シザンサス




チラチラと窓の外で舞い散る白い雪を見ながら、冷える指先を擦り合わせる。
幾ら囲炉裏の前に陣取っていても流石にこの森の奥に佇む庵では寒さの方が勝ってしまう。
だから男の上着を当然のように水浅葱色の着物の上に纏っているが其れでも末端は酷く冷える。
此れだから冬は嫌なのだと一人考えていると背後にある襖が開き、つまみの入っているらしい皿と箸、そして燗徳利と杯を載せた盆を持った男がその黒緑色の着物を翻しながら畳を踏みしめ盆を間に置いてから俺の隣に座り込んだ。


「そんなに寒いのか」

「寒い」

「……ほら」


寒さに震えながら呟いた俺に熱燗の入った杯を手渡してきた男から杯を受け取り、仄かに伝わる温度にため息を吐く。
こんな寒い日には熱燗でも呑んで芯から体を温めた方が手っ取り早い。
それ以外にも方法が無いわけでは無いが、其れを俺から言い出せる程、まだ酔いは回っていなかった。
男が俺と同じように杯を持ったのを確認してから其れを口元に当てるとゆっくりと立ち上る酒の香りを感じながら喉に流し込んだ。


「やっぱり冬は熱燗の方が良いよな」

「嗚呼」


しみじみとそう囁きながら、男の持ってきたつまみの中身を確かめると皿の中にはポン酢で和え、さらに葱などの薬味が乗せられた白子が入っており、燭台の灯りに照らし出された其れは艶かしくさえ見えた。
もう夕餉は確りと食べてしまった後だから、此れくらい軽いつまみの方が有難い。
そう思いながら盆に載せられた箸を取り白子を掴むと口元に運んだ。
口の中に広がるねっとりとした白子の食感と其れをくどくならないように抑えてくれるポン酢との調和を楽しんでから再び酒を口に含むと男が此方を見ている事に気がつき視線を向ける。
暫く何かを言いたそうにしていた男は此方に手を伸ばしたかと思うと俺の髪をくしゃりと撫でた。


「なんだよ、くすぐったいだろ?」


男の其の手付きに笑いながらそう囁くと、口元に笑みを浮かべた男が此方を見返してくる。
そのまま心地よい空気に身を任せようとするが、其の前に鼻から沸き起こるクシャミを我慢出来ず、慌てて空いた片手で鼻と口を押さえ顔を男から逸らした。
再び男の方に視線を向けると俺の髪から手を離した男が心配そうに覗き込んできたのが分かって、苦笑してしまう。
体調不良という訳では無い筈なのだが、寒さの所為だろうか。
そんな事を思っていると不意に畳に杯を置いてから俺の肩に手を伸ばした男がコートに触れたかと思うと、其れを引っ張ってくる。
幾らなんでも寒がっている俺からコートを剥ぎ取る程、男は酷い奴ではない筈だ。
だから其れをそのまま黙って見詰めていると俺から取ったコートを自身の肩に羽織った男が胡坐を掻いた脚を手で叩く。
その行動の意味が分からず、首を傾げると男が低い声で囁いた。


「来い、七夜」


男の柔らかな笑みと共に差し出された掌に、頬に熱が集まり其れを見られないように一旦顔を逸らす。
………此れだから男は油断ならない。
行き成り見せる笑みも、俺を何処までも甘やかすようにする言動も、どれもが酷く俺の心を揺さぶってくる。
しかも其れを当たり前にやってくる男は、まるで照れた様子を見せないものだから俺ばかりが羞恥心に苛まれてしまうのだ。
どうしたものかと頭の中で思考を重ねるのも一瞬で、俺は手に持った杯の中身を零さぬよう膝立ちになると着物を擦らせながら男に一層近寄る。
そうして男の膝に座り込むと男が背後からコートに包ませるようにして抱きしめてきた。
肩に顎を乗せるようにした男の吐息を感じつつ、手に持った杯を口元に当てるともう、温くなり始めている酒を流し込む。
そして背後に居る男もまた畳に置いた杯に手を伸ばすと酒を口元に運んでいるようだった。
俺は空いた手で盆を引き寄せるようにしてから、杯を盆の上に置く。
すると同じように盆に杯を置いた男がその太い両手で俺を抱きしめた。
前にある囲炉裏からの熱と、背後から感じる男の熱に体が火照るのを感じる。
そのまま背後より俺の手を取った男は指先を温めるように其処を大きく乾いた手で摩ってきた。


