フラガリア




「……ん?」



ざわざわとした喧騒の中、見知った後ろ姿を一瞬目の端に捉える。
しかし直ぐにその姿は見えなくなってしまった。
今日は白レンに呼び出された事もあり、俺は町に一人で降りていた。
その事は勿論共に暮らしている男には伝えており、男は何時ものように 黙って頷き答えを返してきたのだ。
その際、男も誘ったのだが、その日は庵でやらねばならない用事があるからと断られてしまった。
……その筈なのだが今の後ろ姿は何処か男の後姿に似ていた。


「……勘違いか」


俺は一人そう囁き、人ごみを抜け彼女達の住む路地裏へと進む道を歩む。
一歩この道に入れば元々の薄暗さとシオンの掛けた人払いの術の所為で辺りは一気に静まり返る。
ゆっくりとした足取りでアスファルトの敷き詰められた道を進んでいくと、小さな廃ビルの前にたどり着く。
その硝子の嵌められた扉を迷い無く開くと薄暗いエントランスがあり、部屋の隅にはカメラが取り付けられていた。
そうして黙って其処で待っていると何処からか声が響いてくる。


『ようこそ、七夜君。待ってたよ』

「……ああ」


凛としたその声音に答え、近くにあるしっかりとした作りの扉に近づきドアノブに手を掛ける。
中に入るとまるで別の建物に入り込んでしまったかのような錯覚を覚える程、近代的な光景が広がっていた。
恐らく外敵から守る為の装置なのだろうが、どれもこれも効果が良く分からない割に妙な威圧感がある。


(……なんか、前より改造してないか……)


嫌な感想を抱きながらも、そのまま真っ直ぐ進むと更に扉があり、其処に入り込む。
そうして入り込んだ先には打って変わって温かく広々とした屋敷の一室のような世界が広がっていた。
その部屋の中心には先ほど俺の声に答えた人物……リーズが洋風のテーブルを囲むように置いてある椅子の一つにゆったりと座り込んでいる。
俺の姿を確認したらしいリーズは手をあげて此方を手招いた。
ゆっくりと空いている椅子の所まで近づき丁度リーズの前の席に座り込む。


「やぁ、久しぶりだね。リーズ」

「ああ。久しぶり。……あれ?彼は来なかったのかい?」

「呼んだんだけど、『家でする用事があるから』って断られちまった」

「そうなのかい、それは残念だ」

「本当にな。用事なら明日でもいい気がするんだが……」

「……もしかしたら今日じゃないとダメな用事なのかもね」

「?」


くす、と笑ったリーズに首を傾げる。
しかしそれ以上何も言うつもりがないのか視線を僅かに逸らしたリーズに俺は更に声を掛けた。


「ところで白レンは何処行ったんだ?此処に呼び出したのは彼女だろ」

「んー……もう少しだと思うよ」


そんなやり取りをしながら、不意にリーズの後ろにある扉が小さく開かれるのが見えた。
その扉から現れた白レンはその両手に銀の盆を抱え、その盆の上には茶とケーキが 載っているのが遠目からでも分かる。
そのまま俺の横に歩んできた白レンは黙ったまま俺の前に花の描かれたティーセットと同じ柄の皿に切り分けられたケーキを置いた。
俺は一瞬どういう意味だか分からずに黙って白レンを見詰めていると、顔を赤く染めた白レンが何も載っていない盆を胸元に抱えながら恥ずかしそうに囁く。


「……今日は、……その、……そういう日でしょ」

「……?」

「……バ、バレンタインでしょ!……だから、……」

「……ああ、……」


目の前に置かれたケーキが手作りのチョコレートケーキである事に漸く気がついた俺は、視線を逸らしたまま此方を見ない白レンの小さい頭に手を伸ばし其処を一撫でする。
すっかり今日が何の日など忘れてしまっていたが、こうして作って貰えるのは有難い事だった。


