蜉蝣の明ける頃


※両方とも死亡エンド



けして来て欲しく無かった、だけれど何時か来る筈の終焉は余りにも呆気なくやってきた。
幾ら自身を宥めようと、空に浮かび上がった真紅の月がそれを許してはくれない。
オレは、段々と己の自我が崩壊していく音を聞きながら、それでも七夜に 生きていて欲しくて、此方に来ようとしている七夜を片手を挙げて制す。
そうして掠れて上手く聞き取りにくいであろう声音で七夜に語りかける。


「……来るな、……七夜」

「どうしてだよ!……俺は、……俺はッ……」

「もうダメだ。……オレは、壊れるしかない」

「……嘘だろう?アンタ言ったじゃないか……」

「……なな、……や……」

「俺を幸せにしたいって、……そう言ったじゃないか……!!」


七夜のその悲鳴にも似た声に、オレはさらに自身の崩壊が進むのを感じる。
その約束を果たせなかった己が憎い。
でも、オレは七夜に対してもっと酷い選択肢を与えようとしていた。
ざわざわと血が騒ぐ。髪が、目が、赤みを帯びて辺りに熱を撒き散らそうとする。
オレは最後の力を振り絞って七夜に願っていた。


「……くれ……」

「軋間……」

「殺して、くれ……七、夜……」

「いやだ……そんな事言うなよ……」

「お前のその手で、オレがまだ、お前を認識出来る間に……」

「……俺は……」

「……頼む、ななや……最期の頼みだ……」

「……っ……!!!」


オレの声に七夜がポケットに潜ませていた短刀を取り出し、その白銀の刃がこちらに向かって煌いた。
そうしてこちらに向かって草原の上を滑るように走ってくる七夜に安心してしまったせいか、その切っ先がオレを貫く前にオレの意識は赤い闇に堕ちていった。



□ □ □



「!?」


俺が軋間の最期の願いを叶えようと側に駆け寄り、その喉元を切り裂こうとした瞬間、突如火柱が男の周りに吹き上がり、俺は思わず両腕でそれを 防ぎながら後ろに跳びずさっていた。
そうしてその火柱が収まり、その中に居る男の姿を見た瞬間、俺は今までに無いほどの生命の危機を感じる。
殺し合いでは無く、恐らく、一方的な蹂躙。
そんな未来を垣間見てしまったからだろう。
それほどまでに髪も目も赤く染め上げた男は殺気を隠す事無く此方を見つめていた。
きっと俺の事を『七夜』では無く、『獲物』としてみているであろうその赤い男は驚くべき事にその口端をあげ、薄く笑った。
俺は未だ混乱の残る頭をしっかりと覚醒させる。
この男に甘えも迷いもけして通じはしないだろう。
寧ろ其れを好機とばかりに俺を壊すに違いなかった。
しかも元々の力量の差など分かりきっている。
それでも軋間が望んだ最期の望みならば、俺は成し遂げなければならなかった。
……例え、それが男を破壊する事だとしても。


『……!』


俺は構えから男の背後へと瞬時に回りこみ、その足を止めようと膝裏を狙って蹴りを放つ。
だが男はそれを読んでいたのか、それを軽く飛び上がって避けた。
そのままこちらに向かって腕を伸ばしてきたが、その前に俺が勢いを殺さないまま地面に手を着き、その腕を軸にして両足で男の片腕を絡めとり投げようとする。
しかし男の力はやはり強く、びくともしない。
俺は投げるのを諦め、軸にした腕で地面を押し、そのまま宙に浮かぶ。
其処に追撃をしてこようとした男の腕を間一髪で避けながら、今度は急下降して男の懐へと入り込み、その空いた腹へとナイフの切っ先を突き入れようとするが それよりも前に男の膝が容赦なく俺の腹へと打ち込まれた。


「……っぐ……!!」


その威力は凄まじく、俺はそのたった一撃で遥か遠くの木々まで吹き飛ばされ、 そうしてその木の一本に身体をしこたま打ち付けた。
そのまま息を整える間も無く男が此方に駆け寄ってくるのが分かり、慌てて 横に飛ぶようにし、その拳を避けると、先ほどまで俺が居た木が無残に折れ曲がり大きな 音を立てて折れる。
そうして男は殴ったときに掴み取ってしまったらしい木の一部を無表情のまま掌の上で燃やし、 此方を見て再び笑った。
まるで次は俺をこうしてみせるとでもいうように。