「こうすれば少しは温まるだろう?」

「……まぁな」

「良かった」


その安心したような声音に男から与えられた心臓がドクリと跳ねる。
俺はその音が聞こえる筈が無いと分かっていながらも強張ってしまっていた体から力を抜き、より男に凭れ掛かってから男が触れるままに手を任せた。
武骨な手が本当に労わるように触れてくる事に何とも言えない感情を覚えるのは、男が昔、己の手を『壊す為だけのモノ』と言っていたからだろう。
今ではこの掌は俺を温め、癒し、愛する為のモノになった。
其れがどれ程の奇跡なのか、俺には知る由も無かったが、今までモノを殺す為だけの存在だった己が男を慈しむ事を覚えたのだからきっと其れと同じくらいに有り得ない事なのだろう。
そもそもこんな風に惚気のような事を当然のように考えてしまっている時点で大分俺も変わった。
自分の思考が恥ずかしい方向に進んでいる事に気がつき、慌てて軌道修正をしようと試みる。
だが、そんな俺の変化に気がついたのか不思議そうな男の声音が耳元で聞こえた。


「どうした?」

「なんでも無い。……それより呑まなくて良いのか?冷めちまうぞ」

「……そうだな」


俺の言葉に答えを返しながらも盆に載せた杯には手を伸ばさなかった男は、俺を抱きしめる力を逆に強め、首元に顔を摺り寄せてくる。
其処までされて漸く男が俺を甘やかしているだけでは無く、甘えてきている事に気がついた。
そして不意に俺の体に回った手の片方を動かした男が顎を掬い取ってくるのを感じ、口付けてこようとするのを僅かに顔を引いて止めると不満げな表情をした男が此方を見据えた。


「ダメなのか」

「触れるだけなら良い」

「……何故深く口付けるのはダメなんだ」

「そりゃ、あれだ……流石に白子食べたばかりなのにそのまま接吻は嫌だろ」


そんな俺の言葉に一瞬、きょとんとした表情を見せた男はその口元に笑みを浮かべる。
今更そのような事を言うも可笑しいというのは分かっているが、言わない訳にはいかない。
しかし相変わらず何処か不満げな色を宿している男を一度放置して、盆に載った杯を取り酒を呑む。
前で燃える囲炉裏の火を見詰めながら、俺は酔いが回ってきたのだと言い訳をしながらそっと唇を開いた。


「まぁでも……寝る時間になったら幾らでもして良い」

「……」

「……今日は足先も冷えるし……全部、温めてくれるんだろ?軋間」


最後は何処かつっけんどんな言い方になってしまった事を自覚しながらもそう囁くと、男が背後で微かに息を飲むのが聞こえた。
自分からこうして男を誘うのは近頃していなかったのだが、其れは若さに任せて此方から仕掛けるのが獣のようで厭らしい等と思われたら嫌だったのだ。
だが俺の背後に居る男は更に俺を強く抱きしめたかと思うと、何時もよりも嬉しそうな声音で呟く。


「……勿論だ」


そんな男の反応に妙に気恥ずかしくなってしまって、男の腕に片手の指を這わせる。
そうしてもう片方の手で燗徳利を掴み、中身が少なくなった杯に更に酒を注ぐと自分の感情を誤魔化すように唇に杯を当て、口に含んだ。



-FIN-






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