鵠の鳥




俺にとっての実質的な世界は男だけだった。
そこにその存在が居れば良い。それ以外いらない、何も。
そう言って刃物を振るってみせれば男は僅かに顔を顰めながらも その顔は確かに笑っていた。
笑う、という行動が男に取れるのかと俺は微かに驚きを覚えたが、 それは今更知ったところでどうにかなるというものではない。
俺が求めているのは、そこに居るという事実だけで、男が どんな思いを持っていようが何を感じようが何も関係が無かった。
自分勝手だと言われても仕方の無い思いとは裏腹に、どうせ男もそんな 俺の壊れた性質を知っているのだろうと、敢えて好意的かつ、自虐的に捉えてみる。
そうでなければ、男と俺は同類なのだろう。
表裏一体に見えて、その実、非常に近しい。そう思ってみたかった。
自分一人ばかりが求めるというのは何よりも虚しさを孕んでいるのだから。


「蹴り、穿つ……!」


ナイフを横に薙ぐ様に振るった後、男目掛けて蹴りを放つ。
男はそれを易々と避け、反撃に転じようと此方に向かって拳を振るってきた。
俺はその攻撃を間一髪、空中で避け、くるりと一回転してから地面に着地する。
それを掬うように男が追ってくるのをさらに左右に避けながら一度バック転をして 距離を離した。
男はそこで一度仕切りなおしだというのを感じたのか、そのまま黙って俺を見つめてくる。
その目は何物にも変えがたいくらいに強い光を宿していて、己がその光の中心にある事に 興奮する自分を感じた。
そうやって俺だけを見ている男は獣の匂いを持っている。
普段はきっと寡黙で戦いなどまるでしないかのような仮面を被っている男の本質は、こうやって 剥がしてみればなんて事は無い、ただの戦闘好きな鬼神だ。
ただ、その本質は普段男が見せない顔で、逆にその本質の方が俺にとっては好ましい。
―――死ぬか、生きるか。
そもそも生命体の始めの選択などそれしかないのだから、偽善に満ちた仮面など、本能の 前ではまるで無意味だ。
こちらが其れほどまでに本能を曝け出しているのを男も感じ取っている。
一分の迷いも無い、殺意は何よりも醜いけれど、何よりも大きい。
その殺意に下手をしたら取り込まれてしまうのでは無いのかと思うくらいに。


「……」

「……」


男の気配が濃密さを増す。
遠くにいるのにまるで本当に傍に居るかのようだ。
もしもこの気配に押し潰され、殺されるなら、それはそれできっと面白いだろう。
男の前に立った時点で俺の選択肢は既に決まっている。
決まっていると知っていて尚、そこに到達するまでの経過を楽しんでいるのだ。
破滅を望んでいるわけではない、男に因る、破壊を望んでいる。


「アンタって奴は本当に面白い男だよ」

「……」

「だからこそ、……戦い甲斐があるってものだ」


男は黙したまま、此方を睨んでくるので俺はそれに対して笑いながらそう言ってみる。
答えはいらない。言葉など、其処にある物の前では無価値だ。
俺は一度目を伏せてから刃物を構えなおす。


「俺を、殺してみせろ……紅赤朱」

「……」

「そうしたら、……そうだな、褒美の一つでもやるよ」

「……そのようなものなど、要らない」

「……っく、……そうかい?それは残念」


俺は無駄な思考に費やしていた意識を全て、男を殺害する為だけの意識へと変える。
目の前の世界を壊してみたい、そんな思いだけを持つ。
男も俺と同じように呼吸を整えているようだった。
きっと次の一撃が最期の選択になるだろう。
俺は一瞬だけ笑ってから、腰を落とし、炎を纏う男の方へと駆けていった。



-FIN-






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