弥涼暮月に悟る




「……どうした」


気配を感じて引き戸を開けた先には想像していた人物が佇んでいた。
しかしながらその顔は何処か陰気だ。
オレはその表情を不思議に思いながらも外で微かに雨が降っているのを確認し、餓鬼を庵の中に手招く。
餓鬼は黙って中に入ってきたかと思うと、その手に携えていた紙袋を此方に押し付けるように手渡してきた。
そのままオレの横をすり抜けていった餓鬼を横目で見遣りながらオレは開けた扉を閉め、その紙袋の中身を確認してみる。
その中には幾つかの酒瓶が入っており、随分と上等な物のようだ。
とりあえずその紙袋を持ち直してから先に上がった餓鬼を追うように居間へと戻る。
すると既に囲炉裏の前に座り込んでいる餓鬼は何も言わないままその赤々と燃えている炭を眺めていた。


「……おい」

「……」


その細い背中に声を掛けてみるものの答えは返ってこない。
オレは一度小さくため息を吐いてから出来るだけ柔らかな声音で囁いてやった。


「もう夕餉は済ませたのか?」


その言葉には小さく首を振った餓鬼は聞こえないくらいの声で言葉を返してくる。


「……ただ酒呑みに来ただけだから気にしなくていい」

「そう言うな。……酒の肴代わりにでも少し食べていけ」


そのまま餓鬼の答えを聞かぬままにオレは餓鬼の隣に紙袋を置き、杯と椀を取りに棚へと向かった。
そうして手早く盆に箸と杯、そしてつい先程簡単に作ったばかりの夕餉の残りを入れた椀を乗せ、餓鬼の傍に其れを置いてやる。
そんなオレを戸惑うように見上げてきた餓鬼と視線を合わせてからその隣に座り込んだ。


「……開けるぞ」


敢えてそう聞いてから傍らにある紙袋の中に入っていた酒の一本を取り出して其れを開けた。
そのまま少し鼻を近づけると芳醇な香りが漂ってくる。
そうして二つの杯に酒を注いでいると躊躇うように椀を取った餓鬼が椀の中身を少しずつだが箸で摘まんで食べ始めた。
オレはそんな餓鬼の姿を見ながら、杯を持ち直して酒を呑む。


「……此れ、アンタが作ったのか?」

「ん?……まぁそうだな」

「……結構美味いな」

「そうか?……それは良かった」


素直な餓鬼の反応にそう返すと微かに顔を赤らめた餓鬼がその椀に入った夕餉を摘まみながら酒を呑み始めた。
先程まで陰鬱な表情をしていた餓鬼は少しばかり気が晴れたのか何時もの笑みを見せ始めている。
その事に安堵を覚えながらオレは杯を置き、傍らにあった煙管盆の上にある煙管を取り、その中に葉を詰めなおした。
そのままその詰めた葉に火をつけ、ゆっくりと吸い込む。
すると此方を見遣ってきた餓鬼が何かを言いたそうな表情をしているので唇から煙管を離し紫煙を吐き出してから呟く。


「……すまない、煙たかったか?」

「いや、……平気だ」


確かに餓鬼は気にも留めていなかったようではあるが、オレはなるべく餓鬼の方向に煙を吐き出さないように気をつけながら煙管を燻らす。 その間に椀の中身を食べ終えたらしい餓鬼は空になった椀を盆の上に置くとそっと酒の杯を持ちながら呟いた。


「ご馳走様」

「……嗚呼」


その餓鬼の台詞を聞いてからオレは煙管の中にある灰を囲炉裏の中に落とし、煙管を置いてから餓鬼と視線を合わせる。


「……」

「?」


そのまま杯を取ったオレは餓鬼の杯に軽く杯を当ててから酒を呑み直し始めた。
餓鬼も理解が遅れたようだったが薄く笑ってから酒を口に含みなおす。
そうして暫し二人黙り込み、酒を呑み交わした。



□ □ □



時に空いた杯に酒を互いに注ぎながらひたすら呑んでいると酔いが回って きたのか微かに餓鬼が吐息を洩らした。
そんな餓鬼に視線を向けると、此方の視線に気がついているだろう餓鬼は何処か遠くを見たままそっと囁いた。


「……アンタは、……俺の為に夜伽をしてくれるか?」

「……は……」


いきなりのその台詞に呆然としてしまうが、その後、直ぐに自虐的な笑みを浮かべながら小さく囁いた餓鬼が此方を見遣ってくる。


「……嗚呼、でも俺はもう死者だから今がある意味そうかもな」

「……」


其方の意味か、と内心理解して酒を呑む。
黙り込んだままのオレに不満を持ったのか顔を寄せてきた餓鬼の瞳は酔っている所為かうっすらと潤んでいる。
オレは黙ったまま餓鬼の手にある杯を取り上げ、盆の上に置いた。