「ありがとな、レン」

「ふん、……別に、そんなに難しくなかったし、たまには良いかなって思っただけだもの」

「……そうかい?でも、ありがとな」


くしゃり、と白銀に煌くその髪を撫でると黙り込んでしまった白レンは不意にその顔をあげ、言葉を紡いだ。


「リーズの分と私の分も持ってくるから、先食べてて!」


そう言ってパタパタという足音を響かせながら再び扉の奥に消えていった白レンの姿を見送っていると、リーズがまるで秘密を伝えるように楽しげな笑みを浮かべながら呟いた。


「今日は朝から皆で頑張っていたみたいだよ」

「なるほど、他の二人が居ないのはその所為か」

「そうだね。……もう一人の君はきっと今頃大変な思いをしているかも」


リーズのその言葉に恐らく朝から様々な女に追いかけられているであろう兄弟の姿を思い出し、少し哀れむと共に笑いがこみ上げてきてしまう。
あの男は朴念仁の癖にモテるというなんとも不思議な性質の持ち主であるが、モテる相手が基本的に一般人とかけ離れているのだからその気苦労は計り知れないのだろう。
俺としてはそんな相手と何時でも殺し合いが出来るとしたら願っても無い環境なのだが、其処が俺と奴との違いだ。
そんな事を考えていると、ふと目の前の彼女はどうなのだろうという疑問が湧き上がってくる。


「そういえば、君は作らなかったのかい?リーズ」

「え?ああ、私は食べる方専門だからね。其れに貰いたい子達から序ででも貰えるのは分かっているから、三月にお返しすれば良いかと思って」


人差し指を口元に当て、片目を瞑ったリーズに何処か親近感を感じつつ俺達は白レンが戻ってくるのを待っていた。



□ □ □



結局あの後三人で茶会となり、白レン手製のケーキを馳走になった俺は男への土産にもう一つケーキを貰い路地裏から表通りへと戻る。
相変わらずの喧騒の中、俺は帰る前に男にやるものを買わなければと街少し外れにある酒屋へと向かう事にした。
何時も男と買いにくるこの酒屋は今ではすっかり常連だ。
俺はざっと店内を見回し男の好みそうな酒を発見すると、其れを手に取り退屈そうにレジに座り込んでいる店主に其れを渡す。
……少しばかり値が張るが、たまには良いだろう。
そのまま金を払うと、手に持っていた包みも一緒に手提げの紙袋に包んでくれた店主に礼を言い、そのまま店を出た。
よくよく見れば街もバレンタイン一色になっていて、どうして気がつかなかったのだろうと自分でも不思議に思いながら急いで帰路を辿る。
別にこのような行事に浮かれるような性格では無かった筈なのに、どうにもあの男と過ごし始めてから俺は可笑しくなってしまったようだ。


(……軋間も流石に忘れてるだろうな)


見返りなどは求めていない。
寧ろ俺だけが覚えていて男を驚かせられるのならば、其方の方がきっと面白い。
俺は男にこの酒を渡した時に男がするであろう表情を夢想して一人笑みを浮かべながら 先ほどよりも足早に歩を進めていた。



□ □ □



「ただいま」


そう言って引き戸を開くと妙に甘い香りが鼻に届く。
そのまま何時ものように中に入り込み、炊事場を通り箱段に腰掛け、靴を脱ぐ。
そのまま障子を開け、居間として使っている部屋に上ると火を点した囲炉裏の前で男が煙管を燻らせながら此方を見ていた。
唇に銜えた煙管を手で外し、ふ、と煙を吐き出した男は何処か楽しげな笑みを浮かべながら囁く。


「お帰り、七夜」

「ああ」


俺は男にそう答えながら手に持っていた紙袋を男に差し出す。
すると不思議そうに其れを受け取った男に俺は何も言わず、先に手を洗いに風呂場へと向かった。
別に風邪を引く等という事は無いと言っても過言では無いのだが、意外とそういう所に神経質な男に言われている内に自分でも気になるようになってしまったのだ。
其れに塵等の所為で汚れた状態で居るのは元々好きではない。
靴下を履いていても分かるくらい冷えた木の廊下を歩み、簡素な作りの洗面場に入ると 其処に溜めてある水と置いてある石鹸で素早く手を洗う。
そうして掛けてあった薄い手拭で手を拭いてから再び男の居る部屋へと戻ると煙管を仕舞いこんだらしい男が俺の渡した紙袋を持って座り込んでいた。
そんな男の隣に座り込み、男を見上げると男が掠れた声音で言葉を紡ぐ。


「開けて良いのか分からないのだが……?」

「開けて良いから渡したんだよ。……開けてみろよ」

「……」


ガサガサと音を立てながらテープで閉じてある部分を外し、袋を開ける男を隣で見詰めていると、男がそっとその中に手を入れた。
そのまま割れないように和紙で包まれている酒瓶を取り出した男に俺は少しだけ気恥ずかしくなって視線を逸らしながら何でも無いように囁く。


