酔蝶花




自分の手の中にある杯を傾けながら、隣で呆けている餓鬼に視線を向ける。
酒片手に酒盛りをしようと行き成り誘ってきた餓鬼を庵に招きいれ、酒を互いに酌み交してから大分時間が経った。
まだオレは其処まで酔いが回ってはいないが、オレについて来ようと何処か無理をしていたらしい餓鬼は杯を手に持ったまま軽く目を瞬かせる。


「……七夜」

「……ん?」


オレの声にそっと顔を向けた餓鬼に、刹那、迷いが生じるが考えていた事を問いかけてみる事にした。
そんな中でも燭台の灯りが餓鬼の頬に不思議な陰影を作り出している。


「……泊まっていくか」

「え……」

「……いや、……お前が帰るつもりならば、無理にとは言わないが」


驚いたような表情をして此方を凝視してくる餓鬼にオレは拙い事を言ったかと顔を逸らす。
そもそもこうして共に酒盛りをしている事自体、可笑しな話だというのに仇である餓鬼を庵に泊める提案をするのは可笑しいだろう。
しかしするりと体を近くに寄せてきた七夜に視線を向けると、愉しげな瞳をした餓鬼が笑いながら囁いた。


「良いのか?……俺に寝首掻かれるかもしれないのにそんな事言って」

「……」

「……っふ、……冗談だよ、冗談」


黙り込んでしまったオレにクスクスと笑った餓鬼は手に持った杯を傾け、残った酒を流し込み、此方に頭を摺り寄せてくる。
まるで猫のようなその行動に何ともいえない思いを感じながら、オレもまた自身の手に持った杯を口元に当て、残っていた酒を呑む。
そうして全て飲み干すと、隣に居る餓鬼に視線を向け、言葉を紡いだ。


「……先に言っておくが布団は一組しかないからな」

「何?……この寒いのにどうするんだ」


オレの言葉に顔を上げた餓鬼は初めて困ったような顔をしてからそう囁く。
何時もはその年を感じさせないくらいに大人びた振舞いを心がけている餓鬼のその表情は新鮮に映った。
囲炉裏に火を点していても僅かに肌寒さを感じるといっている餓鬼が此処で眠るのは無理だろう。
そもそも、流石に客人を居間に雑魚寝させる程の常識知らずでもない。


「……お前が布団を使うといい」

「!……其れはダメだろう、アンタは何処で眠るんだよ」


しかしオレの言葉にすぐさま反論をしてきた餓鬼に、オレは敢えて言わなかった選択肢を提示してみせる。


「……ではどうする。同衾するのか」

「どッ…………結構アンタってそういう所気にしないのな」

「気にするも何も布団は一組しかないのだから仕方ないと思うが」


そう言ったオレにため息を吐いた餓鬼は小さく何かを呟いた気がしたが上手く聞き取れなかった。
しかしオレが顔を覗きこむと、微かに頬を赤らめているように見える餓鬼に視線を逸らされてしまう。
しかし直ぐに此方を見返してきた餓鬼が挑発的な瞳をしながら囁いた。


「寝てる間に俺を絞め殺すとかは無しな」

「……そのような心配はオレの方がすべきだと思うがな」

「……それもそうだ、精々気をつけろよ」


ふふ、と笑った餓鬼に手を伸ばし、その手の中に入っている空になった杯を取る。
いきなり手を伸ばしたオレに驚いたのか身を引いた餓鬼にオレは薄く笑いながら、ゆるりと立ち上がった。
もう時間も遅い、いつまでもこうして雑談をしている内にも段々と眠る時間が減ってしまう。
餓鬼が持ってきた酒も二人で全て飲み干してしまったし、餓鬼も心なしか先ほどよりも目が蕩けている気がした。


「風呂はどうする……入るなら急いで沸かすが」

「俺はどっちでも構わないけど……アンタが入るなら後で借りるよ」

「……そうか。では少し待っていろ」


此方を見上げてきた餓鬼が頷くのを確認すると、オレは両手に持った杯を片付ける為に炊事場の方へと向かった。



□ □ □



「……」


ふ、と小鳥の囀る声に目を覚ます。
そうして何時もは感じない違和感を腕の中に覚え、視線を下げると餓鬼が此方の体に抱きついてきているのが分かった。
そういえば昨日この餓鬼を庵に泊めたのだったと思い出す。
しかし眠る時は、狭いやら何やら言ってオレと反対の方向を向いていた筈だというのに眠っている間に寒さでも感じたのだろうか。
オレはどうしたものかと思いながらも、餓鬼の髪に手を伸ばしてみる。
起こすつもりは無いが、このままで居るのも妙に気恥ずかしい。
何度かその髪を撫でていると微かに体を動かした餓鬼が声を上げた。


