
もう少し違和感などがあるかとも思ったが、まるで七夜が此処に居るのが当然の事のようにこの空間に馴染んでいて、それが少し不思議だった。
長い間一人でずっと生きてきたものだから、誰かと同じ空間に居るのはあまり得意では無い筈だったのだが。
「…………?」
暫し黙ったままでいると肩に軽いものが乗ってくるのが分かってそっと視線のみで隣を見遣ると七夜が此方に凭れ掛かってきていた。
これは本当に眠っているのだろうか。そうだとしたら先ほどの台詞からは考えられない事なのだが。
「…………ん」
ふと目を開けた七夜と目が合う。
そのままゆるりと口元に弧を描いた七夜がそのまま甘く囁く。
そしてこの部屋にある蝋燭と小さな電球の灯りが妖しくその顔を照らし出した。
「……呆けた顔してると、首筋に噛み付くぞ?」
「お前も寝ていただろう」
「まぁな。自分でもビックリしてるんだ……一瞬でも眠りこけそうになるなんてさ」
「……疲れているのだろう」
「そうかもな」
「…………」
「でも、噛み付けるくらいの元気はあるさ」
そう言ってまるで猫のように頭を首筋に擦り付けてきた七夜がぺろりとそこを一舐めする。
何を考えているのか分かりにくい餓鬼だ。
だがこれくらい度胸がある方がオレとしては好ましく思える。
だからこそ、此処に連れてきたのだ。
このままこの存在を失くすのは余りに惜しい。
そうして、オレの傍に置いてみる事でこの餓鬼がどのように変わっていくのか、それを見てみたくなった。
「別に噛み付いても構わないが、お前の歯が折れるぞ」
「……」
「それは嫌だろう?」
「む……」
「…………ふ」
「……何笑ってんだよ」
そう言う七夜の顔は先ほどの顔とは違って、その年らしい子供らしい顔をしていた。
このような顔も見せるのか、と少し意外に思う自分に気がつく。
だからこそ、その両手足に巻きつく荒縄が不自然だ。
しかし七夜はそれを外すのを嫌がるのだろう。
一体どうしたらこの餓鬼が素直にオレの傍にいるのを容認するだろうか。
そんな事を考えながら、そろそろ風呂の時間であることを思い出し、七夜を
抱き上げようとする。
すると芋虫のようになっている七夜が嫌々と体を動かして抵抗してくる。
「なんだよ!」
「風呂の時間だ」
「風呂って……」
「先ほど沸かしたからそろそろ丁度良い温度の筈だ」
「だからってなんで……」
「それで風呂に入るつもりなのか」
完全に七夜を肩に担いでから、その手に巻きついているものに対し笑って教えてやる。
すると七夜が一瞬黙り込んでから、いきなり話しだす。
半ば苛立っているような、それでいて、懇願するかのような声音だ。
「ふ、風呂に入る時だけ外せば良いだろ」
「……」
「それに一人で入れるし、はいらなくったって……」
「まぁ、なんだ」
「……」
「何時寝首を掻かれるか分からんからな……大人しくしておけ」
「……ちょ、軋間……!」
ぎゃあぎゃあと騒いでいる七夜を尻目にオレはさっさと風呂へとその体を
担いで向かった。
□ □ □
「だから言っただろう」
「……別に問題ない」
「……」
「……」
結局、風呂の中で縄を解いたのだが、案の定くっきりと荒縄の痕が残ってしまっていた。
其の上圧迫されていたからか血色も良くない。
だから止めておけといったのに、言う事を聞かないからだ。
そんな事を思いながら七夜の体の包帯を巻きなおしてから、手首の怪我の具合を見る。
赤くこすれてしまっている部分は軟膏を塗って、包帯でも巻いておいてやれば良いだろう。
それを判断してから木箱から包帯と軟膏を取り出す。
その様子を見ていた藍色の浴衣を着ている七夜は、酷く拗ねたような顔をしてオレに手を取られていた。
どうすればこの子供の機嫌を取れるのか、面倒だと思いながらも何処か面白がっている自分がいるのも確かだ。
「……全く」
「…………」
「そんなに此処に居るのは嫌か……?」
「…………」
「……理由が欲しいのか」
「…………」