「今日バレンタインだろ?……そっちの包みは白レンからで、その酒は俺から」

「……」

「こんな行事するなんて柄じゃないけど、……まぁ、たまには良いかなと思ってさ」

「……」

「実際、白レンに貰うまですっかり忘れてたんだけどな」

「……」

「……軋間?」


黙り込んだままの男に何か気分を害してしまったかと思って顔を覗き込むと、男が不意に紙袋を置いてから立ち上がった。
そうしてジッとそのその姿を見ていると男が障子を開け、炊事場の方へと行ってしまう。
もしかしたらまだ昼間だというのに我慢しきれず杯を取りに行ったのかもしれないと一人納得した俺は男が戻ってくるまで囲炉裏の中の火を見詰めていた。
暫くして再び障子を開いて戻ってきた男の手には想像通り盆に載せられている杯があったが、その他にも何か違う物が載っている事に気がつき黙り込んでしまう。
そのまま俺の横に座り込んだ男は杯以外に持ってきた何かが盛られた桜柄の皿を俺の 前にそっと差し出した。


「……これ……」


その差し出された皿の上には簡単な兎の顔が描かれている白く丸々とした饅頭が載っていた。
俺はこの饅頭の意図が分からずに男の顔を見上げると、何処か羞恥を感じているらしい男が視線を逸らしながら聞こえないくらいの声音で囁く。


「……まぁ、なんだ……お前に先を越されてしまったが……たまには異国の行事に乗るのも良いかと思ってな」

「……」

「……初めてこのような物を作ったから味の保障は出来ないが、良かったら食べてくれ」

「もしかして、今日の用事ってこれの事か……?」

「……」


そのまま黙り込んでしまった男に俺の言葉が図星だったのだという事が分かってしまって、嬉しいやら恥ずかしいやら様々な感情が一緒くたになり、思わず口元に笑みを浮かべてしまう。
まさか男が俺よりも先にこの日を覚えていて尚且つ手作りの物をくれるとは思っても見なかった。
此れこそ正に一本取られたというものだろう。
其処まで考えて、ふと俺は今日街に下りた時に見かけた男の姿を思い出し、男に問いかけていた。


「なぁ、今日街に来てなかったか?」

「ん?嗚呼……材料を一つ忘れていてな。……お前より随分後に出たから会わないと思っていたのだが」

「……」

「流石にあの場所でお前の気配を感じた時は少しばかり焦ったぞ」

「……っぷ、……ッ……くく、……」


必死に堪えていた笑いも男のその言葉に遂に堪える事が出来なくなって口から吐き出してしまう。
一頻り笑った後、俺は男の近くにある紙袋に手を伸ばし、中にある酒瓶を取り出す。
折角用意した一品だ、どうせなら俺から男に注いでやりたかった。
そんな俺の意図を感じ取ったのか盆の上に置いてある杯を取った男に俺は栓を開けた酒瓶を両手で傾け酌をしてやる。
すると男が此方にもう片方の杯を差し出してきたので其れを受け取ると、今度は俺から酒瓶を受け取った男が此方の杯に酒を注いだ。
俺は其れを確認しつつ、桜柄の皿の上でちょこんと座り込んでいる兎に目を向ける。


「こんなに可愛いと食べるのが勿体無いな」


そう呟いた俺の言葉に男か微かな笑みで返してくるのが気配で分かった。
そのまま饅頭に向けていた視線を再び男に戻し、そういえばと囁いてみる。
何時も用意周到な男が材料を一つ忘れるなどというのは随分と珍しく思えたのだ。


「何の材料が足りなかったんだ?」

「……苺だ」

「苺?」


一瞬何処に男の言っている『苺』が使われているのか分からなかったが、恐らくこの可愛らしい兎の中には男がわざわざ街まで行って買ってきた苺が仕込まれているのだろう。
そんな事を考えている俺を引き戻すように男が手に持った杯を此方に近づけてくる。


「……ありがとな、軋間」

「嗚呼……此方こそ有難う、七夜」


そう言って互いに持っていた杯を近づけ、軽く当てる。
陶器が触れ合う音が庵の中に軽やかに響き、俺と男は自然と互いに笑いあっていた。



-FIN-






戻る