(冗談じゃないぞ、……軋間……)


はぁはぁと荒くなった息を整えつつも、俺は先ほどまで居た広い場所に戻るのは止めにして、木々のある森の方へと走る。
先ほどの草原のような場所よりかはこのように木々が生い茂っている場所の方が俺にとっては動きやすい。
男に対してその地形の有利さが何処まで機能するかはわからないが、あのまま無残に殺されるよりかは幾分かマシだった。
そんな思いの中木々の上を渡り逃げる俺を男はゆっくりとした足取りだが確実に追い込んでくる。
俺はもうそろそろ良いだろうと、木の上から奇襲を掛ける。


『……それでは遅い』


男は一度目の奇襲を難なくかわしたが、俺はそれを予測して地面から別の木に戻り様、再び攻撃を仕掛ける。
まさに蜘蛛の糸を無数に張り巡らせるように予想のつかない方向から現れては男に攻撃を仕掛けていく。
これこそまさに【七夜】の術の基本にして、絶対奥義だった。
そのようにして男が攻撃をする隙を与える事無く、何度も打ち込んでやっと少しずつだが男の腕や足、顔に傷が出来ていく。
しかし急所を狙う事は出来ず、この動きを止められては此方の方が危ないという 状況のなか、ずっと腕で防御をしていた男が不意にその防御を解き、仁王立ちになる。


(……なんだ……?)


俺はその男の行動に思わず動きを止めてしまう。
そうして何をしようとしているのかを即座に理解して、逃げようとした瞬間にはもはや男の周りには激しい炎が渦を巻いて立ち上っていた。



□ □ □



『五月蝿い小蝿など、……木ごと燃やせば良いだけの話だ』


先ほどまでオレを狙っていた獲物は燃やされた木の灰の中で蹲るようにして転がっている。
技としては悪くないが、それでも所詮速さだけではオレには及ばない。
オレはその転がっている獲物の髪を掴んで引き上げる。
もう息も絶え絶えなのか、灰色の瞳は掠れかけた光を宿すのみだった。
そんな中でも獲物は得物を探しているのか、手を戦慄かせている。
オレはそんな獲物に対して、笑いながら声を掛けてやった。


『もうお前の負けだ、諦めて塵へと還れ』

「……」


しかしそんなオレの言葉を無視して、獲物が小さく此方に手をあげた。
そうして黙ったままのオレの頬にその獲物の冷たい手が撫でるように触れていく。
この、感覚は、……オレは何かとても大切な事を忘れているのではないのか?
そんな思いが頭の中を過ぎり、目の前の獲物がそっと聞こえないくらいの声音で囁くものだから思わず顔を寄せてその言葉を聞き取ろうとしていた。


「ごめ……んな、……きしま……」

『……?』

「ごめん……、……アンタのこと、……独りに……しちまうな……」


そうして聞こえたその言葉を皮切りに、目の前の七夜がさらさらと砂のような粒子となって風に溶けていく。
―――どうしてこんな大切なことを一瞬でも忘れてしまったのだろう。
もっとも愛しく思う者を、どうして、こんな簡単に失ってしまうのか。
オレは、その消えていく七夜を一つも零さないように強く抱きしめていた。
そうして声を掛ける。


「七夜……七夜……!」

「……きし……ま……?」

「七、夜……許してくれ……」

「……元、戻ったんだな……きしま……」

「……ななや……?」

「……よかった……」


その言葉を最期に七夜の身体が全て粒子となって天高く舞い上がり消えてしまう。
オレは自然とその粒子の行く先を目で追っていた。
このような終わりなど、オレも七夜も望んではいなかったのに。
オレは身体の奥からせり上がってくる慟哭を抑える事無く灰色の世界にぶちまける。
七夜の居ない世界は、もうオレにとっては無に等しい。
そんな思いの中、オレは七夜の欠片に最後まで触れていた右手を挙げる。


「七夜、……今、そちらに……」


そうしてその右手を容赦なく自身の胸へと突きいれ、其処にある生命の源を取り出し、そのままその手の中で握りつぶす。
赤く染まった視界の中、オレは嬉しそうに笑う七夜の姿を見ていた。



蜉蝣の明ける頃



-FIN-


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