そのまま取った指先を掴み、手首まで這い上がる。
それに対して七夜がビクリ、と体を震わせて此方を見上げてきた。
……そのような顔もするのか。なかなか良い表情をする。
そんな事を思いながらも、そのまま何事もなかったかのようにその傷口に軟膏を塗りつけた。
「……」
「……」
そうして包帯を成るべくきつくならないように巻いていく。
それを両手首終えると、今度は足を治療する為に足を出させる。
両手首同様に其処には赤い痣が出来ており、痛々しかった。
「……痛むか」
「だから大丈夫だって……」
「……お前の言葉は時に信用ならない」
「……」
「自身の体について労わらなさすぎる」
「……っふ……」
「?」
そう自分なりに真剣に言うとそれに反応して七夜が急に笑う。
オレは足首の治療をしながらその様子を伺っていると、耐え切れないといわんばかりに
さらに七夜の笑いが深くなった。
そうしてその笑いを隠す事無く七夜が囁く。
「……変な事言うのな」
「……そうか?」
「そうだよ、だって俺はアンタの事何時殺そうとするか分からないんだぞ」
「そうだな」
「…………」
「……うん」
そんな会話の中、オレは七夜の足首の傷を治療する。
そうして四肢に包帯を巻かれた七夜は申し訳無さそうに此方を見遣ってきたので、オレは逡巡した後に、急にあることを思いついた。
「少し待っていろ」
「え?あぁ」
そう言って七夜を待たせてから、オレはある物を探しに襖を開け、寝室にある箪笥の近くに寄る。
そうして一番小さな棚の中からこの間買い物をした際についてきた赤い紐を見つけてそれを手に取った。
大して良いものではないだろうが、長さも充分あるし、荒縄よりもマシだろう。
オレはそれを持ったまま再び開いた襖の隙間を抜け、七夜の元へと戻り、その傍に座り込む。
「なんだそれ」
「左手を出せ、七夜」
「……?」
不思議そうな顔をしていたが、大人しく七夜が左手を出したのを見て、その手首に緩く紐を二度巻きつけ、其の上に蝶々をつくる。
拘束には全く持って無意味だが、これでも意味にはなるだろう……そんな思いを込めて。
そうして首を傾げてそれを見ている七夜に対して、オレは久しぶりに聞くような柔らかな声音で囁いていた。
「此れをしている間はオレに捕まっているという証拠だ」
「……」
「それを外すのも着けているのもお前に任せる」
「……」
「ただオレから外す事は無いし、もし外しても、絶対に出て行く必要は無い」
「……なんだよそれ」
「こうでもしないとお前は納得しないのだろう?」
「…………」
「…………」
暫しの沈黙の後、そっとオレの手に触れてくるのでそのままにさせていると、
ぽつりと七夜が呟いた。
「言ってる事、滅茶苦茶だぞ」
「そうだな」
「でも……まぁ、……暫くは世話になる、……かな」
「あぁ」
くすくすと笑いながらも紐を見ている七夜に対し、手を伸ばす。
先ほど乾かした柔らかな髪の毛が指に絡むのが妙に心地よかった。
子供を連れてきたのは気まぐれではあったが、意外とこの子供と過ごす日々は悪くないのだろう。
とりあえずの目標は子供の怪我を治した後、再度戦う事としておこう。
そうして其の後はリボン無しでも子供が此処に居るようになれば尚良いだろう。
―――全く、こんな風になるとは誰が予想しただろうか。
まさか鬼であるオレが最大の敵である七夜に対して一目惚れらしきものを覚えてしまうとは。
しかしそれほどにオレの命を倒れてまで狙ってきたあの七夜の鮮烈なまでの殺意と意識に心奪われてしまったのだ。
しかも、少し近くに居ただけなのに思ったよりも可愛らしい反応を示してくれるものだから尚更興味が沸いてしまった。
これからどのような生活が待っているのか、そんな思いをひっそりと抱えながらオレは七夜に向かって薄く微笑んだ。
-FIN-
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