ストロベリーフィールド




目を覚ますと隣にいる筈の七夜が居らず、僅かに慌てた。
しかし暖かな布団から起き上がり、周囲を見渡す。
すると居間に続いている襖が僅かに開かれており其処から光が漏れ出ていた。
なのでそのまま居間として使っている部屋へと足を進めると、オレの 上着が無くなっている事に気がつく。
その上囲炉裏には僅かに火がくべられ、暖かな空気が満ちていた。
オレは一度頭を掻くと、恐らく七夜が向かったであろう外に出るため今度は少し気合を入れて外に向かう事にした。
こんな朝早くから七夜が外に出るとは珍しいが、オレの上着が無いところをみるとまた 何時もの気まぐれを起こしたらしい。
オレはそんな風に考えながら居間を抜け、地面と密接した台所に下りる為に置いてある 下駄を突っ掛ける。
思ったとおり七夜の靴だけが其処から無くなっていた。
だが外に一歩近づくたびに寒さが強まっているように感じられて、寒さを嫌うあの猫が 自分から外に出た事に驚きながらもオレは着ていた寝巻き用の浴衣の前を少し整えなおす。
寒さには耐性があるとしても乱れた着衣で外に出るのは流石に誰も居ないと分かっていても気が引けたからだ。
オレは己の身をもう一度確認してから立て付けの悪い木製の引き戸を開ける。
そうして探し人の名を呼びながら開けた扉の向こうには、少しの驚きが潜んでいた。


「……七夜」


一面、真っ白だ。
その中に七夜が佇んでいた。
もっと仔細に言えば、灰色の飾りのついたオレの白い上着の下に薄手の若草色の浴衣を着ている、此方に振り向いた七夜の顔は寒さの為か少し赤くなっている。
オレはゆっくりと七夜の元へと歩を進める中、ざくざくと足元で響く音を聞いていた。
そうしてこちらを見上げる子供の頬に手を当てる。
やはり冷たくなっていたその頬はオレの手の温度を吸って生き返ったように思えた。


「……軋間」

「どうした、こんな朝早くから」

「……いや……」


七夜は少し躊躇うように顔を背ける。
先も感じたように、こんなに寒い日は外に出るのを嫌がるものだと思っていたのだが。
それに今日は珍しく雪まで積もっている。
と、そこまで考えてふとある事を思いつき、それを小さく呟いていた。


「……雪か?」

「!」


途端に動揺を見せた七夜に思わず笑ってしまいそうになる。
普段は大人ぶっている癖に実はこういう可愛らしい面があるものだから堪らなくなるのだ。
七夜はオレの思考を読み取ったらしく離れようとこちらの手を振り払おうとしてくるが、逆にその手を絡みとり薄い体を抱きすくめる。


「軋間……!?」

「冷えているな、どれだけ外に居たんだ」

「……むぅ」


そう言いながら冷たくなった七夜の体を温めるように再び頬を優しく撫でてみる。
そのまま髪を梳くように撫でるとさらさらとそれらは手の中で踊った。
白銀の中で見るその姿は何時もとはまた違った光に照らし出されていて、美しく感じる。
……このような事を考えるなど大分オレも毒されているな、と僅かに苦笑するが 肩に顔を埋めていた七夜には気がつかれなかったようだ。


「……七夜」

「……ん……?」

「何か、作ったのか?」

「何を?」


肩から顔を上げた七夜は首を傾げるだけだった。
困ったようなその姿に、オレは徐にその体を離し、近くの雪を掬い取る。
そうして掬い上げた雪を握りつぶしてしまわない程度に形作っていく。
しかしこれでは目的の物が作れないので、オレは興味深そうに此方を見ていた七夜に指示を出した。


「七夜」

「なんだ?」

「あそこになっている葉と実を二つずつ取ってきてくれ」

「あれか?……別に良いけど」


そう言ってさくさくと雪を踏んで近くにある木から赤い実と僅かに残った緑の葉を摘んできた七夜は従順な犬のようにこちらに戻ってくる。
オレはそんな七夜の前に形作った雪の塊を目の前に差し出す。
困ったような顔をした七夜に対してオレは助言をしてやった。


「……それを此処と、此処につけるんだ」

「……?」

「ほら、……」

「……」

「雪兎だ、……どうだ?」


そして出来上がった小さな雪兎を七夜に見せた。
流石に子供騙し過ぎたかと思っていると、七夜がそっと手を伸ばしてその兎を受け取る。
そうして両手で受け取った兎を見つめている七夜はゆっくりと顔をあげ此方を見た。
その目はキラキラと輝いているようにさえ見えてオレは思わず心臓が跳ねる感覚を覚えてしまう。


「……」

「……」

「……七夜、手が冷えるぞ」

「……あぁ」


暫く黙って見つめていた七夜にそう声を掛け、その手から雪兎を受け取る。
そうしてそのままその兎を片手に乗せて七夜の手をもう片手で引く。
その手は冷えていて、僅かに強く握り返した。