「……んー……」


しかし、体を動かした餓鬼は、眉を寄せ更に此方の胸元に体を摺り寄せてくる。
オレはそんな七夜の耳に顔を近づけ、出来るだけ柔らかく囁いてみる事にした。


「……七夜」

「……ん……」

「……少し離れろ、……厠に行きたい」


そのオレの言葉に半分眠っている様子の七夜はその目を閉じたまま体を反対に向けた。
腕の中の温もりが離れた事に僅かな寂しさと安心感を感じつつ、オレは掛け布団をあげ、其処から出ようとする。
だが、ふと、隣に居る七夜の方を見ると昨日渡したオレの着物が大きかったのかその脚が露わになっているのが分かった。
女のように華奢では無いが、すらりと伸びた其処が窓から射し込む仄かな日の光に照らし出されているのが妙に扇情的にさえ見えてしまう。


「……寒……」

「……!」


その姿に目を奪われていると、小さく体を震わせた七夜が脚を擦り合わせるようにしてから体を丸めた。
オレは慌ててその餓鬼の乱れた着物を直してやってから布団を掛けてやる。
―――何を餓鬼相手に考えているのか己は。
そんな事を考えながら立ち上がり、畳を踏みしめ襖を開け囲炉裏のある部屋に出る。
自覚は無いが、もしかしたら昨日の酒が残っているのかもしれない。
片手で前髪をかき上げながら、冷えた木張りの床を踏みしめ、厠の扉の前に立ち其処を開ける。


「……はぁ……」


そして知らず知らずの内に洩れ出るため息もそのままに手早く用を済ませ、手を清めた。
そのまま先ほどと同じように廊下を歩み、囲炉裏のある部屋に戻るがもう一度横になろうか迷う。
結局まだ朝餉を作るには早すぎると判断し、再び襖を開け、寝室へと戻る。
先ほどと変わらず寝息を立てているらしい餓鬼が寝ている布団にゆっくりと近づくと、今度は思い切り開かぬよう注意しながら端を持ち上げ布団の中に滑り込んだ。
すると、そっと体を動かした餓鬼が再び此方に向いたかと思うと、猫のように体を摺り寄せてくる。


「……まさか、起きているのではないだろうな、七夜」


その動きが余りにも早かった為、眠っているだろう餓鬼に冗談っぽく声をかけるが答えは返ってこなかった。
オレはそんな七夜の髪に手を這わせ、撫で梳かす。
そうしてまだ酔いが醒めていないのだと脳内で言い訳をして再び目を伏せた。



□ □ □



漸く男が寝息を立て始めたのを理解して目を開ける。
先ほどの男の言葉に狸寝入りがバレたのかと冷や汗が出たが、気がつかれていなかったようだ。
しかし俺の体を痛まぬ程度に抱きしめてくる男の腕は温かく、心地よい。


(……くそ……)


男に声を掛けられるまでは本当に眠っていたのだが、布団をあげられた時点で完全に目は覚めてしまっていた。
だから二度目はわざと仕掛けたのだが正直、拒否されると思っていたのだ。
寝首を掻かれるだとかそんな事を男が考えていない筈が無いと思っていたというのに逆に抱き込められ、髪まで撫でられるとは。
本当は途中で起きて拒否した男をちょっとばかり揶揄してやろうと思っていたのだが、其れも出来なかった。


(……なんでこの男はこうなんだ)


そっと顔を上げ、目を伏せている男の顔を見詰める。
何時もは少し張り詰めている男の表情が何処か柔らかく感じてしまって頬が染まってしまう。
いや、此処で頬を赤らめる必要性などまるで無い筈なのに、何故か気恥ずかしさを感じてしまうのだ。
昨日も本当は男を酔い潰してその弱点でも探ってやろうなんて思っていたのに、まさか泊まる事になり、同衾する事になるとは想像もしていなかった。
何より男が俺の衣服を直した時に僅かに触れた指先が熱くて背中が嫌に痺れてしまった事が想定外過ぎた。


(……とりあえずもう一度寝よう。起きてからどうするか考えれば良い)


半ばヤケクソになりながらもう一度男の胸元に顔を押し付け目を伏せる。
思ったよりも耳元に響く男の心音に揺られるようにしながらいつの間にか温かい闇の中へと落ちていった。



-FIN-






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