ルペルカリア・1




今日はバレンタインと言って好いている相手に何か贈り物をする日らしい。
しかし俺には男の好きな物が何か分からないのだ。
恋人として付き合うという関係になって日が浅いのもあるが、それにしたって男の思考は良く分からない。
酒が好きだとも言っていたが、流石に俺には高い酒など買う余力も無いし、かといってチョコレート を贈った所で男は喜びそうに無い。
訥々と男に喜んでもらえるものは無いものかと考えを巡らせてはいたのだが、結局あっという間に 時間は流れ当日の朝になってしまった。
これではもう男に黙って街に降り、何かを買ってくる事も出来ない。


「……はぁ」


折角日々の思いを伝えるチャンスだったというのに。
そんな事を思いながらため息を吐く。
今は男に何時もと違うのだとばれないように眠った振りをして布団の中に横たわってはいるものの、 全く持って眠気など起きやしない。
本当にどうしたものか。
こんなにも俺を悩ませる原因である男は何時ものように朝早くから修行と称して森に行ってしまっている。
たまに着いていく事もあるのだが、冷たい湖の中に入ったり、常人には到底耐えられないような修行を しているものだから本当に気が向いた時だけしか付き合わなくなってしまった。
しかし男はそれに対して気にしていないらしく、それがまた男と一緒に居て気が楽な理由なのだと感じる。
……こんな風に思うということはやはり俺は男に対して恋慕の情を抱いているという事だ。
そうでなければこんな風に誰かに対してこのような思いを抱くわけが無いのだから。


「……やっぱりそうだよな」


一人温かな布団の中で囁く。
自分の思いは理解しているつもりだし、男の思いも分かっているつもりだ。
だけれどどうしても素直になれずにずるずると此処に居座っているような形になってしまっている 自分が居て、それがどうしても嫌で仕方ない。
夜寝る前は寝ぼけた振りをして男の腕に抱かれるのも平気だというのに、昼間の時間だとどうしても 己の矜持が邪魔をして男に辛く当たってしまっているような気がするのだ。
男が優しすぎるから、俺はどうしてもその甘さに付け込んでしまう。
もっと怒ってくれても良いのに、男は俺が素直になれない事をすべて知っているから優しく微笑んで 全て受け入れてしまう。


(…………別に怒って欲しいわけじゃないけど)


そこまで考えて男が怒っている姿を想像してみると酷く恐ろしかったのでそう内心呟いてみる。
別に怒って欲しいわけではない。男に何かして欲しいわけではないのだ。
寧ろこれは俺の問題で、そろそろ自分の心と向き合う努力をしなければならない時期に来ているのだと いうだけの事だ。


「…………はぁ」


先ほどよりも長く深いため息をついてから俺は男が森から戻ってくるまでもう少し睡眠を取るべき だと思い、眠くも無い頭を無理矢理眠らせようと目を伏せた。



□ □ □



「どうした」

「別に」

「……それなら良いが」


あの後暫くして帰ってきた男に起こされ、男の作った朝食兼昼食を食す。
無論それは何時ものように美味であったが、どうしても俺は素直になれずにそんな言葉ばかりを吐いてしまうのだ。
どうして男に対してだけこうなのだろう。
今までこんな風に誰かに素直になれない事など無かった筈なのに。


「七夜」

「……っ」

「あまり、無理はするなよ」


そう言って横に座っていた男が此方に手を伸ばしてきたのに驚いて身を引いてしまう。
すると男が少し寂しそうな顔をしてその手を握りこんでから優しく囁いた。
違う、と上手く言葉に乗せられなくて。


「……七……夜?」

「…………」

「本当に今日はどうしたんだ」


その男の腕を逆に掴み、そのまま男の胸に抱きつく。
とくとくという男の心音に反応するように俺の胸の音が大きく響いていて、男に聞こえやしないかと 不安になるが、それでも良いと自分に言い聞かせる。
漸く気がついた……今までは自分の本心を偽って出していたに過ぎないのだ。
けれど男の前では本心を出そうとするからこそ、上手く話せる筈の俺が素っ気無い態度を取ってしまった り、甘い言葉を囁いたりなんて事が出来ない。
嘘偽りを言ったなら最後、俺はきっと心底後悔するだろうから。


「……ごめん」

「…………」

「別にアンタの事、嫌な訳じゃないから……」

「…………」

「……触っても……大丈夫だ」

「…………」

「だから……!?」


自分で言っておいて恥ずかしい台詞だという事に気がつき、顔を染めつつも必死で本心を 伝えようと喉を震わせる。
だが全てを言い切る前に男の腕が伸びてきて俺を強く抱きすくめた。
何時もは俺の事を考えてなのかそこまで強く抱きしめては来ないというのに、今日は少し痛い くらいに抱きすくめられて、それにまた動揺してしまう。
けれどそれは寧ろ嫌では無く、まるで乞われているようでそれが心地よかった。
こんなにも男が執着するのは俺だけなのだと、分かったような気がするから。