「……」

「軋間」

「……ん?」

「それどうするんだ」

「玄関の傍に置いておこうと思ってな」

「……そうか」


その言葉に安心したのか、此方の手を握る力が強くなった七夜に気がつかれないように薄く笑った後、そのまま玄関まで誘導する。
オレは片手に持った雪兎を玄関脇にそっと置くと、扉を開いた。
そのまま名残惜しげな七夜の背をそっと押して中に誘導する。
そうでもしないと何時までもこの寒い世界で七夜は動かないような気がしたからだ。
扉を閉め、七夜の方を向き直ると黙って見上げてくる七夜と目が合う。
その姿を見つめていると、急に心の中から何かが湧き上がってくるのが分かった。


「……?」

「……七夜」

「……ッ」


そっとこちらを見つめてくる七夜を抱きしめ、頬に手を当てると冷たかったのかビクリと体を震わせた。
しかしそれ以外に主だった抵抗はない。
オレはお互いの位置を入れ替えてから、迷わずその薄い唇にそっと口付けた。
氷のようなその唇が、段々と熱を帯びていく感覚に酔う。
何時もは澄ましていて、子供らしい一面を見せない七夜は時折此方が驚くくらいの反応を見せる時がある。
それは先ほどのような子供らしい一面であったり、情事の時のような、一面であったり。
オレはそんな事を考えながら、舌先で七夜の唇を撫でてみる。
まさかこんな玄関先でオレがそこまでするとは思っていなかったのか、ピクリと体を震わせた七夜は暫し迷った挙句、ゆっくりとその唇を開いた。


「……ッん……」

「…………」

「ふ……っ……く……」


ぴちゃ、と脳に甘い音が響く。
七夜の後ろにある木製の扉がガタリと音を立てたが気にせずにそのまま口付けを続けた。
そのうち縋るように此方の浴衣を掴む七夜の手が震えて、そのまま倒れそうになる七夜を抱きしめなおす。
名残惜しげに離れた後には、オレと七夜の間につぅっと透明な糸が掛かった。


「……あ……」

「……ふ、……」

「……いきなり……なんだよ……」

「……」


オレはそれに答える事をせず、頬に口付け、そのまま胸に抱き寄せる。
先ほどまで冷えていた体が熱を取り戻していく様は本当に愛おしく感じられた。
まだ朝早いのは分かっているが、あれほど可愛らしい反応を見せられては抱きしめるだけで済むはずも無かったのだ。
本来はもう修行と称して外に出ている時間なのだが、雪も積もっている事だし今日は良いだろう。
そんな事をつらつらと考えていると不意に髪を引かれる。


「寒い」

「……すまない」


不満げながらも僅かに顔を赤く染めた七夜にオレはそっと笑うと七夜の手を引き、居間まで戻る。
もう火は消えかけていたが、それでも空気は温かい。
居間に戻った七夜はオレの上着を脱ぎ、畳んだ後当然のようにオレの隣に座る。
オレは手早く囲炉裏に火をくべ直してから、七夜の隣に落ち着いた。


「……」

「……む」

「……」


黙ってオレの肩に頭を預けてきた七夜の方を向く。
するとそれに応えるように七夜も此方を見上げてくる。
オレはそっとその頭を撫でてから、抱き上げてオレの膝に乗せた。
嫌がられるかと思っていたが、大人しく抱き上げられた七夜は甘えるように此方の胸に顔を摺り寄せてくる。
……本当に猫のようだ。


「……」

「……温まったか?」

「さっきの熱い接吻のお陰で大分」

「そうか、……それは良かった」

「……皮肉のつもりだったんだけどな」

「分かっている」


くす、と笑って目の前にある七夜の耳に小さく口付ける。
それだけでビクリと体を震わせた子供は目を吊り上げて此方を見遣ってくるが、今度は 宥めるように額に口付けを施す。
それだけで微かに目を蕩けさせた七夜に微笑みかけると、そっと頬に手が当てられる。
温かなその手にオレはこれが幸せの温度というのかもしれないと少しだけ思った。


「……きしま」

「……ん……?」

「なんか、……少しだけ眠い……」

「寝ても良いぞ、……お前にしては早起きだったからな」

「……煩いな」

「……ふ」


そう言いながらも凭れ掛かってくる七夜をあやすようにその柔らかな髪を撫でてやると 安心したかのように吐息を洩らした。
今日明日は寒いだろうから、七夜が目覚めたら玄関横に飾った雪兎の他にも何か作ってみよう。
そんな事を考えながら胸に抱いた七夜の背中を擦る。
雪遊びだなんてお互いにするような年ではない。
しかし今まで出来なかった分、俺達は今、愉しんでも誰も文句は言わないだろう。
それに、誰にも文句は言わせない。
腕の中で何時しか寝息を立てている七夜を見遣る。
コイツだけはどんな事があっても守ると決めた。
始めてあった夏が過ぎ、冬になった今でも全くその気持ちに揺らぎは無い。
寧ろ日が経つ度にその気持ちは強固な物となっていくのだ。
今までの自分では考えられない事で、自分自身でも驚くくらいに。
オレはぱちぱちと小さく爆ぜる炭の音を聞きながら物思いに耽るようにゆっくりと目を伏せた。



-FIN-






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