「……とりあえず風呂に入ってこい」

「……?」

「泊まっていくのだろう」


暫し考え込んでいたらしい餓鬼は不意にその顔を赤く染め、慌てたように言葉を紡ぎながらその身を引く。


「さっきのは違うからな!?そういう意味じゃ……」

「……何の事だ」

「あ、え……じゃあ……」

「外を確認してみろ……こんな雨の中帰るつもりか?」

「……雨……?」


餓鬼は気がついていなかったようだが先程まで降っていた雨が本降りになり、庵に吹き付けている音が中に居ても聞こえてくる。
オレに言われて漸く気がついたらしい餓鬼は困ったような表情をした後、囁いた。


「……別に……帰ろうと思えば帰れる、し……」

「……」


餓鬼を見据えてみると次第に声が小さくなり、黙り込んでしまう。
そうして見詰めていると、ゆっくりと立ち上がった餓鬼が此方を見ながら唇を動かす。


「……風呂、……借りるぞ」

「嗚呼」


何かを吹っ切った風な様子を見せた餓鬼は迷う事無く風呂へと向かっていく。
畳を踏みしめながら歩んでいく餓鬼の後ろ姿を見遣ってからオレは手早く杯を片付け始めた。



□ □ □



「……もう寝るぞ、来い」

「……え……」


明日の食事の仕込や寝る支度等を終え、居間に戻ると風呂に入り温まった餓鬼が火の弱まった囲炉裏の前で既にうつらうつらしているのが目に入る。
そのままその餓鬼のもう乾いている髪を撫でると、振り向いた餓鬼が戸惑うように声を上げた。


「……いや、俺はここら辺で寝るよ」

「……客人をこんな所に置いておける訳が無いだろう」

「でも……」


着替えとしてオレの着物を纏っている餓鬼の手を掴み、立ち上がらせる。
そうして寝室へと続く襖を開けて先に餓鬼を中に入らせた。


「先に布団に入っていろ、囲炉裏の火を始末しなければならん」

「……」


餓鬼が戸惑うようにしているのを理解しながらも其れを無視して、囲炉裏 の火を完全に消した。
そうして燭台の炎を吹き消すと、周囲に薄闇が下りてくる。
慣れた庵の中を微かに見える視界と何時もの感覚で歩みながら寝室として使っている部屋に入ると諦めたらしい餓鬼が布団に入っているのが分かった。
オレが膨らんだその布団に入り込むと餓鬼がその身を固まらせているのに気がつき、思わず笑ってしまう。
するとそんなオレの笑みに気がついたのか顔を寄せてきた餓鬼が不服そうに言葉を紡ぐ。


「……笑うなよ」

「……其処まで硬くなる事も無いだろう」

「……そりゃあ、……そうなんだけど」


そう言ってから恥ずかしそうに顔を背けた餓鬼に何とも言えない感情を持ってしまったオレは布団の中で餓鬼を抱き寄せる。
途端に身体をビクつかせた餓鬼が声を上げた。


「何するんだよ……!」

「ん?……お前の望み通りに『夜伽』は出来ないが添い寝位はしてやれるからな」

「!?……ばッ……かじゃないのか……!」


噎せるようにしながらそう言った餓鬼は腕から逃れようと抵抗を見せるが、 逃がさぬように、しかし痛みを感じない程度気をつけながら抱き締める。
すると諦めたらしく抵抗を止め大人しくなった餓鬼が腕の中でため息を吐いた。


「……アンタも良い奴なのか嫌な奴なのか分かりにくい男だ」

「……そうか?」

「……まぁでも、……一応慰めてくれてるんだよな?」

「……」


ふ、と微笑んだ餓鬼に自身の考えが知らず知らずの内に読まれていた事に気がつき黙り込むしか出来ない。
しかし其れを言葉で認めるのも癪なので、抱き寄せた手の片方を動かしその髪をゆるりと撫で梳かす。


「……もう眠れ」

「……ん……」


そのまま手を滑らせ冷えた頬を温めるように摩ると微かに餓鬼が声を洩らす。
そうして暫く髪や頬を撫で摩りながら抱きしめていると腕の中に居る餓鬼が小さな寝息を立てながら眠り込んでしまった。
このように誰かを抱き寄せながら眠る経験は今まで無かったが、此れも悪くは無い感覚だ。
そんな風に思う自身の感情に驚きを覚えながらもその寝顔を見詰めていると次第に眠気がさざ波の様に押し寄せてくる。
そうしてオレも目を伏せ、眠りの中へと滑り落ちていった。



-FIN-






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