「…………」

「……軋間」

「……すまない、……痛かったか」

「……此れくらいで傷つくほど柔じゃない」

「……そうだったな」

「きしま」

「…………」


俺は一瞬逡巡した後、男の頬に手を当て、そのままそっと口付ける。
僅かにかさついた男の唇が俺の唇と触れ合う感触はぞくりとした甘い痺れを背中に走らせるのだ。
そうしてそっと顔を離すと珍しく驚いたような顔をした男と目が合う。
確かに自分から口付けをするのは始めての事だったが、そんなに驚く事なのだろうか。


「……本当に今日はどうしたんだ、七夜」

「……なぁ、軋間」

「……」

「今日ってさ、バレンタインとかいう日らしい」

「あぁ」

「それでさ、その……好きな奴に、……贈り物をする日なんだと」

「……」

「色々考えたんだけど、アンタの欲しい物が分からなくてさ」

「……」

「だから、悪いな。……何もやれなくて」

「……もう受け取ったぞ」

「は……?」


自分なりに精一杯何かしようと思ったのに、結局出来たのは自分の感情を吐露する事のみ。
もっと男が欲しがっていたものがあげられたら良かったのにと思いながらそんな事を言ってみると 男は緩く微笑んでそう囁く。
意味が分からず、首を傾げると男がそんな俺の髪に手を伸ばし梳くように撫でて来る。
その手管は酷く心地よくて何時だって蕩けてしまいそうになるのだ。
しかし腑抜けた顔は見せられまいと気を引き締めて男を見上げる。
すると俺の考えている事が分かっているかのように耳を擽ってくるものだから思わず体がピクリと 震えた。


「おい、くすぐったいってば」

「ん?……此処がくすぐったいのか」

「……ッ……や、……ぁ……!」

「!」

「な、……なに、……ふざけんな!!……なんで、耳元……!」


男の指先が耳を弄ってきて、それに対して批難すると今度は耳元で囁かれた。
それの所為で普段では絶対出ないような声が出てしまう。
その声が余りに恥ずかしくて思わず片手で耳を押さえながらもう片手で男の胸を叩く。
暫しその光景を見ていた男は何かを考えていたようだったが、逆に俺の手を絡めとりその手の甲に 口付けを落とす。
何時もはこんな事をしたりしない癖に今日に限ってどうしてこんなにも積極的なのだろうか。
しかしそれを嫌だとは思えない自分がいるのは確かな事で、その男の深い目に視線を絡め取られてしまう。


「…………」

「…………」

「七夜」

「……なんだよ」

「……一つ頼みがあるのだが」

「……」

「……良いか?」

「…………」


何時もは願い事を聞いてもらってばかりいるのだし、今日くらいは構わないかと俺はその言葉に そっと頷く。
すると男が嬉しそうに俺の頬を撫でるものだから少し収まっていた筈の心臓の脈動が再び速まってしまう。
まだ昼間だというのにこんなに男と体を寄せているのは始めてで、それだけで焦ってしまうのだ。
一緒に寝床を共にしているとはいえ、未だ接吻のみの関係なのだからそれも仕方の無い事だとは思うのだが。
そんな事を考えていると男の顔が再び近づいてくる。
俺はとりあえず目を伏せるべきかと男を見ていると、不意に触れるか触れないかの位置で男が此方を見ている 事に気がついた。


「……?」

「…………」

「……え」

「……さっきのようにしてくれ」

「それが頼みか……」

「……ダメ、か?」

「…………」


まるで大きな虎か熊のような男がそんな風に強請ってくるとは思っても見なかった。
その請うような視線に胸の奥がきゅうと締め付けられるような感覚に陥る。
俺は近い距離にいる男の頬に手を当て、先ほどのように口付けようとする。


「……」

「……ちょっ……と待ってくれ」


しかし、先ほどは勢いが在ったものだから出来たのだけれど、こうしてお互いに見詰め合って 、いざやれと言われても難しいものがある。


「……」


だが男の黒曜石のような瞳で見つめられていると、きちんと言う事を聞かなければならないような 気がしてきてしまうのだ。
だから俺は気合をいれて男の顔に顔を近づける。
先ほどと同じくかさついた唇は心地よく、ゆっくりと離すと男が俺の頭を撫ぜてひっそりと笑った。 まるで良く出来た子供を褒めるかのようだ。


「……」

「……軋間、もう……良いだろ」

「……ん?」


自分の今までの行動や言葉を振り返ると急に恥ずかしさがこみ上げてきてしまって、その場から 逃げ出したい気持ちになってしまう。
しかし男の傍から離れる事もできないので、一旦外の空気でも吸ってこようと男に声をかけたのだが、 男は俺を抱きしめたまま離すつもりは無いようで。
普段なら此処で嫌がる俺を引き止めるような事はしないのに、引き止めてくる男は新鮮で、恥ずかしさを 抱えながらも結局その後も俺は男の腕に抱かれていたのだった。



-FIN-






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