露隠の葉月




「……ただいま」

「……お帰り」



オレは読んでいた本を閉じ、帰ってきたらしい七夜にそう声を返す。
すると靴を脱ぎ、部屋に入ってきた七夜がその手に何かが入った袋を持っている事に気がついた。
そうしてその半透明な袋をオレに差し出してきた七夜からその袋を受け取ると、当然の如く七夜がオレの隣に座る。
それを見届けた後、オレはその渡された袋を見ながら問いかけた。
そんなオレに対し、疲れた様子の七夜が答えを返してくる。


「……なんだこれは?」

「芋だよ芋、レン達に貰ったんだ。……焼き芋にでもしろだとよ」

「……そうだったのか」


袋の中に入っていたのは銀色の硬質な紙で包まれた随分と大きな薩摩芋のようだった。 しかもそれが幾つも入っている。
オレが袋からそれらを取り出しながら銀紙を開き、一つ一つの状態を確認していると、 隣に座っていた冷えた身体をした七夜が甘えるようにその身体を摺り寄せてくるのが分かった。
オレはそんな七夜を何時ものように受け入れながら、この芋をどうしたものかと思案をする。
すると七夜がオレの手から芋の一つを取り、楽しげに囁いた。


「とりあえず焼こうぜ、食べたいし」

「それは構わないが……一つ全て食べ切れるのか?」

「んー……アンタは?」

「……食べられない事もないが……」

「……じゃあ一個焼いて半分にしよう」


そう言った七夜はその芋に巻かれた銀紙を元に戻し、すでにオレが点していた囲炉裏の中の炭火の上にそれを乗せる。
まだ火を点して其処まで時間が経っていない為に温度としては十分だろう。
七夜がそれを置いたのを見遣りながら袋に残りの芋を戻していると、そのまま七夜は立ち上がり、呟いた。


「先に手洗ってくる」

「そうか」

「……ちゃんと見てろよ」

「其処まで早くは焼けないだろう」

「……そうだけど」


そわそわとした様子の七夜に対し、笑みを浮かべたオレに七夜は 不満げな顔をしてみせたがそのまま手洗い場に行ってしまう。
オレはそんな七夜の後姿を見遣ってから、囲炉裏に目を戻した。


(……このような事等、今までにした事がなかったな)


炭火に焼かれている芋を見ながらそんな事を考える。
ただひたすら自身の生きる意味を考えながら仏道の真似事をしていた 日々はけして無意味だったとは思わない。
その考え方は今でも変わらずにオレの中に息づき、そうしてオレを 形作る一部となっている。
しかしこうして七夜と共に生活をしていく中で、互いにその存在を 慈しみ、愛しく思う事の大切さを知った。
そうして七夜と共に今までしてこなかった『普通』の生活を行う 事でオレの心に何か温かな想いが染み入ってくるのを感じるのだ。


「……なーに考え込んでんだよ」

「……ん?……大した事では無い」


ぼんやりとそんな風を思考を重ねていると、手を洗い終えたらしい七夜 が畳を踏みながら此方に向かってくる。
そして首を傾げながら呟かれた言葉にそう答えを返すと、先ほどと 同じようにオレの隣に座り込んだ七夜がその頭をオレの肩に凭れさせた。
オレは凭れ掛かられていない方の手を伸ばし、そのさらさらとした感触 の髪に触れる。
暫し黙って撫でられたままでいた七夜は不意に囁いた。


「なんかさ」

「……?」

「こういう風な事するのって初めてなんだよな、俺」

「……」

「別にそれがどうしたって話なんだが、……なんだろうな、……」

「……」

「……何となくだけど、『安心』する」


七夜のその台詞にオレは思わず撫でていた手を止め、七夜を見遣った。
するとオレの視線に気がついたらしい七夜が此方を見遣ってきて、微かに恥ずかしそうな様子なのが分かる。
七夜もオレと同じ思いを抱いていたのだと、理解出来たのは酷く嬉しかった。
そうしてオレがずっと抱いていたこの温かくも懐かしいこの気持ちは『安堵』だったのだという理解も出来た。
今まで感じた事が無く、また、知る事も無かった。
しかし今はもうこの手に全て手に入れている。
その事にオレは何よりも歓喜の念を覚えると共に、『安心』していた。


「……何笑ってんだ」

「……オレも、同じだと思ってな」

「……あっそ」


オレの微かな笑みに気がついたのか、此方を見上げてきた七夜にそう囁くと七夜が視線を逸らしながらも呟いた。
こういう素直でない所は共に暮らし始めてから余り変わっていないが、それがこの子供の可愛らしい所だ。
オレは凭れてきている七夜の手に手を伸ばし、其処に触れる。
微かにその身体を揺らせた七夜がそっとオレを見上げてくるのが分かったので、言葉を紡いだ。


「……手が冷えている」

「そりゃ手洗ったんだから、当然だろ」

「そうだな」

「…………アンタの手は何時だって温かいんだな」

「……そうか?」

「……そうだよ」


触れられていると良く分かる、と小さく囁いた七夜の頬が微かな赤みを帯びている事に気がつく。
オレはそんな七夜の手に触れていた手に軽く力を込めた。
それに応えるようにオレの手を握り返してきた七夜と共に黙り込む。
暫しその柔らかな空気に酔っていると、不意に囲炉裏から小さな音が聞こえてきて七夜がそっと囲炉裏を覗き込んだ。


「……なんか、さっきから音鳴ってるけどもう良いのか……?」

「どうだろうな」

「……あ、おい、流石にそのままは熱いんじゃ……」


オレは握っていた七夜の手を離し、その囲炉裏の中にある芋を掴む。
そうして銀紙を特に気にすることも無く開け、それを取り出し半分に分けた。
その断面を見るに火は確りと通っているようだ。
一連の動作で一人納得していると七夜が呆れたように呟いた。


「嗚呼、うん……アンタは意外とそういう奴だったよな」

「?……焼けているようだぞ」

「俺はまだ持てないから、後で食べるよ」

「……」


そう言われて確かに七夜の肌では此れを持つのはまだ熱さもあり、無理だろうという事に気がつく。
オレは暫し考えた後に、その半分に分けた方の一つを七夜に向かって差し出した。
すると困ったような表情をした七夜が小さく囁く。


「……だから持てないって……」

「冷めるまで此処から食べれば良い」

「……は……?」


そう言いながらオレはもう片方の手に持っていた芋を口に含む。
仄かな甘みもあり、ほくほくとした風味の芋は至極美味だった。
そうして七夜を横目で見遣ると、困ったようにオレを見ていた七夜がおずおずとオレの持っている芋に噛り付く。


「……美味い」

「……嗚呼」


そう言いながら七夜が再び熱そうにしながら芋に噛り付くのを見ながら自分も再び其れを味わう。
自身の手から食べている七夜を見ているとまるで餌付けのようだと思ったが、それを表に出すときっと猫のように怒り狂うだろう七夜が簡単に想像出来る ので表には出さないようにする。
お互い黙ったまま、その半分に分けた芋を食べていると、七夜がその口元を指先でそっと拭いながら呟いた。


「……これ以上はアンタの手汚しそうだから自分で持つ。流石にもう大丈夫だろ」

「……そうか?」

「……何、ちょっと残念がってんだよ」


オレは七夜に半分以上無くなったその芋を渡し、自身の持っていた芋の最後の一口を食べた。
もしかしたら一つ一人で食べられたかもしれないが、もうそろそろしたら夕餉の支度を始める時間になるのでこの位で丁度良いだろう。
そうしてオレから芋を受け取った七夜もその芋を食べ終え、その唇を舌で舐めてから言葉を紡ぐ。


「なかなか美味かったな」

「嗚呼」

「これ、飯と一緒に炊いたら美味いと思うか?」

「美味いだろうな……煮ても良いかとは思うが」

「まぁ……食事はアンタの仕事だからアンタに任せるよ」


くす、と嬉しそうに笑った七夜は先ほどと同様にオレの肩に凭れ掛かってくる。
そんな七夜に手を伸ばし、その柔らかな髪を撫でた。
そうしてその髪を撫でながらオレはこの芋達をどのように調理しようかと考える。
穏やかな時、――――このような時間がずっと続けば良い。
オレはそんな未来を思い描きながら、七夜の頭に自身の頭を微かに凭れさせた。



-FIN-






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